第10話 山狩り


「山狩りにて捜索を開始する」

 全ての兵を山の中へと投入する。軍曹が下した決断はそれだった。


 炭焼き小屋から裏山へ人の通った跡が発見された。

 そこでまだ囚人が山中に潜んでいる可能性が高いと踏んだのだ。

 捜索隊全員には緊急用の発煙筒を渡され、囚人を見付け次第その狼煙を上げることを命じられた。


 頼仁らが任されたのは山の東から山頂を上がる経路であった。

 比較的緩やかな斜面を割り当てられたらしい。

 今は人手が一人でもほしいということで、和孝と識も捜索に加わることを許可された。


 昼間でも鬱蒼とした山。

 山道はないため、一度迷うと捜索隊も戻れなくなる可能性もある。

 木に白墨で目印を付けつつ、声を出せば互いに聞こえる程度の間隔を保って、捜索隊は進み始めた。


 道なき道を歩くのは予想以上に体力を消耗した。

 昨日の野営で疲労も完全に回復はしておらず、いつ囚人が現れるかわからない緊張で気が張っている。

 さらに死体を見るなどの精神的な疲労も相まって、体力も気力も削がれていく。


 頼仁は足を止め、筒に入った水を一口飲んだ。

 そして木々の間から太陽の位置を確認した。

 雲の切れ間から見るに、まだ正午にもなっていない。

 考えてみれば昨日の囚人の脱走からまだ丸一日も経っていないのである。

 色々な事が有り過ぎて、とてもそのようには感じられないが。


 耳を澄ませば、ほんのわずかに先で歩いている喜直の気配がして何となく安堵した。

 立ち止まったついでに、頼仁は手渡された拳銃を確認した。

 拳銃の型はそれほど新しい物ではないだろう。

 だが、いざという時の護身用にと渡された。無理に仕留める必要はない。

 あくまでお前達は護身用だ、と軍曹からは念を押された。


 それを片手に、頼仁はもう片方の拳を握りしめた。

 あの子どもの叫びがまだ耳の奥にこびりついている。

 それは頼仁の心の奥の奥にまで侵食した。

 何か声をかけられなかったのか、と今にして思う。

 だが、あの錯乱状態の子どもに何を言っても受け入れられるわけがない。

 頼仁自身が御所に戻って来た頃、誰の言葉も受け入れられなかったように。


『宮様、どうぞお食事を召し上がられて下さい』

『この者の言う通りです。宮様がお元気であられなければ、私達も心配で心が塞いでしまいます』


 あの時、女官らの心遣いが自分を責めているように感じていたのだ。

 あの子どもは今後、どうなるのだろうか。頼仁には皆目見当がつかなかった。

 心を壊したまま生きるのか。それともどこかに引き取られるのか。

 どちらにしても、頼仁が関わることはないだろう。

 ならば、これ以上考えても詮のない事だ。


 そう結論付けた頼仁は、白墨で近くの木に線を印すと先に進もうと歩き始めた。

 だが、数歩も行かないうちに嫌な予感がして、頼仁は立ち止まった。


 この感覚は。倉の地下、あの闇の中で感じたものと同じだ。

 顔を上げた瞬間、鬱蒼と茂った木の葉の間から爛とした赤いものが見えた。

 それは頼仁と目が合ったかと思うと。

 大きく枝をしならせ、重力に任せて頼仁の方へ飛び込んで来た。



 突如としてすぐ近くから聞こえた銃声と咆哮に朽月は顔を上げた。

 何が起きたのか考える間もなかった。

 思わず強張った四肢を叱咤して、行く手を塞ぐように生える草木を掻き分ける。

「無事ですか!」

 朽月はそう叫んで、繁みから飛び出した。


 そこは山中でも少しだけ開けた場所となっていた。

 その中心に囚人が地面に倒れて呻いていた。

 囚人の周りの地面は赤く染まっている。

 そのわずかに離れた所に拳銃を手にした頼仁が佇んでいた。


 頼仁は一度大きく息をつくと拳銃を構えていた両腕を降ろして、朽月の方を見た。

