十六話

 ベルナ辺境伯家。


 その一室にて、リリアナ・ベルナ付のメイド、フラメアは、とある魔道具の使用を開始した。


 鏡のように壁に掛けられた、魔水晶を薄く加工した板状の魔道具に指先を触れさせ、素早く魔力で文字を書いていく。


 やがて、板が淡い光を放つと、そこに男の顔が映し出された。


 年かさは30ほど。


 短く刈り込んだ金色の髪に、強い意志を感じさせる同色の瞳。


 端正な顔立ちに真剣な表情を浮かべる彼に、フラメアは深々と頭を下げた。



『――――フラメアか』


「このような時間に失礼します、旦那様。無礼は承知の上でございますが、至急ご報告しなければならないことが起きまして。お時間を取らせてしまい申し訳ございません」


『かまうな。その様子だと、ただ事ではないようだな。何があった。端的に話せ』


「では――」



 男の名はアルガード・ベルナ。


 若くしてベルナ辺境伯家当主としての役割を十二分に勤める辣腕の持ち主であり、リリアナの父親である彼は現在、隣町の視察に出かけている真っただ中であった。


 本来なら、フラメアの主たるリリアナも父親と一緒に視察を行っている予定なのだが……小難しい話をする大人たちに嫌気がさしたリリアナが駄々をこね、一足先にエリアルへと戻ることになったのだ。


 そういうわけで、昼間は馬車に乗ってエリアルの町を目指していたリリアナ達。


 その道中で起きた事件を、フラメアはアルガードへと事細かに説明する。



『――――リリアナが襲われただと!? フラメア、娘は無事なのか!? 怪我などはしていないな!?』


「はい、お嬢様には傷一つありません。被害は護衛の数名と馬車を牽いていた馬だけです」


『そうか……それはよかった。もしあの子に何かあったらと考えただけで、生きた心地がしないな』



 アルガードは娘の無事を聞き、ほっと胸を撫でおろした。


 大きく脱力し、安堵の笑みを浮かべている姿は、娘を想う父親そのもの。


 しかし、すぐにそれを辺境伯としての仮面で覆うと、鋭い声音をフラメアに向ける。



『それで、襲撃者の目的は? まさか、盗賊が日銭欲しさに襲った……なんて、馬鹿げた話はないな?』


「はい。生き残った襲撃者には尋問を行いましたが、黙秘を貫いた上、少しの隙に全員が自決しました。ただの賊とは到底考えられません。聞き出すことは出来ませんでしたが、まず間違いなく今回の襲撃の目的は――」


『――――リリアナか。まったく、ふざけた話だ……!!』



 娘を狙う敵の存在に、アルガードは壮絶な怒りを声音に秘めた。



『なんの理由でリリアナを狙っているのかは分からないが、即刻犯人を見つけ出す必要があるな。あの子の平穏の為にも』


「えぇ、お嬢様に怖い思いをさせた報いを受けていただかなければなりません」


『ただでさえ、今のエリアルはあまり治安が良くない。暗殺事件や誘拐事件が多発しているからな。今回の件は、それらの事件と何か関係しているのか……? っと、考えるのは、また後で落ち着いた時にしよう。それでフラメア。リリアナの様子は? 襲撃に遭って、きっと怖い思いをしているだろう? 私のことを恋しく思っているに違いない』


「いえ、お嬢様は……」



 今すぐ家に戻らなくては! と意気込むアルガードに言葉を濁しながら、フラメアはついさっき寝たばかりの主のことを思い出していた。


 ――――ミオ、大丈夫かなぁ?


 ――――本当に本当に、カッコよかったよねぇ、ミオ。


 ――――それに……えへへ、ボクのこと、騎士になれるって言ってくれた!


