31話 勇猛姫。

「敵勢約三万、相対距離四十光秒地点に展開」


 ブリッジ中央に照射されたワイドモニタには、多数の朱い光点が幾つかの集団を形成する様子が映し出されていた。


 両眼視差を利用した立体映像だが、自身のニューロデバイスを調整し、単なる平面図として認識する事も可能である。


「各戦隊を十の支隊に分け立方陣とし、中央の精鋭艦隊を囲むように配置しています」

「分散させた立方陣で、さらに中央を守る大きな立方陣を形成したんですね〜。なるほど」


 立方陣とはその名の通り立体的な方陣である。


 自走重力場シールドと戦闘艇で周囲を覆い、中央には長距離砲撃に優れた艦艇──多くは戦艦や砲艦を配置するのだ。


 駆逐艦や強襲突入艦による防衛陣の強行突破を防ぐ狙いがある。


 但し、艦隊としての機動力が削がれる上に火砲の有効面も減ってしまう為、数千年に及ぶオビタル戦史においては古代スペインのテルシオと成り得なかった。


 宇宙空間と陸上、駆逐艦と重騎馬という違いもあったのだろう。


「教書では堅牢な守備陣形と説かれていた記憶はありますが──」


 トールとは異なりピュアオビタルとして正しく歩んで来たグリンニス・カドガンは、貴人の務めである士官学校で学んだ後には数年間の軍務を経験していた。


「実戦で目にするとは思いませんでした」

「サヴォイアの艦隊司令官殿は、少女艦隊の機動力を侮っていないようです」


 定石に従いポータル面における築城に頼った布陣では、少女艦隊の機動力で容易に後背を衝かれると判断したのは明らかだった。


 故に、立方陣のデメリットを理解しながらも、全方位に強固な城壁を張り巡らせたのである。


「尚且つ、邦都で狂奔するお偉方より、麾下将卒の命を優先する指揮官です」

「すると──やはり?」


 彼女も相手の意図を読み取っていたのだ。


「ええ」


 と、頷くトールは、敵指揮官に対して好意を抱き始めている。


「ベルニクの侵攻を是が非も食い止めよ──との命令に従い、鈍重とはいえ少なくともな守備陣地をポータル面に築きました」


 邦都を守る最後の砦と言える精鋭艦隊まで駆り出していた。


「ですが、我々の機動で射程圏外を走り抜けたなら、彼等に追いすがるすべはありません」


 ベルニクは、光速度の九十パーセントで航行可能な少女艦隊を奔らせ、鈍重な守備陣地など顧みず戦略目標を一気呵成に陥せば良いのだ。


 その結果、サヴォイア領邦軍は邦都陥落という正当な投降理由を得る。


 他方、トールの予測を上回る規模の介入がフォルツからあり、サヴォイア家が生き残ったとしても軍令違反を問われる恐れもない。


 何れに転んだとしても、最小限の損耗で軍部はその立場を守れるのだ。


 とはいえ、全てを差配した指揮官は、無能な腰抜けという烙印を押されるだろう。


「グリンニス伯」

「はい」

「なかなか、得難い人物のようです」


 己の名が泥にまみれようとも麾下将卒の行く末を案ずる──その意気や良しと、トールは判じたのである。


 女帝から大逆とされた上に主人を失った家を、身命を賭してまで守る義理など彼等には無いだろう。


「──是非とも、銀獅子に招待しましょう」


 女帝警護を担うトジバトル・ドルゴル子爵率いる近衛隊は、地上戦力のみで構成されており未だ艦隊戦力を有していない。


 これを改める為、銀獅子艦隊の編成をグリンニスに任せていた。


 だが、艦艇と乗組員の頭数は揃いつつある一方、彼女が苦慮していたのは指揮官である。


 有能な現役を各領邦が手放すはずもないからだ。


「分かりました」


 グリンニスにも良案と思えた。


 全てはサヴォイア家を断罪し、首尾よく混乱を収めた後の話となるが──。


「お願いします。──ところで、フォルツ方面の状況は相変わらずですか?」

「ええ。僅か五千の艦艇が入った後は、動く気配もありません」


 侍医ピルトンが不退転の決意をもってウォルフガングから得た果実が、ポータル近傍に張り付いたまま動かない五千の艦艇のみとするなら滑稽と表する他にない。


