八話

 夜の帳が降りて、闇が地上の全てを包み込む。


 鳥の声や獣の鳴き声が森の奥で木霊し。


 パチパチと爆ぜる焚火の音が、闇に沈む森林に響き渡る。


 夜闇の静寂の中で響く小さな音は、聞く者の心にじんわりと染み込んで、言いようのない寂寥感を覚えさせた。



「ミオは寝たか?」


「はい、ぐっすりです」



 赤い炎をくゆらせ、煙をもうもうと上げている焚火を囲んでいる【銀閃の風】のメンバーたちは、ある一人をじっと見つめていた。


 白髪緑眼の少女、アイラの膝の上で丸くなる、小さな女の子。


 100セメル(100㎝)もない身長に、細く華奢な身体。


 伸びっぱなしの髪は深い青色に染まり、今は閉じられている目は夕焼けの太陽を思わせる黄金色。


 黒いドレスに身を包み、靴さえ履いていない彼女――ミオソティスは、小さく寝息を立てながら、夢の世界に旅立っていた。


 アイラは慈愛の眼差しでミオソティスを見詰めながら、起こさないようにそっと彼女の頭を撫でる。



「ふふっ、ミオちゃんの髪の毛、サラサラですね。ずっと触っていたいくらいです」


「あっ、ずるいわよアイラ。ワタシも撫でてみたい。というか、ワタシにも膝枕させなさいよ」


「駄目です。ミオちゃんはウチの子になるんですから。私が面倒を見るんですー」


「くっ……お姉ちゃんどころか、お母さんみたいな顔しちゃってぇ……」



 ミオソティスを起こさないように交わされるアイラとシーナの可愛らしいやり取りに、レオルドたちは微笑ましそうに笑みを浮かべる。


 【銀閃の風】のメンバーとミオソティスは、ここ『喰らいの大森林』で夜を明かすことになっていた。


 ミオソティスとの話が長引いた結果、この森から一番近い町にして、【銀閃の風】が拠点としているエリアルの町に帰るには遅い時間になってしまったのだ。


 魔物が生息している森とは言え、彼らも冒険者。こういった危険地帯での野営もお手の物だ。


 木々の拓けた広場を見つけ、水を汲み、魔物除けの結界石を置き、集めてきた生木を乾燥させ焚火を作る。


 その手際の良さにはミオソティスも思わず拍手をして、【銀閃の風】の面々は全員が相好を崩して照れていた。


 持ってきた携帯食やサザンが狩ってきた鳥肉などで野営としては十分な料理を作り、六人で舌鼓を打った。


 そこでもミオソティスは、『温かい……こういう料理を食べたのは、いつぶりだったかな』と闇の深い発言をして、レオルドたちの料理に塩味を追加させたりした。


 そして、すっかり夜もふけた頃には、うつらうつらと舟をこぎ、アイラの膝枕でミオソティスは眠ってしまったのだ。


 見た目相応なミオソティスの様子に、レオルド、サザン、オードンは胸を撫でおろし、アイラとシーナは彼女の寝顔の可憐さに声にならない悲鳴を上げたりもしたが、それはさておき。



「それにしても、ひでぇ話もあったもんだよなぁ。思い通りのスキルを授からなかったからって、実の娘を監禁するかふつー? 有名スキルが優れてるって言われてるのは知ってるけど、それにしたってやり過ぎだぜ」


「…………然り。許されざる愚行。幼子は守られ、慈しまれ、健やかに育たねばならぬ」


「そうだよなぁ。それなのに、あんな風になるまで追い詰めるなんて……考えただけで反吐が出る」



 サザンが口を『へ』の形にひん曲げて文句を言い、いかつい顔をさらに怖くしたオードンが強く頷く。


 レオルドも吐き捨てるように告げ、眠るミオソティスを痛まし気に見つめる。



「それにしても、凄かったわね。レッサーオルトロスを倒した時のミオ」


「はい、今思い出しても、信じられない光景でした……」



 暗い雰囲気を振り払うように、シーナが話題を振り、アイラがそれに続く。


 険しい顔をしていたレオルドたちも、二人の言葉に大きく頷き、あの時――ミオソティスを見つけた時のことを、思い返す。


 『喰らいの大森林』で【銀閃の風】がミオソティスを見つけたのは、ただの偶然だった。


 この森で普段は見られない魔物が確認されたという話を受け、冒険者ギルドが出した調査依頼を受けた彼らは、森の異変を注意深く探しながら進んでいた。


 最初にミオソティスを見つけたのは、狩人として斥候を担っていたサザンだった。


 彼の持つ狩人の武技、【千里眼】で周囲の様子を探っていたサザンは、レッサーオルトロスという本来この森には生息しないはずの魔物と、それに対峙する幼い女の子を見つけ、素っ頓狂な叫び声を上げた。


