第8話

 修之輔は外田そとだの引き合わせで番所の役人と顔を合わせた。

「依頼していたものは」

「あちらに」

 役人に案内された奥の座敷には、羽代城を出る前に前もって頼んでおいた宿帳の写しがまとめて積まれていた。

 宿帳の写しには、ここ最近、浅井宿に宿泊した者達の身分や出身地、旅の目的などが記されている。記録を実際に目視しておおまかに傾向を把握しながら、これまでの報告で見逃されていたことは無いかを確認することが修之輔たちの第一の仕事だった。

 修之輔はさっそく部下の時谷と坂木の三人で手分けして作業を始めた。


 冬の日が落ちるのは早い。座敷の灯りが一つ二つでは足りなくなってきた時点で、修之輔は作業の中断を決めた。写しの山の減り具合から、明日一日あればすべて見終えることができるだろう。用人として羽代城の内務を務めていた時谷の手際が良く、思ったよりも早い進行だった。


 三人が番所を出て向かったのは浅井宿の中ほどにある宿屋だった。

 宿屋と言っても主人は別に店を持っており、屋敷を羽代藩士の用向きのために確保している。外田たちもここを定宿として屯所代わりに使っていた。

 修之輔たちが着くとすぐに幾つかの部屋の襖を取り払って広間がつくられ、そこで簡単な宴席が設けられた。この宴席は、外田の腹心である小林と石島、そして修之輔の部下である時谷ときや坂木さかきの顔合わせと親睦を兼ねたものだった。

 修之輔は小林と石島と二年前の江戸参勤の時から見知っていることもあり、座は最初からくだけた雰囲気で始まった。


 飲み仲間が増えて上機嫌な外田の酔いが回る前、修之輔は浅井宿の現状について尋ねた。

「ここは、どのようなことになっているのですか」

「どうもこうもない。余所者よそものがやってきて勝手に騒いでいるだけだ。迷惑極まりない」

「余所者とは隣の藩の者達ですか」

「違う。西のなまりで話す者もいれば、江戸より北の地の言葉を使う者達もいる」

 外田は修之輔と同様に先年、弘紀の江戸参勤に伴って江戸に上がった。彼の地で様々な場所から集まってきた剣豪と交流があったおかげで、訛り言葉を判じることができる。


「ならば浅井宿を右から左に通り抜ける者達だろう。なぜ彼らが騒ぐ」

 発言は馬廻り組の時谷ときやだった。


 そもそも馬廻うままわぐみは外田の属する番方の十人組より格段に立場が上である。だが、修之輔が羽代城で下働きをしていた時に外田は先輩格であり、その時の関係性を修之輔は書き換えることができないままでいる。なので必要以上に丁寧な応対になってしまっているだけで、時谷の態度こそ十人組に対する馬廻り組の本来の態度に相応しい。

