二食目.だし巻き卵
「じゃあねーまた遊ぼ!」
「うん!また連絡するー」
やっぱ夕飯からのカラオケは最高だな。
午前一時を少し過ぎた頃大空は駅前から自宅への道を一人歩いていた。
友人の由美と遊ぶのは高校を卒業して以来のことでついついはしゃいでしまい、気がつくとこんな時間になってしまっていた。
この道は街灯も少なく、ついていたとしてもほとんど意味がないレベルまで暗く一人で通るには慣れていてもやや抵抗があった。
「あーあ、これならカラオケに泊まってもよかったかもなー」
恐怖を紛らわすかのように大きめの独り言を呟いた。大空の恐怖の原因は実は場所以外にももう一つあった。それはこの深夜一時を過ぎという時間だ。ただ遅いから、暗いからだけというならまだいい。
「ふーー」
不意に大空の耳に生暖かい息が吹きかけられる。
まただ、また。
オランジェで働き始めてからというものほぼゼロに近かった大空の霊感が爆上がりしたのだ。しかし不幸中の幸いというべきか霊たちはちょっかいこそかけてくるものの、こちらに危害を加えようとするものはいなかった。
初めこそ口から心臓が飛び出るほどおどろていたのだが、こちらが反応すればするほどしつこく関わってくることが分かって以降、極力反応しないように気を張っていた。これが案外疲れるもので家に帰る頃にはとてつもない疲労感が大空を襲っていた。
「早く帰らないとなー」
大空は再び大きな声を出す。もう少し歩けばオランジェに着く。
あの店はマスターが家として住んでいるのか分からないがこの時間でも明かりがついていることもあった。だとしてもわざわざお邪魔することなどもちろんないのだけれど。
大空は少しだけ足を早める。あそこを過ぎれば家まで十分ほどしかかからない。
「あの、すみません」
すると後ろの方からやけにハッキリと声が聞こえた。酔っ払いだろうか。大空は声を無視して足を進める。
「あ、あの、すみ、あの…。……ああ」
すると声は徐々に元気をなくしていき黙ってしまった。
「……。」
その弱々しい声を聞いていると、なんだか少し申し訳なくなってしまって大空は足を止めた。声の様子的に酔っ払っているわけではないようだ。もしかして本当に何か困っている人なのではないのだろうか。
大空は意を決して「なんですか?」そう言いながら振り返る。がその瞬間公開することになった。
「ひっ……」
大空は息を呑んでその場にへたりこむ。こちらに声をかけてきた男はなんとひどく青白い顔で頭から血を流していたのだ。それに加え地面になんと足がついていない。十センチほど浮いているのだ。
「あっえ?な、あ、あん、た!何?な、な」
こんなにもハッキリと幽霊らしい幽霊を見たのはこれが初めてだと言ってもいい。なぜなら大樹も律も見た目は人間となんら変わりないのだから。
「あ、ああ申し訳ない。そんな、驚かせる気はなかったんです。ただ少しお尋ねしたいことがあって」
男は眉を目一杯下げてペコペコと頭を下げる。その度にぽたぽたと血が頬から垂れるのがなんとも奇妙だった。
「……な、なんですか」
あんな場所で働いている手前幽霊という存在を無視はできない。というよりもう話してしまったのだから、ここで逃げると何をされるのか分からない。大空は相手を刺激しないように気をつけて言葉を発した。
「あの、実は私もう死んでまして…」
それは見ればわかる。がそんなこと言えるはずもなく「はあ」とだけかえす。
「店を探しているんです。店を」
「店、ですか…。あの、ちなみに、名前って?」
大空はとりあえず店の名前を聞いてみることにした。できればこれ以上関わりたくないのでたとえ知っていたとしてもしらないとシラを切り通してさっさと帰ろうと心に決めていた。
「その店って…?」
「はい、喫茶オランジェという名前だそうで」
その男から出た言葉は大空にとって到底無視できるものではなかった。
「は…。き、喫茶?」
「オランジェです。知ってますか?」
