第六章

第85.5話 いよっ! 横綱!

 宿酒場〝もんろう〟は例によって烈士組合のウスクーブ出張所を兼ねている。

 夕飯時、フードコートほどの広さの食堂にけんみお、そしておニューのアッパッパに身を包んだ絵馬えまが集まる。


「カツレツ定食ライス大盛りがおひとつ、ライスカレーがおひとつ、スパゲッチがおひとつ――以上でよろしいですね」


 テーブルを去るウェイターの背中を目で追いながら、絵馬はバッグから手帳とペンを取り出す。


「洋服に洋食……近代化によってイムガイの文化も随分と様変わりしているようですね」

「絵馬ちゃん、熱心に調査がんばってて偉いねー」


 澪は絵馬の働きをねぎらうも、複雑そうな反応が返ってくる。


「その……こう見えてわたしも大人の女ですので、できれば子ども扱いは控えていただけるとありがたいのですが」

「あぅ……ごめんなさい。え、絵馬……さん」


 澪はがくりと肩を落とすが、


「…………。露骨に落ち込まないでください。あくまで気さくに……献慈さんぐらいの態度で接していただければと思ったまでで……」

「そっかー。うん、それじゃあ今からはそうするね~」


 直後のフォローで一転して笑顔を取り戻した。

 献慈は二人を微笑ましく眺めるとともに、争いの火種となる者がいない穏やかな時間を心から満喫していた。


「献慈さん、何をニヤニヤしているのです? 気持ちが悪いですよ」

「え? あぁ、いや……絵馬は〝澪姉とは〟仲良くやってるよなぁって」

「カミーユのことですか。不埒な行動に走るのを引き留められなかったこと、重ね重ねお詫びします」


 頭を下げる絵馬に、献慈は慌てて弁明する。


「責めてるわけじゃないんだ。どう考えてもカミーユが悪いんだし。無憂むうさんにご執心なのはわかるけど、堂々とストーキングはなぁ……」

「あんな娘が歓楽街歩いてたら目立つだろうし、すぐに見つかって引き返して来るよ」


 大きく構える澪が頼もしい。


「そうだとよいのですが……いずれにせよ、都会だからといって浮かれすぎるのは感心なりませんね。ただでさえこの街は風紀が乱れているようですし」

「んー、そんなに乱れてたかなぁ……?」


 疑問の声を上げる澪を尻目に、絵馬は手帳をパラパラとめくりだす。


「先ほど噂になっていましたよ。学生街で人目もはばからず熱烈に抱き合うあべっくが目撃されたのだとか。まったく、お盛んなことです」

「…………(学生街って……)」

「へ、へぇ~、そんなことがあったんだ~」


 頬を引きつらせた澪が、献慈を横目で牽制する。

 絵馬はふたりの心中など知る由もない。


「おや? 人様の話に顔を赤らめるなど、おふたりとも意外と純情なのですね」

「い、いや……細かく聞き込みしてるんだなぁって、感心してさ」

「せっかくの実地調査です。市井の生活を同じ目線から体験しませんと。先達となる我々が柔軟な姿勢を持たなくては、人と天狗の将来的な融和はままなりません」


 長き寿命と古の叡智、霊質を操る業――天狗の持つ力は他種族を凌駕する。不用意に関われば既存の秩序を乱しかねない。彼らが人間社会との距離を置く理由がそれだ。


まんの里は長らく保守的な方針を取り続けてきましたが、その間も絶えず変化を拒んでいたわけではありません」


 八十年に一度の政権交代。政策によっては里の出入りが緩和される時期もあった。人間側の歴史に天狗の目撃談が散見されるのはこのためだ。

 彼らは予見していたのだ。望むと望まざるとにかかわらず、天狗と人との交わり合う道は避けようもないことを。


「此度の使いにわたしと無憂が選ばれた理由は、年若い天狗であることがまず一つでしょう。年長の天狗と比べれば知恵も力も弱いですし、人の世に与える影響も最小限で済みますから」

(あれで弱いとか……冗談だろ?)


 午前中の戦闘を思い返し、献慈は内心呆れ返る。


「加えて、わたしの亡き父がヒトである事実も考慮されたのかもしれません」

「そっかぁ……って、今サラッと重大発表してない?」

「天狗が子を設けるのは同族間でも稀ですので、生まれがどうあれ里全体で大事に育てられるのです」


 両親の出自について殊更に問わないのは天狗の里に限らず、トゥーラモンド全体で一般的な傾向だ。


「絵馬ちゃ……絵馬の両親ってどんな風に知り合ったの?」

「魔物に襲われていた父を母が助けたのだとか。母に一目惚れをした父はすべてをなげうって共に生きる決意を固め――紆余曲折ありつつ、最終的に二度と人里へは戻らないことを条件に阿曼荼の里へ受け入れられたのだと聞いています」


