第6話 「……彼の王は、こわれている」
その日を境にクライノートが城で騒ぎを起こす回数は格段に減った。無くなったわけではないのが残念なところだが……。
リゼルはクライノートを執務室に置いて文字の練習をさせながら、政務を執る。エリオットの起こしたホムンクルスの蜂起は完全に鎮圧できたわけではなく、むしろ彼の処刑によって燻っていた火はボヤになっている。そろそろ本格的に対応しなければならない頃合に差し掛かっていた。
「陛下、どうなされますか」
政務の補佐を務める金髪の司祭、セレスティアンはリゼルの顔を窺う。いつも通りの品定めをするような居心地の悪い目つきだ。リゼルはあえて平坦な声で答えを返す。
「すべてのホムンクルスから自我を消す」
ほう、と蒼い目が興味深いとばかりに瞬いた。
「ですが、今やホムンクルスは
「分かっている。だが、いくら職務に忠実であったとしても、国を揺るがす可能性を考えれば早急に芽を摘んでおくべきだ」
灰銀の双眸を細め、窓から見える景色を見る。薄く流れた雲は白くぼんやりと広がり、蒼穹を曇らせていた。
遠くへ、ここではない何処かへ、行ってしまえたら。
王冠の重みで身体は軋む。心はずっと冷たい玉座に磔になったまま。けれど、リゼルは王さまだからすべて抱えて歩くのだ。ただしいことを、ただしいように行いながら。
だから、本当の願いは手放した。僅かでも考えてしまった望みは棄てて、気づかなかったふりをする。
そうして、リゼルは窓から目を逸らした。代わりに、セレスティアンを感情を消した目で見つめ返す。
「今日の朝議で宣言を出す」
行こう、と誰へともなく呟いて、リゼルは執務室を出ていく。ドアを閉めるところで、文字の練習をしていたクライノートが顔を上げて不安そうな顔をした。彼女のためだけにリゼルはそっと微笑してみせる。ふわり、リゼルの深藍の髪が揺れた。
大丈夫。あなたのために、帰るから。
きぃい、と木の扉が開いて、少年王とその腹心はその先へと足を進める。既に集まっていた貴族の長や騎士団の長たちは錬金の王の似姿を厳粛に迎え入れて、視線を注ぐ。リゼルは深く玉座に身体を沈めた。
「陛下、西北のウルエギストにて駐留しておりましたホムンクルス部隊の離反が確認されました。今までで一番大規模な反乱と思われます。地方のホムンクルスはそこに合流しているとの情報もございます」
口火を切ったのは“狩人”を率いる騎士団長、ベルデモント・リッターだ。灰色の口髭はぴしりと尖っていて、彼の厳格な性格を表しているようだった。ちょっと引っ張って形が崩れるかどうか試してみたくなる。と、いかめしい顔の壮年の男の顔を弄くるのは想像の中だけにして、リゼルは彼に倣っていかめしい顔を作った。
「では、そなたの監督が及ばなかったと?」
責めるような声音に彼らはざわめく。
「……はい、私の力不足によるものです、我が王よ」
ベルデモントは膝を折り、年少の王に頭を垂れた。この男はたしかにレヴェニア王家の忠臣であると、リゼルは確信する。彼は先王の任じた七卿のひとり。七卿は王の代行者として、王のために人を治め、人を使う。四卿は領地を、一卿は軍務を、一卿は財務を、そして、一卿は錬金術を。
「そなたを責めている訳ではない。そう思わせたのなら謝罪しよう」
王の思わぬ低い姿勢にベルデモントはゆっくりと顔を上げた。だが、リゼルの意識は既に彼の上にはなく、ホムンクルスの反乱に割かれていた。
「やはりあの反乱が後を引いている、というわけか」
半ば独白し、それから玉座から見える臣下たちを見下ろす。とはいえ、背の低いリゼルだからやっと目線が合うくらいなのだが。