知ってるも何も今日もそこでバイトしてきたし、なんならもう働き始めて一ヶ月は経ってるんだけど。
「で、でもあそこ普通の喫茶店ですよ?この時間はもう閉まってます」
大空の言葉に男は青白い顔を僅かに輝かせた、気がした。
「知ってるんですね…!よければ連れて行って、いや場所だけでも教えてもらえませんか?」
もちろん嫌だと断りたい。しかし家に帰るまでの道はあの一本道しかないのだからどうすることもできなかった。
「……。帰り道なんで、送ります。バイト先なんです、そこ。…あとこれ使っていいんで、その血拭いてください。割と怖い」
大空はカバンからハンカチを取り出す。が男はそれを拒否した。
「いえ、私はし、死んでいるので、あなたのものは触れないんです。すみません」
「…え?」
よほど納得できない顔をしていたのか男は大空からハンカチを受け取ろうと手を伸ばす。確かにその手はハンカチを通り抜けてしまった。
「お気持ちだけ受け取っておきます。ありがとうございます」
男は一度こちらに頭を下げてから自分の胸ポケットから自前であろうハンカチを出すと額を拭った。
「……?」
大空は一片の疑問を残したままハンカチを鞄に戻した。
「あなたは、私のこと怖がらないのですね」
オランジェまでの道を歩いている時、男はふとそんな言葉を発した。
この男はさっき私の何を見たというのだろうか。思い切りビビって道に尻餅をついたのはどこの誰でもない、私だ。
「いや、めっちゃビビりましたけどね、流石に」
「…申し訳ないです」
男はまた同じように眉を下げる。そう何度も謝罪を言われてしまっては会話しずらいものがある。大空は男を気遣うように愛想笑いを浮かべた。
「いえ別に、慣れてるので」
「ゆ、幽霊にはよく会うんですか?」
「会うというより…、いる?まあ行けば分かりますよ」
「なるほど…?」
男はそれ以上話すことなく大空の二歩うしろをついてくる。
もしかすると今なら聞けるんじゃないだろうか。オランジェについて。大空は足を止めると後ろを振り返る。
「え、な、なんですか?」
男は驚いたようにやや目を大きく開くと、同じように動きを止めた。
「おじさんはオランジェに何しに行くんですか?未練とかそう言うのがあるんですか?」
「そ、それは、あなたの方が知っているのでは?バイト、しているんですよね?」
その言葉に大空は腕を組んで少し考える。
「残念ながら、私は何も知らない。多分あなたより知らないです」
男が思っていたよりも弱弱しく大空はすっかり普段の口調であっさりと返す。
幽霊や死神が普通にいる喫茶店というだけで普通ではないのにあそこにはそれとは別にまだ秘密があるということなのだろうか。
「そう、なのですね。では、私が知っていることで良いのなら」
そう言って男はゆっくりと話し始めた。
「幽霊達の中で噂になっているんですよ。噂と言ってもほとんど確証に近いものばかりですが。午前一時を過ぎた頃にあの喫茶店に行けば自分が一番食べたい思い出の料理が食べられる、と。実際に食べた方もいるみたいで…」
なんだその漫画みたいな話は。いやまあ幽霊と普通に会話している時点で私もそのうちの一つのようなものだけど。
「そ、そんなのが、あるんですね」
大空は再び歩き始める。男の話を聞いたところでオランジェへの疑問は深まるばかりだ。そもそもマスターは何者なのか、人間なのかはたまたそれ以外の何かなのか…。
大空が一人悶々としていたら、いつの間にかオランジェの明かりで道が照らされているのが見えるほど近くに来ていた。
「あそこですよ」
大空はそう指をさした。
オランジェの扉は昼間と何ら変わらぬ音を出して二人を招いた。ドアの先にはやはり昼間と変わらず大樹と小太郎、それに律とマスターがいた。
「大空?!なんで?」
「どうしたんだよこんな時間に」
二人はこちらの顔を見るなり驚きの声を上げる。普段はあまり表情が変わらないマスターでさえも少し驚いているように見えた。