「大丈夫だ、この程度なら」

 頼仁が囚人の足に目がけて狙撃をした。

 見事にそれは命中し、囚人は行動が不能となったのだ。

 しかし、朽月は逼迫した声で叫んだ。


「すぐに離れて逃げなさい!」

 何故そんな声をあげるのか理解していない頼仁に、朽月は昨夜のうちに、もっとしっかり忠告すべきだったと後悔する。

「その非時香果の効果は、圧倒的な治癒能力だと言ったでしょう……!」

 その言葉を頼仁は最後まで聞くことは出来なかった。


 ずるっと血で濡れた地面を滑る音と共に、倒れていた囚人がのっそりと起き上がる。

 頼仁は瞠目した。先程、囚人の足の関節を狙って発砲し、確かに骨の砕ける音を聞いた。関節を粉々に砕いた、つもりだった。だが。


「有り得ない……」


 囚人は両足でしっかりと立っていた。

 銃弾による傷は、まるでなかったかのように。


 いくら何でも、治癒が早すぎる。

 頼仁は思わず足を数歩引いた。本能的な恐怖が、頼仁の体を支配する。

 囚人は手にしていた斧―─おそらくは炭焼き小屋から奪ったと思われる凶器を振りかざした。

 頼仁が息をのみ、朽月が何か叫んで思わず手を伸ばしたかけた時。


「頼仁、伏せろ――――っ!」


「っ!」

 反射的に頼仁が伏せた瞬間、先程のものとは比べ物にならないぐらい凄まじい銃声が鳴り響いた。

 頭蓋骨を右から左へと射抜かれ、囚人が倒れ伏す。

 頼仁が視線をやると、繁みから和孝が鉄砲を構えて、今にも倒れそうな顔でこちらへ銃口を向けていた。

 銃口からは硝煙が立ち昇っていて、そこから弾丸が発射したのだということがわかった。


「……や、やったか……?」

 真っ青になりながらも和孝は尋ねる。

「今の内にこっち来い!」

 和孝の背後にいた喜直が全力で手招きをした。

「助かった」

 朽月と共に囚人から離れた頼仁は、そう和孝に告げた。


「良かった、念のため、軍曹から銃の扱いを教わっていたんだ」

 彼は五人の中で唯一、実戦用の銃を渡されていた。功を奏し、何とか成果をあげることが出来た。だが、彼の面持ちは敵を倒した晴れやかなものではなかった。

 狼煙を上げようと発煙筒を手に動いた識を、和孝は止めた。


「もう少し待ってくれ、識」

「何?」

 識が胡乱気に眉をひそめる。

 震える指で銃弾を詰め直している和孝に頼仁は尋ねた。

「何をしているんだ」


「俺があの扉を開けて、あの男を野に解き放った。……あの子の家族を死なせてしまった。だから、俺が責任をとらなきゃいけねえんだ」

「責任とるって……殺すってことか」

 和孝は無言で頷くと、銃口を再び囚人の方を向けた。

「あいつはあれぐらいで死なない。完全に殺しきるまで、俺は……」

 引き金にかけようとした指を、頼仁は咄嗟に止めた。


「ちょっと待て」

「邪魔をするな頼仁。人を殺す覚悟ぐらい、俺はとっくに出来ている。お前と違ってな。だから止めるな」

 頼仁は一瞬詰まったが、すぐに気を取り直した。


「確かに俺は来たくて軍に来たわけではない。人を殺す覚悟があるかって聞かれたら、答えられない。

 ……でも、それとこれとは別問題だ。今、そこまでする必要はないだろ。俺達のやることはあいつの捜索。勝手に殺して、本当にいいのか」


 喜直も続けた。

「自分に負い目がある気持ち、俺もわかる。けど、そんな気持ちで何をやっても、虚しいだけだぜ。感情に突っ走ったって、誰も救われねえよ。

 ……俺も、何年もそうだったし。和孝の責任とるって、自分が許されたいだけだろ」

 和孝の瞳が大きく揺れた。

 かつて家族を守れなかった喜直の言葉は想像以上に重いものだった。


 朽月が静かな声で諭す。

「自分の過ちから逃げることなく、向き合う姿は偉いと思います。でも、今は人を呼びましょう。どうするかは、私達が決めることではありません」