 ただ相応しくないからと言ってそれを咎める者がいないのは、近頃、身分の上下に関わらない登用が羽代内部で続いていて基準が曖昧になっているためだ。


 外田も時谷の口調をまったく意に介さずに会話を続ける。

「右から左へ、というよりは西から東へ通り抜けるには訳がある」

「訳とはなんだ」

 外田は一度視線を手元に落とし、手酌で満たした酒を呷った。

「尊王攘夷の思想を広めんがため、だ」

 その外田の言葉に同調し、嘆息した小林が口を出す。


「まったく馬鹿らしい。外国相手の茶の商いも視野に入れている羽代の者なら、攘夷がまったく理にそぐわないことは分かっている」

 坂木が小林の茶碗に酒を注いで自分の意見を述べた。

「尊王だのと言われたところで、そもそも我ら武家は徳川様を通じて天子様のご恩を頂いておるのだ。尊王の精神は常に持ち合わせているのに、なにを今さらたわけたことを」

 おうおう、と外田が吠えて同意する。

「武家に課された決まり事すら知らぬのに、武士のなりだけ整えた身分のあやしい者達が騒いでおるのだ」

 そして声を潜めて修之輔たち馬廻り組に云った。


「儂はな、尊王攘夷と言いながらそれはただの大義名分で、彼らは別の目的で動いている、と睨んでいる」

「攘夷の機運を民に広めよう、というのではないのですか」

 修之輔が訊くと、外田が頷いた。

「ああ。しかもその目的、どうやら羽代内部の混乱を目論んでいるようだ」

「他の藩の者達が、ですか。けれどその中には」

 脱藩して身分不明の者もいるのだろう、と修之輔は言おうとして、昼間、外田に聞いた寅丸の近況と重なり言葉が切れた。

「本当に得体のしれない奴らだ。ただでさえ農民どもがあちこちで騒いでいるこのご時世、羽代の商人たちを攘夷の騒動に巻き込もうとする奴らは目障りなこと限りない」

 時谷と坂木が外田の先の言葉に同調し、皆は互いに酒を酌み交わしながら会話が続く。

「羽代への内政干渉だ。儂等が商いでも上手くやっているのが面白くないのだろう」


 藩主である弘紀が、必死に維持している羽代内部の均衡を外から崩そうとする存在。

 弘紀の奮闘を間近に見ている修之輔にとっても、それは確かに腹立たしい存在だった。けれどその目的は冷静に見極める必要がある。


 りん


 冬の夜風に鈴の音が響いた気がして、修之輔は音の方向を鋭く振り向いた。だが視線の先には閉じられた戸板があるばかり、外の様子を見ることはできなかった。


 と、だだだ、と、音を立てて廊下を走ってくる者がいる。座敷の入り口で立ち止まり身を伏せたのは番所から走ってきた小者だった。


「外田様、また今夜も暴漢が暴れております。どうぞお願いいたします」

「またか」

 外田は脇に置いていた刀を手に取ってすかさず立ち上がった。小林と石島も即座に刀を佩く。


「秋生、お前、この宿の現状を城へ報告するのが今回の任務だろう。一緒に来い」

「いいのですか」

「強力な助っ人だ、連れて行かぬわけにはいかない」

「では」


 小者を先に立たせて表に出ると、二月の深更の寒さが肌を刺した。広くはない浅井宿のこと、件の場所に着く前に灯りの様子と大きな怒声で場所が知れた。街道表から一本入った路地にある荒れ気味の小さい宿で、近所の者達は自分の家に潜んで様子をうかがうのか、人の気配はあっても姿はない。


 外田達とその荒れ宿に踏み込む前、修之輔は馬廻り組の配下を表に立たせて騒ぎに紛れる不審な人影がないか見張ることを命じた。


 怯える宿の主人が、外田が持つ提灯の紋を見て泣きついてきた。

「先ほどまではおとなしかったのに、客と喧嘩別れしてからあの荒れ様です。これではこの宿が壊されちまいます」

「客がいたのか。その客は今どこにいる」

「いのいちばんに逃げ出しましたわ。影も形もありゃしません」

 主人の嘆きが終わらぬうちに、二階からまた怒鳴る声が聞こえてきた。

「羽代の者どもは全く話が通じぬ! 攘夷だ、この国に異国のものを絶対入れてはならない! なぜそれが分からぬのだ!」

 叫んでいるその内容こそ、さきほどまでの話題の攘夷で、

「……だいぶ頭に血がのぼっているようだな」

 小林が冷めた口調でそう云いながら狭い階段の上を見上げた。

「酒はどのぐらい飲んだんだ」

 外田が尋ねると

「一升は持って行きました」

 宿の主人が憤慨した口調で言う。外田たちを信頼しているのだろう、先ほどまでの恐怖の表情が片鱗もない。

「多少の時間稼ぎで抜ける量の酒精ではないな」

 外田が呟いた。

「酔っ払い一人のようだ。捕縛して番所の牢で一晩過ごしてもらおう」


 それでも警戒しながら小林と石島が先に、その後に外田と修之輔が続いて階段を上った。視界の先の廊下には開け放しの座敷の灯りが漏れている。

 階段を上り切った小林と石島が振り返って外田と頷き合い、次の瞬間、勢いをつけて座敷に走り込んだ。

「羽代十人組外田隊だ、大人しくその場に」


 次の瞬間、座敷の灯りが全て消され、辺りは深夜の闇に包まれた。

 ヒュンッと空を切るのは力任せに振られた刀が空を切る音。


「外田さん、中にもう一人います!」

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る