第2話


 翌日の朝、ルチアは保健管理室にいた。

 保険医のミランダ先生は仁王立ちでルチアを見下ろすと、燃えるような赤い唇をへの字にゆがめた。

「アンダーソン。裸足で外を歩くなんて、なにごとですか。外を歩くときは靴を履きなさい。靴を買うお金がないなら、また私がバイトを紹介してあげるから」

「先生、私、裸足じゃありません。ルームシューズを履いていました。それにお金にも困っていません。あの、ちなみに先生が紹介してくださるバイトって、また例のやつですよね」

「そうよ、美術学校の絵のモデル。着衣のままでOKなんだから、楽だったでしょう? あなた、スタイルがいいからみんな喜んだのよ。それにしても前回は驚いたわね。いきなりあのむっつりサ……ではなく、サライス先生が乗り込んできて、学生が描いたあなたの絵を一枚残らず奪って、消滅させて。おまけに、絵だけじゃなくて、あなたまで消えたものだから、びっくりしたわよ」

 ルチアだってびっくりしたのだ。

 なにが起きたのか理解できぬまま、ルチアはサライスから懇々と説教を受けた。

 そして「金がないのなら僕が貸そう」なんてことまで言わせてしまったのだ。

 もちろん、借りていないけれど。


「いろいろご心配をおかけしてすみません、先生」

「びっくりしたわよ。今朝、あなたったら保健管理室の前で、うずくまっているんだもの。ついに、あのむっつりサラ……ではなくて、何かの事件に巻き込まれて怪我をしたのかと思ったわ」

「これ、自爆なんです」

「ともかく、切るより刺さる方がたちが悪いの。もし、古い釘でも踏んだら、ほんと、大変なところだったんだから」

「すみません、先生」

「あなたは、もうっ。いちいち謝らないのっ」

 ミランダはルチアの背中を軽く叩くと「しばらく寝てなさい」と、ベッドを仕切るカーテンを閉めた。


 ルチアはため息を吐くと、そのままベッドに寝転がった。

 クリーム色の天井が目に入る。

 授業が始まる鐘の音も聞こえた。

 今日の授業が始まった。

 授業を休むなんて初めてだ。

 授業を受けないなんてもったにないこと、考えたこともなかった。

 ルチアが大きくため息を吐いた瞬間、勢いよくカーテンが開き、サライス・ブラウンが入ってきた。

 あまりのことにルチアはびっくりして跳ね起きる。

「先生、どうしました?」

「いい身分だな、アンダーソン。授業は始まっているが、でないつもりか?」

「すみません、先生。実は足に怪我をしてしまい。今、薬を塗っていただいたところなんです」

 サライスはルチアの両足の包帯に顔を顰めると、左右の手で彼女の足の裏を掴んだ。

「ひっ、先生、ちょっと何をするんですかっ」

「この程度の怪我なら僕の所に来ればすぐに治せる。……これでよし。さぁ、授業だ」

 たしかに、足の痛みは消えた。

 さすが、エリート教師。

「でも、先生。私、授業は出なくてもういいんです。だって私、今日の午後に退学手続きをして、明日、この学校から出て行くんですから」

 それを一番わかっているのは、サライスのはずなのに。

 なのに、サライスはそんなルチアを不思議そうな顔で見ている。

「なぜ? なぜ、君は学校を辞めるんだ」

「なぜって、私は先生から何も盗めていません。提出期限に間に合いません」

「君は課題をクリアしたじゃないか」

 サライスは懐から、四角い映像再生機を取り出した。

 彼がそれに触れると、とある映像が映し出される。


 職員宿舎の扉が開き、ポニーテール姿のルチアが入ってきた。


「先生、これっ」

 ルチアが目を丸くすると、サライスは静かにと人差し指をルチアの唇に当てた。

 映像には、数時間前のルチアの動きが映っている。

 なんてことだ!

 サライスにかかれば、姿消しのマントなんか全くの役立たずなのか! 

 ルチアは頭を抱えながらも続きを見る。


 ルチアがサライスの鞄を盗み、宿舎を出た。

 しかし、その数分後、彼女は再び宿舎に現れサライスの部屋に鞄を戻した。


「ちなみに、僕がこの映像を見たのは、授業が始まる前だ。そこで初めて君の課題合格に気が付いた。断じて、君が僕の部屋に二度も侵入したことに気が付いてはいない。断じて」

