一般大学生な俺が、吸血鬼な女友達に(色々な意味で)美味しくいただかれてしまうまで

だんご

第1話

 俺、影浦かげうら祥人あきとはどこにでもいる普通の大学生……のはずだ。

 はっきりと断言できなかったのは、モノローグで普通を自称する奴は大抵普通じゃないという偏見と……自分の置かれている状況が少しばかり突飛なものだったから。

 

 現在、俺は大学の同期であり、唯一無二の女友達――待夜まちや深月みづきに抱き着かれている。


 これだけだと『何が突飛だ、ただ大学生カップルがイチャイチャしてるだけじゃねえか』と言われてしまうかもしれない。

 だけど、違うのだ。

 俺と深月の関係は先も述べたように友人だし、お互い人との距離感が近いタイプというわけでもない。むしろ遠すぎるくらいで、恋人でもない相手に抱き着くような真似ができる人間性は間違っても持ち合わせちゃいない。

 それなのに、こんな状況になってしまったのは。

 この待夜深月という友人が、ちょっとばかり普通じゃないことに起因している。


「んっ……ふ、ぁ……」


 二人きりの部屋。

 聞こえてくるのは俺に正面から抱き着きながら首元に顔をうずめている深月の鼻にかかったような声だけで、否が応でも意識がそちらに持っていかれる。


 いろいろな衝動に耐えながらしばらくじっとしていると、やがて彼女は俺から離れていき、トロンとした目でこちらを見つめてきた。

 その艶めかしい表情に思わず息をのむ。この瞬間だけは何度経験しても慣れそうになかった。

 目を逸らした方がいいんじゃないかと考えながらも、思わず視線が深月の顔に吸い寄せられてしまう。


 背中まで伸ばした長い髪の色は銀。

 もともとは黒だったらしいが、「いっそもっと"らしく"なってやろうと思って染めたの」なんていつか深月が話していた。

 どこか現実離れしたその髪色に違和感を感じないのは、彼女の圧倒的な美貌があってこそだろう。


 銀の髪に、真っ白な肌。

 全体的に白に寄っている顔の中で、存在感を放っているのはその瞳だ。

 カラーコンタクトを入れているというわけでもないのに、彼女の双眸は血のような深い紅色をたたえていた。


 そしてもっとも特徴的なのはその口元。

 瑞々しい唇の下には、鋭い二本の牙がちらついている。

 犬歯というには少々、いやかなり鋭いそれは"噛む"というより"吸う"ことに特化した器官であり、ついさっきまで俺の首筋に突き立てられていたもの。


 ――待夜深月は吸血鬼だった。


「……っ!ご馳走様。今日もおいしかったわ」

 

 吸血行為を終えた深月はしばらくぼーっとした後、我に返ったようにお礼を言った。

 この流れはいつものもので、血を提供していた俺もいつもと同じように言葉を返す。 


「……お粗末様」


 少々言い方がぶっきらぼうになってしまったのは、俺の感情を悟らせないため。

 だって、バレるわけにはいかないのだ。

 

 俺が深月に――めちゃくちゃムラムラしていることを。



 

 "幻想病"という病がある。

 正式にはもっと長ったらしい名前があるものの俗称の方がよっぽど世間に浸透しているその病気の症状は、神話やおとぎ話、伝説といった幻想世界の住人の特性を発現してしまうという摩訶不思議なもの。

 数万人に一人の確率で発症し、発症する原因は不明。

 患者の絶対数が少ない上に人によって症状が全く違うため研究の進みも遅いらしく、治療法も未確立というまさに奇病だ。


 そんな奇病の発症者であり、吸血鬼としての特性をその身に宿した深月と俺が初めて関わったのは、大学に入学して少し経った頃のことだった。


 きっかけは、とある必修講義。

 大学生活における必須技能の習得を目的としているらしいその講義は、レポートの書き方やプレゼンのやり方を、自由に組んだ相手とのペアワークを通して学ぶというなんともぼっちに優しくない内容で。

 

