第5話 捜索

 砂利が敷き詰められているだけの狭く、簡素な庭の一角で頼仁は呟いた。

「あの男、苦手だ」

 顔の汚れだけは拭ったものの、あの倉の一件で全身は埃にまみれ薄汚い格好のままだ。

 呟く頼仁の隣で和孝は苦笑した。

「まー、確かにくせのある奴だよな。ほら、よっしーも元気だせ」


 時計が見付からず、いじけていた喜直も気合いを入れ直すように自分自身の頬を張って掛け声を上げた。

「よっしゃ!」

 すると識は苦々し気に言った。

「やめろ。貴様の掛け声で場の空気が白々しくなる」

「俺の掛け声のどこが白けるって?」

「周りを見ろ。周りを」

 明らかにまだ何の訓練も受けていない五人に、他の軍人は訝しげな様子を隠そうともしない。その冷めた視線に、喜直もうっと詰まった。

「どうしたものでしょうね……」

 朽月は頬に手を当てて、困ったように呟いた。


 五人は一通りの事情聴取が終わると、早速逃げた囚人の捜索に駆り出された。

 あの囚人は基地の塀を越えて、鳥辺野の地へと脱走したのだという。

 川沿いに軍人を配置しているため、都への侵入は今のところ報告されていないが、もし侵入したら、大惨事となる可能性もある。

 何でも逃げたあの男、ここへ来るまでに既に数えきれないほどの殺戮を犯した快楽殺人者であるという。


 爆発が起きた原因は現在調査中で、加賀地がそちらの指揮をとるということだった。

 東西南北それぞれ四つの捜索隊に分けられ、候補生ら五人は最も広域で人手の必要な東を捜索する隊に配置された。


 現在、この隊は鳥辺野の東にかまえる寺を陣地に、捜索が行われている。

 全隊を取りまとめる指揮官がここに駐在しているため、情報は自然とこちらへ集まってくる。そのため、他の隊の者が情報伝達にひっきりなしに出入りしていた。


 せわしない中、五人に指示を送る者は誰もおらず、それどころか余計なことはするな、という無言の圧力をかけられていた。

 が、教官からは責任をとってこい、と言われた手前、何もしないわけにはいかない。

 状況は板挟みで、大変動きにくいことこの上なかった。


「見たところ、他の奴らはこの辺りを歩いている連中に話を聞いたり、転がっている死体に異変がないか調べたりしている」

 寺にある木の上から捜索の様子を見ていた頼仁は、地面に降りると待っていた四人にそう報告した。

 寺の住職に見付かったら間違いなく怒られそうだが、この慌ただしい中では寺の関係者はここまで出てこないだろう。


「うーん、そうか。ここまで俺達放っておかれているってことは、勝手に捜索に加わっていいんじゃねえのか?」

 喜直の口にしたことは頼仁も同様に考えていたことだが、率先して行おうという雰囲気ではなかった。

 先程も良かれと思った行動が、今の状況を引き起こしているのだ。

「……やっぱ止めとく?」

「そうですね……。勝手に動かない方が無難だと思います。そもそもあの倉、どう考えてもただの牢屋ではありませんでしたよね」

 朽月の一言に皆は口を噤んだ。


「……拷問部屋か、もしくは実験場、のようだったな」

 識はそれまであまり皆が口にしないようにしていたことを言い切った。

 木端微塵になったあの部屋の惨状。薄々感じてはいたが、他の者も同じ印象を受けていたらしい。


「聞いてくれ。俺、あの男ならどこへ行くのか。そいつになりきって考えてみたんだが……」

 重々しく和孝が口を開く。

 頼仁は成る程、と瞬いた。何も現場に出るだけが捜索ではない。

 頭脳を駆使して相手の行動を読むことも捜索手段の一つである。

「で、どうだった?」

 期待を込めて尋ねると。和孝は腕を組んだまま、うむと頷いた。


