第8話 仲間割れ
翌朝。正確にはまだ黎明を迎える前の闇が深い最中。
頼仁は突然眠りから目覚めた。どくどくと心臓が鳴り、殺気というべきか。
とにかく周囲で嫌な感覚を本能で感じたのだ。
何があったのか、と考える間もなく頼仁は視界の端で何か巨体が飛んでくるのを捉え、咄嗟に横に飛んだ。
横に転がると同時に、今まで眠っていた場所に和孝の体が勢い余って土煙を上げながら転がって来た。
「何だ!」
その衝撃に隣で爆睡をしていた喜直も、跳ね起きる。
見ると、和孝が飛んで来た方向に識が佇んでいた。識は突き出した拳を降ろす。
和孝はのろのろと起き上がると、口からぷっと血を吐き出した。唇が切れて、殴られた頬が痛々しい。
「待て! お前一体何をしているんだ」
和孝を庇うように頼仁は立ちはだかる。
識は頼仁の睨みに臆することなく淡々と答えた。
「この男が何らかの事情を知っているから、それを吐かせるまでよ」
頼仁は瞠目する。まさか昨日の頼仁と和孝の会話を聞いていたのか。
「頼仁、そこをどけ!」
識は地を蹴ると、一気に間合いを詰めて頼仁に回し蹴りを食らわせた。
頼仁は咄嗟に受け身をとったが、そのまま弾き飛ばされて誰かにぶつかった。
「っ!」
そのぶつかった者は頼仁を受け止めようとしたが受け止めきれず、衝撃で一緒に地面を転がった。
「……識の野郎……」
頼仁が悪態をついて呻くと、遠慮がちに声がかけられた。
「あの、大丈夫ですか」
「平気だ。ただ……って、朽月⁉」
頼仁は自分が朽月に受け止められた状態で、転がっていったことに気付き、慌てて身を起こした。
いくら自分よりも背丈があるとはいえ、彼女は女性である。
もろに吹っ飛んだ頼仁にぶつかられて、衝撃も相当あったに違いない。
だが、彼女ならば避けようと思えば避けられたはずだ。
「お前、何でここにいる。何で避けなかったんだ!」
「緊張で眠れなくて、誰か起きてないかと思って早めに戻ってきました。そしたら揉めているのが見えたので。男の子一人なら受け止められると思って、咄嗟に……」
「俺はそんなにか弱くない! 昨日も言っただろ、巻き込んで怪我される方が御免だって」
思わず捲し立ててしまった頼仁は、言い過ぎたことに気付いて口を噤んだ。
これでは昨日の二の舞である。
「頼仁、今はそんなこと言い合ってる場合じゃねえだろ。どうするよ、あいつら」
喜直が寄ってきて、そう尋ねた。
頼仁は目を逸らして識と和孝を見た。
もはや識は和孝の胸倉を掴み、和孝は拳を押さえ付け、取っ組み合いなっている。
「止めるしかないだろ」
「止めるって……頼仁、今吹っ飛ばされたじゃねえか」
「……うるさい。喜直、お前竹刀持ってただろ。あれで何とか……」
「全く、あなた達は問題しか起こしませんね」
あらぬ方向から声がして、振り向くと加賀地が枯草を踏みしめてこちらへ歩いていた。
いつの間にこの野営地に訪れていたのだろうか、と思ったら、少し離れた所で馬が括り付けられているのが見えた。
騒ぎで気付かなかったが、たった今こちらに赴いたようだった。
「血気盛んは結構ですが、時と場所をわきまえてもらいたいものですねえ。こちらは一睡もせずに現場検証を行っているというのに」
「そのわりには、化粧ばっちりしてませんか?」
喜直の一言に、ぎろりと加賀地は睨んだ。
「化粧してないと化け物みたいな顔なんだろ」
頼仁は思ったことをそのまま口に出した。
すると加賀地はひく、と顔を引きつらせたかと思うと、頼仁の襟巻を握ってきゅっと首を絞めた。
「きゃっ……」
傍観していた朽月は思わず声をあげて、窒息しかけて倒れた頼仁を支える。
「次言ったら治した肘の関節を外しますからね。良かったですねえ、私が寝不足で半分の力も出されなくて」
そして喜直の方に向き直った。
「せっかくこれを返して差し上げようと思っていたのですが、そうですか。いりませんか」
そう言って加賀地が取り出したのは、懐中時計だった。
「あああ! それ……!」
喜直が目を丸くする。探しても見付からなかった例の時計である。
「あの現場から見付けたのですがねえ。いらないのならば即刻処分しま……」
