47話 災いの始まり。

「し、司祭様、並びに方々をお待たせする次第となり、誠に申開きのしようもなく──」


 ゲオルク宇宙港の貴賓室を訪れた航宙管理局長は、瞳を閉じて佇む女と側衆に対して平伏ひれふすかの如くこうべを垂れた。


「現在、入境管理システムの誤作動原因を可及的速やかに──ひぃっ」


 言葉の途中、貴賓室の奥扉を荒々しく殴打するかのような音が響き、局長から乙女の様な悲鳴が漏れた。


「そ、その、今の音は──」


 事前に局長が目を通した乗船者名簿によるならば、ひとりの司祭が、四人の側衆と愛玩動物数匹を伴ってクルノフ邦都のゲオルクを訪れたのだ。


 司祭の連れたが奥扉を叩いたと考えるのが自然とはいえ、あまりに粗暴な音色ではなかったか──と局長は不審に感じている。


 ──本当に例の方々ならば、何を連れ回しているか分かったものではない……。


 そもそも、クルノフの航宙行政を担う男が、ここまで足を運んだのには理由があった。


「貴方が気に病む事ではありません」


 と、応えた女が原因である。


 緋色の法衣ほうえを纏う女はグリフィス領邦のヴォルモア大聖堂を預かる司祭なのだが、元々の身分は天秤衆総代──と、直々にロマン男爵から聞かされていたのだ。

 

 ──とはいえ、ヴォルモア御一行は、ゲオルク宇宙港に留め置かねばならぬ……。

 ──て、天秤──聖職者をですか?


 いかなる世俗の権力も法衣ほうえの移動を妨げる権利を持ち合わせていない。


 尚且つ、相手が元天秤衆などと聞かされては、自然と声に怯えが混じるのも当然だろう。


 聖都アヴィニョンのいくさ以降、大いに権威が失墜していたとはいえ、天秤衆という言葉は現在も全てのオビタルに根源的な恐怖心を抱かせる。


 ──お前が怯えるのも当然だが、どうにかするほか無いのだ。

 ──と、言われますと?

 ──つまり──今回の一事いちじはだな──、


「ベルニクの背教者が早くも手を回しましたか」


 ガブリエル・ギーは何も映さないはずの瞳を細めると、局長の立つ場所へ寸分も違わず濁りの無いまなこを向けた。


「い、いえ、はてさて? な、何の話で御座いましょう。最前から申し上げております通り、入境管理システムの誤作動が──」

「御託は、お止めなさい」


 緋色の袖を振り、苛とした様子でガブリエルは言った。


 実際、彼女は苛立っていたのだ。


「虚飾の間で、これ以上の無為な時を過ごすつもりはありません」


 いくさの途中でレオ・セントロマに見切りをつけ、旧帝都に在る聖座異端審問所へ舞い戻った彼女を待っていたのは、手懐てなずけていたはずの宮廷貴族や聖職者達の裏切りである。


