第9話

 潜伏していた敵の攻撃を避けて体勢を崩した小林を庇い、石島が前に出る。

 灯火がすべて消された闇の中、窓から漏れ入る月の光に座敷の輪郭が浮かび上がった。


 先ほどまで暴れていた騒ぎの元凶は相撲取りのように大きな体で荒い息を継いでいる。右手に長刀、左手に脇差を抜く二刀流の構えだが、流儀なのか酔いに任せた勢いなのか判別がつかない。


 そしてもう一人。


 座敷の隅に潜んでいたもう一つの影は低く身を屈めてこちらの様子を窺っている。が、その姿勢、いつでも刀を振るえる構えで、応戦する気が充分のようだ。


「小林、切られたか」

「羽織だけ裂かれました。無傷です」

「よし、お前は儂とあの物を抑えるぞ」

 この場にいる羽代の者達の中で最も体格が良い外田が巨漢の相手になるのは合理的な判断だった。素早い応答の後にすかさず小林が石島の背から走り出て外田の脇に付く。

「秋生、石島とそいつにあたれ」

 外田が対峙する者達から目を離さないまま、後ろにいる修之輔に指示を寄こした。

「始末か、捕縛か」

 修之輔のその言葉に一瞬、外田がこちらを振り返る気配があり、

「……捕縛だ」

 声低く修之輔にそう告げた外田は次の瞬間、数段残していた階段を一気に駆け上がり、開け放たれた入り口ではなく、閉められていた座敷の横襖を破って座敷に突入した。


 長刀短刀の二本使いで外田に切りかかる巨漢の剣は外田を援護する石島に打ち払われ、攻撃のみに集中した外田が巨漢の左腕を斬り、跳ね飛んだ血潮が床に倒された襖に散った。

 力量の差は明らかだ。巨漢が捕縛されるのは時間の問題だった。


 それよりも。

 低く身を屈めて攻撃の気配を見せながら、微動だにしない巨漢の連れは何を待っているのか、あるいは推し量っているのか、石島と睨み合って動こうとしない。その顔貌が判然としないのは辺りの暗さだけでなく、手拭いのような布で覆面をしているからだと見て取れた。


 動かない覆面の男の様子を怯えととったのか、石島が不用意に前に出た。

 次の瞬間。

 ず、と空間の厚みを切り裂いて、覆面の男の刃先が石島の首をめがけて突き出された。辛うじて避けた石島に間髪入れずに次の攻撃が繰り出される。早い。


 天井が低い町屋造りの二階では大きく長刀を振ることはできない。石島は攻撃の契機を見出せず、ただ体の入れ替えだけで相手の突きを躱すのに精いっぱいだった。

 外田の力量は巨漢相手に勝ったが、覆面の男相手に石島の力量が劣るのは見て明らかだった。相手に揺さぶられるだけの石島の不規則な体の動きは、修之輔の加勢を難しくする。

 だが、覆面の男の突きをなんとか石島が自分の刀で迎え撃ったその瞬間、修之輔は石島に強く当たって体を入れ替え、自分が覆面の男の正面に対峙した。


「こちらが相手だ」

 修之輔がそう告げた声に、覆面の男が動きを緩めた。が、それは一瞬のこと、直ぐに鋭さの鈍らない突きが繰り出される。

 ガツ、という金属同士のぶつかる音。

 覆面の男の刀の先は、修之輔の使う脇差の刃で止められた。

 脇差の刃渡りは長刀の半分。相手の刀を下に叩き落してすぐ、修之輔は脇差の向きを変えて今度は上に向かって刀を弾き上げる。

 天井に刃先が刺さればしめたものだが、覆面の男は手練れなのか刀を横に振ってそれを遮る。その刃の背をまた修之輔の脇差が強く叩打する。修之輔の攻撃は、長刀の先を上下左右に叩き続けて相手の手の内から刀の柄を握る力を奪うためのものだった。