 自分と組んでくれる相手に心当たりなんて皆無だった俺は、適当に声をかけてもいいけど、既に組みたい相手がいたら迷惑だよなーなんて考えた末にふと思い当たった。

 だったら、組む相手が最初からいなさそうなやつに声を掛ければいいじゃないかと。

 どうせペアが決まらなかったらあまり者同士で組むことになるのだし、それなら先に声をかけておいた方が多少は気まずさもまぎれるだろう。

 そう結論を出した俺は、俺以上に周囲から浮いているその女――待夜美月に声をかけた。


「あのー、もしよかったら俺と組んでくれません?」

 

 俺と深月が言葉を交わしたのは、正真正銘このときが初めてのこと。

 しかし、驚いた様子でこちらを見つめてくる深月のことを、俺は以前から知っていた。


 どんなに混んでいる講義室でも、ぽっかりと穴が開いたように人が座っていない空白地帯。

 深月はいつもその中心にいた。

 その風貌が明らかに普通と違うからか、感染の危険性はないと言われているとはいえまだまだ未知な部分が多い幻想病という病を恐れているのか。

 おそらくそのどちらもなのだろうけど、彼女はあからさまに腫物として扱われていた。

 深月が他人との関わり合いを求めていないことが明らかにわかる態度だったことも、それに拍車をかけていたように思う。

 孤高の美人、待夜深月はそんな言葉が似合う女だった。 


 と、まあそんな感じで、我が大学において深月は非常に目立つ存在であり、それゆえ俺も彼女のことを認知はしていたのだが……当然というべきか、関わり合いになるようなことは一度もなかった。

 関わる理由がないというのもそうだったし、何より俺自身も他人との交流を避けたいタイプだったので。


 しかし、ぼっちだろうと吸血鬼だろうと所詮は社会生物。

 生きていれば、どんなに嫌でも面倒でも他人と関わらなきゃいけない場面というのはやってくる。

 その一つが俺と深月にとっては大学の講義だったというわけだ。


「……わかった」


 どうみても不本意そうだったとはいえ。

 俺の提案を深月が受け入れてくれたあの瞬間こそが、俺と深月が友達になるための第一歩だった。



「なー待夜さん、この講義めっちゃだるくない?」

「……」

「待夜さん。ここの引用ってこれいいんだっけ?」

「……大丈夫なんじゃない」

「おっけ、ありがとね」

「別に」

 

 出会って間もない頃の深月は控えめに言っても非常にそっけなかった。

 目は合わないし、雑談でも振ろうものなら完全スルー。講義で必要なことであれば最低限会話を交わしてくれる、といった感じ。

 とはいえ、それが彼女なりの処世術であろうことは察していたし、深月のスタンスは俺的にはむしろ好ましいものだった。

 俺が人間関係を敬遠するようになった面倒くささが、一切感じられなかったから。

 だからこそ、柄にもなく自分から積極的にコミュニケーションを取りに行ったし、そのつれない態度を何とか崩してやろうと躍起になっていたのだと思う。



 そんな俺の頑張りを、どういうわけか神様は応援してくれたようだ。

 深月と関わるようになってから、俺は何かと彼女と接点を持つ機会に恵まれた。


 そしてそのチャンスを俺はモノにすることができたのだろう。

 深月と話すきっかけとなった講義が修了するころ、俺と深月はそれなりに親しくなっていた。


「なー、待夜ってどんくらい吸血鬼なの?」

「……?質問の意味がイマイチ掴めないんだけど」

「いや、幻想病って空想上のナニかの特性が現れるんだろ?だったら待夜は俺の知ってる吸血鬼とどれくらい同じなのか気になって」

「ああ、そういうこと。なんというかデリカシーのない質問よね」

「や、それはすまん。答えたくなければ答えないで全然かまわないんだ。九割は興味本位だから」

「残り一割は何なのよ……」

「待夜のことをもっと理解できれば色々気を利かせられるようになるかなっていう心遣い?」

「その比率が逆だったら言うことなかったのだけど……まあ、あんたならいっか。気になってるなら答えてあげる。幻想病を発症するこんな体になる前と後で大きく変わったのは、そうね……血が吸えるようになったこと、夜目がすごくに利くようになったこと、日差しに弱くなったことかしら。あとは……全体的に五感が鋭くなったとは思うわ」

