41話 迫る危機。

 話は少し遡る。


「つ〜訳で、フォルツの子分とダチになったのは悪い話じゃねぇんだが──」


 トールとウォルフガングが行動を共にすると聞いたテルミナは、それが絶妙な均衡状態を保ってきた天秤を揺らす大事だいじであると理解した。


 火急の事態に対応する為に結ばれた仮初かりそめの関係性であったとしても、全ての事が収まった後に大きな政治的影響を及ぼすのは間違いない。


 とはいえ、喫緊の検討すべき課題は、迫る危機への回避策である。


「──サヴォイアの始末に関しちゃ、少しばかり考え直した方がいいぜ。特にヴィオランテの存在は重要だ」


 実際には天命を全うしたとはいえ、ロスチスラフの毒殺から女帝弑逆までを企図していたアイモーネ・サヴォイアに対して、トールは内心で激しく憤っていた。


 フリッツ・ベルヴィルの監修した苛烈な統帥府声明は、当人の困り顔とは裏腹に正しく思いを代弁した内容だったのである。


 つまり、トールはサヴォイア家を徹底的に叩き潰すだけでなく、同星系に残った利権を餌にフォルツ領邦を巻き込む腹積もりでいたのだ。


 全てはやがて訪れる復活派勢力との決戦を見越しての布石だが──、


「なるほど──」


 少女艦隊ブリッジで何度か頷いたトールの眼前には、五百光年以上離れたグリフィス領邦に潜入したテルミナの姿が照射モニタに写し出されていた。


 その背後には、ククリナイフを両手に握り、二人の男の首元に突きつけるイヴァンナの姿がある。


 ベルニクの放った女豹に捕らえられているのは、デイモスの丘で思想教化を進める講師タルコスと、青鳩あおあとのアカデメイアを管理する男だった。


 慈悲や道徳とは縁遠い特務機関デルフォイのポリシーは、テルミナの育った憲兵司令部同様『正義は我に在り』である。


「彼等──青鳩あおばとの計画に、ヴィオランテさんの生死が影響を与えるんですね?」

「ああ。ま、より正確に言うなら、寡婦やもめ女のご機嫌が影響しそうって事だ」


 本人が知っていたなら事態は異なる展開を迎えていただろうが、ヴィオランテ・サヴォイアはトールを動かすに足る切り札を期せずして握っていたのである。


 その情報をデルフォイが先行して掴んだのは、ベルニクにとって僥倖だったと言えるだろう。


「まず、連中の企みは、福音の頸木とつるんでのウイルス騒ぎだけじゃない」


 侍医ピルトンの開発したウイルスが青鳩あおばとの手に渡っている事は、ウォルフガングから既にトールも伝え聞いていた。


「ええ、そうですね。トスカナとイーゼンブルクに疫病をばら撒く事で、食料価格の高騰も狙っていると聞いています」


 仮に抗ウイルス薬や発症予防率の高いワクチンが開発されたとしても、穀倉地帯に対するネガティブな風評が相場を不安定にする可能性は高い。


「ああ──けど、まだ十分じゃねぇんだよ」

「ん? 十分って、何がですか?」


 トールの問いを受けて、テルミナは「そうだったな」と呟きながら、拘束しているタルコスの頬を軽く打った。


「うほっ!?」


 知性に憧憬を抱く二人の愚かな女を書斎でオルグするはずが、気が付けば薄暗い空間で拘束され首筋には鋭利な刃先の感触が有る。


「さっきの愉快な話を聞かせてくれ。手短にな」

「手短っ! うひゃひゃ」


 置かれている悲惨な状況に反して、タルコスは愉快な気持ちになっていた。


 多弁と真実を強いる向精神性の薬物を投与された為である。


「家畜どもの停滞にぃ、終止符をううううううううぅつつ!!」


 階級化された社会制度、唯一神を奉ずるラムダ聖教会、決定的脅威とは成り得ない蛮族、これらに疑念と反感を抱く事が困難な遺伝的特性──。


 全てはオビタルが家畜に過ぎない存在である事を示す、というのがタルコスの確信する思想であり、それは青鳩あおばとの掲げるイデオロギーとも通底していた。


 つまり、共和制なる政治システムに革命的移行をする事で、何者かの家畜から脱却し自らを御する権利を獲得すべしという論法である。


「──んが、ウイルスだけでは弱いっ!! 穀物価格が一時的に高騰しようとも、飢餓を生み出す前に需給ギャップが改善するのは明白!」


 遥かな進化を遂げたマクロ経済学、各領邦の保有する穀物備蓄とセーフティネット、そして代替食料の産生可能なテクノロジーが、太古の人々が味わった飢餓からオビタルを守ってくれる。


