第3話 五人の候補生

 鳥辺野とは、京の火葬場とも呼ばれる場所で、罪人や浮浪者の死体を焼き捨てる場であった。

 平安時代は葬送地であり、冥土への入口をなしていることから人が容易に近づける場所とは言い難かった。

 周辺では現在でも多くの墓地を見ることができ、治安は悪く、最下層の者達が住処としていた。

 碁盤上の都を東へ進むと鴨川が隔てており、そこが境界線となっている。

 荒れ果てた野原や朽ちた建物が見受けられ、秩序なく生えた木々が不気味に佇んでいる。


 頼仁はぐるりと周囲を見渡すと、微かに眉根を寄せた。

 視界の果てには東の山々が連なり、陰気で空気も悪い。人間の死体を焼く土地、という認識のせいだろうか。死臭が立ち込めている気がした。


 しばらく歩いていると、漆喰で出来た塀が、だだっ広い土地に忽然と存在しているのが遠くからでもわかった。

 頼仁は今歩いている道の先が、そちらへ伸びているのを確かめる。

 唯一整備されたその道が、鴨川の橋からあの建物までをつないでいる。


 あれが鳥辺野基地。

 延々と続く塀に沿って歩いて行くと、ようやく門が見えた。

 頼仁は正門に駐在している門兵に書状を渡す。

 確認されると、すぐに入場の許可を得た。

 そして門兵から日進館という建物へ向かうよう告げられた。


 基地に入ると、予想よりも随分と立派な造りで頼仁は驚いた。

 敷地内はいくつもの和洋折衷の木やレンガで出来た建物がそれぞれに幅をとって並んでいる。一見すると、どこかの市街地がそっくりそのまま来たのではないかと錯覚してしまいそうになる。


 だが、決定的に異なるのは、すれ違う者が皆軍人だということだ。

 壮年の男から若者まで年代は様々だ。軍服でないのは頼仁だけだったが、平然としていると特に誰も何も言わない。他人に興味がない人間ばかりなのだろうと頼仁は思った。

 これが御所だと、少しでも違う顔ぶれがあると女官のやかましいことこの上ない。

 あのうるさい女たちとしばらく顔を合わせずに済むと思うと、せいせいする。

 そんなことを思いながら頼仁が歩いていると。


「ちょ、ちょっと待て。待ってくれ!」


 不意に場違いな明るい声をかけられ、頼仁は振り返った。

 見た目は自分とほぼ同年代か少し上だと思われる少年が、息を上気させて駆けていた。

 肩より長い髪を一つに括り、袴姿に竹刀を腰に差しているという、どこかの稽古帰りのような格好の少年だった。


「あのさ、もしかして入隊者?」

「そうだけど」

 すると少年はぱあっと顔を輝かせた。


「良かったあ。もっと大勢人がいるだろうから、そいつに付いて行こうと思ってたら、予想外に人が全然いないから。合ってんのか不安になってきたんだ」

 安堵したからなのか、少年は饒舌になる。

 頼仁はあからさまに煩そうな顔をしたが、少年は全く気にした風もない。


「お前さ、よく元気だな、とか賑やかだな、とか言われて最終的にうるさい奴って一括りにされないか」

 頼仁が皮肉っぽく尋ねると、少年は大きく頷いた。


「言われる! ついでに言うと、方向音痴とも言われる! しかも迷っていることに気付かないという致命傷を持っている」

「それ、自慢じゃないだろ。というよりも明らかに人として欠点だ」

 こいつ、本当に馬鹿なのか。このうるさい奴と過ごさなければならないのか、と思うと頼仁は気が遠くなった。

 話を合わせるのも面倒になって来て、頼仁は再び歩き出した。


「おーい。待ってくれ。案内してほしいんだけど。てか、一緒に行こうぜ。俺、喜直よしなおっていうんだ」

 喜直は頼仁の肩を掴もうと手を伸ばした。だが、その気配が近付くのを感じた瞬間、頼仁の血の気が一瞬下がり、思わずその手を掴んだ。


「馴れ馴れしく触るな」


 自分でも思っていた以上に低い声が出てしまった。どくどくと心臓の音が駆け巡る。

「痛い痛い! 放せ放せ」

 どうやら無意識に相当強く掴んでいたらしい。頼仁は放すと、少年はふうと息をついて手首をさすった。その姿を見ていると少しだけ悪い気がしたので、頼仁は一瞬だけ湧き出た忌まわしい記憶を、頭の隅に追いやり、喜直の衣の裾を引いた。

