第7話

 四月下旬、水戸上屋敷へ送られた件の浪士の厳罰を要求する書状の返事も届かないうち、今度は羽代内部で暴動が起きた。それも一件ではない。数か所で同時に発生した。

 暴動の中には、富を蓄えた家を集団で襲う強奪や、田畑の損壊を伴う村落間の争い、そして世直しを標榜して羽代当主への強訴を行うものもあった。

 羽代軍は小隊に分かれ、暴動鎮圧のために領地内に散った。


 番方から急遽派遣された小隊は、まず訓練された軍容によって相手を威嚇した。

 暴動の主体は農民である。戦闘に慣れていない彼らの目前で、揃いの軍服に身を包んだ歩兵が洋銃を片手に整然と陣を敷く有様は、それだけで脅威となり得る。

 状況によっては大砲を撃ち込んで爆音と土を抉る破壊力を見せつけると、血の気が引いて多少は冷静になるのだろう、暴動の首謀となった数名が「おそれながら」と前に出てくる。

 そんなことが至る所で繰り返されるうち、やがてあることが明らかになり始めた。


 矢継ぎ早に入る各小隊からの報告に、羽代城二の丸御殿の表座敷では連日、家老が参集して状況の把握と各地への指示に忙殺されていた。

 弘紀の前に広げられた羽代領地の地図は、ここ数日折りたたまれることなく、上に置かれた赤黒の駒が暴動の生じた地点と鎮圧された場所を示している。


 番方を仕切っている西川が、弘紀に状況を説明する。

「鎮圧にあたった番方の報告によれば、本来ならば農民の意見を取りまとめるはずの庄屋や地主がその役目を充分に努めていない例が散見されるとのこと。持っていきようのない不満を募らせた農民が、思い余って暴動を起こすというのが実態のようです」

 弘紀は西川に訊いた。

「なぜ庄屋や地主が役目を果たしていないのか。これまでそのようなことは聞いていなかったように思う」

「庄屋や地主にこれまでと変わったことはありません。変わったのは農民です。これまで不満を訴える、という行為そのものを農民は知らずにいたところ、どうやら最近知恵をつけ、不満があれば話し合いの前に暴れて力づくで押し通せば良いと思うようになったようです」

 西川の口調は、どこか領民を下に見ている。加納が弘紀に一礼し、西川の報告に説明を加えた。

「農民の不満に付け込んで暴動を煽っている者がいることは明らかです。そしてその者はおそらくは浅井宿に潜伏しているようです」


 地図の上に置かれた赤黒の駒は、浅井宿付近の周囲五里以内に集中していた。


 実体がつかめない扇動者の行方を外田たちが探索するうちに五月の中旬が過ぎ、その頃には羽代内の暴動はすべて鎮圧された。

 領内の鎮圧を待って、弘紀は修之輔に再度、浅井宿周辺の巡検に回るように命じた。

 状況の調査が目的だった前回とは異なり、今回は農民への積極的な聞き取りを目的としたものだった。それは、暴力ではなく、まずは話し合いの場を設けて状況の改善を図るという方法を領民に再認識させるためでもあった。

 修之輔の馬廻り組には、前回と同様に山崎が同行した。だが前回とはやはり目的が異なっていた。

 田植えが終わればこの時期の農作業はひと段落する。手の空いた者を兵として短期間雇い、軍事教化を行うことが山崎の目的だった。訓練に参加すれば金銭で報酬が支払われる。徴兵は、農民の羽代への忠誠心の育成と経済的な不満を解消するための手段だった。


 農民の不満をどのように汲み取ればいいのか。


 修之輔は弘紀の近くにいるので、弘紀の考え方を良く知っている。

 弘紀は二宮尊徳という人物が提唱した報徳思想という考え方を政策の中に積極的に取り入れようとしていた。


「己が得た利益を使い切ることなく倹約し、足りない場所に分配して全体の産業の維持と発展を目指す、というのは理にかなったことだと思うのです」


 ——年貢として徴収した米を売りその金を毎年使い切って藩政を回していくという、これまでの在り方とは発想がまったく違うのです


 そう弘紀が話すのを修之輔は聞いていた。

「年貢を元にしたこれまでの財政の在り方では行き詰まります。もっと金銭の流れを注意深く見て、その循環の強さを財力の強さに変えていくような、そんな政治の枠組みが必要なのです」


 弘紀が熱を入れて語るその内容の全てを理解できたわけではないが、弘紀が藩の現状を変えるために出来得る限りの手を尽くしていることは分かっていた。


 新たな政策を始動させるその一歩として、羽代の財政状況では領民に分配する富がほとんどない。それが致命的だった。富を蓄えるためには、茶や樟脳などの商業作物をより多く生産する必要がある。

 次の一手までに時間が必要なのだと、安定しない樟脳の生産や、いつ幕府から禁じられるか分からない茶葉の海外輸出のことを説明したとして、果たして農民はどこまで理解できるのだろうか。直接産業に携わっていない自分の説明は説得力のある言葉なのだろうか。


 弘紀が感じている焦燥を、修之輔も違う形で感じていた。


 自分は、弘紀の期待に沿うだけのはたらきをしているのだろうか。


 苗代から移されたばかりの稲が健気に風に逆らう様子を見ながら、修之輔の思考は沈みがちになる。


 りん


 山から下りる風に、鈴の音が聞こえた。


 広がる早緑の田の真ん中に小さな稲荷社があり、そこで今年の豊かな実りを神に祈願する神事が行われていたらしい。祈禱は終わって神事を執り行ってた白い狩衣姿の神官が社を背にこちらに向かって歩いてきた。それはこれまで何度も顔を合わせたあの古老という名の神官だった。背後に控えている僧形は、ならば竜景寺の僧侶か。


 ——稲穂を祀る稲荷神社。その祭祀の祠はこの国のあちらこちらに。けれど稲穂の実りをもたらす神は稲荷大明神だけにあらず。拝んでいる神の本当の姿に気づくのはいったいいつのこと


 修之輔と擦れ違いざまに神官が口にした謡のようなその言葉は、田を渡る春の風に搔き消えた。

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