第4話 六月の花嫁、花の伝えを知る

 自身の異端たる所以は、異能以前にどれだけ理不尽な現状であろうとも平然と受け入れ生きている事だろう。ある種、図々しく生き汚い部分がずっと前からあった。

 咲夜がつくづく自身についてそう思ったのは、夜な夜な夢で昔の出来事をいくつか見て思い出したからだ。


『よくもまぁこれだけ村人――ましてや実の家族からも迫害されて、ああも平然としていられるものだ。やはり心を読む化け物だからに違いあるまいよ』

『私ならば舌を噛み切って死ぬね。毎日村の皆に対して恥ずかしくて生きていられないよ』


 この世にはこれほどまで人を悪く言う言葉があるのか──というものを散々浴びせられて実感しながらも、咲夜は淡々と日々を生きていた。傷つくような繊細さは無くなり、感覚は鈍くなる一方だ。それも今日まで生きられた秘訣かもしれないと咲夜は思う。

 村人達はもはや咲夜が手で触れるまでも無く、強い負の感情を醸し出している。暴力は殆どなく、村人からは遠巻きに暴言を吐かれた。


(でも一番堪えたのは、悪く言われるより無視されることだったかもしれない)


 実の家族から居ないもののように扱われること。声をかけても何も返ってこない。咲夜はもう何年もまともに人と話すことはなかった。そうなっても、村人が言うように自ら命を絶つことはしなかった。出来なかったという方が正しいかもしれない。

 現実を受け入れ、図々しく生きる根幹には単純に死への恐怖も確かにあった。単純な話、痛いのも苦しいのも嫌だった。十中八九、次の神送りの生贄に自分は選ばれる。それまでは必要最低限衣食住を保証されて生きられる。

そしてそんな咲夜を後押ししたのは、他ならぬ亡き母の言葉だ。


『咲夜、貴女の名前の咲くという字はねぇ「わらう」とも読むのよ。喜びや嬉しさから顔がほころぶように笑うの。いつもは難しくても、笑っていてね。お母さんは体が弱いけれど、貴女は長く精一杯生きてね』


 短い間ながら、母親は咲夜に愛情をこれでもかというほど注いでくれた。これだけ冷たく辛い中で、あの温かな人の元に早く行けたならと願う日もなくはなかったが、母は咲夜や弟の為にも生きたがっていた。

 せめて生贄に捧げられるその日まで生きること。それが母への孝行になるならそれでいい。それをしなければきっと同じところへは行けないから。

 それが人に異端や迷惑だと思われても為さなければならない、咲夜が閉鎖的な村で生きる唯一の意味だった。



 このところ村での日々を夢で見て目を覚ます。

 咲夜が目を覚まして見る景色は、埃まみれでそこかしこから雨漏りをするような納屋ではなく、見たこともない豪奢な格子窓のついた部屋の一室にある広い寝台の上だ。そこで、ああまだ「龍宮城の夢」を見ているのだなと天井を見上げる。


「今日は読み書きの練習と、たしか世界史と禁苑についての規則について学ぶと言っていたっけ」


 出来るだけこの世界では人から炙れず目立たずにやっていきたい。まずもってこの世界の水に染まるにはどうすればいいのか。咲夜が杏朱にそう聞けば、彼女は声高にびしりと咲夜を指差した。


『ずばり!舐められないことですわ!!』

『な、舐め⋯⋯?』


 絶対に違うと思うとは恩人の一人である杏朱には到底言えなかった。だがここ数日、咲夜は禁苑で一からこの世界や龍宮での掟を学び始めてあながち間違いではないのかもしれない──と思い始めている。


(とはいえ、言葉が適当でない気はするのだけれど)


 禁苑の花達の間では、長らく主人なき館だった月華園に稀人が君臨したともっぱらの噂であった。

 そして本当に黒髪黒眼は珍しいらしく、園の外を歩けば奇異の目で美しい花々から視線を注がれる。


(視線の痛さだとか、何かひそひそ話されることには慣れてはいるのだけれど。なんというか村のそれとはまた質が違うというか)