 和孝はゆるゆるとその手に込めていた力を抜いた。


 一同が安堵していると、今度こそ狼煙を上げようと発煙筒を手にしていた識が、いやに強張った声音で尋ねた。

「おい、誰か加賀地教官以外から発煙筒を受け取った奴はいないか」

「何で?」

 喜直の問いに、識は発煙筒を見せた。

「信管が抜かれている」



 発煙筒の信管は見事に五人全員抜かれていた。

 これでは居場所を知らせることは出来ない。つまり、助けを求めることが出来ないのである。


「……最初から、嵌められていたというわけだ」

 識は舌打ちをした。

「何が? どういうことだよ」

 本気でわかっていない喜直と、困惑している朽月に頼仁は説明する。

「全部、仕組まれていたんだよ。俺達が通りかかった直後に倉の中で爆発が起こって、あの囚人が逃げ出すこれまでの出来事を」


 考えてみればおかしかったのだ。何故、あの丁度良い時に爆発が起こったのか。

 中に誰もいなかったが、導火線を操作すれば時間の調節などいくらでも効く。

 設定されていた時間は正午。周辺に人払いをしていれば、飛び込むのは自分達しかいないに決まっている。


 始めからこれは仕組まれていたのだ。

 都と鳥辺野を分断する川沿いには軍人がいる。

 けして都には近付かないよう警戒されており、そしてそれ故に鳥辺野の住民は始めから犠牲になることもわかっていたのだ。


「でも、あれを開けたのは和孝だろ? そんなの……」

 言いさして、喜直が愕然として和孝を見る。

 和孝は銃をかまえたまま、痛ましい瞳で一言、詫びた。すまん、と。

「俺はあらかじめ、あの扉を開けるように言われていた。理由はわからねえけど……」

 喜直はぐっと拳を握りしめる。


「ふ、ふざけるな! 和孝を利用しやがって!」

「そうだ、利用……え?」

 本気で憤る喜直に和孝は瞬いた。

 喜直はこれっぽっちも和孝が悪いとは考えていないのだ。

 その人の良さに頼仁は心底呆れた。そして。


「そうだな。しかも利用の仕方が中途半端なんだよ。まともな理由も教えず、使い捨てるなんて」

 喜直の意見に賛同した。

 和孝に罪がないわけではない。だが、弾劾をすることがこの場で正しいとは思えなかったのだ。

 彼が自身の責め苦に苛まれていることを頼仁は知ってしまったからだった。


 ふと見ると、識がじとっとした目でこちらを見ている。昨夜の一部始終を聞いていたのならばその反応も当然であろう。だが、彼も今は何も言わなかった。

「で、一体誰の指示なんだ。何で和孝がそうしなきゃならなかったんだ?」

「それは……」

 和孝が口を開きかけた時。


 囚人がぴくりと指を動かした。

 凍りつく五人の視線の先で囚人はのそりと起き上がる。

「おおお、回復早え!」

 喜直が驚嘆の声を上げる。

「くっ」

 もう一発、和孝は発砲しようと構えた。

 だが、狙いを定めた瞬間ふっと囚人の姿が消えた。

 引き金を引いた瞬間、囚人が高々と跳躍したのだ。

 そして。

 五人の真上に斧を振りかざした体躯が落ちてきた。


「!」

 寸でのところで飛び退ったが、銃をかまえていた和孝がほんのわずかに遅れる。

 振りかざした斧が、容赦なく和孝の無防備な背に向かった。

「和孝ああああ!」

 喜直の、絶望にも似た悲鳴が響き渡った。

 反射的に前に飛んだ和孝。だがその背は切り裂かれ、ざばっと赤い血が滴り落ちた。

「……くっそ」

 掠っただけだが、出血が激しい。

 背中は灼熱が駆け抜け燃えるように熱いのに、和孝は急激に体温が下がっていくのを自覚した。それでも銃弾の交換をしようと両手を動かす。


「貸せ、俺がやる」

 識が素早く銃器を取り上げた。