「そーらー!」
小太郎は嬉しそうにこちらにすり寄ってくる。
「あの、彼らたちは…」
すると今まで後ろの方に身を寄せていた男が店に顔を少しだけ覗かせて聞いてくる。その時、横目に三人が顔を見合わせたのが見えた。
「幽霊と死神と化け猫?です。言ったでしょ、行けばわかるって」
「はあ…」
男がポカンとしているとマスターは小さく咳払いをしてから
「まあどうぞこちらにお座りください。大空さんも、せっかくなので何か飲まないかい?」
そうマスターに促されるがまま大空たちは店の中に入った。
男はカウンター、大空、律、大樹、小太郎は端の四人席に移動した。
「なあ大空、あの男と知り合いか?」
律は声を潜めてこちらにそう問いかける。
「い、いや知らないけど」
「じゃあなんで一緒に店に来るんだよ…!」
大樹はこちらが話し終える前に言葉を割り込ませた。
「うるさいなぁ、ちゃんと最後まで聞いてよ」
「あ、わり」
男との関係がよほど気になっていたのか普段なら「うるさい」と言う言葉に反応して突っかかってくるが、今はすぐに口を閉じて大空の次の言葉をまった。
「まあ、話すって言っても、ほんとにただ偶然話しかけられて、人だと思ってうっかり反応したら幽霊でこのここ《オランジェ》に連れて行って欲しいって言われたから来ただけよ」
大空は簡潔に先程のことについて説明した。
「こんな時間に一人でいたのか?危ないぞ」
律はまるで子供に注意するような口調で言った。
「遊んでたら遅くなっちゃたのよ…」
「大空は不良少女なのか?」
「小太郎…変なこと言わないで。ほんとにただ遊んでただけだってば」
「大空ってもともと霊感あったんだっけ?」
大樹は机に肘をつくとやや前のめり気味に聞いてきた。
「ないわよ、あるわけないでしょ。オランジェにに来てからよ。日常的に幽霊なんて見えるようになったのは」
「そもそもそんな大空がなんで俺たちのこと見えたのかって話も気になるんだが、自分でもわからないのか?」
律の言葉に大空は頷くことしかできなかった。そんなことよりもずっと気になることがあったからだ。
「ねえ、ここって本当はなんの店なの?」
「喫茶店だぜー」
「それはわかってる、でも!」
言いかけた時に律が人差し指を一本顔の前に立てて「しーっ」と歯の隙間から音を出す。
大空が黙ったのを見るとそのままその指でカウンターに座る男を指さす。
見ていろということなのだろうか。大空は仕方なく口を閉じて男の方に目をやった。
「私の名前は、
そこまでいうと稲垣は項垂れた。
「そんなことあったのですね。辛い話を話させてしまって申し訳ない」
「いえ、聞いてほしいと言ったのは私ですので。むしろこんな話を聞かせてしい待ってすみません。お恥ずかしい」
その言葉にマスターは首を横に振る。
「辛いかったことを話すのは何も恥ずかしいことではないですよ。話したい、聞いて欲しいと言うのは人間として当たり前のことです」
「人間…はは、でももう私は人じゃないんです。幽霊になってしまったので」
稲垣はそう自虐的に笑った。
「いいえ稲垣さん。人間は死んでも人間のままです。幽霊なんていうのは生きてる人が勝手につけたあだ名のようなものなんですよ」
その言葉を聞くと小さく口角をあげて見せた。
「…そ、そうですね。ありがとうございます。なんだか少しだけ気が楽になりました」
「それは良かったです。では稲垣さん、突然で大変申し訳ないのですが、首からかけているものを一度私に見えてもらえませんか?」
「え?」
稲垣は不思議そうな表情を見せてから自分の首元に手をやる。
「こ、これですか?」
出てきたものは懐中時計のようなものだった。部屋の明かり全てを集めたように黄金色に輝くそれは派手な装飾が施されているわけでもないのに妙に視線を奪われた。
「こ、これは私のものじゃあ…」
そんな反応を見るにどうやらその時計は稲垣が生前持っていたものではないらしい。困惑する稲垣にマスターはそっと微笑みかけ「大丈夫ですよ」と一言。