 劣等種たるホモ・サピエンスですら、産業革命以降は大規模な飢餓を経験していない。


 だが、青鳩あおばと指導部が求めるのは生半可な不景気などではなく、革命の原動力となるほどの圧倒的な大衆の飢えなのだ。


「だ、か、ら、分断、寸断、ロマンは男爵」


 気持ちよさそうに韻を踏みながら、タルコスは両の掌を前方に突き出した。


「轟け、クルノフの秘蹟」

「クルノフ──」


 サヴォイアに隣接するクルノフとは、インフィニティ・モルディブを擁し、富と筋肉を愛するロマン男爵が治める星系である。


 トールが思い出したのは、プロイスを治める方伯夫人との会話だった。


 外典黙示録を解読した結果、三つの秘蹟なるモノを携え城塞に渡れば、銀河を再び光速度の壁で覆う事が可能になると言う。


 EPR通信とポータルを失ったなら、オビタルは星系から出る事も叶わない孤児となる。


 光速で移動するには、銀河は余りに広大過ぎるのだ。


 方伯夫人によれば、それを防ぐ事こそが七つ目の本来の目的である。


「──って事は、青鳩あおばとが三つの秘蹟を全て手に入れちゃったんですか?」


 二体の巨人、モトカリヤの眼球、クルノフの秘蹟──。


 だが、少なくとも巨人のうち一体は失われたはずである。


 病んだ巨人を祀っていた待針は、首船プレゼビオと共に対消滅したのだ。


「いや」


 と、テルミナが首を振った。


「二十三秒間の孤独──、糞教師に何度も聞かされた話があんだろ?」


 幼年学校時代の記憶こそ無いトールだったが、方伯夫人との会食時にロベニカから聞いた覚えは有った。


 ──原因不明とされていますが、全てのポータルが切断され、EPR通信も使えなくなってしまったんです。


 僅か二十三秒間の断絶だったとはいえ、大きな被害を与えると同時に、オビタルに対して鮮烈な恐怖の記憶を刻んだのである。


「クルノフの秘蹟とやらを使えば、その再現が出来るらしい。しかも、さらに長くな」

「う〜む」


 暫しの間、トールは考える様子を見せた。


「となると、外典黙示録の解釈に誤りがあったのか。あるいは──断絶との違いって事なのかなぁ──」


 復旧不可能な形でポータルを消滅させるには三つの秘蹟を要するが、二十三秒間の孤独の如く一時的な断絶であれば全てを揃えなくても良い可能性は有る。


「少なくとも青鳩あとばと共はその前提で、全ての駒を動かしてやがるぜ。クルノフの秘蹟を使い、前回よりも長い孤独を作り出す気だ」


 パンデミックと穀物相場の高騰による混乱の最中、ポータルとEPR通信を失った各領邦の受けるダメージは想像を絶するものとなるだろう。


 万が一にも断絶が長期に渡れば、文字通りの意味で飢餓が発生する可能性は高まる。


「ロマン男爵は、既に青鳩あおばとの手に?」


 ロマン・クルノフは、緩衝地帯クルノフを治める風見鶏役として、インフィニティ・モルディブの富を餌にトールが飼い馴らして来た男だ。


 その男が治める地に眠る秘蹟を青鳩あとばとが利用できるという事は、ロマン男爵がトールを裏切った事実を示唆している。


「元より怪しい野郎だった。奴は遅かれ早かれ裏切る手合だ」

「ま、そうですね」

「──が、ここで重要事が二つある」


 二本の指を立てたテルミナは、未だ幼い風貌と相まって愛らしくも見えた。


「一つは、ロマンの野郎をぶちのめしてる時が惜しい」


 軍事的にクルノフ領邦を急ぎ制圧する事は可能だが、ロマンを捕らえ秘蹟を確保するより先に、青鳩あとばとが秘蹟を使ってしまうかもしれない。


「二つは──」


 テルミナの指先に浮かんだ新しい照射モニタには、細身の少年と少女が木漏れ日の下で微笑む姿が映し出されていた。


「ヴィオランテは、ロマンの妹なのさ」


 こうして──、テルミナの掴んだ青鳩あおばとの目論見を聞いたトールは、ウォルフガングと共にヴィオランテへ手を差し伸べる事となった。


 ロマン・クルノフを再び飼い馴らす為である。


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★外典黙示録と、二十三秒間の孤独については、

[乱] 58話 七つ目

https://kakuyomu.jp/works/16817330648495045364/episodes/16817330661173321935

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