 頼仁は先程と同じ要領で、銃弾を足に向けて立て続けに撃ったが、すぐに弾切れを起こした。

 朽月と喜直も拳銃で応戦したが、ろくに扱ったことがないため、撃っても反動で銃口がぶれて狙いが定まらない。


 背後で何とか和孝の教えのもと銃弾を込めた識が、銃口を構えた。

 そしてためらいなくそれを放つ。

 確かに頭を狙ったはずだった。だが、囚人は咄嗟に手を伸ばして銃弾を構える。

 左の手を貫通した弾は威力が落ち、頭蓋骨にめり込んだものの出血をしただけだった。

「化け物め……!」


 だがその一瞬の隙を喜直は見逃さなかった。使いこなせない拳銃を放り出し、腰に携えていた竹刀を手に持って駆け出した。

 そして一気に間合いに飛び込み、竹刀を振り上げた。

「面っ!」

 喜直の一撃は囚人の頬に炸裂した。よろめいた囚人の右腕を、喜直は振り回せないよう全力で押さえ付ける。


 喜直の狙いを瞬時に悟った朽月は走り寄ると、渾身の力を振り絞って囚人の右腕を蹴り上げた。

 骨の砕ける音がして、斧が腕から滑り落ちる。

「よっしゃ!」

 喜直が叫んだ。


 頼仁は地面に転がった斧を掴むと、繁みの中へと放り投げた。これで体を切り裂かれるという事態は避けられる。そう思った。

 しかし、囚人は激痛で気が狂ったように暴れた。

 頼仁の背後で幹のきしむ音と葉擦れの音が盛大に響く。

 振り返った頼仁が見たのは木の下敷きになった朽月と喜直の姿だった。


「朽月! 喜直!」

 頼仁が叫んだ。微かに葉や枝の間から朽月の華奢な腕が見えて、必死にあがいているのがわかった。

 だが、完全に木に押し潰されているのか、それとも挟まってしまっているのか、二人は抜け出せる状態ではなかった。


 一方の囚人は右腕をぶらんと垂らしている。

 痛みは人並に感じているのか、脂汗を浮かべている。

 だが、少しずつ痛みが引いているのか、その息遣いは徐々に落ち着いてきている。

「どうすりゃいいんだよ、あんな化け物……!」


 囚人は木をへし折って、朽月と喜直の二人に一撃を浴びせた。

 竹刀よりも遥かに広く、長い距離を取るのに加え、圧倒的な速さの攻撃に二人は避けきれなかったのだ。

 もはや常識が通じない。並外れた筋力と回復力。

 嫌な汗が全身から吹き出る。全身が震えそうになるのを、頼仁は必死で抑えた。


「頼仁、貴様はこの場から立ち去れ」

 不意に告げられた識の一言に頼仁は目を剥いた。

「はあ⁉」

「この現場で何が起きたのか。報告をする必要がある。その時に、仕組まれた可能性があるってことを弾劾しないといかんだろ。俺達が死んだら、一体誰がそれをやる!」

「だったら、お前が……」

 頼仁の躊躇いを識は一蹴した。

「貴様が一番クソガキだからだ」

「っ……」


「いい加減自覚しろ。昨日も止めただろ。引っ込んでいろ、と。どこの世の中に自分よりガキを戦場に放り出して立ち去る奴がいる」

 識は冷たい瞳でそうねめつけた。

「貴様は来たくて来たわけではないのだろう。なら、ここで命を捨てるな」

 頼仁の中で激情が迸った。

「馬鹿野郎! 俺だって、お前らを置いて逃げられるわけないだろ! クソガキにだってそれなりの意地があるんだよ!」


 識は一瞬、ほんのわずかにだけ苛立ちを滲ませた表情をした。

 だが、本当に一瞬だけだった。彼はすぐにいつもの能面に戻る。そして。

「そうか。ならば」

 その瞬間、鈍い衝撃が頼仁の首筋を駆け抜けた。

「っ!」

 崩れ落ちる頼仁を、識に識は言い捨てる。

「貴様はそこで眠っていろ」

 そして識は銃器を担ぐと、囚人の意識が自分にだけ集中するように、勝ち目のない戦いに向かって走り出した。

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