第5話

 慶応四年四月、新政府軍は江戸城に入り、翌月閏四月には政体書を制定して徳川幕府に代わる新たな政治組織を整備した。その内実は、朝廷の貴族と官軍を構成していた薩長を中心とした諸藩の武家から構成されるものだった。


 羽代城にはまだ目立った変化はなかったが、茶葉や樟脳など多くの荷を積んで大阪や江戸と頻繁に行き来していた船は、今は港に係留されたまま春の海に浮かんでいた。その代わり小型で足の速い船が羽代城と江戸の間を何回も往復している。

 その船は、朝永家江戸上屋敷からの状況の報告や明治政府からの通達書を羽代に、羽代城から藩主である弘紀の公印が押された書状を江戸へと運んだ。


 季節は春の盛りを迎えつつあり、羽代城の足元から続く浜辺では海藻を拾う人影がぽつぽつと見えた。船番所近くの砂浜で、所定の手続きを終えて江戸へ向う船を見送る修之輔の隣には、外田がいた。


 官軍が東に去った後、羽代領内には拍子抜けするほどの平穏が訪れていた。外田が領内を見廻る頻度は少なくなり、まるで以前の長閑な羽代の日常が戻ってきたかのような静かさだった。

 だが嵐前の静けさとは違う。

 動乱を起こした者達と、その土地に元から住む者達の日常がかけ離れていることを現わす、それは無関心の穏やかさだった。


「寅丸が、長崎に着いたそうだ」

 鳶が輪を描く空を見上げながら、外田が云った。

 ぴいひょろ、ひょろ、と、鳶の鳴き声が春の日差しと一体となって砂浜に下りてくる。


 修之輔は顔だけ少し、外田へと向けた。話の続きを促したつもりもなかったが、外田は空から水平線へと視線を移しながら修之輔に話続けた。

「あいつ、こっそり木村に茶葉を分けてくれるよう頼んできたらしい。藩の専売品だからと木村は断ったんだが、これからどうなるか分からん世の中だから今のうちに金に変えられるものは変えておいた方がいい、と寅丸に唆されて、茶箱一つを送ったそうだ」

 それで自分一人の内緒ごとにしておくには気が引けて、木村は外田に寅丸の動静を伝えてきたという。修之輔に話すということは、弘紀の耳に入ることだと外田も分かっている。

「寅丸は、どこででも何とかやっていくだろう。問題は儂等がどうなるかということだな」

 外田の口調にはいつものような覇気が無い。


 外田も、長崎に行きたいのだろうか。


 ふと修之輔の胸の内に沸いた疑問は、だが口に出されないまま、春の海の波は穏やかに二人が立つ砂浜の砂を洗った。


 翌月の五月、幕府軍の残党が上野の山に立てこもり、彰義隊を結成して明治政府軍に反抗した。

 戦いは東北へと伝播し、会津、仙台、盛岡と、奥羽列藩同盟は激しく政府軍に抵抗した。羽代にも政府軍から援軍の要請があり、山崎が歩兵隊百数十名を連れて江戸へ向かった。


 その東北の平定も収まらないうちに、明治政府は次々と政治の骨組みを作り上げていった。


「江戸上屋敷からの書状によりますと、新政府の三職が寺社に対して大規模な変革を迫る予定らしいとのことです」

 羽代城二の丸御殿で弘紀にそう報告したのは、これまでのように筆頭家老の加納だった。

 しかしこれまでとは異なり、弘紀が臨席するその会議の場には西川を始めたとした二、三人の家老の姿が無かった。元々新政府に呼応するところがあった彼らは、弘紀の命を受けて江戸に向かい、現在、新政府との情報交換の任務に就いている。

「仏の教えは尊くても、徳川公のその前からこの国を統治しようとする皆が寺の扱いには手を焼いていた。朝廷の御方々や薩長の者達が寺の勢力を削ぐことを第一に考えるのは理に適っている」

 羽代にしても竜景寺一つに手を焼いてきたのである。実感のある弘紀の言葉を聞いて加納が頷いた。

「ただその寺院の勢力を削ぐ方法が上屋敷の者にはまだ見えていないのだということです」

「これまで行われてきた御朱印地の取上や布教の制限ではないのか」

「はい」

「それ以外に、どのような手段で寺の力を削ごうというのか」


 大陸から仏教が伝来した欽明天皇の頃から、仏教を基盤とした律令の制度は日本の国の枠組みだった。千二百余年にわたり国の屋台骨となってきた仏教を抑圧するその方法は、弘紀の想像の外だった。


——伊勢は仏の教えに奪われた過日の権力を再び手にするため、寺院の勢力をそぎ落とし武家を政権から遠ざけて、自らの信仰の復古を願っております


 前に出雲の御師が弘紀に語った言葉がよみがえった。あの時は世迷いごとにしか聞こえなかったが、今は。

 家臣たちが意見を述べ合う声を遠くに聞きながら、弘紀は目を伏せた。


 竜景寺から火が出たという知らせが羽代城に届いたのは七月中旬の未明、その大伽藍のほとんどが焼け落ちた翌朝のことだった。歴代の羽代当主を以てして長年打ち倒せなかった竜景寺は、何者かが付けた火によって一夜のうちに灰燼となった。


 竜景寺の跡地には、稲荷神社の社が残された。そして瓦礫が運び去られたその後に、速やかに新たな神社の建設が始まった。


「他の神々を祀ることは許さぬ。全国に先立ち、この地に伊勢から天照大御神を勧請し奉り、この稲荷神社を羽代一之宮神明神社とする。羽代の祭祀祭礼についての指示は全て、ここ神明神社から発する。すべて明治政府の、そして朝廷の宣旨と捉えて従うように」


 竜景寺の跡地に建てられた羽代神明神社の主に就いたのは、あの伊勢の神官、古老だった。


 慶応四年八月、明治天皇が即位して元号は明治に改められた。

 ほぼ同時に明治政府は神仏分離令を公布し、皇祖神である天照大神を祀る伊勢神宮を最も権力のある神社として、伊勢神道の流れをくむ神社神道を仏教に代わる日本の最高位の宗教に、すなわち国教とすることを制定した。

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