第5話 僕の獲物
それは花園のように見えた。
僕が目を覚ましたのは白い花が咲き乱れる見知らぬ大地だった。
見上げれば柔らかな星明かりが白い花々を照らしており寝起きなのも相まってこの世の物とは思えない程に現実離れした感覚を抱かせる。
また、時折吹く風はどことなく磯の匂いがして近くに海がある事を僕に知らせた。
「……うみ?」
鈍い思考回路の中、吸血鬼の支配する第三界域“ザビナー”の地理を想起する。
吸血鬼が支配する“ザビナー”は吸血鬼の弱点たる流水を恐れるが故に沿岸部や川沿いは一切発展していない。
つまり、僕の居るこの場所は“ザビナー”においては僻地も僻地という事だ。
「にしてもぼくはなんでこんなところに……」
「うっ……っぐぅ」
疑問を抱いていると近くから苦しげなうめき声が聞こえた。そちらを見やると、肩や大腿から血を流す僕より一回り大きな少年の姿があった。
「だいじょうぶか! しっかりし……」
駆け寄って傷跡を見る。傷は深い。何かが貫通したような印象だ。このサイズ感からすると丁度、弾丸のような。
だん、がん。ぎんの。
「そうだ、ぼくは……」
思い、出した。
そうだ僕は襲われたのだ。イマリティに。目の前のこの少年に。
それで、ばあやが僕を庇って灰に……。
「ばあやのかたき……っ!!」
今なら殺せる。戦闘経験は無くたって吸血鬼の身体スペックは高い。それにこの分なら放っておいても勝手に死ぬだろう。僕の手を下すまでもない。なんなら、血を残らず吸い取ってやっても良い。こんな下賎な賊の血を取り込みたいとは思えないが。
そこまで考えて、吸血鬼の発達した聴覚は少年の呻きとは別の音を捉えた。
低い、低い、獣の唸り声。足音からして恐らく四足の獣だろう。
「ガルルルルルゥ……」
暗がりから姿を現したのは予想した通りの四足の獣だった。
「グレイウルフ……!!」
グレイウルフは吸血鬼のスペックを考えれば遥かに格下の相手だ。戦の心得が無くとも適当に殴る、或いは蹴るだけで自分から逃げていく。どころか当たりどころが良ければ即死してしまう程弱い。
だが、それは成人した吸血鬼にとっての話。五歳児の完成を迎えていない肉体では逃げるのも一苦労な相手だ。
「うっ……」
なのだが、幸いなことにグレイウルフの関心は僕では無く僕の足元に転がる少年にあった。成る程血肉の匂いを強く放つ新鮮な餌があるのだからそちらを狙うのは当然と言えた。
「い、嫌だ……死にたくない」
……都合の良い話だ。自らも死神になっておいて、それで死神が自分の元へとやって来たら無様に命乞いだなんて。
「……あぁ、もういらいらする。ほんとうに、しんそこいらっとする」
死ねば良いのに。
そんなことを思いながらグレイウルフの身体を蹴り飛ばす。
「わるいがそいつはぼくのえものだ。……だから、ぼくによこせよ、いぬちくしょう!!」
「グルッ!?」
思わぬ攻撃に狼は一瞬たじろいだ。しかし野生の本能故か、すぐさま体勢を立て直すと狙いを僕へと変える。
対する僕はと言えば近くにあった手頃な木の棒を両手で構えた。
復讐は何も生まないがスッキリすると人は言う。が、果たしてそうだろうか。
今回の一件で僕は両親とばあやを失った。そして都合の良い事に死にかけの仇が寝転がっている。見捨てるなり、なんなりすれば仇は勝手に死ぬだろう。
だが、そうして僕の心は晴れるだろうか。
多分晴れない。
これが館を襲撃した輩達の首領だったら話は変わるが、コイツは仲間に撃たれる程度の駒に過ぎない。つまり木端も木端な訳だ。それが死んだとして僕は全然嬉しくないし、スカッともしない。
寧ろこんな綺麗な花畑が死体で汚れたり、或いは食い散らかされた肉塊が視界に映る方が余程胸糞悪い。
「こいよ! いぬっころ!!」
木の棒を振るう。
最悪グレイウルフを倒せなくたって良い。退かせれば、それで。
しかし相手は野良狼。すばしっこい動きで攻撃を避けると鋭い爪で攻撃を返してくる。
「……っぅ!!」
血が、流れる。生まれてこの方温室育ちの僕にとってはその痛みは馬鹿に出来たものではない。
お返しにと頭をポカポカと殴るが、今度は腕を噛まれた。どころか押し倒されてマウントポジションまで取られた。
……ああ、これはヤバいな。
こんなふざけた終わりなんて無いだろう。
ばあや、ごめん。僕は早くもそちらに行ってしまいそうだ。
もし僕が死んだら、ばあやはまた、豊満な胸で、僕を迎えてくれますか?
段々と薄れゆく意識の中、僕は。
「電撃の波よ、かの者を捉え痺れさせよ“ショックウェイブ”!!」
こちらに向かって走ってくる人影を目視した気がした。
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