「まあ、極論から言うと……わからねえ」

 がく、と力が抜けた。

 表情の差はあれど、喜直や識も似たような反応をした。

「何だ、それ」

「だってしょうがねえだろ。あいつのこと、何もわからねえんだし。普通は為人を考えていろんな可能性は探るんだが。いいじゃねえか。わからねえってことがわかったんだし」

「だったら一々言うなよ。ややこしい」


 喜直は頭の後ろで腕を組んでぼやく。

「せめて記録とかあったらなー。手がかりになるものが。あー、時計探しているときに色々こっそり見れば良かった」

「…………」

 突然識は背を向けると、どこかへ歩いて行った。その動きを目で追っていると、識は一人の軍人のもとへと向かった。指揮官の下に付いている人の良さそうな男である。

 識は彼に何か話しかけると、矢立を借り受けて戻ってきた。

 矢立とは筆と墨壺が組み合わされた携帯用の筆記具だ。


「おい、それを貸せ」

 識は戻ってくるなり、頼仁が首元に巻いていた襟巻を指した。

「これか?」

 怪訝な表情を浮かべた頼仁が襟巻を渡すと、識はそれを地面に広げた。

 そして矢立から筆を取り出して墨をつけると、一気にその真白い布の上に文字を連ね始めたのだ。

「なっ⁉」


 自分の襟巻を巻紙替わりにされたことに頼仁はぎょっとしたが、次第にその布に書かれた文字に目を奪われていった。

「え、これ……」

 周囲の反応に気にすることなく、識はその腕を動かし続けた。まるで踊るように布の上を滑る筆の穂先。

 瞬きを一切せず、書き上げた量はゆうに頼仁の背丈を越えていた。


「手掛かりになるかどうかはわからんが、あの部屋にあった資料の一部だ」

 圧倒的な量を瞬時に記憶し、記録する。その能力に四人は感嘆を通り越し唖然とした。

「すげー……」

「もしかして、さっき俺の時計を探している最中に見たのを全部覚えたのか?」

 識は頷いた。

「ああ。だが、瞬発的に覚えた記憶は、保つのはせいぜい一刻だ」

 得意がることもなく、しれっと当たり前に言ってのける。

 頼仁も驚いたがそれを素直に口に出すのは憚られたので、視線を記録の方に落とした。


 識が記憶したのは地面に散らばっていた記録用紙で、その順番は無秩序なものだった。

 だが、その記録を読むうちに、彼らの視線は険しくなっていった。

 始めは全くの意味不明な内容だったが、空白の箇所を繋げることによって一つの可能性が浮かび上がって来た。

「この男、何やら実験台にされていたようですね」

 断片的だが、細かい体の部位や医学用語などが並んでいる。更に加えて化学記号なども所々に見られた。


「この何度も出ている名称は何だろな……『非時香果』って」


 喜直はこことそことあそこ、と書かれた箇所を指さした。

「固有名詞、だろうな。見たところ。でも読み方がわからない」

 朽月の眉が険を帯びた。

「この文字……どこかで……」


「おおい、もういいか」

 それぞれの思考に浸っていた五人ははっと顔を上げた。

 先程の軍人がやって来るのが見え、識は矢立を片付けると立ち上がった。

「ええ。感謝いたします」

 丁寧に矢立を返すと、軍人は人の良い笑みを浮かべた。

「君たちも大変だな。来たばかりでこんなことに駆り出されて。ま、せいぜい俺達に付いて来られるように頑張れよ」

 その励ましの言葉に、識は一瞬だけ何か言いたげな表情をした。だが、その口から出て来たのは差し障りのない返答だった。

「……わかりました」

 殊勝に頷く識に、軍人は続ける。

「それとだな、上官が君達を呼んでいる」


 軍服を颯爽と着こなした川崎軍曹は並んだ五人の候補生を一瞥した。

