48話 麦穂の記憶。

「──本日、兄上には死んで頂くつもりでな」


 と、シャルロット・トスカナが無慈悲に宣言すると、背後に立っていた屈強な男達がケヴィンとジャンに襲いかかってきた。


「う、うわっ、シャルル、お前という奴は妹界の風上にも──ひいっ、痛いっ痛いぃぃ」


 腕をあらぬ方向へねじられたジャンは、関節に奔る激烈な痛みに悲鳴を上げた。


 居室を血で汚すなというシャルロットの意向により、まずは二人を捕えて場所を変え亡き者にするつもりだったのだ。


 屋敷へ迎え入れる際に武器は取り上げており、丸腰相手ならばどうとでもなると考えたのだろう。


 だが、この判断は、ケヴィン達に幸いした。


「ごふっ!」


 先陣を切ってケヴィンに襲いかかった男は、右拳で鳩尾みぞおちを打ち抜かれると、小さな呻き声を漏らして床に崩れ落ちた。 


 胸部への衝撃で呼吸困難に陥ったのだ。


 木星方面管区時代は海賊相手に大立ち回りを演じた事もあれば、大剣ツヴァイヘンダーを操り船団国と剣戟を交わした戦士なのである。


 ベルニク軍人としての面目躍如と言ったところかもしれない。


「ぎゃ」「うげ」「うう」


 数的優位を活かす間もなく、続く男達も次々とケヴィンに打ち据えられていく。


 ──ど、どういう事だ!?

 ──こんなに、俺は強かっただろうか。

 ──ガウスにも手合わせで勝った事が無いのだが……。


 疑心暗鬼に陥るケヴィンだったが、実際のところ彼は強かった──否、否、否。


 より正確性を期すならば、当時のベルニク軍の格闘能力が異様な高みに達していたのだ。


 テクノロジーに依拠した三次元空間における戦いではなく、敵の血肉と臓腑を冥府に多く捧げた者が最終的に勝利するのが戦争──というトール・ベルニクの野蛮なドクトリンに拠った結果である。


 故に強く、そして何より、総じて彼等は無自覚に無慈悲であった。


 床で悶える男の腰から器用に剣を抜き取ったケヴィンは、害虫を駆除するていで立ち上がれない敵の急所を刺し貫き淡々と葬り去っていく。 


「き、貴様ぁ!」


 ジャンを取り押さえていた男が激昂し、さらに言えば恐怖に駆られ、腰からロングソードを抜き放つとケヴィンへ猪突突進した。


 哀れそのさまは、歴戦のベルニク軍人にしてみれば、素人そのものの動きである。


 ──そ、そうか──分かったぞ!!


