ルチア・アンダーソンはやっかい者
仲町鹿乃子
第1話
【高等部五年 進級試験課題「担当教員から魔法を使い私物を盗むこと」】
シンと静まる冬の夜。
ルチア・アンダーソンは、姿消しのマントを被ったまま教員宿舎のドアノブを掴むと、小さく呪文を唱えた。
銀色のドアノブが青い光を放つ。思いのほか大きな開錠音が暗闇に響く。
「やばっ」
つい出てしまった声を取り消すかのように、ルチアは慌てて手で口を塞ぐ。
こんな入口で見つかってしまうなんて、とんでもない話である。
ルチアは息を殺し、数秒間身動きもせず様子をうかがった後、慎重にドアを開けた。
時間は、夜中の午前二時十七分。
ルチアが向かう先は、若き担当教員サライス・ブラウンの部屋だ。
サライスは、キラキラと音がしそうな金色の髪に青い瞳。
背はすらりと高く、声までいい。
また、この魔法学校の校長であるダニエル・ブラウン伯爵の孫でもあった。
つまり、平民で容姿も果てしなく平凡なルチアにとっては雲の上のお方であるわけだ。
その雲の上のお方の部屋に、これからルチアは不法侵入する。
というか、盗みを働く。
私物を盗むわけだから、最早犯罪。
泥棒である。
ルチアだって、何も好き好んで、こんな真夜中に担当教員の部屋に忍び込もうとしているわけではない。
しかし、進級試験合格のためには仕方がないのだ。
合格の条件は二つ。
一つ目。魔法は、盗む過程において一度でも使えばOK。
二つ目。対象者に盗みが阻止されなければ、OK。
この試験に合格しなければ、留年だ。
そして、ルチアのような奨学生は留年が許されていないため、事実上の退学となる。
高等部は六年間。
卒業まで、あと一年。
自他ともに認める底辺魔法使いのルチアではあるが、ここまで来たからには、魔法学校を卒業したい。
なんの後ろ盾のないルチアにとり、魔法学校卒業の学歴は大事な武器になるからだ。
それに、ここで六年間過ごした経験は、その後の自分の自信にもなると思えた。
ちなみに去年の課題は「魔法を使って学校内にある物の色を変えろ」だった。
合格の条件は、二つ。
色を変える物は、生徒の私物はNG。学校側が購入したものであること。
そして、二十四時間その変化を担当教員に気づかれてはならない、といったものだった。
ルチアはまず、自分のクラスの窓辺に置かれた花瓶の底の色を変えた。
花の水を替えるのはルチアだけだったし、そもそも花瓶の底なんか誰も見やしないと思ったからだ。
けれど、甘かった。
去年も、ルチアの担当教員だったサライスは、教室に入るなり花瓶を持ち上げ、その色の変化を指摘した。
その後もルチアは、食堂の青い缶切りの柄をほんの少し薄くしたり、池の魚の餌箱の色を変えるなど、サライスの行動範囲とは思えない場所を探しては色を変えたが、ことごとく暴かれた。
他の生徒はといえば、ルチアの奮闘に紛れ、サライスに指摘されることなくどんどんパスしていった。
やぶれかぶれになったルチアは、保健管理室で予備の下着を借り、その色を変え身に着けた。
果たしてサライスは、ルチアのもとにやってきた。
そして、ルチアの胸元に二十九秒ほど視線を定めたのち、何も言わずに去っていった。
勝利を喜んだルチアだが、その後、色を変えた下着を買い取る羽目になり、予想外の出費に少し泣いた。
そして、今年。
去年と同じように、ルチアの魔法は次から次へとサライスに阻止された。
その横でクラスメイト達は、サライスからハンカチやポケットティッシュ、コースターやネクタイを盗みまくっている。
憧れの先生の私物を、後で返すにせよ堂々と盗める機会だった。
みんなの鼻息は、異常に荒かった。
そんな中、期日を明日に迎え、とうとうルチアだけが残ってしまった。
「私達が先生の注意をひいているから、その間にやりなさいよ」
ありがたいクラスメイトの助けを頼りにトライしたものの、やっぱりサライスは風のように現れて、ルチアの盗みを阻止した。
「サライス先生、このままでは私は落第となります」
「それは君の問題であって、僕の問題ではない。アンダーソン」
北風よりも冷たいサライスの言葉に、二人の様子を見ていた生徒達は凍りついた。
サライスがルチアを嫌っているのはすでに周知の事実となりつつあるが、これはあまりにも厳しい。
多くのギャラリーの前で繰り広げられたこの会話により、ルチアの六年生への進級はほぼ絶望的だと誰もが思った。
「と、油断させての最終トライですよ」
ルチアは諦めない。
諦めたくない。せっかくここまで来たのだ。
中退ではなく卒業を目指したい!
