第5話 茶番の果てに……

 派手にグラスが割れる音がしたと思うと、常にナマケモノの生態しか見せていなかった『まどろみ王子』が、物凄い形相とスピードで突進してくるではないか!

 一体何が起きたのだと驚いた生徒達は、左右に分かれて道を作る。


 全身に怒りをまとったリュドヴィックはフェリクスの前に立つと、他の者には聞こえないように、怒りを抑えた低い声をフェリクスの耳に流し込む。

「それを言ったらエドメだけでなく、お前も同様に裁かれるのだぞ」

 フェリクスは子供のように純粋に驚いた表情でリュドヴィックを見上げ、「……どうして、それを? ……兄上は、まとも?」とまるで幼児後退したのでは思えるほど幼い口調で呟いた。


 突然のリュドヴィックの変化を受け入れられないフェリクスは、放心状態でブツブツと何かを呟いている。リュドヴィックはフェリクスを「害無し」と判断して、放っておくことに決めた。


 リュドヴィックとフェリクスの遣り取りを見ていたエドメは、動揺のあまり悲鳴を上げることもできず驚愕の表情でうなだれている。

 恐怖を抑え込むために爪を噛んで「嘘だ」「そんなはず……」とブツブツ呟き出したので、無視して大丈夫そうだ。


 残ったのは、何が起きたのか分からずポカンと口を開いているニコラだ。

 予定していたシナリオと全く違う展開なだけでなく、まどろみ王子が突然本物の王子様になっている。しかも、そんな美しい王子様が、汚物を見るような目を自分に向けている……。


 間抜け面を晒すニコラにリュドヴィックは、「立て」と低く威圧的な声で命令した。

 リュドヴィックの声は決して大きくはないが脳に響く声で、ニコラだけではなく周りに立つ生徒達も思わず背筋を伸ばしてしまう。


 慌てて立ち上がったニコラは足をガクガク震えさせながら、背筋を伸ばしてリュドヴィックに向かった。恐怖で顔を背けたいが、それを許さない雰囲気がリュドヴィックにはある。

 他の生徒達もニコラと同じ気持ちで、震えている者も多数いる。ホールにいる全員が身体中から恐ろしいほどの冷気を放つリュドヴィックを恐れ、しかし目を離すことができない。


 藍色の目は光の届かない海の底のように暗く、背筋が伸びた大きな身体は他を威圧的に圧倒する。

 そこに『まどろみ王子』はいない。美しくも冷たく全てを拒絶する、絶対的な存在感を放つ、第一王子が立っていた。


 リュドヴィックはニコラに「お前は不敬罪を知っているか?」と問うた。

 圧倒され言葉が出ないニコラは、知っていると伝えるために必死に首を縦に振る。

 再度リュドヴィックに「本当か?」と問われ、ニコラは首がもげるくらい振りたくった。


 その様子を見ているリュドヴィックの瞳は呆れ果てた色を湛え冷えきり、何も分かっていないニコラに残酷な事実を突きつけた。

「ならば自分を含めた一族郎党全てが、死罪だと認識しているのだな」


 ニコラは水色の瞳が転げ落ちるかと心配になるほど目を見開き、今度はねじ切れる程に首を横に振る。水色の瞳に溜まった涙が、首を振る度に飛び散った。


 だが、リュドヴィックはそんなことは気にも留めず、事実を淡々と告げる

「未来の王太子を謀ったのだぞ。国に害を成す行為だ。分からずにやったとは、言わせん!」

 怒鳴るわけではない、しかし偽りを見逃さない真摯な声は逆らうことを許さない。


 ニコラは床に崩れ落ち、「申し訳ございません。申し訳ございません。申し訳ございません」と謝り続ける。


 リュドヴィックは顔色を変えず、感情のこもらない表情からは何も読み取れない。

「罪を認めたのだな」

 死刑宣告のような一言を受けたニコラは、ブルブル震えながら顔を上げた。涙と鼻水でぐちゃぐちゃになった顔でエドメを見ると、指を差し叫んだ。


「エドメ様に指示されたのです! エドメ様にされた嫌がらせを無かったことにし、フェリクス様に誘導されて仕方なく嘘をついたことにすれば、側妃になるより一生贅沢ができるお金を渡すと言われたのです!」


