46話 クルノフの秘蹟。

 遥かトスカナで妹が兄を亡き者にしようとしていた頃、サヴォイアの妹も兄に対して異なる意味で死を迫っていた。


「兄上、ともあれ死んではくれませぬか? 私と可愛いアントニオの為に……」


 ロマン・クルノフ男爵が妹からEPR通信で連絡を受けたのは、インフィニティ・モルディブの中心街にそびえる摩天楼から、グリフィスより訪れた賓客を見送った直後の事だった。


 同地に関わる利権の半分をトールから与えられて以降、ロマン男爵の主たる活動拠点は邦都ゲオルクではなくインフィニティ・モルディブなのだ。


 元来が領主や貴族としての務めより、商売っ気が先走る男である。


「久方ぶりに顔を見せたと思ったら唐突に一体何の世迷い言を──んん──あ、いやいや、分かった、分かったぞ。我が愛しの妹ヴィオランテよ」


 と、言葉の途中でロマン男爵は何事かを察したかのような表情に変わった。


「余りの苦境苦海に気が振れ──コ、コホン──動転しておるのだな」


 トール・ベルニクが苛烈な檄文を発した後、同艦隊がサヴォイアへ入っている事は周知の──と言うよりメディアで大々的に報じられていた。


 フォルツ領邦等の近隣勢力から軍事的介入でも無い限り、サヴォイアが生き残る道は無いと考えるのが普通だろう。


「無理もあるまい。天秤衆方々を藻屑とした悪鬼が向かっておるのだ──。ゲオルク宙域には今も気高き魂の悲鳴が木霊こだまし屋敷へ戻るのも億劫になる」


 そう言ってロマン男爵は、幾分か芝居がかった仕草で上腕二頭筋を擦った。


「とはいえ、安心致せ。未だ声を大にして言えぬが、不運なお前とアントニオを救う為の段取りならば、この頼れる筋骨隆々たる兄が──」

「いえ、兄上──」


 ヴィオランテは右手を上げて兄の長広舌を遮った。


「全ての目論見は既に露見しております。故、兄上が死して伯に詫びて頂ければ、サヴォイアとクルノフの命脈も保たれようかと──」

「あん?」


 兄を人身御供としようとする妹の背中から、呑気そうな顔がと飛び出した。


「げげっ──ト、トール伯ッ!?」

「あは、どうも、ロマンさん。ええっと、まだ死んで貰っては困りますよ」


 帝国宰相である。


 些か緊張感に欠ける登場の仕方となった泣く子も黙る権元帥だが、ロマン男爵には燃え盛るプロヴァンスを背にした悪鬼トール・ベルニクの記憶が色鮮やかに残っていた。


 故に、唯一人残された肉親ヴィオランテを想う気持ちと、直ぐにもEPR通信を切断して逃げ去りたい衝動が厚い筋肉に覆われた胸中でせめぎ合っている。


「折角、ボクと妹さんが仲良くなったところですし──ふふふ」


 と、相手の揺れる心情など意に解する様子もなく、兄としては恐怖でしかない現在の状況をトールは朗らかに伝えた。


「ず、随分とお早いご到着ですな。はて、こうなりますと、ポータル面で睨み合いが続いている──とは誤報であったのか否か……」


 場を取り繕うとするロマン男爵は自然と口数も多くなる。


「勿論、誤報じゃありません。全てはウォルフガングさんの協力が得られたお陰です」


 フォルツ領邦介入という懸念が払拭され、サヴォイア領邦陥落は衆目の予測よりも大いに早まったのだ。


「そうまで伯に持ち上げられては面映いですな。──とまれ、ロマン卿! 久方ぶりとなる卿への拝謁、卑賤の身なれど幸甚の至り」


 そう言ってヴィオランテの側に歩み寄ったフォルツ領邦の代官は慇懃に頭を垂れた。


 非情にして非常の時であったとしても、ウォルフガングは貴族に対する礼節を失する男では無い。


 他方で、復活派勢力に属しながらも大規模テロという青鳩あおばとの狂気に直面し、仮初かりそめながらトールと手を結ぶという柔軟さも持ち合わせていた。


 実に得難い能吏と言えるだろう。


 とはいえ、彼の下した今回の英断により、主人である復活派勢力の宰相アダム・フォルツは、権謀渦巻くイリアム宮にて政治的危機に見舞われていたのだが──。


「なるほど──本日は実に目出度き──」


 ロマン男爵の脳内では、散り散りとなったパーツが組み合わされつつある。


 ──ううむ、フォルツの介入を頼るという藪医者の企みは潰えたらしい。


 哀れ侍医ピルトンの首が銀の盆に載っているとは、さすがにロマン男爵も想像の埒外だったが、サヴォイア領邦の延命工作が無惨に失敗した事は理解した。


 ──故にこそ我がさとき妹ヴィオランテは、損耗を最小限にすべく悪鬼に尾を振り散らかすと決めた訳だな……。


 トールと出会ってからの十数年、ロマン自身が歩んで来た道でもある。


「今回の動乱を利用して、そこから抜け出そうとされたのでしょうが──」


 青鳩あおばとが現在進行型で進めている計画の骨子は、グリフィス領邦へ渡ったテルミナとイヴァンナが丘に残る指導部連中から聞き出していた。


 時、場所、手段など不明な点は多々残っていたが、少なくともロマン男爵の関わり合いについては調べがついている。


「──当然ながらボクは、大切な貴方を手離したりしませんよ」

「ひぃっ」


 悪鬼に尻の毛まで抜かれそうな予感に、ロマン男爵は身震いして短い悲鳴を上げた。


「とはいえ、インフィニティ・モルディブの利権で満足出来なくなったとなると──」


 緩衝地としての役割を果たす代償として、トールがロマン男爵に与えた餌である。


 ともがらだったエドヴァルドを利害で裏切り、同じく悪縁を結んでいたヴィルヘルムも利害で切り捨てた男なのだ。


 となれば、妹への同情心だけで動いているはずもない。


青鳩あおばとは、貴方に何を約束したんでしょうねぇ」


 ロマン男爵の役回りは単純明快だった。


 青鳩あおばとの使いが、クルノフの秘蹟が眠る場所へまかりり通るのを許せば良いだけである。


 さすれば──、


「疫病と食料不足、致命的とも言えるポータルの断絶は、大きな混乱と飢餓を銀河にもたらします。また、EPR通信の途絶による流言飛語は、状況の悪化に拍車を掛けるはずです」