それにしても、十二月の夜である。
教員宿舎とはいえ夜中は暖房を消しているようで、吐く息がそのまま氷の結晶になりそうだ。
しかも、いつもはおろしている長い髪を動きやすいようにポニーテールにしていたため、首の後ろも地味に冷える。
高等部の卒業論文は、姿消しのマントの防寒性についてやってみようか。
あぁ、それも、六年生に上がれたらの話だ。
寒いのは体だけでなく、足もともだった。
ルチアは、足音を消すために底が薄く柔らかなルームシューズを履いていた。
ところが、女子宿舎から教員宿舎までは、学校内の大広場をつっきり、さらに眼鏡橋を渡り、塀を乗り越え……。
距離や障害物のため、やわなルームシューズの底にはあちこち穴が開いてしまった。
足の裏も怪我をした。
幸い血は出ていないようだが、何かが刺さったようでズキズキと痛い。
さっさと課題を終わらせて、暖かい部屋に戻りたい。
サライスの部屋に行ったら、靴でも傘でも帽子でも玄関近くにある何かを掴んでダッシュで逃げよう。
落第して、退学となったら、実家とは名ばかりの意地悪な伯父家族のもとに戻らなくてはいけない。
母が亡くなり、伯父家族と暮らした五年間。
ルチアは、ろくに食事も与えられず風呂にも入れなかった。
「あんた、髪が洗えなくて不便でしょう?」
伯父の娘でルチアの一歳上の従妹は、ルチアの銀色の髪をむんずと掴むとハサミで切った。
伯父の家にいるときのルチアは、隣の家の男の子よりも短い髪だったのだ。
ルチアの従妹は髪を切るたびに、わざとルチアの耳を切るような仕草をした。
ルチアはぐっと歯を食いしばりながら、いつか自分の耳は切り落とされるのではないかとひやひやした。
あんな生活は嫌だ。
教員宿舎の三階まで階段を上る。
そして、左右に分かれた廊下を右に進んだ一番端の部屋。
サライスの部屋をルチアは知っていた。
半年ほど前、ルチアと他の生徒の計三人はサライスに頼まれ、図書館の資料を部屋まで運んだことがあった。
あのとき浮かれていた女子生徒達とは違い、ルチアはサライス先生は職権乱用だなと内心呆れたものだが。
世の中、無駄なことなど何もないということだ。
ようやくルチアはサライスの部屋の前に立った。
そして、静かに一回深呼吸をすると、ドアノブに手をかざしゆっくり扉を開けた。
薄く開いた扉のすぐ左の壁にコートを掛けるフックが見え、そこに鞄が下げてあった。
ルチアは歓喜し、すばやくそれを掴むと部屋を出た。
はやる気持ちを押さえつつ、廊下を歩き階段を下りる。
サライスは来ない。
そして、宿舎の扉にカギをかけると、そのまま塀まで走った。
走りながらルチアは、微かな鈴の音に気が付いた。
――サライスの鞄には、何かが入っている。
塀に着いたルチアは指先に小さな灯りをともし、サライスの鞄を開けた。
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