人形の愛と目覚め

紅音

第1話

 古びたドールショップ、『スヴニール』。ここでは特別に一日人組限定で特別な人形を貸し出している。

 あなたはもう二度と会えない誰かにもう一度会いたいと思ったことは? 誰かの代わりが欲しいと願ったことは? 

 ここではその望みを叶えることができる。あなたの大切な人に似せた、意思を持った機械人形によって――。



 柔らかな日差しが窓から差し込む。人形の私には温度を感じることはできないけれど、今日は「秋晴れ」で暖かいらしい。

「準備はできたかい? シルヴィア」

 シルクハットに燕尾服という出立ちの男――この店の主人が店の奥から姿を現した。彼は二十代の若者のようにも、四十代の中年のようにも見える。人間は年齢に応じて見た目が変わるはずなのに、彼はこの数年で全く変化を見せないので、本当は人形なのかも知れないと時折考えてしまう。

「ええ、マスター」

「これが次の依頼のデータだ」

 マスターは私の胸元のボタンを外すと、胸部の肌に隠された扉を開き、小さな石を埋め込む。この石には、依頼人の話を元にして作ったデータが入っている。故人の性格、依頼人との生前の思い出など、この仕事には欠かせないものだ。

「依頼人はベン・ブラック、四十歳。娘を亡くしたばかりで妻とは離婚済みだ。お前には今日、彼の娘のエレナになってもらう」

「わかりましたわ」

 エレナ・ブラック。

 享年十歳。

 純粋で無垢な少女。

 花が好き。

 父親のことは「お父様」と呼ぶ。

 脳内にデータが濁流のように流れ込んでくる。私には実際には脳はなく、プログラムが内蔵されているに過ぎないのだけれど。

 四歳の時に、父親と動物園に行った。その時に虎を初めて見た。

 七歳の時に祖母を亡くし、悲しみにくれた。

 データを元に、私はエレナになる。父親の記憶の中にいる、そのままの彼女に。

 私は、ワンピースのボタンをとめ直し、胸元を整えた。 

 私の姿はすでに、依頼書にあるエレナの写真そっくりにカスタムしてある。天使のようなふんわりとした金髪、海のように真っ青な空、薔薇色の頬。

 私の仕事は、もう死んだ誰かの代わりになることなのだから――。


 カランと音を立てて、店のドアが開く。入ってきたのは中年の男性――ベン・ブラックだ。身なりはいいものの、娘が亡くなって憔悴しているのか、年齢よりもだいぶ老けて見える。

「いらっしゃいませ、ミスターブラック。お待ちしておりました」

 マスターが恭しく礼をする。服装も相まって、まるで役を演じているかのようだ。

「ああ、今日はよろしく頼む」

「こちらがご予約されていた人形です」

 マスターはそう言って私を手で示す。私は、ミスターブラックの方へ一歩近づいた。

「エレナ……!」

 ブラックが驚いて目を見開く。私はデータにあったエレナの姿を思い出しながら、口角を上げて笑みを浮かべた。

「久しぶり、お父様」

「こんなに似ているとは……。あの子が生き返ったかのようだ」

「ご満足いただけそうで光栄です。今日はこの子を娘様だと思ってご利用くださいね」

「ああ、エレナ、行こう」

 ブラックは目を細めてこちらを見ると、私の手を取って急ぎ足で扉へと向かった。

「ありがとうございます、人形は日付が変わるまでにはお返しになりますよう……」


「エレナ、今日は何がしたい? オペラに行こうか? それとも買い物か?」

「久しぶりにおうちの庭が見たいな。今はちょうど薔薇の季節でしょ?」

「そうだな、一回家に戻ろうか」

 店から数分歩くと、ミスターブラックの家はあった。門も建物も、周辺の家々と比べて群を抜いて大きく、古びているけれど綺麗だった。

 門の前に着くと、眼鏡をかけた初老の男性が出迎えてくれた。彼は確か、ウィリアム。エレナが生まれる前からずっと、ブラック家に仕えている執事だ。

「おかえりなさいませ、旦那様」

「ただいま、ウィリアム。エレナ、ウィリアムと会うのも久しぶりだろう」

「そうね、お父様。ただいま、ウィリアム」

「おかえりなさいませ、エレナ様」

「エレナ、じゃあ庭に行こうか」

 一歩足を踏み入れると、そこは広大な薔薇園のようだった。赤やピンク、黄色など色とりどりの花が、ワルツを踊るように咲き乱れている。まるで花の舞踏会のようだ。

「わあ、綺麗……」

「そうだろう、庭の手入れはずっと怠らなかったからな」

 私は庭園の中をはしゃいで走り回った。ミスターブラックの記憶の中のエレナなら、きっとそうすると考えたからだ。

 私はエレナではないし、ましてや人間でもないからこういう時にどういう行動をすべきかわからない。本当は花を見て何かを感じたりもしない。だから、私は誰かの真似をして人間のふりをすることしかできない。