「そもそも、余がそなたらを呼んだのはホムンクルスについて宣言を出すためだった。此度の一件について議論進める前に、伝えておこう」
一度言葉を切って、からからの口で唾を呑み込んだ。声が掠れそうになるのを堪え、できるだけ大きな声で告げる。
「余はすべてのホムンクルスから自我を消そう。彼らはあくまで道具である」
リゼルの兄、エリオット・プラタ・レヴェニアはホムンクルスを仲間として遇そうとした。たとえ命が短くとも、たとえ石にはなれぬものだとしても、心を持つのなら人と等しく扱われるべきである、と。
リゼルの父、先王イステア・ロカ・レヴェニアは人の命と人ではないものの命を天秤にかけた。死しても石になれず、灰と散る作り物は、死して石になって永遠を揺蕩う本物とは比べるべくもないのだ、と。
そして、錬金の王の似姿、リゼル・オロ・レヴェニアはただしさを。紛い物の彼らが心を持たなければ、人と同等に扱う必要はない。けれど、それが兄の願いを踏みにじるものであるとはリゼルには気づけない。
なぜなら、確かにその選択はただしいから。人を守るというただ一点において。
揺れる空気は人々の動揺を表していた。リゼルは凪いだ灰銀の瞳で彼らを眺める。
「陛下、どのようにしてそれを成すと仰るのですか?」
セレスティアンの問いかけはその場にいる人々の胸中を汲んだものだった。
「現存するホムンクルスの活動限界を早め、次世代から新たな生産方式を使用する」
少年王の紡いだ合理的にすぎる答えは数瞬すべての人間から声を奪う。
「なお、ウルエギストでの反乱については“狩人”を当てて掃討作戦を決行する。もちろん、派遣する人員ら人間のみで構成することとする」
ここでホムンクルスを使えない理由は簡単だ。自我を消すとここでリゼルが宣言した今、自我を失いたくないものたちは反乱軍に合流することだろう。ホムンクルス部隊を連れて討伐に行き、ミイラ取りがミイラになっては意味が無いのだ。
「また、ホムンクルスはひとつとして逃すな。確実にすべて殺せ。残してしまえば禍根を世に残すことになるから……。質問はあるだろうか?」
リゼルは立ち上がりつつ尋ねたが、何も帰ってこなかった。ただ、リゼルの視線から誰もが逃げただけで。
***
彼の王は、どこかこわれている。
ベルデモント・リッターは少年王が姿を消した後、重い沈黙が泥濘とする広間を出た。腹の奥に居座る冷たい鉛のような感情は、じきに五十に届く身体には堪える。そして、心を殺した灰銀の瞳に射すくめられて覚えた戦慄はまだ指先を震わせていた。
正しき王……。王となるため生まれた少年。
リゼル・オロ・レヴェニアがそうであると、何故か分かる。だが、あの王は──。
「閣下、陛下はなんと?」
くすんだ金髪の男がベルデモントの隣に並ぶ。ベルデモントは眉間の深いシワをほぐしつつ、彼に視線をやった。
「ローレントか。陛下は “狩人”を出せと仰った。選抜対象は人間に限るという条件つきだ」
くすんだ金髪の男──ローレント・フロイツは深く頷く。彼はベルデモントの右腕として“狩人”の副騎士団長を務めている。
「妥当な判断ですね。予想しておりましたので、既に人選は済んでおります」
「そうか、事は一刻を争う。直ぐに出られるよう準備させろ」
「御意」
馬を駆って、西北の辺境ウルエギストに赴いて。それは雪の降る日のことだった。針葉樹林が連なり、雪化粧をした山並みは白く
白い息を吐き出しながら、ベルデモント率いる“狩人”の面々は占拠されたというウルエギストの軍事拠点に近づいていく。深雪は馬の足を取らんと魔手を伸ばすが、この地の気候特性を鑑みて選抜された騎手たちはものともしない。
「彼らに罪の報いを受けさせてやれ」
