応援コメント

第7話」への応援コメント

  • 仕法は確か、至誠 勤労 分度 推譲でしたかね?松下幸之助や豊田佐吉も確かこれに習ったと聞いた事ありましたが。

    作者からの返信

    コメントありがとうございます。

    ご存じとは流石です。二宮金次郎の銅像は知っていても、何をした人なのか、なぜ銅像が学校に置かれていたのかを知っている人は、今は少なくなっているのではと思います。

    二宮尊徳が没したのは1856年、彼が提唱した報徳思想は明治以降、弟子たちによって近代的な資本主義に適応した報徳主義思想へと発展していきます。

    那月様から頂きましたコメントの松下幸之助や豊田佐吉が手本としたのは"報徳主義思想"で、本作中、弘紀が取り入れているのは封建主義社会の中で資本を回すという元祖"報徳思想"というかたちです。

    弘紀が治める羽代は、今でいうところの静岡県掛川のちょっと西側にあって、「東海道のど真ん中」という地理にあります。明治維新後に報徳思想は掛川に於かれた報徳社を拠点に報徳主義思想へ発展しました。そんな史実を本作のプロットに引用しております。

    読んでいただいてありがとうございました!