「おー、吸血鬼っぽい。ってか感覚まで変わるのか。フィジカルの方はどーなん?リンゴ砕いたり、屋根までジャンプしたりできんの?」

「あんたの吸血鬼のイメージどうなってるのよ。……基本的には普通の人と変わらないわよ、日差しがない夜の方が何かと調子がいい気はするけど」

「なるほど……そうなると、待夜と遊びに行くなら夜がよさそうだなー。もしくは室内か。あ、室内で思ったんだけど、招かれないと他人の家に入れないってのは?」

「またマイナーな設定を知っているわね……。そもそもの話、招かれずに人様の家に入ったら吸血鬼とか関係なく不法侵入なんだからできるわけないでしょうが」

「ははっ、そりゃそうか。ちなみにこれはある種の冗談というかネタで訊くんだけど、杭で心臓を穿つと死ぬっていうのは……」

「誰でも死ぬ定期」

 

 さんづけで呼んでいた苗字を、呼び捨てにすることを許された。

 打っても全く響かなかった軽口に応じてくれるようになったどころか、自分のことも話してくれるようになった。

 "面倒くさくないから関わっていた"のがいつの間にか、"面倒くさくてもいいから関わっていたい"に変わっていた。

 

 言葉で確認したことはなかったけど、俺は深月のことを友人だと思っていたし、深月も俺のことを友人だと思ってくれていたと思う。



 と、これだけなら非常に順風満帆な俺と深月の関係だったが、やはり人生とは山があれば谷もあるものらしい。

 

 お互いに名前を呼び捨てるくらい気安い関係になって少し経った頃。全く心当たりもないままに、俺は深月から避けられるようになった。


「なあ、深月」

「……」

「ちょ、無視は酷いって!俺、泣くぞ。いい歳した男がわんわん泣くぞ!?」

「っ、ごめんなさい。私、用事があるから」

「え、待っ、深月……!?」


 まるで出会ったばかりの頃に戻ったかのような塩対応。

 初期の頃だったらむしろ心地よかったそれも、親しくなれたと思ってしまった後にされると非常にダメージが大きく、正直言ってかなり傷ついた。

 とはいえ、俺を遠ざけている深月も俺と同じように傷ついた顔をしているものだから、本意じゃないであろうことはありありとわかってしまい。

 このまま深月と話せなくなってしまうなんて絶対にごめんだと思った俺は強行策をとることにした。

 

「みーづきちゃん!あーそぼ!」


 最終奥義、突撃隣の深月ちゃんである。

 いや、なんのこっちゃと思われるかもしれないが、実は俺と深月は同じアパートに住んでいる。それも、隣同士の部屋というオプション付きで。

 発覚した時はこんな偶然があるのかとたいそう驚いた。それと同時に、これは深月と親しくなるための流れが来ていると謎の勇気をもらったことを覚えている。

 俺と深月の間には結構色々なイベントがあったけど、親しくなれた要因としては多分これが一番大きい。


 さすがの深月も俺を避けるために即引っ越しとはいかないだろうと子供のように大声で呼びかけていると、慌てた様子の深月に部屋に引きずり込まれた。


「祥人あんた馬鹿なの!?羞恥心どっかに捨ててきたの!?あんなの一歩間違えなくても迷惑行為よ!?ここ追い出されちゃったら困るのはあんたでしょうが!」

「いや、そりゃ俺だって恥ずかしいけどさ。深月、こうでもしないと俺から逃げるし。このまま疎遠になるよりはよっぽどマシかなって思って。で、ようやく捕まえられたから訊くんだけど、俺、何かしたか?」

「……別になんでもないわよ。元々私は1人が好きだったっていうのを思い出しただけ。あんた鬱陶しいし、デリカシーないし、一緒にいて疲れたのよ」

「そんな辛そうな顔で言われても説得力ないっての。深月がなんで俺を避けてるのかはわからないけど、理由もなくこんなことする人間じゃないってことくらいはわかる。……深月的にはたくさん考えた末の行動だろうし、今の状況が最善なのかもしれないけどさ。俺的にはこの状況よりしんどいことってなさそうなんだよ」 

