42話 セカイ・モデル。

 ★マリ一行と、アンドロイド・ミコの前回

 39話 深淵の城塞

 https://kakuyomu.jp/works/16817330648495045364/episodes/16818093073914542864

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「ハッ、クローゼットの次はこれか!? 実に笑わせてくれる。一体どこの気狂いが差配しているのだ、全く……(ぶつぶつ)」


 と、相変わらず不満顔のオリヴァーが呟いた。


 火星アレスの安酒場から連行されて以降、彼は心中に不満を募らせ続けている。


 駃騠けっていとして生を受け蓄積された怨念とも相まって、周囲の人間や状況に対する憎悪に転嫁され易い心理状態となっているのだ。


 とはいえ──、


「確かに、趣味は悪いようだな」

「──ええ」


 マリとコルネリウスも、珍しくオリヴァーと見解を同じくしていた。


 ハイデンからの転送先が使用人のクローゼットという時点で常軌を逸していたが、ミコの案内で辿り着いた広間に鎮座するオブジェは実に奇怪な代物だったのである。


 美しい女の顔貌と艶かしい二振りの乳房を備えながら、脇腹から八本の手足を伸ばし仰向けに歩く石像は呪われた蜘蛛女と形容する他に無かった。


 目前の光景に一切の不快を感じていないのは、案内人のミコを除けば肉人形と成り果てたブリジット・メルセンヌのみである。

 彼女は動かぬ石像が大切な主人であるマリに危害を与える事はないと理解していたのだ。


「いえいえ、決して悪趣味では御座いませんっ! 『神曲』という偉大な叙事詩がありまして──これは、その煉獄篇に登場するアラーニェをモチーフにした像なんですぅ」


 奇怪な像の前でミコは腕を振り回し、使命感に駆られた口調で告げた。何者かの名誉を守ろうとしたのかもしれない。


「神曲──」


 そう言ってコルネリウスは、記憶の回廊を辿ろうと瞳を閉じた。


「────そうか──思い出したぞ。ダンテ・アリギエーリ。カッシウスから何度か名前を聞いた記憶がある。古典文明の生んだ偉大な詩人であり、『神曲』こそが世界モデルの最適解に近い──と語っていたはずだ」

「世界モデル──」


 聞き慣れないフレーズに、マリが耳聡く反応を示した。


「あなたは何を言っているの?」

「全てを語れば長く、そして語れば語るほどに荒唐無稽な内容だ──」


 マリの問に答えるか否かをコルネリウスが逡巡する間に、ミコが先に口を開いた。


「ほうほう、現地人でありながら随分と真相に迫った方もいるのですね。う〜ん、カッシウスさんというお名前、どこかでミコも聞いたような気が致します。ひょっとしてその御方はデミウルゴスの存在も知っていたのでしょうか?」

「おお、デミウルゴス!」


 幾らか芝居がかった仕草でコルネリウスが天を仰いだ。


「無論だ。我が悪友の生涯は天空へ至る白い塔、創世の揺り籠たるデミウルゴスを求める旅路だったのからな」

「あら。私の暮らす浮志摩神社にお越しになれば、いつでもご覧になれますけど?」

「ウキシマ──ああ、なるほど。我々が案内された場所の名は、ウキシマジンジャと言うのだな。ともあれ、お陰で俺は良きモノを見れた」


 マリ達はハイデンへ入る前の手洗い場で、天を貫く様に伸びる白い塔の威容を目にしている。


「──が、肝心の悪友は既に世を去っているのだ。故に、ミコ殿の招待は受けられん」

「わわ、す、すみませんですぅ」


 頭を下げて平謝りをするミコに対し、コルネリウスは鷹揚に手を振って応えた。


「いや、詮無き事だろう。とはいえ、何度かカッシウスも地球を訪れていたのだが──。この城塞は無論の事、ウキシマジンジャも、つまるところ我等の知る世界を所在としていないという訳か?」

