九話

 森で一夜を明かした俺は、【銀閃の風】のメンバーと一緒に、エリアルの町とやらを目指していた。


 先頭を警戒しながら進むサザン。中衛で目を光らせるレオルドとシーナ。殿にはオードンがどっかりと構えている。


 俺とアイラは、四人に守られるように陣列の中央にいた。


 より正確に言うなら、俺をおんぶしたアイラが、四人に囲まれているのだ。


 俺は今、ものすごく微妙な顔をしているのだろう。


 

「ミオちゃん、大丈夫ですか? 体調が悪くなったら、すぐに言ってくださいね?」


「…………ああ」



 すぐ近くで聞こえてくるアイラの言葉に、俺は苦虫をかみつぶしたような声を返す。


 アイラが歩を進める度に、小さな振動が伝わってくる。


 まるで、揺り籠に収まっているかのような安心感が全身を包む。


 そして、おんぶをされて心底安心してしまっているという事実に、心が沈んでいく。


 身体が幼子になろうと、精神まで幼くなったつもりはないのだが……やっぱり肉体に精神が引っ張られているのだろうか?


 俺がおんぶされているのは、【銀閃の風】のメンバーに移動速度を合わせるためだ。


 足が短く、体力も雀の涙ほどのこの身体の移動速度は遅い。


 彼らの歩行速度に、俺は全力疾走しようとついていけないのだ。


 だからこうやっておんぶされても仕方のないことであり、気にすることなんて何もない。何もないんだ。


 最凶最悪の異能者としての矜持が音を立てて崩れているような気がするが、気のせいなので無視する。



「……そういえば、今向かっているエリアルの町というのは、どんな場所なんだ?」



 これ以上考えていると、なにか致命的なモノを心に刻まれてしまいそうなので、意識をよそに向けるために、そんな質問をアイラたちに投げかける。



「エリアルの町ですか? そうですねぇ、活気があっていいところですよ」


「エリアルは別名、『冒険者の町』って呼ばれててな。その名の通り、冒険者の数が多いんだ。たぶん、王都よりもいっぱいいるんじゃないか?」


「商人も沢山いるぞー。希少な魔物の素材とか、錬金術の材料とかが採れる魔境が町の周辺に幾つもあるからな。それ目当ての商人が集まってくるんだ。あとは、レベルの高い娼館もたくさん……ひぇ!? なんでもねぇよ!?」


「…………腕の良い鍛冶屋がいる」


「町を納めているのはベルナ辺境伯ってお貴族様なんだけど、普通の貴族と違って冒険者に理解のある方なのよ。エリアルが冒険者の町と呼ばれるようになったのは、領主様のおかげって言われているわ」



 なるほど? 悪い場所ではないということはわかった。


 冒険者と商人が多いというのは少し気になるところだが……。


 片や荒くれ者の集団、片や金を扱う者たち。暴力と金銭はいつの時代でもトラブルの種になる。


 そこに気を付ければ、暮していくのにはいい環境なのかもしれない。


 ……というか、だ。



「……なぁ、アイラ。俺がお前に引き取られるのは、すでに決定事項なのか?」


「え? はい」



 物凄い自然に返されてしまった。そうか……決定事項なのかぁ。


 見知らぬ世界で、頼れる人も誰もいないこの状況で、心優しい人に拾ってもらえるのは幸運なのかもしれない。


 前世の経験から幼児誘拐や人身売買といった可能性が脳裏を過ぎるが、アイラの間の抜けた笑顔を見ていると、そんなことを考えている自分がアホらしく思えてくる。


 そもそも、今の俺が一人で生きていくのは土台無理な話なのだ。


 人間社会で生きていくために必要なモノは、前世でもこの世界でも変わらない。


 そう、金だ。


 そして、金を得るためには働かなくてはならない。


 どこかの店で雇ってもらうなり、職人に弟子入りするなり、それこそアイラたちと同じように冒険者になるという選択肢もある。昨日の夜に冒険者について説明を受けたが、異能があればやっていけそうな感じだった。