そのままマスターは懐中時計の蓋を開くと人差し指で時計の針を反時計回りにどんどん動かし始めた。
するとまるで何かの魔法のようにオランジェの様子が次々と変わっていく。
「な、何…?」
大空は声を出さずにはいられなかった。
あたりの景色は高校の教室になり、公園になり仕事場になり、まるでコマ送り映像のように人や場所が移っていく。
「ね、ねえなんなの?」
流石の大空も怖くなり大樹に話しかける。
「これはあの人の今までの記憶だよ」
さも当たり前かのように答える。
「き、記憶?」
「走馬灯って言った方が分かりやすいのかもな。」
律はそう言葉を付け足した。
大空はその光景に圧倒されながらも稲垣の方に目をやる。すると声は聞こえないが何やら会話をしているように見えた。
五分が経った頃だろうか、オランジェはいつもの喫茶店に姿を戻した。
「終わった…?あんな早送りみたいなのが走馬灯なの?」
「終わった、けど早送りってどう言うことだ?」
大空は先ほど自分が見たものをそのまま律に説明する。
「大空にはそんな風に見えてんだな。俺たちとはちょっと違うな」
「え、そうなの?二人にはどんなふうに見えてるの?」
「どんなふうに、かあ。普通に一本のホームビデオ見てる感じかな」
「なんだかんだ言っても大空は俺たちとは違って歴とした人間だ。多少違うことぐらいあるだろ」
「そ、そうだよ、ね…」
大空は深く息をついて脱力した。手を強く握っていたせいか手のひらにうっすら爪の跡がついていた。
「そうか、そうだ。そんなこともあった」
稲垣は涙を流しながらそうぶつぶつと呟いている。
マスターは懐中時計を稲垣に返すとガスコンロに火をつけてフライパンを準備する。ガラスのボウルに卵を三つ入れてそれを箸でチャカチャカとかき混ぜ始めた。その中にたっぷりのだしとネギを入れるとそのままフライパンに流し込む。
途端に店いっぱいに出汁のいい匂いが漂い始めた。
しばらくして綺麗な色と形をしただし巻き卵を差し出す。
稲垣はゆっくりとした動作で箸を手に持つと半分に割ってから口に運び咀嚼する。
「そう、そうだ。これなんだよ」
そう行ってさらに涙を流した。
「ここはな、普段は普通の喫茶店だけど夜は死んだ人間、亡者もうじゃたちがやってくるんだ」
大樹は視線を稲垣に向けたままそう話し始める。
「マスターはその人たちが一番食べたい思い出の料理を出してあげる」
「な、なんでそんなことができるの?」
「さあなー。それは俺にもわかんねえよ。走馬灯を見ただけで作れるなんて普通はあるわけねえんだけど、それができる人なんだよ。あの人は」
「まあ、考えたところでもっと分からなくなるだけだろうから、そういうものだと思っておけばいいさ」
どうやら律もわからないらしい。そんな曖昧な言葉で納得できるはずもないが事実は小説より奇なりという言葉があるのだから気にしすぎるのもよくない、と自分に何度も言い聞かせた。
オランジェについて知れたのは良かったがマスターについては謎が深まるばかりだった。きっとこの謎か解明されることはないのだろうと心のどこかで本能的に感じていた。
大空が困ったようにつくため息をつくと「大空さん、ちょっとおいで」と突然マスターに手招きをされる。
「え、あ、はい」
大空は何事かと思いさほど広くない店内を小走りでカウンターに向かう。するとどうやら話があるのはマスターではなく、稲垣の方だったようだ。
「さっきはありがとうね。よかったら、ちょっと食べてみないかい?」
そう言ってだし巻き卵をこちらに差し出す。
「え、でも…」
これは彼の思い出の料理なのではないだろうか。大空は二人の様子を伺う。
「いいんだよ、食べて欲しいんだ」
マスターも静かに頷いた。
まあ本人がそういうならと大空はだし巻き卵を少しだけ箸でつまむとそのまま口に運んだ。
「…んっ」