 こんなところで境遇が生きるとはなんとも皮肉な話だが、他者からの冷たく鋭い視線や態度に対して平静を装うことは咲夜にとって造作もないことだった。変に怯えたり何か反応を示してしまうと、余計に悪化してしまう。

 さながら自分は空気ですと言わんばかりに沈黙し、かと言って辛くないわけではないのでとにかく関わりは最小限にと小さく小さく収まることで咲夜はいつも一人分の居場所を確保することが出来るのだ。


(でも⋯⋯)


「さ、咲夜様!おはようございます!!」


 ふいに上擦った声の挨拶が聞こえ、咲夜は顔をあげる。そこには肩につかない程で髪を切り揃えた幼い少女が強張った表情で立っていた。


「鳴々さん!こんな朝早くに来なくていいんですよ。もっとゆっくりで」

「いえ!いいえっ!!だって定刻に来たら咲夜様はお支度を全て済ませてしまっています⋯⋯!!芽は花のお世話をするのが務めにございます。どうかご理解くださいませ」


 人に世話をされる立場などでは自分は決してないと咲夜は思うのだが、代理の杏朱から正式に世話役としてこの鳴々を彼女は選んだ。鳴々は咲夜の手袋を繕ったお針子その人である。とても繊細な刺繍の入った見事な手袋で直接お礼を言いたいと杏朱に伝えると、では世話役に選んではどうかと鳴々にとっても得になると言われ、現在に至る。


「それと、は、花が芽に敬語を使ってはなりません。名前も呼び捨てで構いませんので」

「そうでした⋯⋯ではなくて、そうだったね。ごめんなさい鳴々さ、えーと、鳴々」

「は、はいっ!兎族の私めを世話役にご指名いただきました大恩、この鳴々に返させてくださいませ」


 もう数日ずっとこんな調子でお互いにぎこちない空気の中にいる。鳴々は幼いながらもお針子として年配の芽からも一目置かれているのだが、幼いことと兎の一族であるという出自から一部から軽んじられているらしかった。

 何を持って兎の一族が軽んじられるのだろう?咲夜には全くわからなかったが、要するに慣れ親しんだ獣の血が流れる血統は物珍しさがないということらしい。大きく強く珍しければ珍しいものほどいいというのが、この世界の基準らしかった。その方が類稀なる容姿や才能に恵まれるのだという。


(何処に行っても結局似たような区別をされてしまうものなのね)


 屋敷を出て歩いていると美しい女性達がこれでもかと咲夜をじろじろと見ていた。さすがに居心地が悪く、咲夜は視線を落としながら歩く。鳴々もまたその視線が痛いのだろう。びくびくとした様子で咲夜の後ろに続いていた。


「ご覧になって!庭園に白麗様がいらっしゃるわ!!今日は玉蘭様の所にいらしていたのね」


 ふいに誰かの明るい声色が聞こえて顔をあげる。ちょうど咲夜達が歩いている視界の先にある庭園の片隅で、美しい女性と白麗が花々を観賞している様が見えた。鳴々もまた「わぁ」と声をあげる。


「珍しいです。白麗様が禁苑にお渡りになるなんて」

「え、でも此処は彼の園でしょう?出入りは自由なのでは?」

「それはそうなんですが、白麗様はその……花を愛でるのはああして観賞するだけと申しますか」


 白麗が禁苑を渡るのは昼間。自身の務めの合間が多く、夜に渡ろうとも嗜む程度に花である女性と酒を飲んで寝殿へ帰るらしい。鳴々が頬を染めながら説明する様を見て、咲夜は「ええと」と零しながら自身の持ち得る大奥の知識で置き換える。殿様は大奥で美しく賢い妻を選ぶ。そしてその妻との子を成して、その子が次の殿様になるのだ。つまり白麗は此処で妻を選んでいない。花を摘まないと誰かが言っていたのはそういうことかと咲夜は納得する。


