45話 エニグマ。
★ロマノフ家の現況は、以下で。
38話 可愛──くはない嫁。
https://kakuyomu.jp/works/16817330648495045364/episodes/16818093073723292235
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「素数、素の最小素数、出生日が同一の相手がいる確率が五十パーセントを超える最小人数──」
奇妙に揺らぎを帯びた声音で唱え続ける少女の背後には、
また、彼女を守護すべく、両脇に数名の屈強な男達が腕を組んで立っている。
小さな卓を挟み少女の向かい側に並び座るケヴィンとジャンが、少しでも不審な動きを見せたなら腰に吊るした獲物を抜いて襲いかかって来るのだろう。
「ユリウス・カエサルの突き刺された回数、タロウが群れを成す際の最小人数、ホモ・サピエンス、ホモ・デウス、オビタルの染色体ペア数」
オカルティズムに関連する知識がケヴィンに僅かでも有ったなら、向かいに座る相手がノヴォ・カバラと数秘術に傾倒していると解したかもしれない。
なお、ラムダ聖教会と親和性の高い一夫一妻を尊ぶイーリアス学派と異なり、ノヴォ・カバラは多数の教会関係者より異端へ繋がりかねない思想として危険視されて来た。
「外典黙示録の章立て数、銀河が孤独を味わった秒数、ロマノフの呪われし歴代当主の頭数、さらには邪鬼トール・ベルニクの名をゲマトリア変換した値とも一致するッ! これ即ち──二十三ッ!!」
少女は数字を雄叫んだ後、ケヴィンとジャンの眼前へ指先を突き出した。
右手は二本、左手は三本の指が立てられている。
「のわっ」「こ、これ、シャルル」
と、眼球を保護する為の無条件反射で、ケヴィン達は思わず後ろへのけぞった。
──な、何なのだ、この少女は?
──意味不明な話と、そこはかとない凶暴性……。
我が妹は相当な変わり者でして──と、ジャンから事前に聞かされてはいたのだが、風変わりなピュアオビタルには耐性があると高を括っていた。
──むむむ、閣下よりオカシイのでは──い、いや、待て待て、ケヴィン。さすがにその考えは不敬が過ぎるぞ……。
家令セバス・ホッテンハイムとは異なる意味で、ケヴィンにとってもトールは単なる主従関係を超えた存在なのである。
「当方、浅学ゆえに御高説の意味は図りかねるのですが、ともあれ、本日はシャルロット殿にお尋ねしたき儀が──」
この場を二人が訪れた理由は単純明快だった。
妹のシャルロットが、トスカナ領主の座を得ようとする理由を探る為だ。
ジャンと同じく、つい先日までは自家と政治に何の興味も示さず、数秘に囚われ浮世とは距離を取っていた少女──。
ところが、父ピエトロが大逆に加担して非業の死を遂げた途端、弱腰の兄は家督を継ぐべき器ではないと断じ、尚且つ声高に政治的な主張をし始めたのである。
新生シャルロット・トスカナ曰く──、
「邦家廃絶を免れたとはいえ我等トスカナの偉大なる主権を、相も変わらず宿無しのロマノフが握る状況に変わりはない。誠に憂うべき邦柄である」
不運な歴史的経緯により領地を与えられていないロマノフ家を「宿無し」と揶揄しながらも、カトリーヌは自家の置かれた不名誉な状況を嘆いて見せた。
つまり、領地を持たずとも誇り高きロマノフは却って権勢と莫大な富を蓄積し、オソロセアとその周辺領邦に対して強い影響力を持つに至っているのだ。
現代となってトスカナやブルグントの如き小領は、左足の小指を動かすにもロマノフのご機嫌を伺う必要があった。
「さらには、ロマノフ
ヴィーナス・ロマノフ、またの名をミセス・ドルン。
嘗ては、帝都フェリクスにて礼儀作法講座を開き、裏では七つ目を統べる老婆だったが、彼女の最も重要な役回りはロマノフ家当主という立場なのである。
