40話 覚悟のヴィオランテ。

 故アイモーネの妻ヴィオランテは夫が不名誉な死を遂げて以降の数週間、一度たりとも心を安らかにさせる報告を受けていない。


 年端もいかぬ愛息は帝都フェリクスに拘束され、トール率いるベルニクの大艦隊は自星系へ押し入っており、フォルツの援護を得ると豪語して旅立った侍医ピルトンに至っては──、


「頸を刎ねられた、とな? 法螺にしても笑えぬ与太じゃ」


 近習から報告を受けたヴィオランテは、続く想定外の状況に理解が追いつかなくなっていたのか、少しばかり間の抜けたいらえとなった。


 ──が、そうなったとて無理のない側面はある。


 他領へ送った使者の頸が文字通りの意味で刎ね飛ばされるなど、二千と余年に及ぶオビタルの帝国史においても先例がないのだ。


 この点、トール・ベルニクの台頭が、世相に蛮風をもたらしたと見做す向きもあった。


「い、いえ、まことの話に御座います。先ほど戻った医官共が映像を──その──無惨無体の光景となりますが──ご覧になられますか?」


 苦悶に満ちた恨み顔の首改めなど、高貴な婦人の為すべき所業であるはずもなく、ヴィオランテは細い身体を震わせ拒絶の意を示した。


「無用──。が、あれの姪御は嘆こうな。哀れな事よ」


 侍医ピルトンの姪が、サヴォイアの領邦軍に属している話は、本人から何度か聞かされている。


 とはいえ、伯父の今際の言葉を直接に聞いた姪が自暴自棄となり、ジャンヌ率いる艦隊へ無謀な突艦をしようとしているとは夢にも思わなかっただろうが──。


「もっとも、の度合いでは、わらわも引けを取らぬな……」


 寡婦となった女は、ひっそりと呟きながら息を吐いた。


「急ぎセイント殿を邦都へ戻されるべきかと」

「うむ」


 近習の賢しげな進言を受けて、ヴィオランテは眉間に皺を寄せた。


 サヴォイア領邦の全艦隊を任された司令官セイント・カンパネラは、ベルニク艦隊の侵攻を食い止めるべくカドガン方面のポータル近傍に布陣している。


 だが、フォルツの庇護が得られないと判明した今、セイントの敷いた防御陣地の戦略的価値は完全に喪失してしまった。


 ならば、虎の子である艦隊を邦都宙域へ戻し、手許に剣を置いた状態でベルニクと交渉すべき──とは、ヴィオランテとて百も承知の道理ではある。


「もはや、それも詮無き事……」

「は、はい?」

「我らの剣如きを、猛るベルニクの虎が恐れるはずもなかろう」


 復活派勢力入りを果たせていたなら生き残りの芽も有っただろうが、ウォルフガングに足蹴とされたサヴォイアは忌み子の様な邦柄に堕してしまったのだ。


 誰も手を差し伸べないだろうし、仲介役という火中の栗を拾う者も居ないだろう。


 となれば、ベルニクの発した苛烈な沙汰を無条件に受け入れる他に無い。


「し、しかし、それでは──ヴィオランテ様が──」


 近習の声が震えを帯びた。


 サヴォイア家廃絶と領邦の解体は元より、ヴィオランテと侍医ピルトンの身柄引き渡しをベルニクは要求している。


「致し方あるまい」


 と、見事に言い切った彼女は、絶命の窮地にあって諦観の域に至っていた。


 あるいは、この姿をトールが目にしたなら、アイモーネ・サヴォイアとは異なる美徳を見て取り、小気味よいと判じたかもしれない。


わらわの妄執は息子アントニオのみじゃ」


 アントニオ・サヴォイアはヴォルヴァ幼年学校に通う少年に過ぎないが、父の大逆に関わっていた嫌疑により拘束されている。


 小人を産生する不気味な植物の育成を学校施設内で行っていた事実は既に判明しており、一連の取り調べが終わった後に処刑されるのは確実だろう。


 つまりはヴィオランテが、フォルツに取り入るという侍医ピルトンの策にすがったのも、罪に問われている息子アントニオを救い出す為なのだ。


 母性の紡ぎ出す情念は、己が腹を痛めた子の存命のみに注がれている。


「あれを生かすには、全てを諦めトール伯の慈悲にすがる以外の道は残されておらぬ」


 覚悟の決まった母を前にして、近習は返す言葉を失った。


 敗者として、サヴォイアの滅びる命運が定まったからである。


 一族郎党だけでなく譜代の側衆達も、その多くは社会の最底辺へ転落していくのだ。


「──ゆえ、わらわは邦都にて座して待つ。セイントは好きにさせておけ。口は悪いが抜け目の無い男じゃ。兵卒共を無駄死にさせる事は万が一にもあるまい」