 軍内では数少ない女性で、見た目は若いとは言い難い。加賀地よりも上で四十路程だろうか。

 だが、その目尻に刻まれたしわは幾度の死闘をかいくぐって来たと連想させる。

 たくましさで感じるのならば、加賀地よりもよほど軍人らしい雰囲気をしていた。

 彼女こそが砲術の訓練場で指揮を行っていた人物である。

 実を言うと基地を出る際に一度だけ頼仁と喜直を無言で睨んできた。特に何も言わなかったが無断で射撃場に入ったことを気付いているのは一目瞭然だった。


「なるほど。本当にまだ子ども、か……」

 彼女は口の中でそう呟いたが、面を上げると、一切隙のない表情で五人をぐるりと眺めた。

「加賀地から話は聞いている。お前達に捜索の許可を与えよう」

 候補生らが面食らった表情を浮かべたからだろうか。軍曹はふっと笑うと、腕を組んだ。

「時にお前達、彼らの捜索の仕方をどのように見ている?」

「どのように……?」

「正直に言ってかまわん」

 戸惑う皆をよそに、彼女と目が合った頼仁は少し考えると滔々と意見を述べた。


「目撃者を探すにあたって、聞き方が威圧的過ぎる。軍服を着た人間が突然現れて話を聞かせろだなんて、あれじゃあ、聞かれた方も何も言えない。もう少し、威圧感のない格好をした方がいいんじゃないか」

 鳥辺野は一見荒れ果てた死体捨て場のように見えるが、そんな中にも人は住んでいる。

 余所者が情報を得ることは予想以上に難しいものだ。

 誰もが突然現れた軍の人間に怖れている様子が、木の上から眺めていた素人である頼仁でもよくわかった。


「おい、頼仁……!」

 頼仁の無礼な物言いを嗜めるように、和孝は言った。

 何故ならそれは上官のやり方を否定しているに他ならないからだ。

 しかし。

「俺もちょっとそう思いました」

 喜直がこそっと口に出した。

「完全に同意はしないが、一理あると考えます」

 意外なことに識も一部の同意を示した。

 率直な彼らの意見に軍曹は不快な素振りは見せなかった。

「怖いもの知らずだな、お前達は」

 そう言って息をつくと、組んでいた腕をほどいた。


「確かにそうだろうな。軍服というのは軍に所属しているという証が最もわかりやすいかたちで表れる。では、何故軍服を着るのかわかるか」

「えっと……戦いやすいように、ですか?」

「戦場で敵味方の区別がつくように、だと思います」

 喜直と和孝の答えは頼仁が思い浮かべたものと同じだったが、軍曹はそれだけではない、と告げた。


「これは我々にとって死装束だ。命を賭して国のために戦う、その何よりの証だ。

 我々は一般人とは違う。我々は戦う者、それ以外は戦えぬ者―すなわち弱者だ。

 その点を自覚するための、明確な線引きだ」


 軍曹は指を立てた。

「一つ、教えておいてやろう。ここにいる多くの者は徴兵令によって、兵役を受けることを義務付けられた者が大多数を占める。望んで軍人になったわけではない。

 けれどどんな理由であれ、戦場で生半可な気持ちでいると待っているのは『死』だ。それなりの覚悟を持って、自分を奮い立たせないと呑み込まれる。

 自分が国を護るのだという誇りを持てと言い聞かせている。あれはその結果だ」

「つまり、実戦の時に戦える気力を持てるようにあの態度をとっている、と」

 頼仁は険しい面持ちのまま尋ねた。


「そう捉えてよかろう。もっとも力を持って調子に乗っている馬鹿がいないとは言えん。理解するのは実際に戦場に出た者ぐらいだろうしな。

 そういえばお前達の上官は加賀地だったな。あれはくせのある奴だから気を付けろ。先日も調子こいた奴が加賀地にやられたばかりだ。あれは拷問が趣味ときている。人間として終わっているな」