「となれば、トスカナへの影響力拡大を欲する者共が、悪辣な老婆を呼び戻したに違いない。父ピエトロが犯した一度の不始末を天佑と見做し、名実共にトスカナを喰らおうとロマノフは腹を決めたのだ!」
この見解を
実際のところミセス・ドルンに家へ戻ってくれと伏した者など居なかったし、小領トスカナにおけるパワーバランスに対して強い関心を抱く事も無かった。
つまるところ、ロマノフ家にとっての生命線はオソロセアにおける権勢であり、隻眼の老婆に至っては自らの都合で舞い戻ったに過ぎないのだ。
だが、巨象にとって無害な綿埃も、羽蟻にとっては厄介な障害物と成り得よう。
故に──、
「今こそ、我等はトスカナの矜持を胸に抱かねばならぬ! 立ちて反骨の狼煙を上げよ!! ロマノフに宿無しの分限を叩き込むのだッ!!!」
と、父を喪った少女の発した檄文が、極一部の厄介な連中の胸を打ってしまったのである。
当初、ジャンはこれを渡りに船と感じていた。
ロマノフ家の犬に過ぎないトスカナ領主の座を、変わり者の妹が欲しいと言うならば呉れてやり、自分自身は気儘に領内で暮らして行こうと考えたのだ。
そして──、今は熱に浮かされ独立独歩を謳っているが、領主となった後に妹も現実を見詰め直し、ロマノフと折り合いをつけて再び数秘の世界へ戻れば良い──と。
ところが、妹のシャルロットを神輿として担ごうと目論む血気盛んな勢力は、家督継承の意思が無いというジャンの言葉を信じなかった。
その上、シャルロットがトスカナ領主となった暁には、裏切る可能性のある弱腰な兄を亡き者とし、ロマノフ家との全面抗争も辞さないというシナリオを
命を賭して兄妹で相争う程の価値を、自家と領地に対して見出していないジャンにしてみれば迷惑千万なシナリオだった。
こうしてジャンは、名を変えて領地から逃げ出そうとしたのである。
「──と、ジャン殿経由となりますが、私も貴家の状況は伺っております」
逃げるな、などと勢い任せに逃亡を止めてしまった為、ジャンから請われて仲介者という謎の立場になっていた。
元々は偽りの名で生きる困難さを危惧しただけなのだが、事情は不明ながら上司のトールからも発破をかけられており断るにも断れなかったのである。
その結果、ケヴィンはベルニクの軍属でありながら、帝国宰相直属の特使という役目も拝命していた。
「うむ、左様か。ならば、話は早い」
無表情に頷いて言葉を早口で紡ぐシャルロットを見ながら、ケヴィンは少女シリーズの面影を脳裏に浮かべていた。
──どうにも、外見と口ぶりは似ているな……。
少女シリーズの面影が艦隊の記憶に連鎖すると、期せずしてケヴィンの郷愁を誘った。
せめても基地仕事か、可能なら艦上任務に一刻も早く戻りたいと感じている自分に気付き、ケヴィンも内心で少なからず驚いている。
仕事を愛するタイプではないと自負していたからだ。
「我の言葉に、理と義が有るのは幼子にも分かる。いわんや、幼子ではない貴方ならば髄まで腑に落ちていよう」
「え? は、髄?」
「トスカナの栄誉を取り戻すには戦うほかになかろう。ロマノフと彼奴らに与する裏切り者に血を流させねばならん。ようは粛清する必要があるのだ。まずは穀物管理局の──」
と、少女は暴力を語り続けている。
ベルニク領邦軍のメンタルケアチームに用意させた質問集を使う予定だったが、ケヴィンは既にシャルロットの危険な精神状態は明白に思われた。
──シャルロット嬢が政治に興味を抱き始めた理由など、もはや探るべき事案ではないな……。
──数秘の世界で
ジャンを引き止めた自身の決断は、それなりに意味があったのかもしれない──と、ケヴィンは思い始めていた。
「と、概ねこのような算段を立てておる。あ、そうそう──」
そう言ってシャルロットは、始めて笑みらしきものを浮かべた。
「──本日、兄上には死んで頂くつもりでな」
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