第6話
仏教から政治力を奪うために明治政府が打ち出した神仏分離令は、やがて仏教そのものを攻撃の対象とし、寺院の伽藍や仏像の破壊を伴う激しい廃仏毀釈運動へと発展した。羽代城下の矢根八幡権現も、神仏分離令を免れることはできなかった。
夏の終わりに明治天皇が即位し、元号が明治に改められた明治元年九月。
矢根八幡宮の境内の半分を占める仏教施設の撤去が決まった。矢根八幡宮は藩主朝永家の祖霊を祀る神社でもある。神明神社から寄越された人足による作業が度を越さないよう、羽代城からは馬廻り組の数名を率いた秋生修之輔が派遣された。
「僧侶たちは還俗し、里に下りた者もいるのですが、何人かは八幡宮の方に引き取りました」
作業の準備を始める人足を見ながら状況の報告を求めた修之輔に、憔悴が明らかな神主が答えた。
「寺院に祀られていた御仏の像は」
神主は修之輔の質問の真意を探るように、用心深い目線を向けた。元が日に灼けて温厚な顔立ちの神主の表情は、まるで泣いているようにも見えた。
修之輔は自分の言葉が神主に緊張をもたらしたことを察して、説明を加えた。
「今ここに差し出せというわけではない。場合によっては城へ引き取ると、弘紀様から内々の伝言だ」
神主は目に見えて安堵の表情を浮かべた。
「大変ありがたいお申し出でございます。けれどすでにわが社の氏子の手により、密かに運びだして隠しました。どちらにお隠し申し上げたか、お伝えいたしましょうか」
その申し出を修之輔は遮った。
「己の信仰は自らの手で守るのが第一、民の手で守りきれなくなった時に手を差し伸べるのが領主の務めだというのが弘紀様の御意志だ。守るべき術があるのならそのままでよい」
少し、神主がその言葉を噛みしめる間があった。無言のまま深く拝礼をした神主が頭を上げるのを修之輔は待ち、
「朝永家の御廟所はどうなる」
神主にそう尋ねた。
「今のところはそのままに、けれど記紀に記されていない神を祀ってはならない、とのお達しです。いずれかの神様を仮に立てるか、八幡神に合祀するかのどちらかになりましょう」
武家であるのなら八幡神との合祀は紛れなく名誉となる。だが、
「八幡神社の御祭神も変わると聞いた」
「誉田別尊様になるようだとの、これは別の八幡宮から聞きました」
誉田別尊は応神天皇の別称である。天皇家に信仰を集約させる明治政府の方針は揺るぎなかった。
「御廟所の扱いもなるべく早くに決めておく必要があるということか」
神主は深く頭を下げた。
これまで朝永家の祖霊は、羽代の土地神と同等に祀られてきた。神の座を降りて人としての供養が必要になるが菩提寺は他にある。明治政府の役人によって破壊される前に御廟所をたたむことが最善の策だった。
それまで神と祀られていたものから信仰だけが棄却される。羽代に来て日の浅い修之輔ですら、それは奇妙な戸惑いを覚えることだった。
ここで寺が壊されるのを見ているのはつらいからと、神主がその場を去ってしばらく、八幡宮の大鳥居の外に人が集まり出した。付近の領民が様子を見に来たらしいが、それにしては動きに統制が取れている。誰か率いる者がいるようだ。
修之輔は馬廻り組の配下を一人連れて、大鳥居に向かった。群れて騒ぐ羽代の領民に何者かが語りかけており、それは出雲の御師である波笠だった。
「将軍様に代わってこれからは朝廷の天子様がこの国をお治めなさる。天子様は皇尊の依り代にして現人神におわせられる。仏の教えは唐の国の教え、この国のまことの歴史は神代から始まるのだ」
「出雲の神様と天子様とはどちらがえらいのか、のう、波笠どの」
「大国主命様は天子様のご先祖にこの国を譲った神であり、元々この国を治めておられた神様である」
「ならば天子様よりえらいのでは」
「神に優劣なく、すべて記紀の神はこの国の神である。その土地の神を祀り続けるのも、あるいは他国の神を慕って生まれ育った土地を移るのも、新たな御代では自由となる」
波笠は羽代に滞在している間、目立った数ではないにしろ新たな信徒を確実に作っていた。近づく修之輔たちに気づき、波笠は地に膝を付き拝礼し、周りの民もそれに倣った。
「要らぬ扇動をしないように、城から命じられていたはずだが」
修之輔の指摘に、波笠は頭を下げたままで応えた。
「明日にでも羽代を立ちます故、どうぞお見逃し下さいませ。出雲の御社からも早々に戻るようにと催促されております」
「ならばすぐにこの土地から出て行けばよい」
波笠の伏せたままの面に、笑みが浮かぶ気配があった。
「御子様のように理由はお聞きにはなりませぬか」
「弘紀様を惑わせ、欺き、扇動するような言動は、許されることではない」
波笠は上体を起こして修之輔と目を合わせた。その口元にはやはり微かに笑みが浮かぶ。
「伊勢がここまで強硬に他の信仰を弾圧してくるというのは、出雲も八幡も予想しておりませんでした。この国のあちこちで、神も仏も騒いでおります」
無言の反応を貫く修之輔の様子にも、松笠は表情を変えなかった。
「かつて日輪の巫女は滅びの道を選びましたが、代を変えてもその意志を貫くものと、そのように出雲へ伝えましょう」
波笠は地に額を付けて拝礼し、立ち上がった。そして修之輔にはそれ以上目を向けることなく、数人の羽代領民を後に従えてその場を去った。
八幡宮境内の破壊された石仏や寺院だった木材は、城下の大通りを牛に牽かれて横切り、海へと次々に投げ捨てられた。その海は、毎年の正月に歴代の羽代藩主が祈祷を捧げた海でもあった。
海の神や山の神、水の神などの名を持たない神々は悉く排斥され、あるいは新たに記紀神の名が与えられた。
そうして、この国に記紀神以外の神はいなくなった。
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