「……」

「だからさ、何かあるなら話してほしい。解決できる……かはわからないけど、解決策を一緒に考えることくらいはできると思うから」


 俺がそう言うと、深月は何かを堪えるように言葉を詰まらせて――やがて、諦めたように呟いた。

 

「最近ね、あんたを襲ってしまいそうになるのよ……」

「え、俺そんなに嫌われてた……?なんかやむを得ない事情があるものだとばかり思ってたけど、マジで嫌だった感じ?」

「違う!……そうじゃなくて。襲ってしまいそうっていうのは、あんたの……血を吸ってしまいそうになるってこと。幻想病になってからそういうことはしばしばあったけど、まだ自分でコントロールできてた。それなのに、最近あんたと一緒にいるとその衝動が抑えきれないくらいどんどん強くなってるのがわかって、いつかあんたに牙を突き立ててしまいそうで……祥人を傷つけるのが、怖かった……」


 まるで懺悔でもしているかのような深月。それを聞いた俺は――


「え、吸えばいいじゃん」


 この状況が容易に解決できるものだったことに安堵していた。

 深月はそんな俺のリアクションに目を白黒させて、震える声で尋ねてくる。


「……い、いいの?」

「いいよ。別に、死ぬレベルで血吸われるってわけじゃないんだろ?」

「それはそうだけど……。怖いとか気持ち悪いとか、思わないの……?」

「深月のことなんも知らなかった時に、そういう偏見が全くなかったとは言えないけど……今は特に思わないなぁ。そもそも血を吸えるってことは聞いてたし」

「……聞くのと体験するのは全然違うわよ」

「別に、血を吸う生き物なんて普通にいるだろ。蚊とか蛭とか」

「……女の子に使う例えじゃないわね」

「じゃああれだ、献血。献血だと思えばいい。知らない誰かのためになるのも悪くないけど、俺的には深月が喜んでくれる方が嬉しいし」

「…………なんていうか、あんたってバカよね」

「血を捧げようという俺になんたる言い草……まぁ、憎まれ口も叩かれないよりマシか。ほれ、血ぃ吸いたいならさっさと飲め飲め。あ、でもなるべく痛くしないでくれると助かる」

「大の男が生娘みたいなことを……言われなくても優しくするわよ。本当に、いいのね?」

「お前と前みたいな関係に戻れるならむしろ望むところだよ」

「……ありがと。それじゃあ、いただきます」


 その日から、俺の理性が試される日々が始まった。




 それで、冒頭いまに至るわけなんだが……はい、めっっっちゃムラムラします。


 でも考えてもみてほしい。


 大前提として、俺は深月のことが好きだ。

 友達的なライクじゃなくて、恋愛的なラブの方で。

 一緒に居るうちに、いつのまにか好きになっていた。

 

 好きな女に抱き着かれる。これだけでも十分刺激的だというのに、嬌声?を聞かされ、やたら艶のある表情で見つめられ……こんなの興奮するなという方が無理だ。

 最初はどうしても我慢できなくなった時にだけって感じだった吸血行為も、最近は少しずつ何回も吸うって感じに変わってきてるし……。


 はっきり言って、俺の理性はもう限界に近い。

 かといって、無理やり押し倒すのはもちろん論外。

 それなら深月に告白するなりなんなりして、さっさと"そういう"関係になればいいんじゃないかという話ではあるのだが……そこまで踏み切れない理由が二つある。


 一つは、俺がヘタレであるというシンプルかつ情けないもの。

 相手は俺のことを友達としか認識していないんじゃないか。

 告白してもし駄目だった場合今の関係も壊れてしまうんじゃないか。

 そんなありきたりな不安は俺の中にも当然あって、なかなか勇気を出すことができない。

 

