44話 兄妹。

 サヴォイアの全艦隊を預かるセイント・カンパネラが邦都陥落と判断したのは、トールとウォルフガングが共に邦都宙域へ入ったとの一報を受けた時の事である。


 純軍事的には些か拙速にも思えるが、主家の存続より領邦軍の温存を第一義とするセイントは、無駄な戦闘行為を一刻も早く停止させる名分を求めていたのだ。


「やれやれ、助かったわい」


 そう小さく呟いたセイントは、旗艦ブリッジで額の汗を拭った。


 非業の死を遂げた侍医ピルトンの姪が無謀な突艦に及んだ際、セイントの脳裏をよぎったのはベルニクの白き悪魔の哄笑である。


 堅牢な守備に徹し被害を最小限に押さえながら主家の降伏を待つ──という彼の些か不忠な目論見が危うく潰え去るところだったのだ。


 だが、再び局面は変化した。


「フォルツの糞ったれ代官は、ベルニクに尻を貸すと決めたらしい」


 彼らしい口汚い言い回しとなったが、部下達に状況を把握させた後に指示を下すのが、セイント・カンパネラの流儀である。


「前方の悪魔、脇から忍び寄る糞代官、挙げ句の果て我が方には肝心の大義が無い」


 全ての発端はアイモーネ・サヴォイアの大逆なのだ。


 ならば、彼と彼の妻子や関係者を守る為、領邦軍が死力を尽くす必要性が何処いずこに有るだろうか?


 今次作戦行動における戦死ほど、将兵として無意味なものはないとセイントは考えていた。


「幸いな事に白き悪魔は阿吽の呼吸を心得ておる」


 突出した敵艦隊を迎撃中の第五戦隊に対して、ジャンヌは率先して停戦指示を出している。


 この次第を以て彼女は敵軍に対し、を求めたのだ。


 元より戦意に欠けていたセイントにとって、まさに渡りに船だったのである。


「──全艦、降旗を掲げよ」


 というセイントの命令は、文字通り戦艦が白旗を掲揚する訳ではない。


 領邦間戦時協定に基づく降伏時の作法は、セキュア通信回線の解放、亜光速ドライブ機関部のシャットダウン、さらには全砲門をデブリシールドで覆う事が求められる。


 然る後に白旗信号を発信し、交戦継続意思の放棄を宣するのだ。


「第一及び第三から第五戦隊まで、降旗行動への移行を確認しました」

「第二戦隊のみ引き続き──あ、いえ、閣下! 脱柵支隊との通信回線が復旧したとの報告が!!」


 つまり、突艦行為に及んだ第二戦隊に属する支隊と、意思の疎通が図れるようになったのである。


 勇猛姫アドリアの率いる迎撃部隊が戦闘態勢を解いた事で、狂躁に駆られ無謀にもベルニク陣地を力技で抜こうとした彼等も事態が変化する気配を感じ取ったのだ。


「糞どもがっ。直ちに降旗行動に移行させ、佐官以上の将卒は本艦営倉へぶち込んでおけ。抵抗する者は速やかに無力化せよ。手段は問わん」


 命令違反を犯した彼等は轟沈の憂き目こそ免れたが、軍法会議送りとなるのは避けられない。


 首謀者である故ピルトンの姪に至っては、間違いなく極刑に処されるだろう。


 サヴォイア領邦軍は彼女の軽率により、壊滅的損耗を被る可能性があったのだ。


「哀れなれども死でしか贖えぬ罪はある。──さて、儂は儂の役目を果たさねばな。お次は純白好きの未亡人に悲報を伝え──」


 そう言いながらセイントは副官を伴い、足早にブリッジを後にした。


 邦都に座するヴィオランテ・サヴォイアへの報告に先立ち、少しばかり悲壮感が滲むよう目元に薄化粧を施す為である──。


 ◇


「ふう──嬉しや。伯の話を伺い、沈むわらわの心に羽根が生えて参りましたぞ」


 己の容姿を最も映えさせると固く信じる純白のドレスを纏ったヴィオランテは、明らかなこびを瞳に宿してトールの前でしなを作って見せた。


 サヴォイアの領主屋敷に設えられた謁見の間ではあったが、ベルベット生地に覆われた緋色の椅子で脚を組んでいるのは征服者トール・ベルニクである。


 その彼の両脇にはグリンニスとウォルフガングが立っており、両人共に長年仕えてきた忠実な腹心の如く見えるのは、いよいよトールが放ち始めている覇道の香気に拠るのかもしれない。


「そうですか。ボクも安心頂けて嬉しいです」


 ヴィオランテの愛息アントニオの助命はEPR通信により既に伝えていたが、此度の謁見においてトールは改めて彼女に対して約したのである。


 彼女の全ては息子なのだ。


 嫁入りした身の上とはいえ自家存続より優先すべきモノが有る点は、兄ロマン男爵と同じくクルノフの血か教育の為せる業なのだろう。


「して、いつ頃──」


 息子は邦許へ戻って来るのか、というヴィオランテの問いをトールは素早く遮った。


「どうぞ、ご安心下さい。ベルニクの誇るヴォルヴァ幼年学校は、アントニオ君の復学に向け万全の態勢を敷いています!」


 父の大逆に加担した罪でプルガトリウム送りになるところだった少年を、帝国とベルニクに忠誠を誓う者が大多数を占める学舎へ戻すと言うのである。


 ヴィオランテにしてみれば、実に有難迷惑な申し出だった。


「伯! これでは──い、いや──」


 ていの良い人質ではないか──という言葉を、ヴィオランテは悲壮な思いで飲み込んだ。


 疑問を呈するまでもなく、彼女の愛息は紛うこと無き人質とされたのだ。


 ──わらわと手を結ぶ必要が有るなどと呑気な顔で語っていたが……。


 邦都宙域に入る前に交わしたEPR通信の照射モニタに写った男は、間近で面と向かっても一切の緊張を感じさせないのだが、はだえの下から滲む苛烈さをヴィオランテは鋭敏に嗅ぎ取った。


