第10話 兄の胸中

「あの日突然リュド様が『王太子にならない!』なんて言い出すから、本当に驚かされました。おまけに、お父様達が来て大騒ぎになるし……」

 リュドヴィックの言葉でコハリィも五年前を思い出して、クスクスと笑ってしまう。


「あの日ここで恋に落ちた。あの日からずっとココの心だけを欲している」

 手足まで真っ赤に染まるコハリィと、とばっちりを受けて顔を顰めるライムントをよそに、リュドヴィックは真剣そのものだ。

 リュドヴィックには愛を囁いている認識はないので、照れるなんてことはない。コハリィが全てのリュドヴィックにとっては、コハリィに伝える言葉は全て紛れもない事実でしかないのだ。


 ライムントはため息をつき、五年前を思い出す。




 なかなか戻ってこない二人に焦れたポワティエ公爵が東屋に向かったので、ライムントもついて行った。

 真っ赤になって目を白黒させているコハリィの手を握るリュドヴィックを見て、公爵は頭に血を登らせた。相手が王子という認識は公爵から吹っ飛び、足でリュドヴィックを蹴りながら必死に手を外そうと試みるも、当のリュドヴィックが全く離す気がない。


 それどころかリュドヴィックは、「絶対に王太子にはならないと約束するから、コハリィと結婚したい」と爆弾を投下した。


 こんな権力しかものを言わない貴族社会の中で、「王太子にならない」と馬鹿なことを言って、ほぼ手中に治めている一番の権力を放棄した男と娘を結婚させる親なんているだろうか? 

 そんな変わり者は、ポワティエ家の家族だけに決まっている。


 最初は胡散臭い目で見ていたポワティエ公爵家だって、リュドヴィックがコハリィを誰よりも何よりも大事に思っていることは明白過ぎて引くくらいだった。

 しかも、弟達の下劣な仕打ちを利用して、リュドヴィックは宣言通りに王太子の座を投げ捨てたのだ。


 その行為に頭を抱えた宰相であるポワティエ公爵は、「第二王子では、国を亡ぼします。貴方は王になるべき方だ!」と叫んだ。

 当のリュドヴィックは、涼しい顔で言い返した。

「俺が王太子だと、コハリィは結婚してくれない。それに……、宰相だって王太子である俺に、コハリィを嫁がせる気は最初からなかっただろう?」

 図星を指されて口ごもる宰相に、リュドヴィックは悪戯っ子のような笑顔を見せた。


「王がろくでなしでも、貴方がいれば国が安泰なのは証明されている」

 あっけらかんとそう言ったリュドヴィックは、「次の宰相は頼んだぞ!」と言ってライムントの肩を叩いた。

「ポワティエ家は、王家の尻拭いをするために存在しているのではないのですよ……」

 呟いた公爵の暗い表情は、馬鹿のお守りの大変さを物語っている。


 そして、ポワティエ家の大切なお姫様であるコハリィが、深い深い底なしに深いリュドヴィックの愛情に飲み込まれていくのも、あっと言う間だった。


 正直に言ってリュドヴィックのコハリィに対する想いは、常軌を逸していると思うことがライムントには多々ある。

 多々あるが、自分の価値を分かっていない妹を守るためにはリュドヴィックくらいでちょうどいいのではないかとも思っている。


 そう思ったから、ライムントはコハリィを嫁に出したくない父親の説得に一役買ったのだ。リュドヴィックには感謝して欲しい所だが、今のところそんな素振りは見受けられない。

 



 ライムントはマルタが這って行った方向に目を向けた。

「分かっていると思うが、マルタはフェリクスの母である王妃の姪だ。王妃が実の息子であるフェリクスを王太子にするのを諦めたとは思えないが、タシュ家はマルタで保険をかけるくらい、なりふり構っていられない状況ということだ」


 リュドヴィックは面倒くさそうにため息をつくと、ギュッとコハリィを抱きしめた。そして、五年前から何度も繰り返している約束の言葉をコハリィに伝える。

「絶対に王太子にはならないと約束する」


「お前はそう思っていても、周りが放っておかないのは分かるだろう?」

 リュドヴィックはようやくコハリィから離れ、苛立って声を荒げるライムントを一瞥した。

 そして王の執務室を見上げ「全て一刀両断にしてやる」と、色とりどりの花々が一気に枯れてもおかしくないほどの冷気を放った。

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