 あまり知りたくなかった情報に、全員が固まった。

「まあいい。お前達は軍服を着ていない以上、現段階においての制約は受けない。誇りもない代わりに、威圧する力もない。怯えられることはないだろう」

 峻烈な瞳を煌めかせ、彼女は言い放った。

「お前達はどのようにするか。彼らより有力な情報が得られるか。やれるのならばやってみろ」


 ◇ ◇ ◇


 鳥辺野でも集落がいくつかある。およそ集落ともいえない人々の集まりだが、彼らは死体の処理や、山の動物を捕らえて毛皮などを量産してその日暮らしをしていた。

 頼仁は喜直と行動を開始した。考えた作戦の内容がほぼ同じだったため、手を組むことにしたのだ。

「……行くぞ」

「おう!」

 目標を定めた頼仁と喜直は気取られぬよう駆け出した。そして打ち合わせした場所で、頼仁は倒れ込んだ。


「うっ……!」

 頼仁は悲痛な呻き声をあげる。それに喜直は慌てたように頼仁の全身を支えた。

「おい、大丈夫か、頼仁!」

 小屋の前で喜直は逼迫した大声をあげた。

「誰か、誰かいませんかーっ!」

「何だい、どうしたってんだい」

 突然の少年らの叫び声に驚いて、一人の女性が小屋の中から出て来た。みすぼらしい格好をした女性だったが、愛嬌のある目を丸く見開いている。

 その後ろにはわらわらと子どもが出て来て、何事かと様子を窺っている。

「俺達、軍の人に脅されたんです!」

 すると女性はさっと顔色を変えて、頼仁らを招き入れた。

 作戦成功。二人は心の中で、拳をぐっと握りしめた。


「えらいめにあったねえ。腕の方、大丈夫かい」

「……あまり大丈夫じゃない」

 頼仁は顔をしかめた。半分は芝居だが、半分は本当だ。

 先程の囚人にやられた箇所の関節は加賀地の手により元に戻ったものの、一緒に周辺の腱を痛めたのか、痛みがまだ残存していた。

 それを受けて女性は天井に吊るしていた薬草を手に取った。何とも言えない、青臭い香りを放っている。


「軍の人達は人探しをしているようだったけど……何かあったんすか?」

 喜直は早速女性に尋ねた。

「うちらも詳しいことはわからないのさ。怪しげな男を探しているっていうんだけどねえ。そんなのこの界隈にはごまんとおるし。目の色の特徴言われたって、一々覚えているわけないじゃないか」


 女性は薬草を囲炉裏にかけていた鍋に放り込み、ぐつぐつと煮る。心なしか異臭が先程よりも次第に強くなっていく。

 喜直はうっと鼻をつまみ、頼仁は襟巻に顔の下半分を埋めた。

 見えないよう内側に折りたたんでいるが、先程布に書かれた墨の臭いが代わりに鼻をつく。それでも青臭い香りより何倍もましだった。

「ふうん。せめて奇声とか発してたりすれば、まだ覚えてられるのにな」

 ややくぐもった声で何気なくそう言うと、はたと女性は顔を向けた。


「あ、その男なら聞いたよ。うちが直接見たわけじゃないんだけどさ。うちに薬草を取りにきた坊が話してくれたよ。少し前にあっちの方に向かって行ったんだって。気味が悪いったらありゃしない」

「……それ、結構重要な気がするけど。言わなくていいのか?」

 すると女性はきっと目を剥いた。

「何言ってんだい! 褒美がもらえるならまだしも、関わりたくなんかないよ。あんただってそうだろ? 現にこんな怪我しちまってるじゃないか」

「あ、ああ……」

 そりゃ、情報も集まるわけがない。頼仁がそう思っていると。


 先程から明らかに薬草の臭いに辟易していた喜直は、ふらりと立ち上がった。

「……悪い、俺、外の空気吸ってくる」

 ついに限界が来たのだろうか。力ない足取りで小屋の外へと出て行った。

「ああ、そうしな。あんたは駄目だよ」

 彼に便乗しようかと考えていた頼仁に、女性は鋭い一言を浴びせる。

 固まる頼仁には目もくれず、女性は空欠け茶碗を用意した。そこに鍋で煮込んだ液体をなみなみと入れる。

 そうして出来上がった薬に頼仁は目を剥いた。


「何これ」

「痛み止めさ!」

 あっけらかんと笑って、女性は答える。

 どう見ても毒々しい色合いをした飲み物に、頼仁の顔は完全に引きつった。



 小屋の外の繁みに埋もれるようにしゃがみ込んでいた頼仁は、口に残った薬草の残滓を吐き出した。液体は何とか飲み切ったが、細かい葉のような物はえぐみがあって、死にそうなほど苦かった。

