39話 深淵の城塞。

「ぼ、坊ちゃまの──坊ちゃまが!?」


 照射モニタ上に映る家令セバス・ホッテンハイムの表情に、レイラは思わず吹き出しそうになるのを堪えた。


「正確には、ご令息とご令嬢ですわ。セバス様」

「ええっ?」

「二卵性の双児そうじなのです」


 生殖は先史時代にヒトの手を離れ超越知性体群による生産管理の一分野となったが、オビタルはこれを再び確率と偶然が支配する人為的な営みへ戻した。


 とはいえ、染色体並びに遺伝子検査は妊娠初期段階で実施されており、性別だけでなく先天性疾患の発症リスクまでを精査している。


 なお、ニューロデバイスに適合しない遺伝特性が判明した場合、速やかに人工流産措置を施す事が全医療機関の責務となっていた。


 この方針について誤解を恐れずに言えば、親に選択肢を与えないのは慈悲とされている。


 光速度の限界を超えるオビタルの構築した社会は、それほどにニューロデバイスという後天的な感覚器に依拠していたのだ。


 その社会的コンセンサスこそが、ニューロデバイスを切除したベルツ兄弟を狂わせる要因ともなった──。


「おおお、これから忙しくなりますぞっ!」


 だが、セバスの関心を最も引いたのは、ニューロデバイスへの適合可否などではなく、ウルドが懐妊したうえに双児まで授かったという事実である。


 乳母の腕で眠る赤子の頃からトールの傍に在った彼にしてみれば、些か不敬と言われようとも自分に孫が出来たかのような感覚をもたらしていたのだ。


「ですわね」


 拳を握って奮い立つ老人を、レイラは柔な瞳で見詰めた。


 女帝が妊娠した場合、妊娠後期、出産、そして産後数週間は、生家へ戻って過ごすのが慣例となっている。


 とはいえ、ウルドの生家であるウォルデン領邦は復活派勢力圏に属している為、彼女が出産前の巣穴として選んだのはベルニクとなった。


 故に、屋敷を差配する老人の負担は大いに増える。


「いやいや、私の老骨など明日にも倒れても構いはしませんので、早速お屋敷の改装計画を──あ、ところで、此度の慶事をヨーゼフ殿へは?」


 セバスは統帥府長官ヨーゼフ・ヴィルトの名を上げた。


 個人的に親しくしている間柄というのもあるが、重要性を鑑みるなら統帥府が主導すべき事案だろう。


「はい。内はセバス様、外はヨーゼフ様を頼るように、と──陛下より直々に」

「へ、陛下からっ!?」


 女帝直々の指名と聞き及んだセバスは背筋を伸ばした。


「そうですわ、フフ」


 一切の二心が感じられない忠義者の所作は微笑ましく写ったが、それでもレイラの懸念を完全に払拭するには至らなかった。


 ──よもや、セバス様が原因となる訳もないのでしょうけれど……。


 未来から訪れたと主張する双児から奇妙な指輪を受け取った話を、レイラは幾度もウルドから直に聞かされている。


 ──レオ・セントロマに関わる予言、意思を通わせる指輪の力──そして尚且つ、陛下は双児を実際に授かられた。

 ──となれば、誠の未来と邂逅された可能性も否定は出来ない。


 だが、くだんの話が事実である場合、別の問題が浮上してくるのだ。


 ──いかなる経緯を辿っての事なのか……。


 双児のうなじには、ニューロデバイスが無かった。ウルドだけでなく、傍に在ったパトリックやエカテリーナからも同様の証言を得ている。


 帝国で最も高貴な血を受け継ぐはずの二人が、オビタルにとって必要不可欠な感覚器を具えていないのだ──。


 レイラにとってその事実は、どうにも不吉な未来を暗示しているように思えていた。


 ◇


 ★マリ一行と、アンドロイド・ミコの前回


 25話 最期の敵。

 https://kakuyomu.jp/works/16817330648495045364/episodes/16817330668887749782

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「ようこそなのですぅ。マリ様、コルネリウス様──」


 小さなクローゼットの奥から現れたマリとコルネリウスに向かって、アンドロイドの巫女と自称する少女は頭を下げた。


「──あと、怖いお姉さんと、オリヴァー君もぉ」


 二人の後に続いて来たブリジットとオリヴァーにも声を掛ける。


「な、何なのだっ、このふざけた場所は?」


 苛とした様子でオリヴァーが怒鳴った。


 ハイデンと呼ばれる場所に居たマリ達一行が、ミコにいざなわれて辿り着いた場所は、どこの誰の物とも判然としないクローゼットの中だったのである。