「そ、それは助かりましょうな。されど、アントニオは柔に育て過ぎたせいか引っ込み思案のきらいも有り──」


 という母の言葉とは裏腹に、父アイモーネの権力を笠に着たアントニオは、多数の子分を従え学内で傍若無人に振る舞ってきた。


 だが、復学したなら、従来のように尊大な態度は取れないだろう。


 父の罪により失脚したアントニオは、もはや学友達の慈悲を女神へ祈る他に無い立場なのである。


「いやいや、心配御無用です。ヴォルヴァにはボクと浅からぬ縁の有る少年も居まして──」


 無論、浅からぬ縁の有る少年とは、テルミナの養子ディオである。


 ディオと二人の友人がロスチスラフの葬儀における謀略を暴いたという意味では、ヴィオランテにとっても縁が無い訳では無いのだが──。


 その点をわざわざ伝える必要もあるまい、とトールは判断していた。


「アントニオ君の学校生活が悲惨にならないよう、厳しく言い含んでおきましからね!」

「き、厳しく──」

「はい」


 何の心配も無いといった風情で、トールは満面の笑みを浮かべ頷いた。


「──では、ヴィオランテさんの懸念も払拭されたようですし、そろそろ本題に入りましょうか」

「は、はあ」


 次は一体何なのだ、という不安を感じながらヴィオランテは生返事をした。


 なお、続くトールの要求は、彼女にとって意外な内容となる。


「実は──お兄さんの件で相談が有るんです」


 つまりは、ロマン・クルノフ男爵についてである。


 ◇


 サヴォイアにおいて事態が仮初とはいえ沈静化しつつあった頃、きたる危機の震源地となるトスカナにその気配は未だ漂っていない。


 広大な穀倉地帯を擁する要衝地でありながら、領民、高官、そしてトスカナ家の貴人に至るまで、小さな辺境領邦というなぎの中で微睡んでいたのだ。


 領主、故ピエトロはアイモーネと共に大逆を犯したが、サヴォイアとは異なり取り潰しを免れた上、そもそもがロマノフ家の傀儡領邦と自他共に認める無気力な邦柄なのである。


 故に、誰も危機感など抱いておらず、トスカナ家に連なる者がピエトロの座を継げば、全て元通りになると気楽に考えていた。


「いえ、ケヴィン殿」


 この一週で、異邦の軍人にすっかりと心酔したピエトロ・トスカナ・ジュニア改め、貴族らしからぬ男ジャンは、自身で運転するレトロカーのハンドルを握りながら後部座席を振り返った。


 車輌SIによるサポートが有るとは言え、同乗するケヴィンにとって心安らぐ光景では無い。


 ──何だってトスカナじゃ、レトロカーばかり走ってるんだ?

 ──い、いや、それ以前に、ピュアオビタルが自分で運転しているのが妙なのだ……。


 つくづく貴族らしからぬ銀冠に縁がある──と、心中で息を吐いたケヴィンに対し、ジャンは後ろを向いたまま話を続けている。


「領主など決まらずとも良いと考えている者ばかりなのです」


 思わず逃げるな──などと告げてしまったケヴィンは、ジャンの手助けをすべくトスカナ滞在を延長している。


 無論、上司の許可を得た上での滞在延長なのだが、トールは難色を示すどころか「僥倖とはこういう事なんですねぇ」と呟き、ケヴィンの不安をさらに煽る結果となった。


「どうあれ、ロマノフの息が掛かった連中が差配するのです。皆もトスカナ家など腹の底では──」


 と、再びの愚痴がジャンの口から溢れ出した。


 オソロセア、トスカナ、ブルグントに跨り強い影響力を保持するロマノフ家。

 ロスチスラフの死によって同家の権勢がより勢いを増すのは明らかである。


 この状況を幼き頃より憂いていたジャンは、いっそ家も地位も捨てて消えようとケヴィンを頼ったのだが、まずは状況に抗うべきだと諭され思い留まったのだ。


 だが、彼が逃げようとした理由は、自家の不甲斐なさに対する憂いだけではない。


「だからこそ──未だ私は信じられないのです!」


 これから会談に臨む相手の情報は、ケヴィンも複数の伝手を通して調べを済ませていた。


何故なにゆえ、我が妹はトスカナの継承を望むのか──」


 これが、ジャンが領邦を去り、別人として生きようした真因である。


 ロマノフ家の駄犬に過ぎぬ座を、兄妹で相争う意味など無いと考えていた。


「私には全く見当が付かないのです」


 かようにも兄と妹の間には、兄弟や姉妹には推し量れない溝が有るのだ。

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