第91.5話 青春は一度きり
華奢な背中へ垂れた亜麻色の髪、飾りっ気のない三つ編みがかすかに揺れる。
皆が去った後の調理場で、女将は一人食器を洗っていた。
「手伝いましょうか?」
「ンァ? 今日ワタシ当番なだけだから気にするナ。それよりオマエ、カノジョほっといていいのカ?」
「澪姉は……(ラーメン三杯平らげて)部屋で休んでるので」
「そうカ。ありがとナー」
少女然とした屈託のない、それでいてどこか儚げな笑顔だった。
「お構いなく」
献慈はシャツの腕をまくり、流し台に向かう。
「…………ンー……」
「…………」
「……ナカナカ筋がいいネ」
「どうも」
「フフッ……」
「…………」
「…………」
「♪~ヤスタデ~イ、ノォーゥ! ィヤスタデ~イ、ノォーゥ!」
「ンァッ!? イキナリ何の歌ヨー?」
「あ、すいません。静かだったのでつい……」
不思議な安心感からか、思わずいつもの癖が出てしまった。
「そうだったカ。ワタシも急に黙ったりして悪かったナ」
「いえ、そんな……」
「思い出してた。ついこの間まで、リョージと二人でこうして並んで……料理作ったり、お皿洗ったりしてた。リョージ初めて会ったのトキ、ちょうどオマエと同じぐらいの歳だったナーって」
(『ついこの間』――か)
エルフとヒトとの間に横たわる時間の流れが一様ではない事実を、献慈はこの時垣間見た思いがした。
「リョージ若いの頃、たくさん、たくさん愛してくれた。一日中……愛してくれた。でもリョージ、大人なってくつれて、いつの間にか距離取られるなった」
二人の手はとうに止まったままだった。
蛇口から流れ落ちる水が、どんぶりの縁を虚しく打ちつけている。
「だんだんリョージ、お兄サンみたい、お父サンみたい態度取るなった。ワタシ子ども扱い……もう抱きしめてくれない。愛してくれない……だから、ワタシ……」
小さな肩が、震えていた。
「ピロ子さん……」
「ワタシ頭きた!! だからリョージのヤツ、叩き出してやった! ザマーミロ!」
「えぇ……」
絶句する献慈をよそに、ピロ子は溜め込んでいたであろう怒りをあらわにする。
「人をソノ気させといてホッタラカシするのほうが悪いヨ! ゆっくり頭冷やして、オメオメとワタシところ戻って来ればいいヨ!」
「言いにくいんですけど……戻って来てないですよね?」
「ウッ……タシカニ。でも手紙はショッチュウ寄越すだから、たぶん未練タラタラ……と思う。きっと帰って……来て……ほしいだけど、どうすればよいかワカラナイ。ナァ、何でだ? ソモソモ、どうしてリョージ、ワタシ遠ざけるなった?」
こうもしおらしく出られては、茶化すのも気が咎める。かといって、適切な助言を与えるだけの自信も経験も献慈にはない。
今はただ、率直に答えることだけが誠実となりえた。
「両児さん、遠慮してるんだと思います。自分がどんどん大人に、おじさんになっていくのに、ピロ子さんは若くて可愛らしいままだから……」
「ン? どうしてワタシ可愛いのに遠慮する? ワタシ街歩くと、オジサンたちに大人気ダゾ? たまに写真撮らせてくれトカ頼まれるだし」
お願いだから真面目に話をさせてくれ、と献慈は思った。
「そ、そういうところが問題なのかと……。両児さんは多分、そんなオジサンたちみたいになりたくないって思ったから……」
「ナルホドー。リョージ自分オジサンで恥ずかしいだから、ワタシに手出せないなったダナー? ソッカー。ういヤツういヤツ」
「…………。何かもう……それでいいです」
ピロ子が嬉しそうなので、献慈はその結論を受け入れることにした。
二人は食器をすべて洗い終えていた。晴れ晴れとした面持ちで、ピロ子は献慈に礼を告げる。
「フゥ……今日はナニカト世話になったナ。リョ……ケンジ」
「皿洗いぐらい、お安い御用ですよ」
献慈は返すも、ピロ子はかぶりを振った。
「ワタシ、決心ついたヨ。もう少しリョージの気持ちも聞いてみるって」
「あぁ……」
「前みたいにはいかないくても、新しいの関係築けるかもしれない、考えられるなった。それにコノ先……リョージがお爺サンなって……最期まで看取ってあげられる、ワタシだけ思うだから」
ピロ子は小さな花瓶に水を注ぎ、小窓の前に吊るされたハーブスワッグから香草を一本、その中へ挿した。
「〈
囁く唇に触れた指先が、香草の茎をそっと撫でた。青々とつやめく葉っぱを押しのけるように、鈴なりになった黄色い小さな蕾たちが一斉に花開いてゆく。
「それって、たしか……
「生き急ぐのも、足踏みするのも自由だけど、時間巻き戻すだけはデキナイ。……青春は一度きりヨ」
そう言って女将は、恋人の部屋へ向かおうとする少年に花瓶を手渡した。
逆光のせいだろうか。あどけなかった彼女の顔立ちが、心なしか大人びて見えた。
* * *
お話のつづき
【本編】第92話 意気地なしなんかじゃない
https://kakuyomu.jp/works/16817139558812462217/episodes/16817330650946737255
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます