43話 里帰り宣言。

 トール・ベルニクが女帝ウルド懐妊という吉報を邦許から受けたのは、サヴォイア邦都宇宙港へウォルフガングと共に降り立った時の事である。


「坊ちゃま──トール様っ!」


 家令セバス・ホッテンハイムが照射モニタの先で恭しく腰を曲げると、彼の背後に揃い立つ使用人達も一斉に同じ仕草でこうべを垂れた。


「ようやく頭のお硬い──失礼──参謀本部方々より許可が下りまして、このセバス──、戦場いくさばに立たれるトール様との謁見が叶った次第ですが、火急の件にて何卒ご容赦を」


 ベルニク艦隊を率いて作戦行動中のトールに対しては、いかなる高位の立場にあったとしても軍関係者以外は参謀本部を経由しなければならない。


 ──内はセバス様、外はヨーゼフ様を頼るように、と──陛下より直々に。


 というレイラより伝え聞いた女帝ウルドの言葉は、遥か遠い星系で戦うトールへ吉事を伝える大役を家令セバス・ホッテンハイムに与えたという意味である。


 女帝の権威を振りかざす事もなく、戦場いくさばへ配偶者を送った者の作法に則ったウルドの行動は、セバスの忠誠心を否が応にも高める結果となった。


 故に、参謀本部への申請が受理されるまでの数時間、不測の事態で己が他界し大役を果たせなくなる可能性に怯え続けていたのだ。


「ああ、いえいえ。お気になさらず。ボクも色々と立て込んでましたので──」


 と、恐縮するセバスへ鷹揚に応えた。


 なお、参謀本部の申請受理が遅れた原因は、グリフィスに巣食う青鳩あおばと本拠地へ忍んだテルミナ、次いで本人の意図とは関係なくトスカナの重要人物になってしまったケヴィンとの打ち合わせが続いた故である。


 青鳩あおばとによる要テロ警戒地域として、片田舎から一転して重要性のいや増したトスカナ領邦──。


 幸か不幸か、同地に居合わせるケヴィン一家の置かれた状況については後に語る。


「で、では──セバスよりお伝え致しますぞ。コホン」


 老いた家令は背筋を伸ばし、神妙な表情で咳払いを一つした。


「陛下が、お后様が、いえ、坊ちゃまの愛しい──や、やはり、女帝陛下が──」


 癇気かんき癖はあれども至極の美を放つ女帝、ウルド。


 英雄らしからぬ人懐っこさと児戯の消えぬトールを選んだ女、オリヴィア。


 相反する二つの華麗な肖像がセバスの中で未だ上手く折り合いが付いておらず、今回の報告に相応しい女帝の呼称が定まらなかったのである。


 この奇妙な感覚は、当時の帝国臣民が共通して抱いていたものかもしれない。


「──誠に目出度くも、双児ご懐妊の報せが宮より入っております」

「え? ああ、そう。それならもう──あっと──いやいや──」


 と、言い淀むトールの表情が、目まぐるしく変化した。


「そ、そっか。そういえば、そうだね」

「は?」

「おっと、いえいえ。こちらの話です」


 実のところセバスの報告は、トールにとって既知の内容だった。


 指輪とえにしで結ばれた運命共同体的契約関係に基づき──正確性を期すならば、超弦ネットワーク通信により──ウルド本人と現在も会話中なのである。


 セバスに大役を与える余裕をウルドが見せたのも、それが理由だったに過ぎない。


 << ──が、初めて聞く素振りをすべきであったな。滾る家令が哀れであろ >>


 トールとウルドを結ぶ指輪の奇跡は、やがて世に生誕する双児を別にすれば、当人達とフランチェスカ・フィオーレのみが知る秘事となっている。


 << 確かに……。実はさっき名前も決めたなんて言ったら、セバスさん倒れちゃうかもしれないなぁ >>


 表情を改めたトールは、照射モニタに映るセバスに向かい頭を下げた。


「──いやぁ、嬉しい報せを有難う御座います。セバスさん」


 バスカヴィ宇宙港へ向かう車中で覚醒して以降、今も変わらぬ素直な様子で謝意を伝える主人を前に、セバスは涙腺が緩むのを抑え切れず白いチーフで目元を覆った。


「め、目出度き吉日に──申し訳──ううっ──」


 家令セバスの胸に去来する感慨は、当然ながら一言で表せるものではない。


 先代エルヴィンから直々に託され、無邪気な幼少期から稀代のアホ領主と揶揄された少年期、そして現在に至るまで側に仕え続けるセバスにとって、トール・ベルニクとは単なる主従関係を超えた対象なのである。


 だが今、名実ともに大人の男となったトールは実質的に銀河の覇者となりつつあり、此度の懐妊によってベルニクの世継ぎに関わる懸念も霧散していくだろう。


「──うう──(ぐすっ)────寄る年波で涙脆くはなりましたが、後の差配はこのセバスにお任せ下され」


 そう言ってセバスは胸を叩いた。


「ん──ええと、差配?」


 何の差配だろうかと思い尋ねたトールの脳内に、ウルドの声が響いた。


 << の事じゃ、トール >>


「あっ」


 里帰り──とは、子を宿した女帝が、生家へ戻り出産する事を意味している。


 これは母子の安全性に配慮した慣例であると同時、生まれ出ずる命が帝国の後継者ではなく、あくまで生家の継承権を持つ存在に過ぎないと改めて宣する為でもあった。


 ともあれ、かようにしてオビタル帝国は、銀河の最高権力者が血脈の澱みに陥るのを避けようとしたのである。


「──そういえば、ウォルデンには帰れないんでしたね」


 復活派勢力へのくさびになり得るウォルフガングと縁は出来たが、現段階では青鳩あおばと対策における一時的な共闘に過ぎない。


 つまり、おいそれと女帝ウルドが、生家の在るウォルデン領邦へ訪れる訳にはいかないのだ。


 << 味方であったとしても、戻るつもりは無いがな >>


 父アーロンへの不信は、ウルドの中で未だ消えていない。


 とはいえ、父以上に信じられぬ母シャーロットは、帝都フェリクスに居座り気儘な宮廷暮らしを謳歌していたのだが──。


「左様で御座います。直ぐにも女帝陛下へ行幸頂けるよう、屋敷の準備に万全を期し──」


 セバスの言葉を聞きながら、トールは考えを巡らせていた。


 トールが懸念しているのは青鳩あおばとの計画に、「二十三秒間の孤独」が含まれている点なのである。


 彼等のテロ行為を未然に防げなかった場合──、


 その万が一、ポータル断絶のタイミングにウルドを乗せた艦艇がポータル通過中であったなら、母子共にディラックの海に沈む事となってしまう──。


 無論、因果律に基づけば、既に成長した双児と出会っている以上、前述の事象は発生するはずも無いのだがトールは確信を抱けなかった。


 ──未来から過去を改変しようとしたのなら、それは因果が確定していない事を意味しているはずだ……。

 ──となると、やっぱり怖いな。


 つまり、ウルドと双児の命は保証されていないとトールは考えていた。


 ──どのみち里帰りは妊娠後期からだし……。


 << 否。余は直ぐにもベルニクへ行くつもりじゃ。レイラにも伝えてある >>

 << ええっ!? >>


 ウルドは遠く離れたオリヴィア宮で既に動き始めていたのである。


 << 余が恐れるは、ディラックの海ではない── >>


 テルミナから伝え聞いたタルコスの言葉を信じるなら、クルノフの秘蹟を用いた場合は断絶が二十三秒間より長期に及ぶ可能性もあるのだ。


 それが数日なのか、数十年なのか、あるいは数百年に及ぶのかは分からない。


 << そうなれば、二度とは会えぬ >>


 光速度の壁が銀河を覆ったなら、永遠の別離が至る所で発生するだろう。


 << 平素なら余もサヴォイアへ駆けつけるところなのだが、子等の為に今回はベルニクで忍ぶ他あるまい >>


 とはいえポータルの断絶が発生した場合、ベルニクとサヴォイアの間とて限りある人の身では永遠に等しい距離である。


 << だが、これは余の勘──直感──否、単なる祈りやもしれぬが── >>


 ウルドとて確たる根拠があった訳ではない。


 << ベルニク──太陽系なら── >>


 セキュアEPR通信以上に秘匿された通信回路において、女帝は権威の仮面とみかど言葉を捨て置き、オリヴィア・ウォルデンとしての想いを柔に言語化した。


 << 何があっても、再会できそうな気がするの >>

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