「こっちだ」

 頼仁は素っ気なく言うと、少年はぱっと顔を輝かせてその後を付いて行った。



 喜直は頼仁より一つ上の十四歳だった。そのため兄貴って呼んでいいぞと言われ、頼仁は即刻断った。兄なんて一人で充分なのである。

 ちなみに彼の腰にさした竹刀は、『いるかな、と思って』という至極簡単な理由で使い慣れたものを持って来たのだという。

 頼仁も剣術を習っているため、そのことを口にしたところ、喜直は興味津々に尋ねた。

「強いのか? また今度手合せしてえなあ。段持ち?」

「段は持っていない。稽古は義務みたいなもんだし」


 適当に相槌を打っていると、突然、何発もの銃声が轟いて二人は思わず足を止めた。

 真横の建物の敷地内から聞こえているようだ。一見、武家屋敷のような構えである。

 喜直は頼仁の袖をつつく。


「なあ、まだ時間あるだろ。ちょっと行ってみねえか?」

「あのな、お前……」

 頼仁は渋面した。案内してもらっている分際で、随分と自由な発言をするものだ。

 だが喜直は頼仁の表情に目もくれず、音のする方へと向かった。仕方なく頼仁もそちらへ付いて行く。

 門が微妙に開いていて、こっそりと侵入する。見付からないよう繁みの陰に身を潜めながら、奥へと進んだ。


 そこは砲術―─俗にいう射撃の訓練場だった。

 的をいくつも並べており、そこに向かって男達が一斉に銃を放っているのが遠目から見えた。むせ返りそうな火薬の香りが、これだけ離れていても鼻に来る。

「すっげえ……」

 目を輝かせてそれらを眺める喜直の横で、頼仁もそれらを見ていた。


 指揮をしている者の声が響き、それを合図に一斉に撃つ。

 驚いたことに指揮官は女性であった。

 御所でかたちばかりのものを見た事はあるが、やはり実戦を想定しているものとは迫力が違う。

 的が次々に貫通していく。腕が良いのか、銃が良いのかはわからないが、驚くほどの性能だ。

 このままいくと、いつか自分もあれを手にする日が来るのだ。

 今の喜直のように憧れがあるわけではない。あれが実戦では人に向けて撃つのだということも十分に理解している。

 けれど、頼仁もその興奮を抑えきれなかった。

 二人が食い入るようにそれらを見ていると。

 不意に指揮官が二人のいる繁みの方へと視線をやった。


「――誰だ」

 ひゅっと喜直は息を呑んだ。逃げようと足を動かしたところを頼仁が渾身で止める。

 地面すれすれにしゃがみこみ、呼吸すらも止める。気配など、どうやって消すのかなんてわからない。ただ闇雲に動いて不審者として見付かることだけは避けたかった。

 まだ始まってもいないのに、目を付けられるのは御免だ。

 指揮官はしばらくそちらを睨んでいたが、堅固な視線を再び正面へ戻した。

 その隙に頼仁は喜直を引っ張り、急いでその場を後にした。


「……この馬鹿、初っ端から問題を起こさせるな」

 十分に離れた所で開口一番頼仁は怒鳴ったが、喜直はあまり堪えた顔をしない。

「悪い! でもすごかったな。あの角場も。俺達の気配を気付いたあの人も。やっぱすげえよ」

 駄目だ、こいつ全然反省してない。眩暈を覚えて頼仁は思わず額を押さえた。


「どうした、頼仁。銃声にびっくりして、頭痛でもしたのか?」

「違う。あの場にお前を置いていけば良かったと後悔しているんだよ」

「ええ? 何てこと言うんだよー」

「うるさい。それよりも時間は大丈夫なのか」

「ちょっと待ってろ」


 すると喜直は懐中時計を取り出した。銀色の金属で出来た舶来の物だ。

 時刻は指定の十五分前を指している。

 珍しい品なので少し興味をそそられて見ていると、喜直は歯を見せて得意げに笑った。