 なんだなんだと驚く仲間たちに、自分の見たモノを説明したサザン。しかし、最初は皆、彼の言葉を信じなかった。


 当然である。レッサーオルトロスだけでもありえないのに、魔物が生息する森に幼い女の子が一人でいるなど、もっとありえないことだ。


 変なモノでも食べたのかと疑われ、アイラから状態異常回復のポーションを渡されたりしたが、何度も説明することで何とか仲間たちを説得したサザン。


 そして、全員でその場所に向かい――目撃した。


 謎の力でレッサーオルトロスを蹂躙する、幼き少女の姿を。


 持っていた枝がいきなり消失したかと思えば、レッサーオルトロスにそれが突き刺さる。


 苦しむレッサーオルトロスに少女が手を翳したと思えば、凄まじい衝撃波が魔物の全身を打ち砕き、たった一撃で地に沈めた。


 酷く現実味の薄い光景だった。


 夢を見ているのか、幻惑魔法にでもかかってしまったのか。


 五人が五人とも、そんな風に自分の目を疑った。



「ミオっちのアレ、すごかったよなぁ。こうドカーンってさ」


「…………うむ、強大な力だ」


「何が起きていたのか、さっぱりだったけどな。アイラとシーナは、ミオが何をしたのかわかるのか?」


「私はミオちゃんがすごいってことしか分かりませんでしたが……」



 レオルドの言葉を受けてシーナを見たアイラ。


 魔法使いの少女は顎に指を当てつつ、難しい顔をしながら口を開く。



「多分だけど……時空魔法に似たなにかだと思う」


「なっ、時空魔法!? あっ、ヤバッ」



 レオルドが驚いたように大声を上げ、すぐに口を押える。


 全員が慌ててミオソティスに視線を向け、未だにスヤスヤと眠る彼女を見てホッと胸を撫でおろした。


 そして、『スマン』と両手を合わせて頭を下げるレオルドに、四つの厳しい視線が突き刺さる。



「もう、ミオちゃんが起きちゃったらどうするんですか」


「リーダー、気を付けろよー?」


「…………安眠妨害」


「まったく、不注意にもほどがあるわよ」


「いや、全くもって面目ない……って、シーナが驚くようなことを言ったせいじゃないか」



 レオルドのジト目からさっと視線を逸らしたシーナ。すました横顔は「ワタシは何も悪くないです」とありありと語っていた。


 そんなシーナの様子にため息を吐きながら、レオルドはミオを見ながら口を開く。



「にしても、時空魔法か……。御伽噺に出てくるような代物だな。確かなのか、シーナ?」


「分かんないわよ。本物の時空魔法なんて見たことないもの。でも、レッサーオルトロスを吹き飛ばしたあの衝撃。アレが発生する直前に、空間が歪んでいたかから、そうなんじゃないかって思ったのよ」



 シーナの考察を聞き、レオルドはふむと腕を組んだ。


 深い眠りについているミオソティス。


 レオルドは彼女を心配する一方で、怪しんでもいた。


 ミオソティスについて、分かっていることはさほど多くない。


 授かったスキルのせいで実の両親に監禁され、その後捨てられたという。


 幼く可憐な見た目とは裏腹に、鋭い男口調で話し、子供らしかぬ考え方をしている。


 Cランクの魔物を一撃で葬り去る威力の攻撃を放つことが出来る。


 本人は普通の生まれだと言っていたが、身に着けている衣服に使われている生地や、何より本人の幼いながらに完成された美貌が、彼女の出自を物語っている。


 ミオソティスが貴族か、それに準じた高い位にいる人物の家に生まれたのは明白だった。


 もはや、怪しくないところを探す方が難しそうな始末である。


 また、人の善意などに酷く鈍感であり、人に殺意を向けることに躊躇いがない。


 一体、どんな環境で育てばこうなってしまうのか。


 三年に及んだという監禁生活が彼女をこうしてしまったのか。それとも、実の両親に捨てられたことで精神が変貌したのか。


 

「まぁでも、あれを聞いちゃったらなぁ……」



 そこまで考えて、レオルドは苦笑を浮かべた。


 それは、ミオソティスが謎の頭痛に襲われ、意識を失っていた時のことだ。


 地面に倒れ伏した彼女を介抱している途中、苦し気に眉をひそめたミオソティスは、か細い声で寝言を漏らしたのだ。



 ――――ごめんなさい。


 ――――ゆるしてください。


 ――――わたしを、みてください。


 ――――わたしを、わすれないでください。



 切実に、祈るように、絞り出された言葉。


 頬を伝った雫と合わさり、胸が張り裂けそうになるほどの悲哀を感じさせる。


 初対面で殺気を向けられたり、謎の力を持っていたり、厄介な事情を持っていることは確かだ。


 けれど、それ以前に。


 ミオソティスが助けを求めている子供であることに変わりはない。


 ならば、小難しいことを考えるよりも、その求めに答えるのが先決である。



(その辺は、アイラに任せておけば大丈夫か)



 色々と考えてしまう自分よりも、そういった些事を放り投げて、ミオソティスを助ける事しか考えていないアイラ。


 ミオソティスが伝説の魔法である時空魔法を使えるかもしれないと分かっても、「へぇ、ミオちゃんはすごいんですねぇ」と呑気な顔で幼い少女の髪を撫でる手を止めない。


 眩しいくらいに純粋なアイラに、思わずクスリと笑みが零れる。


 彼女の一方的な善意に、ミオソティスは戸惑っていたが……決して、嫌がってはいなかった。


 今も、ミオソティスはアイラの膝の上で、安心しきった顔で眠っている。


 呻くこともなく、絶望したように懺悔の言葉を零すこともなく。


 年相応のあどけない寝顔を浮かべていた。


 願わくば、この穏やかな表情が崩れる事がありませんように。



「なぁ、皆。ミオのこと、絶対に助けてやろうな」



 レオルドが唐突に投げかけた言葉に、他のメンバーはきょとんとした顔を浮かべ。


 そして。



「何言ってんだリーダー。んなの当たり前だろ? こんなカワイコチャンを助けないとか、男失格だぜ?」


「…………愚問。出来る限りのことは、する」


「あったりまえじゃない。何が何でも助けてやるわよ」


「助けるって――そう、決めましたから。全力で、ミオちゃんを幸せにして見せます」



 レオルドは小さく喉を鳴らし、思いっきり破顔するのだった。

 

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