十五話
ゆらゆらと。
心地の良い揺れと温もりを感じながら、目を覚ます。
ぼんやりとした視界に、茜色に染まる夕陽が映る。
あれ……俺、なんで寝てたんだっけ……?
ぼんやりとした頭で考える。
霞がかっていた記憶が次第に鮮明になっていき、意識を落とす前のことを回想する。
たしか、リリアナに膝枕されて、何か話をしていて……。
ああ、思い出してきた。
加減なしに首に抱き着かれて、そのまま気絶してしまったんだった。
ただでさえ乗り物酔いでふらついていた時に、あの締め技だったもんなぁ。
ミオソティスの身体じゃ耐える事が出来なかったか。
それで、その後はどうなったんだ?
揺れているという事は、まだ馬車に乗っているのだろうか。
それにしては揺れがゆっくりだし、何よりこの絶対的な安心感を覚える温もりに説明が付かない。
もう一度、夢の世界に飛び立ちたくなるほど心地よい、この温もり。
と、そこでしっかりしてきた視界の端に、揺れる白いナニカが見えた。
これは……髪の毛? ということは……。
「……アイラ」
「ふんふーん♪ ……あっ、ミオちゃん? 起きたんですか?」
視界の端に映っていた白いナニカがくるりと動き、アイラの横顔が現れる。
至近距離に見える彼女の顔で、俺はアイラにおんぶされていることに気付く。
道理で温かいワケだ……はっ、さっき俺、ものすごく恥ずかしいことを考えなかったか?
絶対的な安心感だとか。温もりがどうとか……うん、忘れよう。
《魔剣使い》とまで呼ばれた俺が、幼子のように扱われて喜んでいただなんて、嫌すぎる。
別にアイラにおんぶされることが嫌なわけではないが、子供のような反応をしてしまうのに、凄まじい抵抗感があるのだ。
羞恥に沈みそうになる心を咳払い一つでなんとか掬い上げ、俺はアイラに尋ねる。
「アイラ、リリアナたちは? それに、ここは何処だ?」
改めて、俺は周囲を見渡す。
そこには森の中でも草原でもなく、人々が行きかう街並みの光景が広がっていた。
それは、前世でよく見たりよく壊していた、アスファルトとコンクリート。灰色と黒ばかりが目立つモノクロの街並みとはまるで違っていた。
石畳のタイルが敷き詰められた道。
木と石材、レンガを組み合わせて作られた背の低い建物たち。
煙突から煙が上がり、道の端にある屋台から喧噪と何かが焼ける匂いが漂う。
人通りはそこまで多くはないが、誰もかれもが前世では見たことのないような格好をしている。
時折、ケモノの耳が頭に生えていたり、背が異様に低くひげもじゃだったりと、普通の人間とは違う特徴を持った人型生命体が普通に闊歩しており、すれ違う度に目で追ってしまう。
あぁ、本当にここは異世界なんだなと、心から思う。
そんな風に周りを好奇の目で見ていると、アイラの横顔にどこか不機嫌そうな色が宿る。
「ここがエリアルの町ですよ。それと……リリアナたち、ですか」
声音も何処か冷たく、つれない感じだった。
「ミオちゃん、あのお嬢様とずいぶん仲良くなったんですね? 別れる時も大変でしたよ。あのお嬢様、気を失ったミオちゃんを引き取るって聞かなかったんですから。もっと一緒にいたいって涙目で訴えてました」
「リリアナが……?」
「もう、ミオちゃんは一体何をしたんですか。あのメイドさんがお嬢様をいさめてくれなかったら、ミオちゃんは今頃貴族のお屋敷に連れていかれるところでしたよ」
「うっ……それは勘弁願いたいな。しかし、なぜ……」
「それはこっちの質問です。本当に、なにをどうすれば初対面のご令嬢からあそこまで気に入られるんですか?」
「……わからん」
思わず首を傾げてしまった。
はて、そんなに仲を深めるようなことをした覚えはないのだが……。
馬車の中で話したことと言えば、騎士になりたいというリリアナに、「なりたいならなればいいんじゃない?」と至極無責任なアドバイスをしたくらいだ。
貴族の役割とか、彼女の境遇なんぞ何一つ考えていない。
他人事だからこその気安さで言っただけの、戯言のようなもの。
まぁ、やりたいことをやりたいようにやれ。っていうのは嘘じゃないし、リリアナが騎士になれると思ったのも本心だ。
少し接しただけのイメージではあるが、正義の味方とかが似合いそうな感じがしたからな。