 客観的に見れば、脈ありな雰囲気なんだろう。

 俺と深月は一緒に居ることも多いし、吸血行為のためとはいえ密着することも少なくない。

 相当心を許してもらっているのだろうという自覚は、ちゃんとある。


 ただ、この自覚が勘違いではなく、深月も俺のことを俺と同じように好いていてくれていたとして。想いが通じ合ったとしても、ちょっと困ったことが起きそうなのだ。

 それこそが、俺が深月に告白するのをためらうもう一つの理由。


 思い出すのは、俺が深月に血を提供するようになってしばらく経ったある日の会話だ。

 吸血行為を済ませ部屋で二人でくつろいでいると、ポツリと深月が言った。


「祥人の血って、なんでこんなに美味しいのかしら」

「ええ……?」


 血の味など鉄っぽいということ以外わからない身としては、まったく共感できない話題にひたすら困惑するしかない。いや、そもそもの話――


「深月って俺以外の血も吸ってんの……?」


 味の良し悪しがわかるということは、俺以外の血も飲んだことがあるのだろうか。

 かなりドキドキしながら尋ねた俺とは対照的に、深月はあっさりと答えた。


「吸ってるというか、吸ってたって感じね。お母さんと美陽みはる……妹の血を何度か吸わせてもらったわ」


 その答えに、俺はほっと胸をなでおろす。

 深月が血を吸ったことがあるのが家族でよかった……。

 俺が全く知らない男友達とかの名前が出てたら、多分かなり凹んでたと思う。

 ……そういえば。母親、妹ときたら父親の血は吸わなかったのだろうか。そう不思議に思って尋ねると「お父さんのことは嫌いじゃないけど……。血を吸うってなるとなんか臭そうで嫌」というなかなか辛辣な答えが返ってきた。年頃の娘を持つ父親の苦労が偲ばれた。


「お母さんと妹には悪いけど、祥人の血の方が断然美味しいのよねえ……ほんと、なんでだろ」


 依然として不思議そうにしている深月。

 そう言われても俺の方に心当たりがあるはずもない。

 大学生らしくそれなりに不摂生な生活をしているしなあ……。

 深月に血を吸われるようになってからは鉄分が豊富そうな食べ物を気持ち多めに摂るようになったが、そのせいだろうか?

 そんなことを考えていると、深月から爆弾発言が投下された。


「ねえ、祥人って童貞?」

「ぶっ!?お前何言ってんの!?」

「いや、吸血鬼って処女の生血を好むとか聞くじゃない?だったら、童貞の血も美味しいってことになるんじゃないかなと思って」

「深月……さてはお前バカだろ」


 ジトりとした目で見つめる俺に構うことなく、深月はなおも問いただしてくる。


「で、祥人は童貞なの?」

「そこ追及する必要あるかなあ!?」

「いいから答えなさいよ。別に減るもんじゃないでしょう」

「減る!俺の中の大事なものが色々減るって!」


 ……なんて言い争いの末に、俺はとうとう童貞であることを白状させられて。

 好きなこの前で童貞宣言させられる羞恥と屈辱に震える俺をよそに、深月は妙に満足そうな様子でこう言ったのだ。


「なら、私がこれからも美味しい血を吸えるように、祥人はずっと童貞のままでいてね」



 うん。今思い出しても色々と酷いエピソードだ。

 童貞だから血が美味いとか意味不明が過ぎる。


 しかし、幻想病はまだまだ謎が多い病。

 深月の言っていることが絶対にありえないとも言い切れない。

 『幻想病 吸血鬼 童貞 血 美味い』とか傍から見たらなんだこいつと思われること間違いなしのワードでインターネット検索してみたりもしたけど、当然のごとく有用な情報は一つもなかったよ……。


 仮に深月が言っている童貞の血液美味説が本当だったとすれば、俺が深月と結ばれた場合俺の血はまずくなってしまうというわけで。

 そうしたら、深月は俺の血を嫌そうに吸うようになるのだろうか。それとも、吸うことすらなくなって別の人の血を求めるようになるのだろうか。それは何というか、すごく嫌だった。 

 

 加えて、お前このまま童貞でいろ宣告をされるあたり俺は深月の眼中にないという説もあり、俺は深月に想いを伝えあぐねているというわけだ。


 だがこのまま深月に(血を)求められ続けた場合、いつか俺の理性が限界を迎えて無体を働いてしまいそうなのもまた事実。

 

