四話

 …………。


 …………あぁ、なんだこれは。


 暗がり、暗黒、月の無い夜。


 光無き黒の中に、揺蕩っている。


 五感は死に、存在があやふやになる。


 自分がどうなっているのか。どんな状態にいるのか。分からない。



『お父様、お母様! 嫌です、ここから出してください!』


 

 声が、聞こえる。


 小さな女の子の声だ。


 鈴を転がしたような綺麗で可愛らしい声だが、今はそれが見る影もない。


 喉が裂けてしまいそうなほど叫び、心が引き裂かれてしまいそうなほどの悲しみを声に乗せる。


 けれど、届きたい相手にそれが届くことはない。


 情景が、浮かぶ。



『どうして……どうして…………!』



 独房だろうか。窓もなく、冷たい石壁に、鋼鉄のドア。


 ドアに付けられた食糧を入れる小窓も、鍵がかかっているのか開く様子はない。


 少女はそこで一人、泣きはらし、声を上げ続ける。


 されど、涙ながらの訴えに帰ってくる声はなく。


 固く閉ざされたドアに拳を打ち付けても、鈍い痛みが返ってくるだけ。


 少女は崩れ落ち、さめざめと涙を流しながら、胸の中で荒れ狂う感情を持てあます。


 ――――どうしてこんなことになってしまったの?


 ――――お父様もお母様も、どうしてわたしを怖い目で見るの?


 ――――わたしが、なにかわるいことをしてしまったの?


 

『ごめんなさい……ごめんなさい……ゆるしてください……おねがいします…………』



 少女はうわ言のように謝罪の言葉を口にする。


 小さく狭い部屋に、少女の声だけが響く。


 壊れた機械のように、虚ろな声が繰り返される。


 何度も……何度も……。



『いや……いやぁ…………』



 どれくらい、そうしていただろうか?


 少女はひび割れてボロ屑のようになってしまった心を抑えながら、絞り出すように言う。


 

『おねがいします……わたしを、わすれないでください。……わたしを……みてください……。おねがいします……おねがいします…………!』



 小さな少女の、極々小さな願いは。


 ただ、当然のように叶えられることはなく、踏みにじられた。


 誰からも忘れられ、誰の瞳に映ることもなく。


 心が飢えて、かつえて、乾いて。


 もう、涙も流れなくなったころ。



『――――お前は、要らないな。我が家の恥を残しておく理由もない。捨ててしまおう』



 あまりにも軽く、書き損じの紙を丸めて捨てるように。


 少女は、捨てられた。


 そして、『わたし』は……。



 ――――……『俺』に、なったのだ。




 ◆ ◆ ◆ ◆ ◆




「んぁ……?」


 

 口から間抜けな声が漏れ出るのと同時に、覚醒を自覚する。


 ぼんやりとした思考のまま、うっすらと瞼を開けた。



「あっ、起きたんですね! 大丈夫ですか?」



 目の前に、誰かの顔があった。


 木にもたれかかり、横たわった俺の顔を覗き込んでいる少女。


 木漏れ日で陰る顔には、心配そうな色が浮かんでいた。


 さらり、と揺れる白色の髪。幼さを残した顔立ちは綺麗というより可愛らしいと称されるのに相応しいだろう。

 深緑色の優しそうな瞳に映る、青紫の髪と金眼の幼い少女。


 それが変わってしまった自分のモノであり――理不尽に殺された哀れな幼子のモノであると気づくのに、数秒を要する。


 ……脳裏に過る記憶――否、記録を整理するのに、少し時間がかかりそうだ。


 だが、ようやく自分の身に何が起きたのかを知ることが出来た。


 落ち着いて考え事をしたいのだが……俺は今、どういう状態になっている?


 ええと、森で遭遇した謎の集団を殺すために異能を発動しようとして、謎の激痛に意識を奪われて……。


 そこで、目の前にいる少女が、謎の集団の一人であることに気付く。情報を搾り取るために生かしておこうとした白衣の少女だ。その白衣を着ていないせいで、気付くのが遅れた。


 慌てて起き上がろうとするが、少女の手が慌てたように俺の肩を抑え、僅かに浮かび上がった頭はまた元の位置にポスンと収まった。


 ……後頭部に感じる柔らかさからして、膝枕をされているのか? いや、なぜ?


 

「驚きましたよ。いきなり苦しみ出して、倒れて……もう痛いところはないですか? 苦しかったりしません? 何かあったら、ちゃんと言ってくださいね」


「……何故そうなる?」



 ふにゃり、と相好を崩し、つらつらとお節介なことをいう少女に、警戒も何もかもを忘れて声を掛けてしまう。


 そんな迂闊な行動をとってしまうほど、俺には彼女の行動が理解できなかった。


 彼女らから見て、俺はどう考えても怪しいヤツだ。警戒もされている。初邂逅時の反応からしても、その認識に間違いはないはずだ。


 加えて、あからさまに殺気まで飛ばしている。彼女らは武装していただけあって殺気に気付いていないはずがない。あの瞬間、俺が異能を発動すれば確実に死んでいたと理解していたはずだ。


 そんな相手を、拘束一つせず、介抱した上に膝枕? 


 ダメだ、わからない。嬉しそうに微笑んでいる目の前の少女が考えていることが、微塵も理解できなかった。



「おっ、目が覚めたみたいだな、嬢ちゃん。具合はどうだ?」



 混乱する俺に声を掛けてきたのは、リーダーの男だった。


 ニカリ、と男くさい笑みを浮かべ、まるで何事もなかったかのように話し掛けてくる。


 どう見ても、敵意のひとかけらすらも感じられない。


 リーダーの男に視線をやると同時に、他のメンバーも目に入った。


 どうやら俺が犬っころを殺した場所から移動していないらしく、景色に変化はない。


 軽装の弓使いも、重装の大剣持ちも、黒ローブの少女も、俺と白衣の少女を囲むように座っている。


 監視や見張りといった雰囲気はなく、リーダーの男と同じようにほっとしたような、心配そうな顔で俺を見つめている。


 ……調子が狂うな。殺そうとした相手から、敵意のない反応をされるなんて始めてだ。


 俺が黙りこくっていると、リーダーの男は途端に不安そうな顔をする。



「どうした、まだどこか痛むのか?」


「……いや、大丈夫だ。それよりも――どういうつもりだ?」



 どう考えてもわからない。


 分からないなら――直接聞くしかない。


 視線を鋭くして、俺はリーダーの男を睨み付けた。

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