 相手に刀を操らせない脇差の技は、江戸参勤の折に修之輔が教えを乞うた曲淵という小太刀の名人から教えられた技だった。


 次第に相手は後退し、じりじりと窓際にまで追い詰められる。

 窓際は月明かりに白く光っている。


 覆面の男はちらりと窓から外を見て、ふいに肩から力を抜いて修之輔に話しかけた。

「……まるで狼の狩りのようだな、秋生」

 隠された口元に笑みが浮かんでいるような、飄々とした口ぶりだった。

「大人しく縄につけ」

「それはどうかな」

 いうや否や、覆面の男は足元の枕屏風を蹴り上げ、窓の外へと放り投げた。

 バァン!という銃撃音は、修之輔が外で張らせていた時谷と坂木が発砲した音だった。次弾の装填までの間に覆面の男は窓から屋根に出て、身軽に路地へ飛び降りて夜の闇に逃げて行った。


「追わなくて良い。我々の任務ではないことだ」

 修之輔は窓から部下二人を見下ろしてそう告げた。

 座敷を振り返ると、捕り物の高揚とは程遠く沈鬱な面持ちの外田と目が合った。外田が捕縛した巨漢は今さら酔いが回ったのか、縛られたまま高鼾をかいている。体を巡る酒精が斬られた刀傷の痛みを麻痺させているのだろう。小林と石島、そして階段を上がってきた時谷と坂木が両手両足を抱えて宿屋の二階から巨漢を下していく。座敷には修之輔と外田の二人が残った。


「なあ、秋生」

 その先を言う必要は無い、と首を横に振ったつもりだが外田には通じなかったようだ。

「あいつは、寅丸だったよな?」

 肯定も否定もせずに見返す修之輔に、外田は重ねて尋ねてきた。

「秋生、報告書にあいつのことはどう書く」

「あったことをそのまま書きます」

 何か言い募ろうとする外田を制し、修之輔は続けて

「ただし、逃亡した者の身の上については、彼の者は覆面をしていたので身元明らかならずと書くのが妥当かと」

 外田はそうか、と一言云って修之輔の肩を軽く叩き、狭い階段を下りて行った。


 家屋の被害の状況は日が登ってから、と宿の主人と約束し、縛られた巨漢は古びた蔵の中に閉じ込められた。

 誰もが口をきかないまま、定宿へ向かう帰り道を月の明かりが白く照らしている。


 ——報告書には書かないけれど、弘紀には。


 外田には明かせない自分の心の内を修之輔は後ろめたく思ったわけではない。けれど少し、皆から遅れて歩いた。

 冬の冷たい風が枯れ枝を揺らす音に、修之輔は故郷である山地の黒河藩を思い出した。


 りん


 また、鈴の音が聞こえた。音の方を振り向いたのは修之輔だけで、外田たちは先に歩いてその姿が遠くなる。


 月明かりの下、白衣の神官が道の向こうから歩いてくる姿が見えた。灯篭を持つ従者の衣装も真白な着物。まるで幽界から現れたようなその出で立ち。


「月狼、また他人の血を流したか」

 古老という名のその神官には夜も昼も区別がないのか、雅やかに整った顔立ちで修之輔に声をかけてきた。修之輔はそれには答えず、ただ先に行け、と無言で命じた。

「月狼よ、羽代の民が抱いている己の身分やこの世の中への不平不満は、神仏への信心が足りないことの表れではないのか。その懐に富が転がり込めば如何様にでも民の思想は変化する。衆生身分に分け隔てなく稲穂の恵みを、富を分け与える稲荷権現を信心せよ」

 古老は足を止め、修之輔の正面に立って語り続ける。修之輔よりやや高い位置から寄越される視線には、こちらに視線を合わせることを強いる意図が明瞭だった。

 ならば、と修之輔は眉根を寄せて相手を睨み返した。

「その方の竜景寺への着任は認められていない。いつでも羽代から追われる身の上であることを弁えろ」

 古老は、くく、と面白そうに小さく笑い、修之輔に背を向けて歩き始めた。

「稲穂の実りをもたらすのは、山の神でも、ましてや海の神でもない」


「日輪こそを、奉れ」

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