 一体どうしたものかと悩みに悩んだ末、とうとう俺は深月に切り出すことにした。



「血を吸う頻度を下げてほしい……?」

「ああ、実はそうなんだ」


 俺が選んだのは男らしく想いを伝えること――ではなく時間稼ぎ。

 情けないと笑われること請け合いの、完全な逃げの一手だった。

 

 深月に手を出して嫌われたくない。かといって、深月が血を吸うのは俺だけであってほしい。

 我儘だということはわかっている。

 でも、その我儘を叶える方法を見つけるまでの猶予があと少しだけ欲しい。


 その猶予を作り出すための苦肉の策として、俺は吸血の回数を減らすことを提案したのだが――


「ねえ、どうして……?なんでそう思ったの……?」

 

 途端に泣きそうな顔になってしまった深月を見て、自分の失策を自覚した。


「やっぱり、嫌だった……?血を吸われるなんて、気持ち悪かった……?」

「いや、そういうわけじゃない。深月はなんも悪くなくて、その、俺の方に原因があるというか……」

「じゃあその原因ってなに……?」

「それは……」


 不安そうな顔で、縋るように俺に問いかけてくる深月。

 お前に欲情して襲ってしまいそうだからです!と言うわけにもいかず口ごもっていると、その瞳からとうとう涙がこぼれた。


「私のことが嫌になったんじゃないって言うのなら、その理由を教えてよ……!前に祥人言ってたじゃない……。何かあるなら話してほしいって。解決はできないかもしれないけど、解決策を一緒に考えることはできるって。私も、同じだよ?何かあるなら、話してよ。祥人が困っているのなら、なんとかできないか私も一緒に考えさせてよ……」

 

 降参だった。

 好きな子を泣かせたという事実だけでも十分すぎるほど心が痛いというのに。

 過去の自分の言葉を持ち出され、あの時の俺と同じ不安を今深月が抱えているのだとわかってしまえば、自分を取り繕うことを優先できるはずがなかった。

 もうどうにでもなれといった気持ちで、俺は深月に正直に告げる。


「吸血する機会を減らそうって言ったのは……俺が深月に、その、欲情してしまうというか、ムラムラしてしまって……このままだと取り返しがつかないことになりそうだから、なんだ……」


 言ってしまった。

 俺の言葉を、深月は一体どんな気持ちで聞いているのだろう。

 軽蔑されただろうか。嫌われてしまっただろうか。

 自分が信頼していた相手がそんなことを考えていたと知って、恐怖を感じてはいないだろうか。 

 

 下を向いたまま、じっと彼女の反応を待つ。

 少なくとも俺の体感では相当長かった空白の末、ようやく深月が口を開いた。


「ねえ、祥人が私に欲情してしまうのは、どうして?」


 その声音があまりに平坦であったことと、問いかけの内容に驚いて思わず深月の顔を見る。

 先ほどまで流れていた涙はすっかり止まっており、その顔には声音の印象通り何の表情も浮かんでいなかった。


 質問の意図と深月の考えがわからなくて思わず固まってしまう。そんな俺に彼女はさらに畳みかけてきた。


「祥人は女の子にべたべたされたら誰が相手だろうと興奮しちゃうの?」

「いや、そんなことはない」


 普通だったら鬱陶しく感じるだけだ。

 

