第55話 追撃

 鳴海城からほど近くを流れる米野木川を挟んで、武田軍2万5000と織田軍5万が衝突した。


 矢弾と共に、川向こうから織田の槍兵が迫ってくる。


「怯むな! かかれぇ!」


 迫りくる織田軍を相手に、神保長職が指揮をとる。


 尾張の兵は弱兵と聞いたが、想像以上の粘りを見せてくる。


 応戦していた神保軍であったが、次第に劣勢に追い込まれていた。


 神保兵が一人、また一人と倒れていく。


 やがて、武田軍の右翼と左翼が撤退を始めると、中央の神保軍だけが取り残される形となった。


「待て待て待て……。儂を置いて勝手に退くなっ……!」


 武田軍の右翼と左翼を見て、神保長職は慌てて退却を始めた。


 しかし、背後からは織田軍が果敢に攻め寄せてくる。


 こうなっては、自分の命が最優先だ。


「退くぞ! 武田軍の元へ、死ぬ気で逃げるのじゃ!」


 兵たちに命令しながら、神保長職は一目散に逃走するのだった。






 敗走する神保軍を、最前線にて蹴散らす武将がいた。


「武田軍、恐るるに足らず!」


 自らも槍を振るい、柴田勝家が戦場を駆け抜ける。


「かかれ柴田の面目躍如よ! 武田軍、一人残らず討ちとってくれよう!」


 敗走する神保軍の背中を追って、柴田勝家率いる織田軍が追撃を始めた。


 この報告は、すぐさま本陣の織田信長の元に届けられた。


 武田軍潰走の報告に、織田家臣たちが沸き立つ。


「やりましたな!」


「さすがは柴田殿……!」


「殿、我らも追撃を!」


「いや、待て……」


 沸き立つ家臣たちを信長が制した。


 どうにもおかしい。


 中央の軍が消耗しているとはいえ、こうもあっさりと退却を始めるものなのだろうか?


 武田義信とて、今回の戦が乾坤一擲のものであることは百も承知のはず。


 だというのに、武田軍は無策で織田軍の攻撃を迎え撃ち、勝家の攻めで陣形を崩して敗走してしまった。


 これではまるで、追撃してくれと言わんばかりではないか。


 そこまで考えて、不意に悪寒が走った。


 まさか、武田義信の狙いは──


「勝家に知らせろ。深追いはするな、と。連中、伏兵を潜ませているやもしれぬ」


 その時だった。


 川を渡り武田軍に追撃せんとする織田軍の眼前を、赤い塊が駆け抜けていった。


「あれは……」


「赤備え……」


 飯富虎昌率いる赤備えが織田軍を真一文字に駆け抜けると、追撃を始めていた織田軍が真っ二つに切り裂かれた。


(これは……まずい……)


 またたく間に先行した織田軍の退路を絶たれ、信長の背中に冷や汗が伝うのだった。

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