 企みを暴露され、言い訳しようとするエドメに、リュドヴィックは暗く冷たい視線を向ける。

 それだけでエドメは息ができなくなり、唇を震わせ肩を落とした。


 リュドヴィックがつまらなそうに生徒達を見回すと、恐れをなした生徒達は一様にサッと目を伏せる。

 ついさっきまで『まどろみ王子』と全員から馬鹿にされていた男が一転、凍り付かせる威圧感でその場を支配してしまったのだから仕方がない。


 リュドヴィックが冷たい声で「エドメ」と呼ぶと、エドメはビクッと震え顔を上げる。


「ニコラ嬢を使って、フェリクスを陥れようとしたな」


 言い訳はいくらでも考えていたし、どうにでも切り抜けられるとエドメは思っていた。壊れたはずのリュドヴィックごときに、自分が負ける訳がないと思っていたのだ。

 この場さえ切り抜ければ、フェリクスを自分の言うことを聞く操り人形にできるのだ。あと少しなのだ!


 しかし暗い闇の底から全てを見透かしているような佇まいのリュドヴィックを前にすると、恐怖を抑え込むことさえ困難で何も言うことが出来ずうなだれるしかできない。


 あっさりと二人を片付けたリュドヴィックは、未だ呆然と立ち尽くすフェリクスに視線を移す。


「フェリクスが婚約者以外の女性に、現を抜かしたのも事実」


 リュドヴィックはそう言うと、面倒くさそうに周囲を見回す。

 リュドヴィックの口から飛び出した意外な言葉に、生徒達は戸惑いを隠せない。

「王家を守るのではないのか」

「王族を謀った二人の悪女を裁くのではないのか」

「この騒動を契機に王太子へと返り咲くのではないのか」

 様々な思惑が行き交って、第一王子殿下がこの醜悪な事態をどう治めるのか、みんな興味津々だ。


 当のリュドヴィックはそんな周りの視線など無視して、淡々と話を進める。

 本来ならば、こんな場所で、こんな目立つ真似など、足の小指の爪の先程したくないのだ。


「フェリクスがエドメの冷たい態度に耐えられず、エドメの気を引くために浮気の真似事をした。エドメはそれをフェリクスの浮気と勘違いし、悋気を起こしフェリクスを取り戻そうとした。喧嘩両成敗だ。二人はこれを機に国の未来を担う王太子と王太子妃として、より仲睦まじい関係を築いて欲しい」

 リュドヴィックは心底面倒臭そうに、そう決着をつけた。




(絶対に婚約破棄などさせない。

 お前達が婚約破棄して、俺が王太子なんていう貧乏くじを引いてたまるかっ!

 もう少しで全てが上手くいくはずなのに、この馬鹿共が面倒なことをしてくれた! 本当にこの馬鹿二人は、どれだけ俺に迷惑をかければ気が済むのだ! 

 こいつらのせいで、大事なココとの未来が危険にさらされた。大事な大事なココに、不安な思いをさせてしまったではないか! ココに害を及ぼす行為は、絶対に許されない。全力で報復してやる。

 とにかく計画の見直しが必要だ。今までのような、生温い結末になると思うなよ!)


 はらわたが煮えくり返る思いの中、リュドヴィックは努めて冷静に振舞う。

「せっかくの卒業パーティーを二人の痴話喧嘩で乱したこと、誠に申し訳ない。我々は責任を取って退席するので、後は皆で楽しんでくれ」

 リュドヴィックに華やかな笑顔を向けられた生徒達は一瞬でリュドヴィックの魅力に酔いしれ、熱に浮かされたように一斉に声を上げて沸いた。





♦♦♦♦♦♦


読んでいただき、ありがとうございました。

次の話が短いので、本日はこの話を合わせて三話投稿予定です。

よろしくお願いします。

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