 そのクローゼットを出て辺りを見回すと何者かの寝室──という状況となれば、オリヴァーでなくとも戸惑いと苛立ちが先行するのは当然だろう。


「ええと、ふざけてはいませんが、奇妙な特異点ではあります」

「──使用人部屋かしら?」


 マリは狭い室内を見回しながら呟いた。


 寝具、クローゼット、書き物机だけが置かれた部屋で、小さな窓の外は暗闇となっており何も見えない。


「拓哉様によれば、ここは深淵の城塞と呼ばれる空間です」

「城塞──」


 ベルツの屋敷からトールと共に訪れた島をマリは思い起こす。


 湾曲した絶壁に囲まれた小さな島で、その絶壁の上に城塞が聳え建っていた。その麓には父を裏切ったベルツ兄弟が、ほぼ停止した刻の中を過ごしているはずなのだ。


「ほうほう? 城塞を浜辺からご覧になったと?」

「トール様と二人で、崖下から見上げた」

「へぇ、なるほどですぅ。だったら、ここで十年の刻を過ごせば、お二方と出会えるかもしれませんね〜。もちろん、お薦めしませんですけども」

「刻の溯行……」


 ウルリヒ・ベルツの憎まれ口が、マリの脳内で再生された。


 ──抗エントロピー場――などと兄からは聞いたが――私も仔細は知らぬ。だが、あの中では、時が止まるどころか逆転しているのだ。


「まさに仰る通りでして、この不思議な空間では全てが遡っています。あるいは、結果から原因が生成されると言い換えた方が良いかもしれません」


 そう言い換えたところで、マリ達の肌感としては全く現実味の無い話である。


「つまり、同一の系に属している限り、私達の脳が──あ、ミコのは特別製ですけど──互いに通信をして認知の歪みを訂正してくれてるんですっ」

「全員が気狂いになれば、全員が正常になる──という理屈だな」


 この時、コルネリウスは世界を照らす唯一の真理を口にしたのだが、軽口のつもりだったせいか本人がそうと気付く事は無かった。


「ええ、系外から今この瞬間を観測したなら、クローゼットに戻って消えていく私達が見られるはずです」

「ぞっとする話だ」


 結果から原因が生成される宿命論的な思考は、オリヴァーにとって実に不愉快な代物である。


 オビタルと地表人類の間に産まれた忌むべき駃騠けってい、一族の誰からも望まれなかった存在──それらが宿命であったなどと、オリヴァーは決して認める訳にはいかなかった。


「ともあれ──」


 マリにとっても腑に落ちない状況だったが、彼女の務めは因果の逆転を調べる事では無いのだ。


「貴方の話を信じるなら、グリンニス伯はこの城塞を経由してカムバラ島へ行ったのね?」

「そうです、そうです」


 グリンニス・カドガンが持っていた動画データと、カムバラ島西岸のビーチが一致する点は、特務機関デルフォイの解析チームが保証している。


 だが、彼女が地球を訪れた航宙記録は無く、本人にも行った記憶が無かった。


「城塞経由で行ったのなら当然です。但し、誰が彼女を連れて来たのかっていう疑問は残りますね」

「ええ。それはそうと、ベルツの台座、ミネルヴァや首船の台座──と、クローゼットの仕掛けは同じなのかしら?」


 ベルツの台座は城塞を見上げる砂浜に繋がり、ミネルヴァや首船の台座は巨人の眠る待針の森へと繋がっていた。


「う〜ん、分かりません。私が知っている触手は、カムバラ、城塞、そして城塞から辿れる地点だけですから」


 ミコの説明によれば、城塞の至る所にヒトを転送する仕掛けが施されている。


「そう──。でも、同じだと仮定すると不思議な部分がさらに増える」

「ベルツの不幸な兄弟とは異なり、グリンニス伯は銀冠を失っておらんな」


 オリヴァーが言う通り、台座を使ったベルツ兄弟は金髪に色褪せてしまった。


 銀冠を失わなかったのはトールと、そしてグリンニスである。


「その代償として伯は病を得たのかしら」


 というマリの問いに対して、応えを持ち合わせている者はいない。


 暫しの沈黙の後、再びマリが口を開いた。


「まあ、いいわ。それより、次に案内してもらいましょう」

「おおっと、いけない。そっちが本題でした」


 そう言ってミコは、自身の頭頂部を何度か掌で叩いた。


「ペネロペちゃんが入り浸っていた場所へ、皆様をお連れするんでしたね」


 幼名ペネロペ、イドゥン太上帝が銀冠と引き換えに訪れていた場所である。

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