38話 可愛──くはない嫁。

 歴史の風雅と趣を感じさせる大広間の中央には円卓があり、銀の冠を戴く五人の男女が着座していた。


 ロマノフは貴族の中の貴族であれ──。


 何者にも伏さない事を旨とする家法を宿した彼等は、その顔貌に生来の傲岸不遜を刻み込まれている。


 ロマノフの全ては、この円卓を囲む五柱によって差配されて来たのだ。


 だが、数十年にも渡って当主の不在が続いており、円卓の主座は絶対不可侵の如く空席となっていた。


 飽くなき野心家たるロマノフの者達が誰もその座を奪おうとしなかったのは、姿を見せずとも全てを見通すと言われた女の瞳を恐れたゆえである。


 今宵、その彼等は何も語らず押し黙っていた。


「──いつも、こういう──その──暗い雰囲気なんですの? ミハイル」


 大広間の壁際に用意されたオブザーバー席に座るのは五柱に準ずる立場とされる者達で、発言権は持たないが円卓の秘事を共有する栄誉を与えられる。


 前オソロセア大公の忘れ形見としてロマノフ家の庇護下にありながら、円卓会議に初めて招かれたエカテリーナは、隣に座る少年──ミハイル・ロマノフに小声で尋ねた。


「い、いいいいいえ。ふ、普段なら、あ、ああそこに座っている大伯父様が──」


 ベルニクのヴォルヴァ幼年学校に通う吃音の少年は、今よりさらに幼い頃から円卓会議のオブザーバーとして招かれている。


 周囲には──無論、円卓にも彼と同年代の者など存在しない。


 エカテリーナは、あまりに幼い同席者に不信の念を抱いたが、少年の参加は不在となった当主の言伝に依るとされていた。


 ──わざわざベルニクの幼年学校に通わされているのも、何か裏があるのかもしれませんわね……。


 傲岸さと無縁なロマノフらしからぬミハイルの人柄も気掛かりだった。


 テルミナ・ニクシーの養子ディオ、ロイド家の息女キャロルとよしみを結んでいると知ったなら、彼女の疑念はより一層深くなったかもしれない。


「──なのですが、きょきょ今日はどうも様子が違いままます」


 そう言ってミハイルは首を捻った。


 初参加のエカテリーナ同様に、常とは異なる場の緊張を感じ取っていたのである。


「そうなんですの──。となれば、待つしかありませんわね」


 領邦軍内では常に場を支配してきたエカテリーナにとって歯痒い状況ではあったが、オソロセアの権力を確実に掌握するまではロマノフ家の尾を踏む愚は許されない。


 ──もっとも──領主に成りおおせたところで……。


 稀代の奸雄ロスチスラフですら手を焼いたロマノフ家との権力闘争は続くのである。


 とはいえ、エカテリーナの大願成就へ向けた道程は順風満帆に思えた。


 臨時代官に任ぜられたフェオドラは、浮薄な遊び人という風評を逆手に取って、平和的なエカテリーナへの権力移譲に向けて効果的な動きを見せている。


 エカテリーナ並びに軍を抑える事で領内の混乱を最小限とした上で、ロスチスラフ子飼いの家臣団を諦めさせるが如く連日に渡って派手なパーティを催していた。


 フェオドラの乱倫をメディアで知った民心も、徐々にロスチスラフの遺した三人娘から離れつつある。


 闊達なはずの次女はオリヴィア宮に隠れ何も発せず、未だ巷間では嫌疑の晴れぬ三女は遠いヴォイド・シベリアに在るのだ。


 他方、その裏でフェオドラはエカテリーナを伴い各要人と面談し、ロスチスラフ色を一掃した邦柄となる事を実の娘が折伏してのけていた。


 ──全てがロスチスラフ侯の遺言通りとはいえ、なかなか出来る所業ではありませんわ。


 己の権威と娘達の風評を代価として支払い、ロスチスラフは領邦領民の安定と、何より娘達の安全を盤石にしようとしたのである。


 実に見習うべき点であるとエカテリーナは感じ入っていた。


 ──父が滅んだのも必然と言えるでしょう……。


 ロスチスラフの謀反により廃されたボリス・オソロセア大公。


 彼女こそがボリス大公の忘れ形見とはいえ、その行動原理は遺恨によるものではない。


 全ては愛した者との約を果たす為である。


 ──物事には常に良い側面がある。


 エカテリーナにとって現在の状況は、まさしくガイウス・カッシウスの言霊が示す通りと思えた。


 ──ガイウス……、


 と、彼女の脳裏に聡明さと悪戯心を併せ持つ男の顔貌が浮かんだ時の事だ。


「待たせたね、盆暗共!」


 巨大な両開きの扉が勢い良く開け放たれると同時、掠れを帯びた銅鑼声が大広間に響き渡った。

 姿を現したのは、白いロココ調のドレスを纏う老婆である。


 年齢にそぐわないデザインと、顔貌の一部に無骨ながある為に、手練れの使用人でなければ「お似合いです」と口にするのは困難だろう。


 つまり端的に表すなら、滑稽なのである。


 だが、円卓を囲む五人は大真面目な顔で慌てて立ち上がり、オブザーバー席の面々も跳ねるように席を立った。


 何事かと思いながら、エカテリーナもそれに続く。


「──わわ、ば、ばば様だ」


 周囲に迸る緊張感とは裏腹に、隣の少年ミハイルのみは嬉しそうに呟いた。


「──ひ、久方ぶりにももも戻られたんだっ」


 老婆は鼻を鳴らして辺りを睥睨した後、齢を感じさせない足取りで迷う事なく円卓の主座に腰掛けた。


「お座り」


 その峻烈な一言のみで、ロマノフの面々は犬の如く従順に着座していった。


「よ、よくぞ、戻られました──」

