第8話

 修之輔が率いる馬廻り組の数名と山崎たちの小隊は、巡検中、以前も泊まった浅井宿中にある羽代軍の屯所に毎日帰還することが決められていた。

 暴動が同時に多発した先日来、屯所には外田を組頭とする十人組が常駐するようになっている。夜を通して煌々と焚かれる灯りの下、毎晩その日の状況の報告が行われ、整理された情報はすぐに羽代城へと早馬で伝えられた。


 修之輔が山崎や外田から聞いた浅井宿周辺での暴動は、今年に入ってから頻発するようになっただけでなく、実効的な暴力を伴っているということだった。

 刀を持たない農民の武器はくわすき、鎌などの農具である。それらに使われている鉄の品質と加工技術の向上が、農具の武器としての性能を高めて家屋や土塁の破壊を容易にしているらしい。

 弘紀が藩の資金を投じて整備させたが農民に武器を与えた皮肉な結果となっていた。


「外田、加納様はお前らの捜査に杜撰なところがなかったかを疑っておられたぞ」

 更けゆく夜に各々の部下を下がらせた後、修之輔と山崎、そして外田の三人だけが屯所の座敷に残っていた。気心の知れた仲間内だからこそ話せることもある。

 だが仲間内とはいえ手厳しく詰める山崎に、外田は胡坐を崩した姿勢のまま顔だけそちらに向けて抗弁した。

「浅井宿一帯は儂等が以前から目を光らせている。暴動を扇動するような会合などこれまで一度も見たことも聞いたこともない。これ以上いったい何を探せというのだ」

「目を光らせているとは具体的には何をしてるんだ。まさかこの屯所に尻を据えたまま日がな一日過ごしているわけではないだろう」

「それこそ退屈というものだ。見廻りは朝に一回、昼に二回、そして夜に一回だ。三人一組で手分けして宿場の全体を回っている」


 それだけの頻度ならば常に宿場の内部を十人組が巡回しているのと変わらない。山崎は外田の働きに納得したようだ。


「そこまで見廻っているのなら十分だろう。だが農民や商人に必要以上に手厳しくしたり、威圧したりしてはいないか。彼らに怯えられては本来上がってくる筈の情報も上がらなくなる」

 山崎の口調の強さは減じたが、ここまでしつこく食い下がるのは自分の心配半分、外田の心配半分といったところだろう。そんな山崎の心情を外田は意に介する様子を見せない。

「そうでもないぞ。最近は商人の中に儂等との馴染みも出来て、奴ら時々ここまで酒や総菜を持ってくる」

「馴染み過ぎも良くない」

「なんだ山崎、堅苦しい。お前は最近、加納様のような物言いが増えてないか。いいじゃないか、あっちから勝手に持ってくるのだ」

 山崎はまったく悪びれない外田を見やって大きく溜息をついた。

「せめて誰から何を貰ったのか、帳簿に付けておけ。後ほど西川様に相談して何らかの対応をする」

 これに対して外田は眉を軽く上げただけで一応の同意を示した。


 浅井宿に住む者達は皆、羽代の領民であることに違いはない。威圧よりも親近感で繋がりを持つ方が長期的な治安の維持に役に立つ。誰とでもすぐに親しくなれる外田の屈託ない性格はこの任務に適しているのだろう。

 一方で、様々な身分を寄せ集めた歩兵隊を統率するためには、山崎の神経質な気配りが有用である。適材適所という言葉がふさわしい彼らの人事には、弘紀が積極的に関わっていたことを修之輔は知っていた。


 屯所の灯りの中で会話を交わす外田と山崎を見ながら、修之輔は身分を隠した弘紀が外田や山崎達と肩を並べて談笑していた過去を思い出した。

 弘紀はあのような機会を通して誰がどの任務に適材となるのか、見極めていたのだろう。


 では、弘紀が自分に期待していることは、いったい何だろうか。

 抑えきれない身の内の焦燥は、ほんのわずかの切っ掛けで疑問となって修之輔の内側に沸いてくる。


 やがて四つ時の鐘がなった。

 外田は夜の見廻りに出ると座敷を立ち、山崎は寝る前にひと風呂浴びてくると云っていなくなった。


 灯りの数が減らされた座敷の中、修之輔は一人、畳の上に広げられたままの羽代の地図に目を落とした。弘紀から預かったその地図には朱書きで暴動が起きた地点が記されている。山沿いに五か所、谷津で三か所、そして。


 一つ一つの地点と実際に現地を見分した記憶を照らし合わせていくうち、暴動の起きた地点の分布に少々偏りがあるように感じた。その偏りは浅井宿を中心にしたものだと、巡検出立前に加納から聞いていた。だが。


 修之輔は眉根を寄せた。

 中心は、浅井宿ではないのでは。


 浅井宿の近くに間道のない山地があるからそう見えるだけで、本当の中心は浅井宿から一里ほど離れた場所なのではないか。注意深く地図の上を指でなぞる。


 修之輔の指が止まったその場所は、竜景寺だった。


 竜景寺の境内に新しく建てられた稲荷明神の社。

 伊勢から来たという稲荷神社の神官。

 羽代の至る所にある稲荷明神の祠。


 神事、祈祷だと理由を付けて村々を渡り歩くことが可能な人物は。


「秋生は風呂に入らないのか」

 手拭いで顔を拭きながら部屋に戻ってきた山崎に、修之輔は今気づいたばかりのことを伝えようとした。だが説明の順序に惑って、その間に山崎が先に口を開いた。

「秋生、だいぶ前に寅丸について話があると云ったが覚えているか」

「……脱藩を目論んでいるということなら外田さんから聞いてます」

「それもあるんだが」

 先ほどまでとは変わって重い口調の山崎に、修之輔の注意は一端、目の前の地図から逸らされた。

「秋生は黒河の出自だったな」

 山崎からの問いかけに、修之輔は軽く頷き返して肯定した。

「弘紀様が黒河から羽代に戻られる直前、黒河では剣術の御前試合があっただろう」

 黒河藩主の前で行われたその試合、黒河藩から出た五人の主峰が修之輔だった。相手になったのは羽代から派遣された五人組で、その主峰が寅丸だったことを修之輔は山崎に伝えた。

「ああ、やはり思っていたより以前から秋生は寅丸と繋がりがあったんだな。……だからこそ、このことは早く伝えなければと思っていたのだが、いろいろあって遅くなった」

 そういう割に山崎はなかなか本題に入ろうとしない。

「寅丸はその時、弘紀様についてお前に何か尋ねなかったか」

 慎重に重ねられる山崎の問いに、修之輔の記憶が呼び起こされた。


 ——弘紀様は、その縁でこの黒河藩家中どちらかのお屋敷に預けられていると聞くが、よほど慎重に匿われているのか、それ以上の噂は聞かない


 ——秋生殿は弘紀様について何か聞いておられるか


 あの時、寅丸と交わした会話を思い出す。

「……寅丸は、弘紀様が黒河のどこにいるのかを知りたがっていた」

 今思えば、なぜ寅丸は弘紀の居場所をそんなに知りたがっていたのか。

 理由は既に明らかだった。だが修之輔自身がその事実を認めることを躊躇していた。

 山崎は修之輔の躊躇の先の事実を口にした。


「寅丸は、弘紀様を暗殺するために黒河に送り込まれた刺客だった」

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る