 全く危な気なく相手を斬り伏せたケヴィンは、勝手に天啓を得ていた。


「ジャン殿」


 瞬く間に護衛を全滅させた中年男を前に、シャルロットは逃げる事も出来ず呆然としている。


 他方、ジャンの元へ歩み寄ったケヴィンは柔和な笑みを浮かべていた。


「妹君は自身を守る護衛すら素人衆に任せておられたようです」


 事実としては、彼等は元軍人であり、尚且つ腕も立つとされる連中だったが──。


 ともあれ、相手が素人故に己でも勝てたとケヴィンは解釈した。


「僭越ながら余りに浅慮と言わざるを得ません」


 要は無能──と、言いたいのだ。


「こうとなっては、ジャン殿が領主となるのは正しく責務と言えましょう」


 愚かな妹はオカルティズムに傾倒し、あまつさえ兄の命まで狙ったのだ。


 トスカナの領主などロマノフ家の犬に過ぎぬ立場といえ、シャルロットの如き気狂いが就くのは領民にとって大きな災禍をもたらすとケヴィンは感じていた。


「もはや、妹君の真意など──」


 探っているいとまは無い、とケヴィン言い掛けた時の事である。


「ま、待たれよ──本当か? なんと──」


 ジャン改めピエトロ・トスカナ・ジュニアの顔貌が見る間に青褪めてゆく。


 長らくモラトリアムの沼を彷徨い続けた男に対して、シエーナ地区の統治機構から緊急EPR通信が入ったのだ。


「──シャルル──我が不肖の妹よ──。まずは、心して聞け」


 未だ領主の定まらぬ土地へ、大いなる災いが降り注いだ事を知る。


 ◇


「受けた報告を総合するなら、未だ全ては概ね良好と言えよう。ダニエル」


 せわしなく室内を歩き回る青鳩あおばと最高指導者と、ソファに腰を降ろしグラスを傾けるニコライ・アルマゾフの姿は対照的だった。


「良好だと? 馬鹿も休み休みに言えっ!!」


 内奥から湧き上がる苛立ちに押され、ダニエルは語気をさらに強めた。


「まず、サヴォイアに介入させるフォルツ工作は潰えた。アラゴンの阿呆と藪医者にあの代官を踊らせるなど、考えても見れば凡そ不可能事であったのだ」


 結果、ニコライの予想とダニエルの希望的観測よりも早く、トール・ベルニクが自由に動ける盤面となっている。


「グリフィス拠点の状況も芳しくない。どこの間抜けが手引きしたのか知らんが、ベルニクの長手に丘へ入りこまれたのだぞ!」


 青鳩あおばと自治区の様相を呈するタルコスの丘には、彼等の思想教化を目的としたアカメデイアが在る。


 そこへベルニクの長手──、つまりはテルミナとイヴァンナが紛れ込み、幾つかの秘事が漏洩したとの報告を受けていた。


「挙げ句、クルノフの秘蹟へ無法伯が向かっているそうだ。天秤崩れにを任せるなど、やはり愚の骨頂。今からでも我等がクルノフへ──」

「落ち着け。ダニエル」


 右手を上げたニコライは、幼子を諭すような声音となった。


 抱えきれぬ闇がダニエル・ロックの風貌を老人と化させていたが、憎悪と呪詛で塗り固めた外殻の内に成長を止めた幼い魂が潜む事を知っている。


「今、ここを動くのは実に不味い」

 

 ニコライは狂気の計画を立案するにあたり、最終的に全てを見届ける場所について迷わなかった。


 青鳩あおばとが拠点とするグリフィス、埋伏の毒を潜ませたノルドマン、あるいは福音の頸木を育て上げたサヴォイア──。


 その何れでもなく、故有ってニコライはトスカナ領邦の地表世界を選んだ。


 シエーナ地区に隣接するリヴァル農園区に、ダミー企業を通して青鳩あおばとに広大な土地を購入させたのは数年前の事である。


 数百名程度のコミューンが成立する家屋と巨大な壁を建設し、来たるべき災厄──自らの手で引き起こすのだが──に備え大量の食料備蓄と武器を用意したのだ。


 以上が、青鳩あおばと指導層と彼等から選ばれし者達が、遥々と片田舎のトスカナ地表面へ降り立った経緯である。


「早くも無法伯が向かっているのは誤算だが、先行しているのは天秤──ヴォルモア御一行なのだ。となれば、秘蹟はギー殿が手中に収めよう」


 そうして、ポータルとEPR通信という奇跡を失えば、例えトールが何万隻の大艦艇を有していたとしても星系外に対して影響力を行使出来ない。


「──が、我等も移動時に巻き込まれては孤児となる。今、銀河を翔けるのはリスクが高すぎるのだ」

「そんな事は、分かっているっ!」


 怒声を上げたダニエルは、屋敷の外を一望できる大窓へ拳を叩きつけた。


「俺は、無法伯に邪魔立てされる可能性を危惧しているのだ。所詮は天秤など無抵抗な相手を甚振いたぶる程度が関の山なのだからな!!」

「──ふむん」


 ニコライはグラスを卓に置き、ダニエルが立つ大窓の側へと歩み寄った。


 この時期のリヴァル農園区は地面が麦穂で覆い尽くされ、さながら黄金の海原と見紛う光景が窓外に拡がっている。


 その海原を縫うように奔る小径に、年端もいかぬ少年と母が手を取り合い歩く幻視が、ニコライの脳裏に鮮やかな色彩でえがき出された。


 途端、郷愁と痛みに襲われたニコライだったが、追憶を払うかの如く小さく首を振る。


「シエーナ地区で、火の手が上がり始めた」

「ほう」


 その言葉に、ようやくダニエルの口元が緩んだ。


「事実ならば、それは朗報だ。いっかな悲鳴が俺の耳に届かぬゆえ、その計画すらも頓挫したのかと思っていたぞ」

「言っただろう。概ね良好だ──とな」


 計画に幾つかの綻びが生じようとも、穀倉地帯を病魔で汚染し、尚且つ星系間の往来と通信を数ヶ月に渡り遮断出来たなら、青鳩あおばととダニエル・ロックの目的は半ば叶えられる。


 青鳩あおばとは革命のほむらを手にし、ダニエルは自身が味わったと同じヴァルプルギスに匹敵する恐怖を、全てのオビタルにあまねく与える事が出来るのだ。


 ──でなければ、不公平というものだろう?


 ダニエルの奇妙に歪んだ精神性は、直接の加害者であるレオや天秤衆に対する復讐心ではなく、安穏と生きているかに見える存在への病的なまでの憎悪を生み出していた。


 ──さあ、見せてくれ。苦痛と苦悶に満ち満ちた銀河をッ!!


 圧倒的な喜悦に浸るダニエルは知らず、そして気に掛けてもいない。


 十数年に渡り、何ら見返りを求めず側に仕え、組織の拡大に貢献し続けてきた男──ニコライ・アルマゾフ。


 彼がいかなる大望を抱き、七つ目、福音の頸木、そして青鳩あおばとに関わって来たのかを──。


 故に、


「遷ろうときに、再び我等は守られよう」


 麦穂の海原を見詰めるニコライから漏れた独白は、ダニエルの耳に届かず虚空へ消えた。

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