前世で最後に戦った異能者。何度も俺たち組織の活動を妨害しては、野望を打ち砕こうと挑んできた戦士も、そんな感じだった。
けどなぁ。正直、あの時は乗り物酔いであまり物事を深く考えられなかったし。
奇妙な縁で一緒になっただけで、これから会う事などほとんどないだろうからと思っての発言でもあったのだ。
むぅ、何かしらがリリアナの琴線に触れたのだろうが……何が気に入られたのかはサッパリだ。
そして、もう一つ分からないのは。
「時に、アイラはなぜそんなに不機嫌そうなんだ?」
「別にぃ、です」
ぷっくりと頬を膨らませ半眼で俺を見るアイラ。
いや、前を向いて歩いてくれ。転んだら危ないだろう。
口では否定しているが、感情に疎い俺でもわかるほど、アイラは不機嫌だった。
つーんとそっぽを向く彼女にどうしていいか分からずにいると、アイラの表情が何処か自嘲的なモノに変わる。
「……なーんて、ちょっと意地悪でしたね。ごめんなさい、ミオちゃん」
「いや、別に構わないんだが。俺が何かしたなら言ってくれ」
「いいえ、ミオちゃんはまったく悪くないんです。ただ……あのお嬢様がミオちゃんを引き取るって言った時に、少しだけ、『それもいいのかなって』思ったんです。貴族のご令嬢に気に入られて、そこに引き取られるのなら、町の小さな道具屋に引き取られるよりもいいのかなぁ、って」
「うん? アイラの家は道具屋だったのか。初耳だな」
「あれ? 言っていませんでしたっけ。うっかりしてました。……って、それは今、どうでも良くてですね……」
「そうだな。けど、アイラの言ったこととアイラが不機嫌になる理由が結びつかないんだが」
俺が小首を傾げると、アイラはそっと正面を向き、俺の視線から顔を隠す。
彼女の足取りが重くなり、なんとなく纏う雰囲気も暗くなってきた。
それこそ、茜色から黄昏に変わっていく空のように。
「自分が情けなかったんです。一度助けるって決めたのに。絶対に助けるって約束したのに。少しでも他人任せにしようとした自分が嫌だった」
ふふっ、とアイラは小さく笑う。
誰が聞いても分かる自嘲の笑みを零した。
「それで、ミオちゃんもあのお嬢様についていきたいって思ってたらどうしよう。なんて、変なことを考えちゃって。そうしたら、自分でもわからないくらいにむしゃくしゃして……。要するに、八つ当たりですね。本当に、ミオちゃんは悪くないんです。変な態度をとって、ごめんなさい」
「……お前は本当に、おかしなヤツだな」
まるで大罪を懺悔するかのように言葉を紡ぐものだから、何かと思えば。
俺は可笑しくて、クスリと口元を緩める。
なんというかまぁ……生真面目なのか。馬鹿正直なのか。
俺のような面倒ごとを押し付けられる候補が見つかったのなら、それを選択肢に入れるなんて当然だろうに。
そこでどうして自分を責めて、混乱して、八つ当たりするまで不機嫌になるのか、俺にはサッパリ分からない。
でも、それだけアイラが俺を助ける事に真剣なのは、痛いほど伝わってくる。
それがなんだかくすぐったくて、俺は笑いながら口を動かす。
「気負い過ぎだ。俺はリリアナのところに厄介になるつもりはないし、アイラに見捨てられたら無一文で物乞いでもしなくちゃいけないんだぞ。今更ダメと言われても、無理やり押し掛けるからな。分かったら、早くお前の家まで連れて行ってくれ」
最後の方はなんだか気恥ずかしくて、早口になってしまったけど。
俺は、思っていることをそのまま言葉にする。
……思えば、自分の考えを口にするなんて、前世ではありえなかったな。
組織の命令、指令、任務。全てにYESと答え、その通りにしてきた。
それでいいと思っていたし、疑問も抱かなかった。
だが、いざこうして自分の考えをそのまま表に出してみると……うん、解放的だ。
俺がこみ上がる感情を噛み締めていると、ふっとアイラが肩から力を抜いた。
纏っていた雰囲気が軽くなり、跳ねるように道を急ぐ。
「……はいっ。少し急ぎますから、しっかりつかまっていて下さいね!」
足取りと言葉が弾み、町の中を駆けていくアイラ。
その背中にしがみつき、俺は小さく微笑むのだった。
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