 ヒト、物、情報の流通が、先史文明以前に巻き戻った世界である。


 だが、その状況こそが青鳩あおばと──既存体制を崩壊させようとしている者にとって最大の好機となるのだ。


「旧体制のシンボルとして、ボクやオリヴィアなどは真っ先に断頭台送りになる──」


 トールが瞳を細めた。


「──とでも言われたんですかね?」

「うぐっ」


 ポータルが切断されてしまえば、ベルニク艦隊がクルノフに押し寄せる心配も無い。


 銀河の各所に散った青鳩あおばとが、いかなる手段で連絡を取り合うのかは不明だが、彼等にとって都合の良い状況になった段階で、再びポータルやEPR通信を復旧させれば良いのである。


 かようにして、事が収まるまでトールと相見あいまみえずに済むという点も、ロマン男爵の琴線に触れたのだろう。


「まあ、良いです。それよりボクには、幾つか疑問が残っています」


 クルノフの秘蹟が話の俎上に載せられた時、トールの脳裏をよぎったのは二人の年増女の顔貌だった。


 ──ひとつはクルノフ領邦のゲオルクに眠るが、状態を鑑みれば誰も手に出来ぬだろう。ゆえに、あの地は愚かな凡夫ぼんぷが治めておれば良い。


 とは、プロイス領邦を治める方伯夫人が、七つ目の歴史と共にトールへ伝えた言葉である。


「秘蹟には誰も手を出せないと聞いた事があるんですが──結局、ゲオルクのどこにあるんですかね?」


 トールはクルノフの秘蹟が何であるかを未だ知らずにいる。


 ──プロイスの陰気な小娘から聞いたんだろうが、クルノフの秘蹟は諦めるんだね。

 ──当たり前じゃないか。エヴァンの真名を欲するのは――そういう訳さね。

 ──アンタにはまだ早いんだ。焦るんじゃない。


 七つ目を統べるひとつ目ミセス・ドルンの助言に従ったのだ。


「さ、左様──、入れば決して戻れぬ迷いの森と、奇妙な禅問答をたがえれば首を刎ねる門番が守っておりまして」


 今は無き父から繰り言のように聞かされて来たのだ。


 決して、には近づくな──と。


「迷いの森か──。う〜ん、何だかゲームみたいですね」

「はあ、まあ、そうかもしれませんな」


 トールの感覚に理解が及ばないロマン男爵は、思わず気の無い返事となった。


「で、誰も辿り着けないはずの場所へ、青鳩あおばとの使いは何だって辿り着けるんですか? やはり、貴方が秘密の──」


 方伯夫人やミセス・ドルンの知らない抜け道があるとトールは考えたのである。


 秘蹟へ到れる人物がいなければ青鳩あおばとの計画は頓挫し、ロマン男爵もトール・ベルニクの枷から逃れる事は出来ないのだ。


「いえいえ滅相も御座いません。私も抜け道など知りませんぞ」


 大仰に首を振った。


「ただ、あの方ならば辿り着けましょう。めしいたまなこでありながら、全てを見通しておられるような御方でして……」


 秘蹟へ到れる理由とはなっていないが、トールは時を惜しみ話を先へ進める事にした。


「その人物は、既に秘蹟へ?」

「いや──その──ええと──」

「正直に話して下さいね」


 微笑みながらトールは、半歩だけヴィオランテの側へと近付いた。


「さ、先ほど送り出したところで御座いますっ!!」

「ははあ、では、これからゲオルクへ向かう訳ですか……」

「まさに──あふ、ぎゃわっ」


 落ち着き払った表情のまま腰に吊るしている聖剣を抜き放ったトールに、思わずロマン男爵は悲鳴を上げた。


 数多の聖職者を殺戮してきた男が、女一人に躊躇いを感じるはずもないからである。


「万難を排し、その人物の行く手を阻んで下さい」

「ははっ! 忠実なる下僕にお任せアレッ!!」

「少なくともボクがゲオルクへ渡るまでは頼みましたよ」


 どうあれ秘蹟を己で守るべき刻が来た──と、彼は判断したのだ。


「これから忙しくなるなぁ。あ、そうそう、もう一つ質問が有ります。──相手の名前を教えて下さい」


 トールの問いに、ロマン男爵は僅かな間だけ逡巡する様子を見せたが、結局は口を開きその名を告げた。


「ガブリエル殿です」

「──」


 盲目の天秤衆総代、ガブリエル・ギー。


 聖都アヴィニョンにてベルニクと天秤衆の死闘が繰り広げられている最中さなか、いち早く敗色濃厚と判じて戦場から消えた女である。


「久しぶりに聞いた名です──が、一刻も早くレオ・セントロマの後を追わせなければなりません」


 続く言葉は皮肉か、あるいは狂気なのか──。


 聞いた者によって解釈は異なった。


「女神ラムダに誓ってね」

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