「誠に喜ばしい報せを聞き、我らは──」

「この日を一日千秋の思いで──」


 老婆は円卓を平手で打ち、小鳥達のさえずりを黙らせる。


「追従はいいんだ。今日は大事な話があって来たんだからね」


 ロマノフ家を双肩に担うはずの老婆は、その人生の大半をオソロセア以外の地で過ごしている。


「あたしのお気に入り──ベルニクの坊やが、またもヤンチャな事をしそうなんだよ」

「おお、サヴォイア廃絶の件ですな?」

「我らも、さすがに横暴が過ぎると憤慨しておりました」


 苛烈な声明を発表し、数多の艦艇を率いてサヴォイアへ向かっている件である。


「馬鹿だね」


 アンチエンジングを全く施さなかった老婆が顔を顰めると、彼女の矜持を支える無数の皺が刻まれ凄惨な表情となった。


ともがらの式を汚された挙げ句、可愛い嫁──いや可愛くはないね──ともかく嫁の命まで狙われたんだ。皆殺しすりゃあいいのさ」


 トール本人も引きそうな雑言で、老婆は一連の動きを擁護した。


「──が、ウォルフガングも動いているだろう?」

「フォルツの代官ですな。サヴォイアの藪医者が詣でに向かったそうですが」

「ハッ! さといウォルフガングは相手を間違えないよ」


 いかなる流れとなるかまでは読めないが、結果としてベルニクとフォルツが手を結ぶ未来を老婆は予見した。


「そいつは、まだちっとばかり困るのさ」

「は、はあ」

「──なるほど」


 その真意に思い当たる者など、この場には存在しなかった。


「ですが、その、ヴィーナス様──い、痛っ」


 ミハイルが大伯父様と語った男の後頭部を、老婆は容赦なく杖の先で打った。


「まったく、何度言えばお前は覚えるんだい? ──ミセス・ドルンとお呼び」

 

 ◇


 帝都フェリクス、オリヴィア宮──。


 ロスチスラフ侯の喪失と葬儀における混乱の痛手も徐々に癒え、本来の活気を取り戻しつつあった。


 目まぐるしく動く日々の情勢が、新生派帝国の中枢たるオリヴィア宮の停滞を許さない。


 寛大な沙汰への御礼を携えたブルグント大使との謁見を終え、女帝ウルドはテラスで寛ぐか否かで暫し逡巡した後、やはり友柄の許へ向かうと決めた。


「近頃ではお食事も普通に取っておられ、御付きの者共も胸を撫で下ろしております」


 侍従長シモンは、道先を案内しながら名誉近習レイラの近況を伝えた。


「そうか」


 父を喪った上、当初は妹が毒殺したとされていたのである。


 結果、心痛の重なったレイラは、自室に籠もる日々が続いていた。


 ──この点、ロスチスラフの配役こそ妙味よな。


 三姉妹の性格と境遇を正確に把握した上で、各自に担わせる役割を決めたのだ。


「何よりである──ふぁ」


 と、言いながら、小さな欠伸を漏らす女帝に気付いたシモンは、公務が重なり彼女の疲労が蓄積しているのだろうと推測した。


 ──そういえば──近頃の陛下は馬遊びもされておらぬ。

 ──戦となると、トール伯が戻られるのは、いつになる事やら……。


 シモンにとって、女帝ウルドのストレス発散は最優先事項なのである。


 ──ふぅ、レイラ殿、頼みましたぞ。私の為にも……。


 ◇


「随分と顔色が良うなったな、レイラ」

「ええ──お陰様で。私の方はすっかりと戻っております」


 女帝を迎える為に装いを改めたレイラは、嘗てと同じく怜悧な美を放っている。


 全てが、自分達を権力闘争から守る父の策略であったとトールから説明を受け、大いに心は晴れていたのだ。


 無論、父を喪った悲しみ、散り散りとなった姉妹、そして結局のところ己が何の役にも立てていないという事実は彼女の心を幾分か曇らせていた。


 長女はオソロセアに戻り奮闘しており、三女に至っては父殺しの汚名を着る覚悟を強いられたのである。


「ですが──」


 レイラは、窓の前に立ったウルドの横顔を気遣わし気に眺めた。


「陛下は少しばかりお疲れのご様子かと──」


 陽光に照らされた顔貌に、疲労の色を見て取ったのである。


「うむ、分かるか。近頃どうにも気怠く寝付きが悪い。食も進まぬしのう」


 ウルドは首を捻った。


「そういえば、嘔吐えずく日もあったな。ふむ、ちと気にはなるが、明日には暇をやっていた侍医が戻るゆえ──」

「陛下ッ!」

「な、なんじゃ?」


 唐突に大きな声で詰め寄って来たレイラに、珍しくたじろいだ様子を見せたウルドは窓際へと後ずさった。


「これぞ、曇天を払い天下を照らす吉事に御座います」

「え?」


 何よりレイラ自身の心が晴れ上がった。


「ご懐妊です」

「え、え?」


 レイラの唐突な宣告に、ウルドの思考は未だ追いつけていない。


「陛下にもお心当たりが御座いましょう? ええと三から五週と言えば──」


 指折り数え始めたレイラの意図に気付き、ようやく女帝ウルドは頬を朱色とした。


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★ディオ、キャロル、ミハイルについて

[結] 13話 帝都合唱団

https://kakuyomu.jp/works/16817330648495045364/episodes/16817330665907881941

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