「じゃあ、私みたいに容姿が整った女の子だったら、誰でもいい?」

「そういうわけでも、ない」


 そういえば深月は自分の容姿に自覚的なタイプだったなと思いながら、これも否定する。

 仮に深月ほど美人な"誰か"に迫られても、きっと俺はこんな気持ちにはならない。

 深月じゃなくちゃだめなんだ。それは、つまり――


「ねぇ、それなら、どうして?」


 相変わらず平坦な表情で、上目遣いにこちらを見つめてくる深月。

 だが、その真っ赤な瞳には期待の色が浮かんでいるように感じられた。

 それが俺の願望が見せた幻だったとしても、ここまで追い詰められてしまえばどのみち選択肢は一つしかない。俺はとうとうその言葉を口にした。


「俺が深月のことを、好きだからだよ」


 すると、今まで無表情だった深月の顔に、堰を切ったかのように喜びの色が広がっていき――


「嬉しいっ……!私も好きよ、祥人っ!」


 思い切り抱きつかれた。

 突然のことで驚いたものの、その行動と今しがたの言葉の意味を考えれば、俺の告白は成功したのだろう。

 半ば成り行きだったとはいえ、自分の想いを告げる緊張感とそれが受け入れられた時の喜びはひとしおだった。


 俺の悩みがすべて解決したというわけではないけれど。今は深月と両想いになれたことを素直に喜ばせてほしい。

 深月の柔らかさを全身に感じながら喜びを噛み締めていた俺は、深月に押し倒され、服を脱がされt……いやいやいやいや、待て待て待て待て!?

 

「深月、お前何してんの!?」

「何って……ナニの準備?」

「きょとん、じゃねえよ!?なんで!?今はこう、お互いの気持ちが通じ合っていたことの余韻に浸る感じのシーンじゃん!甘酸っぱい感じのやつじゃん!」


 こんなエロ漫画みたいな展開になる流れじゃなかったじゃん!


「そんなこと言われても、私もいい加減我慢の限界なのよ。言っとくけど、吸血のたびにムラついてたのはあんただけじゃないからね?」

「衝撃の事実……!どうりでいつも血吸った後の顔がやたらエロいなと思ったよ!」

「実際、エロい気持ちになってたんだから仕方ないでしょ。大体、私たち両想いだったんだし拒む理由もないじゃない」


 一体何が不満なんだといった様子の深月。いや、お前そんな顔するけどさ。


「俺が童貞じゃなくなったら、血がまずくなるんじゃなかったのか?」


 現状まだ解決していない悩みであり、俺が深月への告白に中々踏み切れなかった原因の一つ。

 それを深月にぶつけてみたところ、彼女はなんのことだと言わんばかりの表情を浮かべた後、やがて納得したような顔になり……しれっと言い放った。


「ああ、あれは嘘よ」

「嘘ぉ!?」


 俺がそれなりに悩んでいた原因が嘘、だと……!?

 いや、そりゃ俺もそんなことあるか?って考えないこともなかったし、なんでこんなことで悩んでるんだろう俺……って思うこともあったけどさ!それでも、否定できる根拠もなかったから万が一を気にしてたのに!


「な、何を根拠に……」


 嘘である方が俺にとって都合がいいはずなのに、納得いかないという気持ちから気づけばそんなことを尋ねていた。

 それに対する深月の答えは――


「だって妹で試したもの。別に味に変化とかなかったし」


 これである。

 最初、一体どういうことかと考え。

 次に、最近の若い子は進んでるなあ……というおっさんみたいな感想が浮かび。

 最後に残ったのは、圧倒的な疑問だった。


「じゃあ、なんであんなこと言ったんだよ……」

「だって、祥人が他の女のとこにいっちゃったら嫌だったんだもの」


 拗ねるように唇を尖らせる深月。その表情も理由もたいそう可愛らしいものではあるのだが……


「だったら深月が一言好きって言ってくれれば解決したんじゃ……」


 自分のヘタレさを棚に上げた俺に、深月は相変わらず拗ねたような表情のまま言った。


「だって、勇気が出なかったのよ。私、見ての通り普通じゃないから。嫌な目にもたくさんあってきたし、これからもきっとそう。そしてそれは、私の近くにいる人にも多かれ少なかれ降りかかると思うわ。それがわかってるのに私と一緒になってくださいなんて、言いづらいじゃない」


 ……どうやら、俺が全面的に悪かったらしい。

 深月の境遇を考えれば、俺がさっさと告白してその不安を払拭してやるか、どんな不安を抱えていてもきっと受け入れてくれると思わせるだけの甲斐性をみせるべきだった。


 これからはもっと頼りがいのある男になろう。

 そう俺が決意を新たにしていると、深月は自分の服に手をかけそのボタンをはずs……いや、だから待て!