「すげえだろ。俺の宝物なんだ」


◇ ◇ ◇


 基地の中央にある日進館は和洋折衷を織り交ぜた白壁の建物だった。黒い瓦屋根に、二階建てで大きくはないものの堂々とした佇まいだった。

 赤地に菊の御紋が描かれた布が正面に飾られている。その堅固な扉の前へ立つと、二人は建物の中へ入った。

 漆喰の白壁に大理石のように磨かれた床。所々にある硝子窓からは採光が取り入れられている。正面には階段があり、玄関からその手前まで広々とした空間がある。


 その空間には既に二人の男がいた。

 壁際には、長身の若者がいる。頼仁よりも年上だと思われる彼は、顔にかかる黒髪に品のある面立ちをしている。黒い羽織を肩にかけ、袖は通さずに腕を組んでいた。

 頼仁は記憶に引っかかりを覚えた。というのも、どこかで見た事のあるような顔立ちだったからだ。


「お、意外とちっさいのが来たんだな」

 少し低音の、のんびりした声をかけて近寄ってきたのは大柄な男だった。男といっても実際の年齢は隣に立つ長身の若者とそう変わりないだろう。

 頼仁以上に短髪で、表情はとても豊かである。白い前開きの上衣に灰色の脚絆という洋装だった。この中では限りなく軍の隊服に近い。


「ちっさい言うな!」

「悪かったな、小さくて」

 言った内容が喜直と同じで、頼仁は渋面する。

 すると男は笑った。

「あははっ。良い反応をありがとうよ。こいつ、さっきから話しかけているのにほとんど返さねえから、何か嬉しいぜ」


 壁際にいた長身の若者は頼仁と喜直を一瞥したが、何も言わずに黙り込んだ。

「もうすぐ時間だっていうのに、思っていたよりも人は少ないんだな」

 そんな感想を頼仁が口にすると、扉が入り口の扉がゆっくりと開いた。


「申し訳ありません。遅くなりました」


 そんな台詞と共に館内に入って来た女性を見て、頼仁は思わず瞬いた。

 洋装の上から身頃の丈の短い外套を羽織っている。軍で支給されている衣服だ。

 長靴ちょうかを履き、ややくせのある波打つ髪をまとめ、背中に流していた。


 先程と着ている衣服は異なっているが、間違いない。

 道中で二人の男を倒した少女だった。


「まだ、お偉いさんは来てねえぜ。別に遅刻したわけでもねえし、そんな気い使うなって」

「それは良かったです。ここに来るまでお婆さんが倒れていたり、人相の悪い方に絡まれたり、お役人を呼ぶ羽目になったりして、なかなか辿り着かなくって……あら」

 少女は頼仁を見て、驚いたような表情を見せた。そうして仄かに微笑んだ。

「またお会いしましたね」

「知り合いなのか?」

 喜直がせっついたが、頼仁はうるさい、と言って軽くあしらう。そして彼女に軽く会釈した。


「しかし婆さんに人相悪い奴に役人って、どっかの昔話みたいだな。普通起こるか? 冗談かと思った」

 男はけらけらと笑った。

「いえ、本当です。結局お役人を呼ぶのは任せて来てしまったのですけどね」

 彼女がしみじみと呟いたその時、鐘の音が鳴り響いた。


 きぃと階段の上にあった扉が開いた。

 長靴を鳴らして階段を下りる、一人の壮年の男性。軍人らしいがっしりした体つきに、無精ひげ。穏やかな眼だが、その奥にひやりとするような鋭い眼光が宿っている。

 その者は踊り場まで歩みを進めると、一同を見下ろした。

「――諸君。鳥辺野基地へようこそ」

 朗々とした声が反響した。


「私がこの基地の統轄司令官、大門寺だいもんじ金重かねしげだ。ちなみに階級は大佐だ。この基地で一番偉い人間なのだから、しっかり覚えておいてくれたまえ。散歩が趣味だから、声をかけてくれると私も嬉しい」