「はは、本当にエレナが生き返ったみたいだ……」

 ミスターブラックの方を見やると、目元が少し濡れていた。

彼は「悲しい」のだろうか、それとも「嬉しい」のだろうか。涙は流す人によって表す感情が違うから、わからない。

 私は急いで彼の方に駆け寄った。

「お父様、大丈夫?」

「ああ、大丈夫だよ……。そこのテーブルでお茶にしようか。おい、お茶とお菓子を持ってきてくれ」

 ミスターブラックがそう言うと、ウィリアムがお菓子などをワゴンに乗せて運んできた。ティーカップを私の前に置くと、彼が微笑む。

「お嬢様がお好きだったダージリンでございます。ミルクもお持ちしましょうか」

「あの、ごめんなさい、私食事はできないの……」

「そうか、君は人形だったね……」

 ミスターブラックがさっと瞳を曇らせる。しかし、すぐに元の表情に戻った。

「飲まなくてもいいよ、もう一度エレナとお茶ができるだけで嬉しいから。

そうだ、この後部屋でアルバムを見ようか」

「そうね、お父様。早く見たいな」


 書斎に行くと、アルバムは棚いっぱいに置かれていた。

 赤ん坊の頃のエレナ、動物園ではしゃぐエレナ、入学式のエレナ――。データの中にあった写真もそうでないものも、丁寧に保存されていた。

「エレナ、おばあちゃんと映ってるやつだぞ」

「本当だ。懐かしい……」

「おばあちゃんが死んでから、アルバムを見ては毎回泣いてたな。今は大丈夫か?」

「うん……」

 私は俯き、悲しい表情を作る。本当は彼女なら今も泣くのかもしれない。でも、私には涙を流す機能はないから、精一杯口をきつく結ぶことしかできない。

 ミスターブラックが私の頭に触れる。脈も体温もない私とは違って、彼の手は温かい。

 私は彼の表情をチラリと盗み見た。彼は、欲しいものが手に入らなかった子供のような、何か諦めた人のような顔をしていた。

 私たち人形は、いつも誰かの代わりだ。もう会えない家族、恋人、友人の――。

 私たちの存在意義は相手を癒すこと、でも私たちは決して心の穴を全て埋めることはできないのだ。

 そのことに関して、私たちは諦めなければいけないとマスターは言う。相手に寄り添いすぎると、人形が壊れてしまうからだ。人形は言葉を知るたび、経験をするたび、人の心に近いものを持つものができるようになる。でも、あまりに心に近づいてしまうと、人間たちの心の闇に飲み込まれてしまう。だから、ある程度距離を持たなければならないと。

 だから、私がエレナの代わりになれないことは仕方がない、ミスターブラックの痛みを癒しきれないこともどうしようもないのだ。

 私は、ミスターブラックに向かって曖昧に微笑んだ。他にどうしていいかわからなかったのだ。

「そろそろ夕方だね。お店に戻ろうか」

 彼がぽつりとつぶやいた。

「もう? 日付が変わるまでは大丈夫だよ」

「子供を遅くに出歩かせるわけにはいかないからね」

「そっか……」

 

 私たちはウィリアムの運転する車に乗って、店に戻った。空は茜色になりかけていた。

 ミスターブラックが店の扉を開けると、椅子に腰掛けていたマスターが静かに立ち上がった。

「いらっしゃいま……。ああ、随分お早いですね」

「ああ、今日はありがとう」

「娘様との時間はご満足いただけましたか?」

「楽しかったよ。でも、エレナにはもう本当に会えないとわかったよ。……誰も、彼女の代わりにはなれないんだ」

「そうですか……」

「じゃあ、君もありがとう」

 ミスターブラックは、私の方を見て力なく微笑んだ。

 彼はもう、私をエレナとは呼ばなかった。



「マスター、私たちのやっていることに意味はあるのかしら?」

 閉店後、私はマスターに尋ねた。彼はソファーにもたれてコーヒーを飲んでいる。

「どうしたんだい、急に」

「今日、ミスターブラックはがっかりしたような、大切なものを失ったような顔をしてたわ。今まで仕事で会った人でも、そんな人はいた気がするの。だから……」

「シルヴィアはこの仕事をどう思う?」

「私は他の人に姿を似せることも、演じることもできる……。でも、依頼人の方を完全に満足させることはできない。看板の謳い文句は詐欺なんじゃないかしら」

「詐欺なんて難しい言葉を覚えたね」

「ふざけないでくださる? 私は真面目に話してるのよ」

「ああ、ごめん。そういうつもりはなかったんだ。

 言葉を知れば、感情や思考も複雑になる。だから、シルヴィアが生まれてから成長して、そういうことを考えるようになるのも当然のことだ。

 ――人間は、いなくなった人のことをなかなか諦められないものなんだよ。もう一度会えるんじゃないか、会ってこの言葉を伝えられたら、そんな気持ちをずるずる引きずってしまう。だから、私たちは彼らが前を向く手伝いをしている……。そう思えばいいんじゃないかな」

「じゃあ、やっぱり私たちがやっていることは詐欺ね」

「そう言われちゃたまらないな。まあ、どう思うかは君の自由さ。

 でも、あまり人に対して心を揺らさないことだ。君が壊れないためにも」

 人間のような心なんてないってわかっているくせに。

 そう思ったけれど、私は口に出さなかった。

「そうね……。マスターの心は、壊れないの?」

「……まあね」

 感情の読めない声で、彼は答えた。 

カップから立ち昇る湯気で、マスターの眼鏡の奥の表情はわからなかった。

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