「……なるほど。それはちょっと、というかかなり特殊な事なのね。これだけ綺麗な人がいたら、私が殿様だったら毎日浮かれて渡ってしまうかも」

「花々の皆様はお美しゅうございますからね。白麗様はどの花達にも平等にお渡りになられるのですよ。花達にだけでなく、芽の私共にも大変良くしてくださって。だから皆さんご自身を磨かれる事に毎日必死です。その視線を自分の物だけに出来たらと思うのは、禁苑にいる花々の誰もが思う事です」


 意気揚々と語る鳴々に、咲夜はそういうものなのかと感嘆の息を零す。


「皆さん白麗様に恋しているのね。私はそういう経験がないから、いまいちわからないのだけれど」

「こ、恋というと芽の私めは恐れ多いですが……!!でも、そうですね。憧れはあるかもしれません。それに白麗様はどの種族にも分け隔てのないお方。代々龍族は厳格な事で知られていますが、当代の白麗様はその中でもとびきりお優しいんですよ。私のような異種族──とりわけ小さき者に立場をお与えくださるよう芽として迎え入れてくださるのも、白麗様が初めてでございます」


 確かに捕らえられた日の事を思い出すと、周りの翁達は随分厳格そうだった。血統というものに拘っていると言われれば納得してしまうなと咲夜は振り返る。白麗が甘いというわけではないが、厳格の種類が違うように思えた。一族善意案を黙らせ今の状態で治めているということは、やはり白麗も相当総領として腕が立つという事だ。  

 その辺りは、部外者があれこれ詮索する事ではないだろう。咲夜は嬉しそうに語る鳴々を微笑みながら見守った。


「あ、あのっ!ずっと言おうと思っていたのですが、咲夜様もお化粧をする時に見える所に花鈿の化粧を施されては如何でしょう!?」

「かでん?」

「ほら、例えばあちらにいらっしゃる玉蘭様は唇の横に朱色で小さく模様を施しておいででしょう?ああしたものです。額や首筋などに施す方もいらっしゃいますね」

「ああ!あれは、花鈿て言うのね。何かこう儀式的な意味合いのある模様なのだと思って見ていたけれど」


 咲夜がそう言えば、鳴々は更に力強く頷く。


「そうです。でもあれは言ってしまえば偽の、いえ、願掛けなのです。本当の花鈿というのは各一族の長より一層愛でられた強い想いを宿した花に、化粧で施されたものではなく紋様のような花飾りが体の一部に現れるのですって!その花飾りがより一層花嫁や長に加護を授けてくれるのだそうですよ」


 皆それを授かりたくておまじないとして化粧で施しているのだという。しかし花鈿を宿す花は大変珍しく、もはやおとぎ話か何かの類ではとされているらしい。しかし其処は浪漫だと鳴々は力強く拳を握る。


「ですから咲夜様も今後お顔や見える所に施しましょう!何せ稀人なのですから、龍一族からの期待も大かと!!」

「わ、私は今してもらっている化粧だけでも十分だよ!!ありがとう」


 ただでさえ稀人としてこの禁苑に入り目立っているのに、この上そのおまじないを施しでもしたらいよいよ他の花達から刺されるのではないか。

 咲夜はそんな思いから、鳴々の熱の籠った提案を断った。それから白麗のいる庭園を見る。


(綺麗。絵になるお二人ね。もっともこの禁苑には絵になる見目のお方ばかりだけれど)


 庭園の花々の美しさもさることながら、白麗と玉蘭という女性が並ぶ様は絵のように美しく完成されていた。周りからの視線は痛いが、人の噂も七十五日。目立たずやっていけたのなら、村であったような目には遭わないだろう。

 此処では寝床も食べるものもある。恋のさや当てのようなものはあるらしいが、それに関して咲夜は全くの門外漢だ。平和だ――と思ってしまう。何より白麗がこの世界について学ぶ機会までくれたのだ。咲夜にしてみれば、これ以上にない夢のような環境をわざわざ壊すような事はしたくなかった。


 この後、花の騒乱に巻き込まれるなど今の咲夜は夢にも思っていないのだ。

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