 頼仁はその軽口の内容を瞬時に理解する。つまり、必ず挨拶をしなければ命令違反となるということだ。

「わかりました!」

 隣に立つ喜直が声を上げ、大門寺大佐はうむ、と頷く。


「元気があってよろしい。さて、では。――君たちのいみなを教えてもらおうかの」


 その一言にわずかに動揺をした者が二人いた。

「諱、ですか」

 動揺をした一人である少女が静かにそう尋ねる。

「ああ。そうとも。誰からでもいいぞ」

 好々然としているが、その恐ろしいほどの圧力を頼仁は肌で感じた。


 諱とは真名とも呼ばれ、親や主君などのみに許される真の名前である。現在は廃れつつあるが、古来より日本皇国では諱で呼びかけることは極めて無礼であると考えられた。

 特に皇室ではそれが顕著で、肉親以外の者が諱で呼ぶことはほとんどない。

 だが今、この男は諱を告げろと言った。それはつまり完全にこの身を軍の支配下に置くということに他ならない。


 もとより名をあまり隠すつもりのない頼仁だったが、そのあからさまな狙いに不快感を覚えた。

 だが、ためらっていると思われるのはもっと我慢がならなかったので、一番に名乗った。


「頼仁だ」


 そう告げた矢先、ぐいっと袖を引っ張られた。

「馬鹿、頼仁です、だろ」

 ひそひそと忠告をしたのは喜直だ。今まで父と兄にしか敬語を使ったことがなかったため、うっかり口にしてしまったのだ。

「……頼仁です」

 大佐は特に怒った素振りは見せないが、腹の中で何を考えているのか頼仁には見当もつかなかった。


「俺は喜直といいます」

 頼仁に続いて喜直が名乗る。彼は自分と同様、始めから諱を名乗っていたようだ。

藤子とうこ、と申します」

 紅一点の彼女が名乗った。

忠佳ただよし

 背の高い男が抑揚のない声で名乗る。

和孝かずたかであります」

 最後に大柄の男が敬礼をして、ぴしっと締めくくった。


 たった一言ずつだけだったが、彼らがこの瞬間、軍のもとに従属したという何よりの証だった。


「頼仁、喜直、藤子、忠佳、和孝、だな。皆、良い名だ」

 うんうんと大門寺大佐は頷く。

「通称は好きに名乗ると良い。だが、私の前では諱を名乗ることを忘れないように。

 では、本題に入ろうかね。諸君はこの基地の候補生だ。試験やら様々な総合評価を経て、今ここに集められている。まあ、そういうわけで訓練内容も異なり、正規の兵と認められていない。どうなるかは、諸君らの頑張り次第ということだな」

 飄々とした口ぶりで彼は続ける。


「これから正午までに食事を済ませ、隊舎の新月寮へ向かいたまえ。そこに諸君らの直属の教官がいる。訓練内容はそこで知らされるはずだ。以上、解散」

 大佐は背を向けると、階段に足をかける。

「ああ、そうそう」

 階段を上りかけた大佐が振り返る。

「馴れ合いをしろとは言わんが、くれぐれも、足の引っ張り合いはしないことだな」


 その言葉を最後に、大門寺大佐は階段を上り、もといた部屋へと戻って行った。

 扉が閉まると残された五人は、張り詰めたものが切れたかのように息を吐き出した。


◇ ◇ ◇


 食堂はまだ時間が早いからか、人の数はまばらだった。

 大量に作られている玄米飯と、白湯、数種類のおかずを盆に取り分けると、喜直に引っ張られるように頼仁は席についた。和孝は喜直の向かいに腰掛け、米に合うおかずは何かという話題で大盛り上がりしていた。