 ヴィオランテは領邦軍を邦都へ戻さず、丸腰でベルニクを出迎えると決めたのである。


 そこには僅かながら、トールからの心証も良くなろうという打算があった。


「ともあれ、卿等は急がれよ。逃げを打てる猶予は残り僅かぞ」


 そう言ってヴィオランテは周囲に集う古参の家臣と近習達を見回したが、何れの者共も力無く首を振って肩を落とした。


「──我等を受け入れる邦は、銀河の何処いずこにも御座いませぬ」


 トール・ベルニクの威光が絶対的となりつつある新生派勢力圏で、サヴォイアに連なる者を受け入れる領地など有るはずもなかった。


 また、フォルツの代官ウォルフガングが意思を示した今、復活派勢力圏とて同様である。


「哀れなるは、皆同じか……。かくなる上はうたの一つも──」


 と、流転する盛衰の憂き目に、ヴィオランテの詩心が刺激された時の事だった。


「ヴィオランテ様っ! 御歴々方々!!」

「ご注進に御座います。方々、お目通りを──、ご注進に御座います。伏してお目通りをっ!」


 家臣や近習より位の低い事務官達が、平素ならば立ち入れぬ領主の間へ押し掛けて来た。


「騒がしい、何事か? 急用であってもふだを入れよと──」

「が、外政部に一報が入りまして」


 外政部とはサヴォイアの外交事を担う官僚組織なのだが、譜代の家臣団により骨抜きにされており単なる連絡窓口の如き立場に貶められていた。


 この点、統帥府と官僚機構の歯車が噛み合っているベルニクとは、ガバナンスの状況が大いに異なっている。


「一報? やはり、フォルツが──」

「い、いえ──ベルニク領邦統帥府からに御座います」

「くっ──、ベルニクか……」


 ウォルフガングの心変わりに期待した近習は、思わず無念の声を漏らした。


「統帥府より、外事用の守秘チャネルの接続要請がありまして──」

「あん?」

「トール・ベルニク伯が所望されておるのです。ヴィオランテ様と直接の会談を、と」


 サヴォイアを取って喰らおうと邦都へ迫り来る相手が、正規の外交チャネルを通してEPR通信で会談をしたい──と、申し込むのも奇妙な話ではあった。


「──が、断る益も筋もあるまいな」


 再び情勢の変わる気配を嗅ぎ取ったヴィオランテは、トールとの会談前にまとうドレスを変えようと席を立った。


 ◇


「こんにちは。ヴィオランテさん。トール・ベルニクです。あ、あと、こちらは──」


 少女艦隊旗艦ブリッジを背景として、トール、グリンニス、そしてウォルフガングの並び立つ様子が照射モニタに映し出されている。


「ピルトン氏の首を刎ねちゃった点は、まあ、そのう、許して下さいね」


 トールの言葉に合わせ、ウォルフガングは殊勝な表情を浮かべ頭を掻いた。


 本来なら浮薄な謝罪で済むはずもないのだが、世の道理とは高みに至るほど力で定まるものである。


 生殺与奪を相手に握られているヴィオランテとしては、


「よしなに」


 と、有耶無耶に流す他に無かった。


「過去はさておき、いつの間にやらウォルフガング殿とも友誼を結ばれたご様子……。さらには此度の急な会談の申し出──」


 ヴィオランテは続く言葉に魂を込めるべく軽く息を継いだ。


「亡き夫の愚行すら霞む悪鬼が、世にまかり出て来たのかと……」


 彼女と息子の立場を少しでも良くする為、死んだアイモーネに全ての罪を負わせる必要がある。


「いやはや、まさにその通りなんですっ!」


 グリフィスへ潜入したテルミナとイヴァンナ。トスカナで足止めを食らっているケヴィン・カウフマン。ヴォルヴァ幼年学校を調査したロベニカ。そして、城塞に至った女男爵メイドのマリ──。


 意気投合したウォルフガングとサヴォイアを切り分ける腹積もりでいたのだが、各所に散った部下と使用人から得た情報を統合した結果、陣取りゲームの腕を悠長に競っている場合ではないと判断したのである。


 オビタルに迫る危機は、ピルトン等の開発したウイルスだけでは無かったのだ。


「そんなこんなで、貴女とも手を組む必要があると考えまして──」


 こうして、敵の敵が出現した事でヴィオランテ・サヴォイアは窮地を脱し、彼女の息子アントニオも一命を取り留める運びとなった。

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