 ミオソティスは文字の読み書きが出来たし、組織で基礎教育は受けていたので計算も普通にできる。


 働ける下地は十二分にあるのだが……問題は、俺の見た目だ。


 身長は100センチもない95。体重は17㎏。


 どう切り取っても美しいが、幼さ全開の顔立ち。


 そう――どうあがいても5歳のガキそのものなのだ。


 この年の幼子を雇ったり弟子にするヤツがいるか? いるわけがない。


 冒険者になるには、規定年齢の12歳にならなくちゃいけない。


 つまり、今の俺には合法的に金を稼ぐ手段が存在しないのである。


 違法行為に手を染めていいのなら、いくらでもやりようがあるのだが……戦力の低下が著しい今、余りリスクの高い手段を選びたくない。


 なので、アイラの申し出はとても助かる。助かる……の、だが。


 うーん、なんだろうなぁ。このモヤモヤする感情は。


 現状を考えると、条件は最高に近い。むしろ、こちらからお願いしますと言いたいくらいだ。


 なのに、俺はどこかでアイラと一緒に暮らすことを忌避してしまっている。


 困るのは、その忌避の出どころが分からないこと。


 一体、何が引っかかっているのか……うーむ。



「……ミオちゃん。大丈夫ですよ」



 俺が黙り込んでいると、ふとアイラが脈絡のない言葉を口にする。


 アイラは俺の背中を優しくポンポンと撫でると、肩越しに振り返ってくすりと微笑んだ。


 ……コイツの笑顔は、本当に温かいな。


 俺もミオソティスも、そんな笑顔を向けられたことがない。


 俺は、そもそも笑顔というモノが存在しない世界で生きてきた。


 ミオソティスは、貴族社会という誰もが仮面を被っている世界しか見てこなかった。


 アイラのように、純粋無垢に、まるで陽だまりのような笑みを浮かべる人なんて、これまで会ったことがない。


 慣れないな、とむず痒くなる。


 胸の奥のあたりがくすぐられているような、奇妙な気分。


 だが、それを嫌だとも悪いとも思わない。


 本当に、不思議な感覚だった。



「ミオちゃんは、誰かと一緒に暮らすのが不安なんじゃないですか? その……いろいろと、あったみたいですし」



 アイラの最後だけ濁した言葉に、俺はハッとする。


 不安。不安か。


 それは……そうなのかもしれない。


 俺もミオソティスも、誰かと共に暮らすという経験に疎い。


 組織では常に一人だった俺。三年間、一人で牢獄のような部屋に監禁されていたミオソティス。


 つまり、俺にとって『他者と共に暮らす』という行為は、全くの未知なのだ。


 そして、未知は恐怖を生む。


 この胸にあるモヤモヤとしたものは、未知の恐怖に対する不安だったというわけだ。


 そんな可愛げのある感情を、俺が抱いていることに思わず苦笑が漏れる。


 千の敵に囲まれた時も、失血死寸前の状態で撤退戦をした時も、組織の裏切り者に背後から刺された時でさえ、恐怖も不安もなかったというのに。


 見しらぬ誰かと暮すというだけで、こうも不安になってしまうとは。


 これも肉体の変化によるものなのだろうか、と小さく苦笑を浮かべる。


 けれど、この変化は……うん、悪くない。


 悪くない、な。



「……確かに、アイラの言う通りなのかもな」


「ですが、安心してください。わたしの家族は、身内贔屓を抜いても善人ですから。ミオちゃんみたいな子を見捨てるようなことは、絶対にありません。……まぁ、言葉では何とでも言えるので、実際に見て判断してもらうしかありませんけど」


「いや、信じる」



 その言葉は、特別意識しなくても、口からするりと零れていた。


 驚いたように目を見開くアイラに、俺は言葉を続ける。



「アイラがそういうなら、いい人なんだろう。だから、信じるよ」



 ……はっ。


 な、なんだか今、ものすごく俺らしくないことを言った気がする。


 かぁああ、と頬に熱が集まる感覚に、俺は思わずアイラの首筋に顔を埋めた。



「…………カハッ!!?」


「ア、アイラ!? どうしていきなりダメージを受けているんだ!?」


「攻撃か!? 魔物の気配はしてねぇぞ!?」


「…………後方にも、気配はない」


「魔法攻撃かしら? 魔力の揺らぎが見えないなんて、厄介ね……。アイラ、大丈夫なの?」


「…………ミオちゃんが、可愛すぎて……!!」


「「「「…………紛らわしいわっ!!」」」」



 【銀閃の風】のメンバーの愉快な会話を聞く余裕もなく、俺は頬の熱が引くのを待つのだった。

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