 どうでもいいと思いながら、うまいのかまずいのかよくわからない飯を咀嚼していると、盆を手にこちらへやって来る人影があった。


「あの、皆さんのことは普段どのようにお呼びすれば良いですか? 先程名乗ったのは諱ですし、あざなを教えて頂きたいのですが」

 ためらいがちに声をかけてきたのは、藤子という名の少女である。

 どこに座るか考えあぐねて、こちらへやって来たのだと思われた。

 和孝は玄米飯を頬張りながら、ひらひらと手を振った。


「別に諱のままでいいぜ。俺、隠す気ないし。女の子は確かに、諱で呼ばれるのは抵抗あるだろうなあ。あ、ここ座ってくれ」

「すみません、ありがとうございます」

 申し訳なさそうに彼女は微笑むと、和孝の隣、つまり頼仁の正面に座った。

「いいってことよ。俺も喜直でいいし。ちなみに姓は西園寺。あ、さっきの大佐と響きが似てる。今、気付いた」


「俺も頼仁でかまわない。姓は……秋津、だ。好きに呼べ」

 秋津とはもちろん偽名だ。宮内省から予めそう名乗るよう指示されていたのだ。おそらく古来の日本名である秋津国から由来しているのだと思われる。

 彼女は嬉しそうに笑って、はい、と頷いた。

「で、俺達は何て呼んだらいいんだ?」

 藤子は一度瞬くと、澄んだ声で告げた。


朽月くちづき、でお願いします」

「朽月、だな。了解。ちなみに、お前はどう?」

 喜直は首を後ろに巡らして、微妙に離れて座っているもう一人にも尋ねた。

 忠佳と名乗った彼は口から湯呑を外すと、細い瞳で喜直に視線を合わせた。そして再び、視線を戻す。そして淡々とした声音で言った。


「お前達のような人間に諱で呼ばれるのは、不愉快だ。しき、と呼べ」

 ぴくり、と頼仁は眉根を寄せた。

「しき?」

 聞き慣れない響きにきょとんとした表情で喜直が返すと、彼は先程よりややはっきりした口調で説明した。

「知識の識だ」

「了解―」


「ちょっと待て。お前達のような人間ってどういう意味だ」

 頼仁は振り返って、きつい口調で問いただした。

 喜直は流そうとしていたが、その聞き捨てならない含みに、頼仁は我慢がならなかったのだ。

 その不穏な声音に、明らかに周囲の空気が凍る。

 だが、当人は気にすることなく平然とした様子だった。

「どうって」

 はっと小馬鹿にしたような笑いを識は洩らした。


「そのままの意味だ。一等兵にも入れないお前達と慣れ合うつもりはない」

「そういうお前こそ、一等兵に入ってないだろ」

 言い返したが、だからどうしたと言わんばかりに識は箸を置いて腕を組む。

「そうだ。だから俺は誰よりも早く這い上がる。俺はそのためにここに来たのだから」


「俺も十分、そのつもりなんだけど」

 喜直が負けじと応戦する。

「俺は強くなりたいからここへ来た。お前だってそうだろ?」

「そんな甘い覚悟で、ここに来たのか。笑わせる」

「自分が周りより優れているような言い方だな。何も知らずに偉そうなこと言いやがって……」


「ならば聞いてやろう。貴様は何のために、ここへ来た。何の覚悟を持って、入隊した。答えてみろ」

 その投げ付けられた鋭い問いに、頼仁はわずかに動揺した。


 頼仁には覚悟などない。ただ、負けたくないという思いからここへと来たのだ。

 だが、それを言葉にするとひどく安っぽくなりそうだったので、頼仁は逡巡した。

「俺は……」

「はい、終了―。識、それはお前の考えってやつだろ。聞きたきゃ俺の覚悟を思いっきり聞かせてやるよ。この俺、和孝様のな」

 詰まった頼仁の前に、さっと和孝が割り込んだ。いつの間にか食事を終えていた彼は、識の隣に腰掛ける。


「断る。演習等で必要とあらば協力はするが、貴様らの覚悟など興味はない」

 そう答えると、識は箸を持って食事を再開した。

「あ、ひっでえ! せっかく俺が教えてやろうと思ったのに。ところでこれ、食わねえのか? うまいぞ。何なら俺が食ってやろうか?」

「それも断る。好物は後に食うのが常識だ」

 少しずつ強張っていた空気がもとに戻り、朽月はほっと息をついた。

 頼仁は正面を向いて識を視界から消したものの、苛立ちが収まらなかった。微妙にくすんだ色の玄米をかつかつ食う。


「頼仁、怒って食べると飯がまずくなるぞ」

 喜直の一言に頼仁は眉根を寄せる。こいつらが怒らない理由が理解出来ない。

 それを口にすると、喜直はけろりとした顔で答えた。

「だって頼仁が怒ってくれたし」

「……ふうん」

 だからといって頼仁の苛立ちが消えるわけでもない。


 これからどのぐらいの期間かは知らないが、この男とも過ごしていかなければならないのかと思うと頼仁は憂鬱だった。

 馴れ合いをする気はもとからない。だが足の引っ張り合いはするな、という大門寺大佐の言葉が今になって現実味を帯びてきたのであった。

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