 肝心の痛み止めの方はまだ効果が現れていない。飲み薬はすぐに効くわけもないのだが、あの怪しげな薬草そのものが大丈夫なのか疑わしいものである。

 頼仁としては情報が得られるよう、口が軽くて人の良さそうな者を選んだつもりだったが、こんなことになるとは思ってもみなかった。


 人の気配がしたので振り返ると、朽月が心配そうな顔で茂みを掻き分けてこちらへ近付いてくるのが見えた。

「大丈夫ですか」

「苦い……飴か何かがほしい」

 げっそりとした顔でそう呻く頼仁に、朽月はなだめるように言った。

「良薬口に苦しと言いますから。でも、当初の目的は完遂されたようで良かったですね」

「そうだな。これで手がかりが皆無だったら俺は確実に暴れている」

 朽月は小屋の裏から一部始終聞いていたらしい。


 苦味でまだ咳き込みながら、頼仁はそういえば、と尋ねた。

「和孝と識の野郎は? あと、喜直はどこ行った?」

「和孝さんと識さんは別行動で聞き込みをしていました。あんな芝居は自分には出来ない、と言っておりましたので」

「どっちが言ったか、考えなくてもわかるな……」

「そして喜直さんはあちらです」

 朽月は頼仁の背後を指差した。


「何やってんだ、あいつ……」

 見ると、繁みから少し離れた荒れ地で喜直が子ども達と遊んでいた。

 白い球を蹴って転がしている。

 喜直の蹴った球が勢い余って、こちらへ転がって来た。球といっても完全な球形をしているわけではなく、あちこちに出っ張りがある歪な球だ。

「あら」

 朽月がそれを拾い上げようと手を伸ばした瞬間。それが何なのか気付き、思わず固まった。

 乾いた音を立てたそれを見て、頼仁はああと気付く。


 それはしゃれこうべだった。俗にいう頭蓋骨である。

 おそらくは長い間放置された死体の一つだろう。歩いているだけで、この辺りの野には無数の骨が転がっている。間近で見ると、白というよりは黄色い。これが人間の成れの果てである。

 血の気が引いた朽月をよそに、頼仁は言う。


「これが、こっちの方では常識だろ。そんなことで、一々動揺するなよ」

 頼仁はそう言うと、何の抵抗もなくしゃれこうべを蹴り上げた。想像していたよりも軽く、けれど頑丈だ。地面の出っ張りに翻弄されながら、しゃれこうべは彼らのもとへと転がっていく。