 ――――また会いたいなぁ……すぐに会いに行きたいよっ。


 夕食時も、入浴の際も、就寝直前まで。


 ずっとずっと、今日出来た小さな友人のことを話していたリリアナ。


 彼女の口から『父上』という単語が出てきた記憶は、残念ながらフラメアの頭の中にはなかった。


 しかし、それを言うのは憚れる。出来るメイドは余計な口を聞かないのだと、フラメアはにっこりと微笑んだ。



「――――はい、とても旦那様と奥様のことを恋しがっていましたよ」


『そうだろうそうだろう! よし、フィーチェ子爵に言って、滞在の日程を短くしてもらうとしよう。待っていてね、マイエンジェル。パパがすぐに行きますからね~!』



 先ほどまでの貴族としての顔は何処にやったのやら。


 アルガードは相好を崩し、愛娘への想いを全開にする。


 そんな雇い主の様子にフラメアは何も言わず、事務的な相槌を返すに止めた。





◆ ◆ ◆ ◆ ◆





「なに? 失敗しただと?」



 夜が影を落とす暗がりの部屋に、男の不機嫌そうな声が響く。


 小さな燭台だけが照らす部屋には、執務机に頬杖を突くひげ面の男と、机の前に立つ燕尾服に身を包んだ男の二人のみ。


 

「馬鹿な。確実に成功するだけの戦力があったはずだろう」


「どうやら、通りすがりの冒険者が加勢に入ったようです」


「チッ、あの野蛮な連中めが……。この私の邪魔をするなど、ふざけおって!!」



 ひげ面の男は握りしめた拳を机に叩き付けると、苛立たしさを隠そうともせずに舌打ちを漏らした。



「ベルナ家の娘を攫う、またとない機会だったというのに! これでは、儀式に間に合わないではないか! 高い魔力を持った幼い処女など、そう簡単に見つかるものではないのだぞ!!」


「そのことなのですが」


 

 怒りを振りまく主人に対し、燕尾服の男は淡々とした口調で話す。



「リリアナ・ベルナ以外の候補者を発見いたしました」


「……なに? どこぞかの家の娘が、このエリアルを訪れたという報告は受けていないが?」


「いえ、貴族の子供ではありません。リリアナ・ベルナ誘拐を妨害した冒険者たちが連れていた娘でして、詳しいことは調査中ですが、孤児のようです」


「……ふはっ、ふはははははっ! なんだそれは! そんな都合のいい話があるか! まるで世界が私に、儀式を成功に導けと言っているような物ではないか!!」



 ひげ面の男は、不機嫌そうな様子から一変。


 大口を開けながら、部屋中に響く声で心底愉快だと言いたげに笑い始める。


 ひとしきり笑った後、燕尾服の男が何処からともなく取り出したワインとグラスを受け取り、ひげ面の男はグラスに濃い赤色の液体を並々と注いだ。


 

「くくっ、ようやくだ……。ようやく、私の悲願が果たされる」



 グラスに注いだワインを一口で飲み干すと、ひげ面の男はにやりと不敵に笑う。


 ギラギラと危なげに光る瞳には、底知れぬ悪意の色が輝いていた。


 

「おい、ハイド。《黒猫》に命じて、急いでそのガキを攫ってこさせろ。儀式まであまり時間がない。失敗は許されない……分かっているな?」


「勿論です。旦那様」



 燕尾服の男――ハイドは、深々と一礼する。


 そして、頭を上げると白手袋に包まれた手を二回、パンパンと叩いた。



「――来なさい、《黒猫》」


「…………」



 ハイドの言葉を合図に、部屋の隅の闇が揺らぎ、そこから音もなく人影が現れる。


 全身を黒いローブで覆った、小柄すぎる影。


 ハイドたちに近寄ると、一言も発することなく膝をついて首を垂れる。



「新たな指令を下します。現在行っている児童誘拐を一時中断し、一人の少女を攫ってきなさい。情報は追って知らせます。いいですね?」


「……」



 小柄な影はこくりと頷き、少しだけ顔を上げる。


 ローブのフードから、感情の感じられない澱んだ瞳が一瞬だけ覗く。



「いいか、《黒猫》。絶対にしくるんじゃないぞ! 分かったな!!」


「…………承知」



 ひげ面の男の高圧的な命令に、《黒猫》は唯々諾々と首を縦に振るのだった。

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