 トール・ベルニクの手によって天秤衆の栄光は地に堕とされ、負け犬には決してくみせぬイドゥン太上帝の庇護も得られなかった。


 敗戦の責任と臣民に対する罪業の全てをレオに背負わせ、天秤衆の復権を図ろうとしたガブリエル・ギーの目論見は初期段階で潰え去ったのだ。


「我等に残されたときは少ないのです」


 と、呟くガブリエルの周囲に控える側衆は、傷心の彼女をグリフィス領邦へいざなった天秤衆残党だった。


 誰も拾わぬ火中の栗となったグリフィス領邦で雌伏しようとしたのである。


 そこへ接近して来たのが、本来は水と油であるはずの青鳩あおばとだった。


 両者に共通するドグマは既存勢力への憎しみ──中でもラムダ聖教会とトール・ベルニクに対する病的なまでの憎悪である。


 ヴァルプルギスの夜を生き延びたダニエル・ロックが最も憎しみを抱いているのは、奇妙な事に天秤衆と敵対しているトール・ベルニクなのだ。


 トールと、そしてアレクサンデル率いる聖教会への恨みであれば、ガブリエル・ギーとて引けを取らない。


 天秤衆残党と青鳩あおばとは憎悪という不健全な絆で結ばれたのである。


「──故に、すぐにも罷り通らなねばなりません」

「し、暫しっ! 暫しお待ち下さいっ! 我等職員一同、不眠不休の体制にて──」


 首の掛かっている局長としては必至にならざるを得ない。


 不穏な客人達の足止めに失敗したならば、自身と家族は露頭に迷う事になる。官吏としての立身出世など、領主の気分次第で如何様にもなってしまう儚い幻なのだ。


「このまま黙って見過ごしなさい。それが貴方の為でもありましょう」

「それがそういう訳にもいかんのですっ! あ、お待ちを──勝手に──お待ち下さい!」


 自身の脇を抜けて貴賓室の戸口へ向かうとするガブリエルの腕を思わず掴んだ。


「──離されよ」

「だ、駄目です。ともかく──くっ──入れ、警備兵!!」


 実力行使に出ると決めた局長がEPR通信で指示を出すと同時、外に待機していた数十名の警備兵が一斉に貴賓室へなだれ込んで来た。


 彼等に向かい、局長は叫ぶように告げる。


「ロマン卿より預かった特別の御下知である。畏れ多くも聖なる方々なれど、事態が落ち着くまでは航宙管理局にて──」

「ふぅ」


 何かを諦めたかの様に、ガブリエル・ギーは小さく息を吐いた。


「致し方あるまい」


 そう言ってガブリエルが草笛の様な塊を口端に咥えると、黒衣の側衆達も同じように草笛に見える小物をローブの内から取り出した。


でよ」


 という言葉に反応したのか、あるいは草笛の放つ不思議な音色に拠るのかは分からない。


 激烈な破砕音と共に、貴賓室の奥扉が崩れ落ちた。


 呆然とする局長と警備兵達の前へ姿を現したのは──、


「え?」「うげっ」「な、なんだ!?」「き、気持ち悪ぃ」


 愛玩動物と称するには些か巨躯の過ぎる、忠実で思慮深い奴隷級だった。


 こうして、純然たる狂気の暴性が、ゲオルク宇宙港に解き放たれたのである──。


 ◇


「──あぁ、疲れた……」


 広域救急指令センターに配属されたばかりの彼女は、早くも転属願いを上司に出したい気分となっていた。


 トスカナ領邦の地表世界で最も多い人口を有するシエーナ地区は、穀物を大量に貯蔵するコンテナ施設が立ち並ぶ港湾都市でもある。


 大量生産された穀物がシエーナに集積され、軌道エレベータを通り軌道都市へ運搬された後、ポータルを経由して他星系に暮らすオビタルと古典人類の食卓へ届けられるのだ。


「先輩ぃ、やっぱ都会の救急って、こんなに数が多いんですか? あふぅ、もう限界かもです」

「いや、普段はそうでも無いんだけど──」


 と、先輩と呼ばれた女が、首を捻りながら応えた。


 広域救急指令センターと称しながら、詰めているのは二人の古典人類だけである。


 大半の通報が、センターのシステムにより自動的に処理される為だ。


 発話状態、発話内容、トラッキングシステムの情報、さらには相手がオビタルなのであれば、ニューロデバイスの生体モニタ機能と連動し適切な処置が即座に施される。


 実際の所、シエーナ地区の統治機構は、センターの人員削減を市民団体から要求されていたのだが──。


「今日は、どうにも特例案件が多いみたいだね」


 センターのシステムが、自動処理では適切な解が得られないと見做したケースである。


 古典人類如きに人工知性体を上回る判断能力があるか否かは意見の別れるところだが、人力を尊ぶオビタルの流儀だけでなく、未知と例外に対する適応能力の高さはホモ・サピエンスに一日の長があるのだろう。


「ま、いつもみたいに暇すぎるのも困りもんさ──おっと、またもお客さんだ」

「あうあう、私もですぅ」


 ニューロデバイスを装着できない彼等は、耳輪に通信デバイスを装着している。


 両人が軽く触れると、赤く明滅していたインジケータが緑色に変わった。


「こちら、シエーナ広域救急指令センター。まずは現在の──」


 ルーティンに則り数分のやり取りをした後、二人の職員は再び顔を見合わせた。


 またも、同じ内容の通報だったからだ。


「なるほど──突然、暴れ出したのですね。はい。ええ──」

「噛みついてくる? こわぁ〜い──あう、じゃなくて、まずは最寄りの──」


 シエーナ広域救急指令センター設立以来、最も長い一日が始まった。

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