「でも、先生……」

 ルチアは迷う。

 これは、どうすればいいのだろう。

「アンダーソン、君はなぜ、一度盗んだ鞄を戻しに来た」

 サライスが静かな瞳でルチアを見つめた。

「だって、先生。……サライス。鞄に、私があなたの誕生日に贈った鈴のついた小さなクマがあったから、びっくりして」

「だから、試験を放棄し、学校を辞めて俺から離れようとしたのか、ルチア」

「私はあなたの枷になりたくない。私とあなたの過去を知られたくない。だって、あなたは私の大切な隣人で親友だから」

 伯父家族の隣の家の男の子は、サライスだった。

「知られたくない過去とは、何を指す?」

サライスの声が低い。

「わたし、本当は魔法使いじゃないんでしょう? あなたが、あなたの力で魔法を持たない私を魔法使いにしたのでしょう」


 ルチアが伯父家族の家に引き取られた翌日。

 ルチアの短く切られた髪を見て、サライスはまるで自分が何かやられたような痛い顔をした。

「おまえを助ける」

 その日からサライスは、夜になるとルチアの部屋に現れては、彼女と手を繋ぎ、彼の中からあふれ出る魔法をルチアに注ぎ始めた。

「こんなことして、大丈夫なの?」

「心配しなくていい。おまえはそのうち、ちゃんと魔法が使えるようになる。でも、そのことをあいつらには隠せ。魔法が使える奴がいるとわかると、ていのいいようにこき使われるだけだ」

 この世界には、魔法を持つ者と持たない者がいた。

 伯父家族は持たない者だった。

 サライスからルチアへの魔法の受け渡しは丸々三年間、彼の母が亡くなるまで行われた。

 彼は母の死後、祖父で偉大なる魔法使いのダニエルに引き取られていった。

 そして、その二年後、突如として「魔法使い保護法」が成立した。

 それにより全ての魔法使いが保護され、魔法を学ぶ権利を得た。

 ルチアの元へも知らせが届いた。

 怒り出す伯父家族をよそに、ルチアは役人に連れて行かれ、魔法学校へ入学した。

 ルチアは、学校に入学後「魔法使い保護法」を進めたのがダニエル・ブラウン伯爵だと知った。


 そして、去年、ルチアとサライスは生徒と担当教員として再会した。

 心がときめかなかったといえば嘘になるけれど、それよりもルチアは、以前とは天と地ほど違う立場の自分達の関係におびえた。

 もし、サライスがルチアに好意を示してきたら。

 けれど、その心配は、すぐに不要だと知る。

 そして、彼のそっけなく厳しい態度にほっとしたのだ。

 彼は、ルチアに対して特別な感情はない。

 もしかすると、覚えてないのかもしれない。

 よくよく考えると、二人が隣人だったのは、たったの三年間だ。

 彼はきっとルチアのことなど忘れたのだ。

 そう思い、ほっとした。


 でも、ルチアはクマの人形を見つけてしまった。

 サライスはルチアを覚えている。

 そして、思い出も大切にしている。


 それは、ルチアの望みではない。

 将来、伯爵になる彼はルチアなんかと友達だったとバレてはいけない。

 それに、過去にサライスがルチアに魔法を与えたなんてバレたら、いったいどんな罰が下されるのか考えただけでも恐ろしい。

 ルチアは入学後、魔法を持つ者から持たない者への魔法の授与について調べたが、そんな記述はどこにもなかった。

 ない、ということは、それは「ありえない」か「あってはならない」という意味だ。

 もし、何かの拍子で明らかになったとき、子どもがやったことで、許されるものなのだろうか?

 サライスは、何か処分を受けてしまうのだろうか?

 そんなの、嫌だ。


「ルチア・アンダーソン。おまえ、この学校で何を勉強した。魔法を持たない者に、魔法を与えるなんて、そんなことができるって、どこかに書いてあったか?」

「ないわ。でも、できるんでしょう? あなたなら」

「…………」

「できるのよね?」

「できない。俺を買いかぶりすぎだ。おまえには、微かだが、本当に微かだが魔法があった。そこに俺は自分の魔法を注いだ。そして、それは罪にはならない」

 サライスはそう言うと、ベッドの足下に置かれたルチアの穴の開いたルームシューズを新品同様にした。

「これを履いて部屋に戻り、直ちに制服に着替えて授業に参加しろ。ルチア・アンダーソンの進級試験は合格。六年生に向けての課題や、下級生へのデモなど、君にはやらなくてはならないことがたくさんあるはずだ」

「……はい。先生」

 ありがとうございますの言葉を飲み込み、ルチアは保健管理室を出た。

 すると、廊下の手すりに寄りかかり、ミランダがコーヒーを飲んでいた。

「逢引、終わった?」

「先生、妙な事言わないでくださいよ」

 ミランダが期待するような恋などというものは、ルチアとサライスの間にはない。

 そして、ルチアが懸念していたサライスの行為も、杞憂に終わった。

 ルチアは、本物の魔法使いだったのだ。

 ほっとしていいはずなのだけれど……。

 なんだか、心がスカスカする。

 ミランダにぺこりと頭を下げ、宿舎の部屋に戻ろうとするルチアの耳に、

「やっかいな恋をしてるね。アンダーソンもブラウンも」

 そんな声が聞こえた気がしたけれど、振り向いてもそこには誰もいなかった。


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