第3話


 保健管理室を出たサライス・ブラウンは、教室には戻らずにそのまま校舎の屋上へあがった。

 きんと晴れた十二月の空には、雲一つなかった。


 思い出すのは、幼いときのあの冬の日。

 母のタニアを病院から連れて帰る道、ふと見上げたろくでなしの隣人一家の家の窓に、見知らぬ女の子の姿があった。

 初めて見るその子は、サライスと母が通りの向こうから歩いてくる様子をずっと見ていたようで、サライスと目が合うと、サッと姿を消した。

――なんだ。感じ悪い奴だな。

 しかし、サライスのその思いは、すぐに消えた。

 その女の子が、ろくでなし一家の玄関から飛び出し、サライスと母に向かって走って来たからだ。

「はじめまして! 私、ルチア・アンダーソンです。母が亡くなり、伯父家族と暮らすことになりました」

 銀色の長い髪をしたルチア・アンダーソンは、人懐っこい笑顔をサライスと母に向けると、サライスの真似をするように、母を支えて歩き出した。

「ルチアさん、初めまして。私は、タニア。私はこの通り体が弱いの。今も病院に行って来たところ。この子は息子のサライス。とてもやさしい子なの。仲良くしてね」

 母の言葉に「はい!」と答える迷いないルチアの声に、サライスは心を打たれた。


 翌日、サライスと母が病院から帰ってくると、またもやルチアがろくでなし一家から飛び出してきた。

 ただし、昨日とは違い、彼女の頭には赤いスカーフが巻かれていた。

「今日も寒いけどいいお天気ですね!」

 そう言いいながら、母を支えたルチアのスカーフがはらりと落ちた。

「あぁ、ルチアちゃん。なんてこと!」

 母が立ち止まり、ルチアを抱きしめる。

 サライスはルチアの頭を見てギョッとした。

 彼女の美しい銀髪は、サライスよりも短くなっていたのだ。

 しかも、切り方はめちゃくちゃ。

 ルチアに対する悪意があると、一目でわかった。

 母はルチアを自分達の家に連れて行くと、丁寧に髪を整えなおした。

 母がハサミを入れるたびに、ルチアの顔の笑顔が戻る。

「ルチアは頭の形がいいから、短いのもとても似合って素敵よ」

 母の言葉に、ルチアの顔が赤くなった。

 

 しかし、それでは終わらなかった。

 よく事実、ルチアの従妹は、母が整えた髪をさらに切ったのだ。

 

 サライスは夜、母に頼んだ。

「ルチアを助けて」

「私もそう思っている。だから、お願い。あなたの魔法で、私をあの子の部屋に連れて行って」

「連れて行ってどうするの?」

「私の魔法の種をあの子に移すの。難しい魔法だけれど、あなたと私にならできるわよね」

 この世界には、魔法を持つ者と持たない者がいる。

 そして、魔法を持つ者の体には、魔法の種と呼ばれる魔法の源があるのだ。

「でも、そんなことしたら、母さんはどうなるの? 死んじゃうだろう?」

「あら、魔法の種がなくても生きていけるわよ。ただ、私は死が近いわ。そんな私の種だから、種自体しぼんでいるだろうけど、それでも種には違いない。種は、与える魔法使いが承知していれば取り出せるの。昔、私のお父様にそう聞いたわ。ブラウン家の血筋の者にしかできない秘密の魔法だそうよ。取り出す者に相当な魔法の力が必要だそうけど、あなたなら、できるわ。サライス」

「母さんの種を与えれば、ルチアを助けられるの?」

「その種にあなたの魔法を毎日注ぐの。魔法があるからって、あの子が助かるとは限らない。でも、魔法を持つことで彼女が生きのびる確率は高くなるわ」

 母がサライスを抱きしめる。

「俺、ルチアを助けたい」

「えぇ、彼女はきっと善き魔法使いになります。私の魔法の種も、会った時からあの子が大好きなのよ」

「俺も大好きだ」

 その夜、ルチアが眠ったのを見計らい、サライスとタニアはルチアの部屋に忍び込んだ。

 そして、一人の魔法使いを消し、一人の魔法使いを生み出した。

 それは、今までもこの先も、母と息子だけの秘密なのだ。



 サライスの恋は前途多難だ。

 先生と生徒といった立場もあるし、貴族と平民といった身分の違いもある。

 ルチアと結婚したいだなんて言ったら、祖父のダニエルだって黙っていないだろう。

 運よく、それら全てを乗り越えたとしても、ルチアがサライスを好きになってくれるとは限らない。

「大好きだ、ルチア」

 ため息にも似たそんな微かな声は、十二月の清らかな空気に溶けて消えた。



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ルチア・アンダーソンはやっかい者 仲町鹿乃子 @nakamachikanoko

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