その言葉が狼煙代わりだった。包囲済みの砦はもはや攻め入られるのを待つばかり。仕掛けていた陣を利用し、複数人がかりで錬成を開始する。
「氷結を」
ぱきぱきと軋むような音が響くが、降り積もった雪が音を
ばきん、ごきん、ばきん。もう雪にも音は隠せない。次々と生まれる巨大な氷の鋭利な塊は砦の外壁を破る。石と散らばる氷の欠片が降った。不意打ちを受けたホムンクルスたちの頭上から、それは凶器として降り注いだ。
頭蓋を割って、手足を潰し、身体を穿つ。叫び声を雪を孕んだ風が攫う。飛び散ったもので雪は鮮やかな緋色へと化粧した。なのに、死体はひとつとして残らない。赤い瞳の彼らには死んでも何も残せない。
灰は、雪と。灰は、風と。しろくしろくしろく消えて。
一方的な虐殺の後には深紅の絨毯だけが敷かれて道を作った。ベルデモントたちは靴の下で崩れる雪を感じながら、残りのホムンクルスの掃討に取り掛かる。
王の命は皆殺し。確かに禍根を残さぬためには彼らは全部ここで刈りとるべきだ。ひとに近いかたちで生まれたことが間違いで、曖昧な立場に置かれていたから悲劇が起きた。リゼルはその線引きをはじめて行ったのだ。
「っ!」
右後ろ、前方、左。三方向から浴びせられた剣戟をベルデモントは鋭く息を吐き出すと、最小限の動きで弾く。三体のホムンクルスを次の一太刀で両断。血飛沫すらも避けて、壮年の騎士は馬とともに駆け抜ける。
自分の生を守るために戦うことを選んだホムンクルスたちは決して引かない。己を火の中に飛び込む虫だと知ってもなお、飛ぼうとする。
「しにたくない」
哀願する赤い瞳の男の首を撥ねた。
「たすけて」
懇願する赤い瞳の女の心臓を突いた。
「いやだ、いやだ、いやだ」
切願も、斬り捨てた。
けれどもう、心のない道具ばかりになってしまえば、こんなことは起こらない。だから、斬った。
ふう、と吐き出した息は雲になって灰色の空に溶けていく。荒い息を吐く馬の背を慈しむように撫でた。そして、結局血に塗れた身体を緩慢に動かし、剣を振る。びしゃりと歪な文様が雪に刻まれた。
「閣下。こちらも終わりました」
「……そうか」
やはり馬に乗ったローレントの報告にボソリと答える。彼の身体もまた血塗れで、果てのない雪の森ではよく目立つ。
「いくら理由があっても、殺すのにはやはり慣れませんね」
ベルデモントの心を読んだようにローレントはそう言って、困ったような微妙な笑みを作った。ベルデモントはあの少年王の瞳に似た灰色の空を仰ぐ。
「ああ。慣れたくないものだ」
閣下、と騎士の一人がベルデモントに声をかける。彼の手の中に大事に包まれていたのは、とろんとした蜜色の石、紅玉髄だ。
「どうしても犠牲を無くすことはできないのだろうか……」
紅玉髄を握り込んで、顔を上げた。
「皆、ご苦労であった。帰るぞ」
ごう、と強い風が雪原の中の彼らの背を押す。崩れ落ちた砦と血の跡も、やがてはすべて白の中で眠りにつくだろう。
それから、数日後。王城へ帰ったベルデモントは雪のように降る灰を見た。背筋が凍る感覚に押され、普段騎士団の稽古で使われる闘技場へと走る。
着いた時、無表情の少年王は扉から出てくる所だった。リゼルは思わぬ来訪者に目を見開いたが、ベルデモントは目もくれずに扉をくぐる。
──灰の山を、見た。
前のリゼルの言葉を思い出す。ホムンクルスの活動限界を早める、と王は言った。
知っていた、分かっていた。
なのに、屈強に磨き上げられた騎士の身体は震えている。恐怖に? それとも畏怖に? 答えは出なかった。
「……彼の王は、こわれている」
きっとどこかが。
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