「何当たり前のように脱ごうとしてんの!?」

「え、服が皴になったり汚れたりしたら困るかなと思って……」

「いや、そういうことじゃなくて!いまちょっとシリアスな感じだったじゃん。俺が深月になんかいい感じの言葉をかける場面だったじゃん!」

「えー……じゃあ、手短にどうぞ」

「無理だよ!この空気で俺が何言ってもギャグにしかならねえよ!」

「それなら、祥人のおセンチタイムは終わりってことで。ここからはオトナの時間ね」

「だからなんでお前そんなに積極的なんだよ!」


 もはや二重人格を疑うレベル。

 人を寄せ付けないクールな待夜深月はどこに行っちゃったの……。


「逆に訊くけどなんで祥人はそんなに消極的なのよ。思わず手を出してしまいそうになるくらい、私に興奮してたんでしょ?なら、今の状況は願ったりかなったりじゃないわけ?」

「いや、こういうのはもっと順序を踏んでだな……」

「順序……あ、確かにシャワーは浴びた方がいいわね。汗臭いと思われたら嫌だし」

「深月はいつもいい匂いがするから大丈夫だろ……ってそうじゃねえんだわ」


 俺はシャワーを浴びることになる前の段階の話をしてるんだ。


「さすがに冗談よ。でも、祥人はそう言うけど……私たちって結構前から両想いだったと思うのよね。で、お互いの部屋行き来したり一緒に遊びに行ったりしてたんだから、祥人が言う順序ってやつはちゃんと踏んでると思うわけ」 

「い、言われてみれば」

「そもそも、順序ってそんなに大事?恋愛の形に正解も不正解もないと思うけど」

「確かに……」


 そう言われてしまえば、俺は何も反論できない。

 深月の言うことはおかしくないと納得している自分もいる。

 それに、俺だって深月と"そういうこと"をしたいという欲求はある。

 

 でも、でもなあ……!

 

 準備が!できて!ないんだよ!


 コンマ数ミリゴム製のアレとか、知識とか、あと心!

 童貞くさいと笑いたくば笑え!だって童貞だからな!

 ここで流れに身を任せられる度胸があれば長年童貞なんてやってないっつーの!

 

 深月に恥をかかせる形になることを申し訳ないとは思う。

 でも、このまま流されたら絶対にやらかす自信がある。

 深月との初体験をちゃんと成功させるためにも、俺は涙を飲む思いで深月を振り払って戦略的撤退を図ろうとしたのだが――

 

「って、力強っ!?」


 全力で力を込めたにもかかわらず、深月に押さえつけられている俺の体はびくともしなかった。 


「ふふ、吸血鬼に人が力で勝てるわけないでしょう?」

「おま、力は人並って話じゃなかったのか!?」

「ああ、あれも嘘よ」

「また嘘かよ!?」

「思えばあの時にはもう祥人のこと意識してたんでしょうね。あんまり力が強いとあんたに思われたくないっていう私の乙女心に従った結果よ」


 【悲報】俺の好きな人、嘘つきだった。

 まあ、悪意がある嘘ってわけじゃないし別にいいんだが。……いや、やっぱよくねえな。この状況を突破することができなくなってしまった。

 力押しが通用しない以上、かくなるうえは――


「待て、待ってくれ深月。お前も知っている通り、俺は童貞だ。そういう経験なんて皆無だし、こんなことになるなんて思ってなかったからその、こういうとき必要なモノも持ってない。知識だってほとんどない。だから、一旦そういった諸々をきちんと準備したうえで、改めてこのような場を設けさせてはいただけないでしょうか……!?」


 恥もプライドもかなぐり捨てた、全力の懇願。

 内心を赤裸々に明かしてまでヘタレる俺の態度に思うところがあったのか、深月も俺の提案を受け入れてくれ――ることはなかった。


「大丈夫よ、祥人。準備はちゃんとしてあるし、経験や知識がないのは私も一緒。二人でこれから学んでいきましょう?だから安心して――大人しく私に食べられなさい」


 そう言って微笑む深月の瞳はその興奮具合を反映したかのように炯々けいけいと輝いており、俺はどうあがいてもこの状況から逃れられないことを悟った。


「せ、せめて、最初はキスからでたの、んんっ――!?」


 言い切る前に唇を奪われ。

 どこまでいっても被食者だったらしい俺は、いつものように深月においしくいただかれてしまうのだった。

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