 絵馬の両親の馴れ初めを、澪は瞳を輝かせ食い入るように聞いていた。


「何て浪漫ちっくなの……もっと詳しく聞かせてっ!? ぷろぽーずの言葉とかぁ!」

「え……そ、そうですね、確か……『俺の残りの一生をお前に捧げる。お前の時間を少しだけ俺にも分けてほしい』だったかと」

「ふひゃあぁ~っ!?」

(どっから声出てるんだろ……)

「あとはっ!? ほかにもっ! 種族の壁を越えて愛を育み、文化や風習の違いに戸惑いつつも、襲い来るさまざまな障害や困難を物ともせず愛し合う二人の感動的な秘話とかそういうの、もっとないのっ!?」


 ときめきに飢えた獣の眼光に、憐れな小鳥はなすすべもなく。


「そ、そうですね……ちょっとお手洗いに行って来ますので、戻るまでに思い出しておきます」

(あ、逃げた)


 そそくさと席を後にする絵馬を、献慈はただ見送るしかなかった。その間も澪は冷めやらぬ興奮を隠そうともしない。


「ほんっと素敵ぃ……絵馬のお父さんお母さんの話って、何だか私たちの関係に似てる気がしない?」

「んー……言われてみればそうかも。でも俺、絵馬のお父さんみたいな男気があるわけでもないし……」


 反射的に話を合わせるも、劣等感が頭をもたげる。


「ううん、献慈はすっごく男らしいと思うよ。私が迷ったり挫けそうになったとき、引っ張ってくれたの、献慈だもの」

「そこまで言われると何だかくすぐったいな」

「それに……一目惚れしたのは私のほう」

「そう…………えっ!? え、ちょっ、待っ……澪姉って最初俺のこと弟ぐらいにしか思ってなかったんじゃ……」


 予期せぬ告白に献慈は落ち着きを失った。しかし隣の澪もまた両膝の上で袴を握り締めうつむいている。

 すぼめた肩を小動物のように震わせながら。


「だ、だってぇ……恥ずかしかったんだもん。年下の男の子相手にガツガツしてるのカッコ悪いかなーとか……気持ち悪いとか思われたらヤだし……」

「そっ、そんなこと! ぜんぜん俺、思ったりしないよ! だって――」


 横からクロスフェイドしてくる声。


「――だよねー。普段からケンジにガッツいてんのバレバレだったじゃんねー?」

「何だぁ、私ったらバレバレ……ってカミーユ! いつの間に帰ってたの!?」


 はっと顔を上げる澪を、ぎょっとして振り返る献慈を、カミーユがふてぶてしく待ち構えていた。


「いや~、こっそり尾行してたつもりが見事に巻かれちゃってさー……ゴクゴク」


 カミーユは椅子にふんぞり返り、絵馬の飲みかけの水をあおっている。

 そこへタイミング良く――あるいは悪く――注文の品を持ったウェイターが戻って来た。


「お待たせしました。ご注文のスパゲッチ……」

「おおっ、気が利くじゃん! いっただっきま~す」


 カミーユはお盆から料理をひったくり、何の躊躇もなく食べ始めた。


「あっ、それ――」


 唖然とする献慈の後方から、物凄い剣幕で怒鳴り込んで来る者がいた。


「ぅわだすのすぱげっちいぃ――ッ!!」絵馬である。「なぁにしてんだ、おめぇ!! 人のモン勝手に食ったらダァメだべしたァ!!」

「なぁんだ、アンタのかー。ズルズル……あー、うめぇ~」


 微塵も悪びれぬカミーユに、絵馬が挑みかかるのは当然の流れだった。


「ふぬ――ッ!! こっちゃよごせハァ!!」

「いでででっ! まだ食ってる最中でしょーがーっ!」

(えぇっ!? またぁ!?)


 献慈が止める隙もなく、二人はシームレスに掴み合いのケンカに突入する。


「こらぁーっ! 二人ともケンカはやめなさ――い!!」


 澪は鮮やかな手際でチビっ子たちを引き剥がすや、両肩の上に担ぎ上げて無力化する。

 これにて一件落着――なら良かったのだが。


「おっ? 何だい、曲芸かい?」

「力持ちだねぇ、お嬢さん」

「いよっ! 横綱!」


 生憎ここは夕食時の酒場である。周囲から拍手と歓声が沸き起こるのを防げはしない。


「ち、違うのっ! 大道芸とかじゃないからぁっ!」


 澪が弁解するそばから続々とおひねりが飛んで来る。


「あぁ……(ごめん澪姉、俺にはもう止められそうにない……)」


 献慈はカンカン帽を手に、テーブルの上を飛び交う投げ銭の集金役に回ることを余儀なくされた。

 ちなみに集まったおひねりは全額、町の孤児院へ寄付した。




  *  *  *




お話のつづき


【本編】第86話 烈士稼業のいろは

https://kakuyomu.jp/works/16817139558812462217/episodes/16817330650761432196

  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る