「ええ、そうです」


 と、ミコは黒髪を揺らし頷いた。


いにしえより時量師ときはからしの神を奉るやしろは、因果の始端と終端を結ぶ特異点として外部事象から保護されています」

「──つまり?」


 今少し卑近な表現を求め肩を竦めた。


「ええと、位相は重なり合っていますが、確かに皆様の暮らす世界とは異なりますね」

「そうか」


 生前のガイウス・カッシウスは星々を渡り歩くだけでなく、贈歌ぞうか巫女みこを伴い台座の先に広がる異世界へもデミウルゴス探索の手を拡げていた。


 だが、閉鎖的なカムバラの民に案内されなければ辿り着けない地平が、カッシウスの求め続けた答えの眠る場所だったのである。


「──ともあれ──彼奴の墓碑に刻まねばならんな。遺体は消えてしまったが──真理を求めた男に対するせめてもの手向けは必要だ」


 ケルンテンの辺境惑星ズラトロクの地表世界で、ガイウス・カッシウスの埋葬された墓地は現在もコヴェナント・ヴィンヤードによって守られている。


「そうね。貴方の気持ちはわかる。だから、お屋敷へ戻り次第、トール様に相談するわ」


 ワインの産地として名高いコヴェナント・ヴィンヤードは、エカテリーナ・ロマノフの庇護下にある。


 また、墓荒らしの犯人は殺人鬼トーマスであり、そのトーマスを操っているのは、グノーシス船団国を掌握したスキピオ・スカエウォラなのだ。


 様々な思惑と利害の絡む土地へ、安易にコルネリウスを入らせてはならない──と、女男爵メイドのマリは判断したのである。


 さらに言えば、マリにとって話の主軸はガイウス・カッシウスではない。


「ところで──ここをが訪れていた理由を知りたいの」


 イドゥン太上帝である。


 奇病発症前の若きグリンニスが浜辺で戯れている映像が発端となり、マリの母が辿った足跡を追う調査が始まったのだが、イドゥン太上帝の関与をミセス・ドルンから聞いた事で調査の主旨に変化が生じていた。


 つまり、部下への親切心と不可思議への好奇心から、政治的な意味合いを色濃くする調査へと移り変わったのである。


 カムバラ島に関わる一連の真相が、ぬえの様な太上帝を貫く急所になり得るとトールは考えていたのだろう。


「ええと、あの人って──」

「イドゥン太上帝」

「あっと、ペネロペちゃんの事でしたか。ええと、彼女はですね、ずぅっっと──それはもう本当に、ずぅぅっっと、ずぅぅっっっっと──」


 理由は不明ながら、ミコは太上帝を必ず幼名で呼んだ。


「──自分の子供を探してるんです!!」


 そう言って彼女が指し示した先──蜘蛛女改めアラーニェ像の背後には、浮志摩神社の拝殿から城塞へ転移する際に踏んだのと同じ台座があった。


 フェリクスのオリヴィア宮、ミネルヴァ・レギオンの神殿、首船プレゼビオの神殿、何れの台座にも共通する点が一つだけある。


 ヴァイオレットの女を伴わなければ何も起きないのだ。


 ◇


「ここが蜘蛛の巣です」


 アラーニェ像の背後に在った台座の先は、饐えた匂いの籠もる巨大な空間だった。


 天井に照明は無いが、鈍い光を放つ無数の立方体が等間隔で床に配置されている為、周囲の様子は肉眼で目視する事が可能である。


「どの触手も、踏まないで下さいね」

「触手?」

「その四角いやつです。どこに飛ぶか分からないのが一杯あるんで」

「こんなに沢山の台座が?」

「ですです。だから、蜘蛛の巣とかウェブとか言われてます」


 慣れた様子で歩き始めたミコに、置いていかれないよう一行は後を追った。


「結局、こいつはポータルと同じ原理なのか?」


 と、オリヴァーが尋ねた。


 星系を往来し銀河を支配するオビタルだったが、先史文明の遺産を利用するのみであり、台座の様に個人を転送させる研究すら成し遂げていない。


 つまり、科学的には大いなる停滞と微睡みの中に在ったのだ。


「ミコも根本的には理解してないんですけどぉ、ポータルはEPR相関を利用した量子転送で、蜘蛛の巣は超弦ネットワーク経由ですから──よりプリミティブなサービスを使った機能という事になりますね」

「あん? さーびす?」

「比喩ですよ。比喩。結果はどちらも同じですから。但し、致命的に大きな違いは、サービスのサポートがメーティスなのか、それともデミウルゴス──あ、ここですぅ」

「お、おわっ──ぐっ──す、すまん」


 唐突にミコが立ち止まった為、体勢を崩したオリヴァーが行き先不明の台座を踏みそうになったところで、ブリジットが腕を掴んで引き戻した。


 ようやく敵性認定が解除されたのかもしれない。


「ささ、皆さん。この輪っかの中に入ってください」


 手招くミコの足元には、円形の切り込みが入った床が在る。


「ただの昇降機ですからご安心下さい。これで地上に出られます」

「カムバラ島?」

「いいえ。ちょっと違いますね」


 全員が円の中に入ったのを確認すると、ミコは両の掌を合わせ二回打った。


「神原市です」

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