「お、ありがとな。頼仁」

 受け取った喜直は満面の笑みを浮かべた。


「何で遊んでいるんだ、お前は」

 すると喜直は胸を張って答えた。

「信頼関係を築くためさ! 子どもが信用したら親も信用するんだ。そういうわけで、頼仁も来い!」

「俺もかよ……」

 頼仁が朽月を見ると、彼女はいってらっしゃいとばかりに手を振る。

 頼仁は溜め息をつくと、そちらへ向かった。

 そしてしばらくしてその子ども達の中にいたのは、年相応の笑みをこぼした頼仁の姿だった。



「頼仁も普通に笑うことが出来るんだな。いつもそうして笑ってりゃいいのに」

 そう喜直が言ったのは、遊びに一段落がついたので並んで小休止をとっていた時だった。少し離れた所では、子ども達が次は何をして遊ぼうか相談をしている。

 不意打ちでそんなことを言われた頼仁は、仏頂面をしかめて、隣に座る喜直から顔を背けた。考えてみれば、それを言われるのは本日で二度目だ。


「面白くもないことで笑えるかよ」

 頼仁の素っ気ない返答に、喜直は何故か嬉しそうに笑った。

「お前はいつも楽しそうだな」

 頼仁はそっぽを向いたまま言う。

 喜直は一瞬目を丸くすると、おうよ、と破顔した。


「そりゃ、妹と約束したからな。お前の分まで笑ってやる、って」

「妹?」

「そ。もう随分前に死んだけどな」


 さらりと告げられたそれは、頼仁の心に波紋を投じた。

 喜直の視線は輪になって遊んでいる子ども達に注がれている。けれど、その視線はどこか遠くて、まるでここにいない誰かをそこに見ているかのようだった。

「俺の屋敷はさ、結構立派な屋敷で、まあそれなりに裕福に暮らしていたんだけど。恵まれすぎていたんだろうな。……ある日、強盗が入ったんだ」


 喜直は空を見上げた。

 禿鷹だろうか。翼を広げた鳥が虚空を舞っていた。

「俺も目撃者の一人だったはずなのに、記憶が曖昧でさ。まあそれだけ悲惨な出来事だったんだろうな。覚えているのは冷たくなった妹とそして――」

 喜直は丸い目を細めた。

 たった一つだけ脳に焼き付いた光景。それが。


「赤い瞳を輝かせた、男の姿」


 はっと頼仁は息を呑んだ。あの基地内で見た囚人の瞳が鮮やかに脳裏に蘇る。

 うん、と喜直も頷く。

「全然別人なんだけど、真っ先に思い出したのがそれだった。何て因果だろうな」

 喜直は腰に手を当て、竹刀に触れた。

 あの時、倉の中で喜直は何の躊躇いもなく駆け出した。無鉄砲だと識には言われたが、その裏にはそんな理由があったからだ。

 頼仁に弟妹はいない。兄弟を亡くすという経験をしたことがない。だから喜直の胸に抱くその想いを推し量ることは出来ない。

 だが。無力に渇望する思いは知っていた。頼仁は静かに尋ねた。


「さっき……ここに来た理由で強くなりたいって言ったのは、復讐のためか?」

 うーん、と喜直は困ったように首を捻る。

「俺が守れたら妹は死ななかった、と思ってる。もう大切なものを失わないために、強くなりたいって願ったんだ。だから、ここへ来た」

 まあ強いて言うなら、弱い自分への復讐だな、と洩らした。

「ま、もともと体を動かす方が好きだったし。親を始め親戚一同には何で軍なんだって散々言われたけど、後悔はしてねえよ。だから早く正規の兵になって、どやーって言ってやるんだ」

 ははっと喜直は笑った。


「弱い自分への復讐、か……」

 頼仁は沈黙の下で考える。殺した者への恨みごとを何故言わないのだろうか。

 彼の辛い過去を乗り越えて溌剌と今を生きる彼が頼仁には――心底羨ましかった。認めたくないぐらいに。見ていられないぐらいに。

 そんな頼仁の内心を知る由もなく、喜直は立ち上がった。

「さてと、そろそろ目的を達成するか」

 喜直は軽やかに地を蹴ると、向こうでそれぞれ手を繋いで遊んでいる子ども達に近付いて行った。頼仁も腰を上げると、その後を追う。


「なあ、遊ぶ前に一個聞きたいんだけど」

「なーに?」

 かごめかごめを歌っていた子ども達は一斉に小首を傾げる。

「こんな顔をした怪しい奴知らないか?」

 そう言って喜直は左右両方の人差し指を使って、目を吊り上げた。

 あまりの適当さに頼仁は呆れ、同時に先程の生じた繊細で複雑な感情が、きれいさっぱり掻き消えてしまった。

「そんなのでわかるわけないだろ。一欠けらも似てない……」


「知ってるよー」

 あっさりと答えた子ども達に、頼仁は驚愕した。

「ほんとか?」

「ほーら見ろ。信頼関係を築くと、欲しい情報も手に入りやすくなるんだ」

 子ども達の反応に喜直は胸を張った。

「どこにいる?」

「あっちー」

 そうして子ども達に連れて来てもらった先に。


「俺に何の用だよお」

 見事なつり目の、完璧に別人たる男のもとへ案内され。

 一瞬気が遠くなった頼仁は思わず喜直に蹴りを入れたのであった。

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