「いります加賀地教官! 阿呆なこと言ってすみませんでしたっ! 加賀地教官は化粧をしていてもしていなくても、めっちゃ美人さんだと思います!」
さっと土下座して捲し立てる。
加賀地はふっと笑うと懐中時計を放った。
「よろしい。下の者が上の者にふざけた口はきくものではありませんよ」
そうして視線を和孝と識の方へと戻した。
二人は加賀地の登場に気付くことなく、取っ組み合いを続けている。
「さてと」
加賀地は袂から黒い丸状の何かを取り出した。導火線が付いている。
「何をなさるおつもりですか」
嫌な予感しかしない朽月は恐る恐る尋ねる。
「こういう時は、相手の意表を突くのが一番ですから」
加賀地はぞっとするほど不気味に微笑む。
そして。
濃い闇から薄い藍色へと変わった空のもと、盛大な爆発音が響き渡った。
「貴様、どういうつもりだ」
川崎軍曹が苛々とした口調で、加賀地に詰め寄った。
立場上、彼女の方が官位としては下であるのだが、年齢や軍歴は彼女の方が上であるため言葉遣いも自然とぞんざいものとなる。
公式の場となれば必要に応じたものへと変えるが、今現場を指揮するのは自分であるので、口出しされるいわれは無かった。
しかし加賀地の態度は飄々としたものだった。
「少々、仕置きをしただけです。それも教官の務めですから」
「こちらまで巻き込むな!」
川崎軍曹は目を釣り上げた。
本日未明に起こった爆発騒ぎ。
その正体が候補生の私闘を静めるため、加賀地が手榴弾を爆発させて引き起こしたのだと知った時は、さすがの彼女も二の句が告げなかった。
「おかげで囚人が襲撃してきたのではないか、と混乱が起きた。
そもそもここは私の隊だ。私の管轄下に彼らがいる間は貴様が出しゃばるな」
「ですが、もとはといえば、彼らが囚人を解き放ったことが原因。
落ち度は彼らにありますので、畢竟、私が出しゃばることになるのですよねえ。
どうです? ここは全てを私に任せては……」
「はっ。断る。貴様に任せろだと? 馬鹿も休み休み言え。死人が増えるだけだ!
そうでなくとも、ろくな訓練を受けていない五人を同行させるだけでも私は反対だった」
「そのわりには、あれほど渋られていた捜索もさせているではありませんか」
「それは放っておくと、勝手にやらかしそうだからやらせている。ただ、それだけだ」
「なるほど……そうでしたか」
加賀地は口の端でにやりと笑った。
「だから銃の扱いも教えた、と?」
軍曹は視線を滑らせて、加賀地の後ろに佇む和孝へと送った。
彼は泰然とかまえつつもその表情に不安の色を隠せていない。
その隣には何故か和孝と一緒に呼ばれた喜直が懐疑的な瞳をしていた。
軍曹はふっと息をつくと、だからどうしたと言わんばかりに加賀地を睨み返した。
加賀地は柔和に目を細めると、外套の裏を探った。
「まあ良いでしょう。さて、現場検証の結果ですが。こちらが今のところまとめている報告書です」
軍曹は手渡された紙の束を受け取り、ざっと目を通した。
報告書といってもまだ下書きの段階であるためか、乱雑だ。
さらに文字が所々、墨で塗りつぶされている。
おそらくは機密に当たる箇所であろう。
「ふん……黒塗りが多いな。まあ予測はつくが」
「さすがは軍曹。物わかりが良くて、助かります。ただ困ったさん達はどこにでもいるのですよねえ」
加賀地はそう言って視線を巡らせた。
「!」
顔が強張った和孝には目もくれず、喜直の方に微笑みかけた。
「さてと。正直者のあなたに聞きましょうか。西園寺、あなた方はどこまで情報を持ち出したのですか」
和孝は何も言うな、と目で訴えたが残念ながら喜直には通じなかった。
「情報?」
喜直がきょとんとした顔で首を捻ると、加賀地は笑顔でその長い指を喉元につっと置いた。
「そう。さっき秋津の襟巻に触れた時にどうも情報の持ち出しの疑いがあると思いましてね。……別に責めているわけではないのですよ?」
その時、一人の軍人が駆けて来て、川崎軍曹と加賀地の前で立ち止まるとさっと敬礼をした。
「申し上げます! 新たなる発見がありました!」
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