失礼だとわかっていても大空は顔を歪めずにはいられなかった。味が恐ろしく濃いのだ。明らかに味付けを間違えているとしか思えない。大空は慌ててマスターの方に目をやる。
「濃いだろう?味付けが」
稲垣は「ははは」と笑った。その顔には青白さのかけらもなく本当にただの人間のようだった。恐らくこれが本来の彼の姿なのだろう。とても優しそうに笑う人だ。
「私の妻はね、料理が下手だったんです」
彼は遠い昔を思い出すようにだし巻き卵を見つめた。
「だから付き合っている時も、結婚した時も料理はいつも私の担当でした。でもね、ある日妻はだし巻き卵を私に作ったんです。どうやらずっと私に内緒で練習していたようで、形も色もとても綺麗でした。でも…」
そこまでいうと稲垣は思い出したかのように一人笑った。
「味がねえ、どうも濃いんですよ。でもその当時の私はそれがどうにも可愛くて、美味しい美味しいと言って全て食べました。するとね、それがよほど嬉しかったのか毎日のように作るんです。可愛いでしょう?うんざりすることもありましたが、毎日毎日嬉しそうに私に差し出す妻の顔を見ていたらやっぱり食べてしまうんですよ。塩分の取りすぎで病気にならないように普段の食事には今まで以上に気を遣わないと行けなくなりましたけどね」
稲垣は最後の一口を食べ終わると静かに箸を置いた。
「...食べれてよかったです。ありがとうございます。おかげで妻との思い出もたくさん思い出せました」
そう言って深々と頭を下げる。
「時間が許す限りはいつでもまたいらしてください」
マスターのその言葉に稲垣は嬉しそうに笑った。
「明日からは妻との思い出の場所を巡って行こうと思います」
そう言って席を立つ稲垣の後ろを大空は少し離れて着いていく。
そして店を出る前に「もし暇だったら、また聞かせてくださいね、奥さんとの話」と声をかけた。
「ああ、もちろんだよ」
稲垣はそう微笑んだ。
「ははっ、やっぱお前って変わってるよな。普通はそんな会話したりできねえって」
背中にそんな声が飛んでくる。
「…………」
その声に反応しないでいると大樹はこちらにやって顔を覗き込む。
「どうしたんだよ」
途端大空はその場にヘナヘナと座り込む。
「おいおい大丈夫か?」
大樹は慌てた様子で大空の左肩を掴んで支えた。
「こ、怖かったぁ、ていうか、びっくり?したって言いうか…。いやなんかもうわかんない」
先ほどまでは無意識に気を張っていたのだろう。大空は張っていた緊張の糸が切れたような気がした。冷静になっていけばいくほど先ほどの非現実的なことが頭では処理できなくなってくる。
「大空さんには、話さないといけないのかもね。この店のこと、先程のこと。もちろん無理して聞かなくても良いのだけれど…どうしますか?」
そんなの、むしろ聞かない方が不可能というものだ。
「聞きたいです」
大空は迷うことなく言ったのだが今から聞くのはどうも不可能のようだ。
「おい大空ーさっきからスマホなってるぞ」
どうやら机に置きっぱなしにしていたスマホが着信を知らせていたらしい。マナーモードにしていたせいで気付くのに遅れてしまったのだ。
「やば!ママかも!」
気がつくともう午前三時を迎えようとしてる。慌ててスマホ画面を見ると案の定母からの着信だった。
「も、もしもし?」
大空は恐る恐る電話に出た。
「ちょっと大空!一体今どこにいるの?まだ由美ちゃんと遊んでんの?」
耳元で聞こえる母の大声に大空は思わずスマホを耳から話す。
「ご、ごめんまじで、いやーカラオケで盛り上がっちゃってさ」
「何?由美ちゃんフリーターのあんたと違って仕事あるんだからそろそろ解放してあげなさいよ!あ、代わりに母さんが今から行ってあげようか?どうせ明日仕事休みだし!」
母の大きすぎる声は近くにいた他の皆にも聞こえていたようで皆口元を緩めている。
「あーもう大丈夫だから!もう店出てるしあと10分くらいで家着くから!じゃあもう切るよ?」
電話越しの声を全て聴き終える前に大空は慌てて電話を切った。
「めっちゃ面白いなお前の母さん」
未だ緩んでいる口元に手をやり、大樹はそう笑った。
「仲が良さそうで何よりですね」
「まあ確かに仲はいい方です。まあうちは私が生まれた時からずっと片親なんでどちらかというと友達感覚なんですけどねー」
小学校高学年の頃だったか、一度なぜ父がいないのかと聞いたことがある。すると、ある日突然いなくなってしまったそうだ。母はそれしか言わなかったが、その時大空は父は母を捨てたのだと顔も知らない父を心底軽蔑したのを覚えている。それは今も変わらない。
「友達感覚でもなんでもいいが、親は大事にしろよ」
急に真面目な顔になって律はそう言う。その目は大空を見てはいるものの観てはいなかった。くすんで白みがかったビー玉のような、律がたまに見せる大空の苦手な目だった。
「…ん?何ぼーっとしてるんだよ。早く帰れ。心配してんだろ、親」
自覚していないのか不思議そうな顔を一瞬見せると、ソファーで寝ていた小太郎を起こす。
「おい、送ってってやれ」
小太郎は眠そうな目をシパシパさせる。
「えーいいよ別に、家すぐそこだし」
「だめだ」
律はキッパリと言って首を振る。
「そういうところ意外と頑固だよなあ律は。父親かよ」
大樹が茶化すようにいうと少しムッとした表情になる。
「なんだよ、俺はただ危ないと思ってだな…」
「まあまあ二人とも、オイラに任せろってー。無事に送り届けてやるからよ!」
いつのまにか小太郎はすっかり目を覚ましドアの前でスタンバイしていた。
「んー、じゃあお願いしようかな!じゃあすみません、私はこれで」
大空はドアをあげて小太郎と共に外へ出た。
「実際問題さあ、本当に何かあった時、小太郎に私助けられるのー?今だって私に抱っこされてるのに」
薄暗い帰り道、小太郎は無事に送り届けると行った割に自分で歩こうともしない。抱き心地的には本物の猫と一緒でむしろ抱っこできて嬉しいと言う点はあるが。
「おいおい見くびってもらっちゃあ困るぜー。オイラ化け猫だからよ、幽霊の太陽とか死神の律なんかよりよっぽど役に立つさ!」
「そうなの?」
「そうだ!だって太陽はものに触ることすらできないんだぜ?律は寿命を減らすことはできるけどむやみやたらにあいつがそんなことするわけないし。その点オイラは霊感がないやつにも姿を見せることができる!まぁ声が聞こえるのは大空みたいに霊感強いやつじゃないと無理だけどな」
小太郎はふふんと鼻を鳴らす。
「え、でも大樹も律も普通に物触ってるじゃん。律はともかく大樹には私触ることもできるし」
「あれはあそこ《オランジェ》だからできるんだ。原理は知らねえけどあそこはとにかく不思議な何かがあるんぜ」
「何かって?」
「何かは何かだよ。多分マスター以外しらねんじゃねのか?あ、マスターに聞いたって無駄だぜ。絶対教えてくれないんだからな。そもそもマスター自身も知ってるのかは知らないんだけどなー」
「ふーん……。あっ」
話しているうちに気がつくともう家はすぐ目の前だった。
「お?ここか?」
「うん。ぼろっちいでしょ?」
大空は目の前のアパートを見上げた。所々塗装は剥げ落ち廊下の電球もチカチカと点滅している。
「あの二階の端が私の家」
指さした部屋には唯一明かりがついている。もうこんな夜遅いのだから他の部屋は電気が消えていて当たり前だ。うちは恐らく母が寝ずに待っているのだろう。
「確かに建物はボロいがオイラにはあったかそうな家が見えるぜ」
「ふふっでしょ?私も大好きなの」
小太郎は「にゃふー」と笑うと腕からピョンと近くのブロック塀に飛び乗る。
「じゃあな!オイラはこれにて任務完了!帰るぜ!」
「うん、ありがとう!また明日」
小太郎は小さく一度鳴くとブロック塀の上を器用に走る。その姿はあっと言う間に闇に紛れた。大空はそれを見てから小走りで母の待つ家へと向かった。
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