「そうですか──。う〜ん、となるとフォルツを先に処理しちゃいましょうか。単なる援軍ではなく、ウォルフガング氏の深遠な罠かもしれませんから」


 壁面砲のみが守るサヴォイア邦都など、いつでも陥せるとトールは考えていた。


「では、サヴォイア艦隊は捨て置かれると?」


 グリンニスが懸念したのは、万が一にもフォルツ方面の処理に手間取った場合、部下想いの敵司令官に心変わりが生じて挟撃される可能性がある点だった。


「ええ。ですから、この宙域はジャンヌ中将に任せます」


 白き悪魔率いる中央管区第二艦隊を前にして、サヴォイア艦隊が容易に動けるはずもない。


 ◇


 相対距離四十光秒、つまりは荷電粒子砲の射程圏外の睨み合いが数刻続いている。


 既にトール・ベルニクと少女艦隊は宙域を発っており、周回軌道の巡り合わせで最遠となったフォルツ方面ポータルへ向かっていた。


 他方で中央管区第二艦隊の役割は、甲羅の如く立方陣を築く眼前の艦隊を宙域に足止めしておく事である。


 第五戦隊長アドリア・クインクティ少佐は立体雁行陣の最右翼を担当している為、敵艦隊に動きがあったなら先手を担う責務を負っていた。


 ──司令に能力を買われているのか──それとも試されているのかしら……。


 紆余曲折に満ちたアドリアの半生は、彼女の自尊心を奇妙に歪め続けてきた。


 船団国の氏族であるカッシウス家に生まれながら、ペルペルナ家との政争に敗れた一族の多くは処刑、あるいは奴隷身分に落とされている。


 彼女の周りにいた誇り高き人々は一転して虐げられ、周囲にへつらわねば残飯すら与えられない存在に堕したのだ。


 この時、全ての事物は砂上の楼閣であると悟った。


 そんな幼いアドリアを救ったのは、やがて船団国執政官となる歯抜けのルキウスである。


 だが、クインクティ姓となった彼女を待ち受けていたのは、解放奴隷のコメディアンが引き受けた養子に対する好意的とは言い難い視線だった。


 結果として学校では大いに孤立した上、屋敷に帰ったところで多忙なルキウスは家を空けている。


 使用人達もカッシウスの血を引く彼女とは距離を置いていた。ペルペルナ家や梵我ぼんが党に目を付けられるのを恐れたのだ。


 ──サラは優しかったけど……。


 金色に輝く髪とはしばみ色の瞳を持った奴隷少女を懐かしんだが、ミセス・ドルンと共に数年前に帝都フェリクスから姿を消してしまった──。


 が、ともあれ、歯抜けのルキウスも彼女を癒せはしなかったのだ。


 ルキウスが観ているのは今ではなく遥か未来であり、愛したのはアドリアではなく異邦で暮らす女と失った我が子だけだった。


 故に──なのだろう。


 奴隷制廃止を悲願とするルキウスに反抗するかのように、船付神官となって奴隷船への添乗を自ら志願した。


 悪名轟くグレートホープ号で数多のオビタルを宥めすかして首船へ運ぶ助力をし、慈悲を乞う人々を文字通りの地獄へ叩き落としたのである。


 それらは船団国では信仰に叶う誉れある職務とされ、何より己でもそう信じていたが、流転の果てにベルニクの食客となり帝都フェリクスで学ぶうち全てが崩れ去った。


 カフェで談笑する老夫婦を、道に迷った彼女を案内してくれた青年を、何より友情が芽生えつつあったサラの両親を──アドリアと船団国は鎖に繋ぎ鞭で打ち続けて来たのである。


 その気付きを得た時、ミセス・ドルンの礼儀作法講座に身が入ろうはずもなかった。


 怒涛のように押し寄せる懺悔と羞恥の荒波に、アドリアは遂に自死を決めたのだが──、


「戦隊長」


 落ち着いた男の声音が、彼女の追憶を遮った。


 元々はジャンヌ率いる揚陸部隊で中隊長を務めていた男だが、アドリアの副官に自ら志願した変わり者と周囲からは揶揄されている。


 船団国出身という異色の経歴は、当然ながら士官学校でも、そして軍内部においてもうとまれていたからだ。


 彼女が戦隊長という立場を得たのも能力を示したのは当然ながら、トールの食客であったという事実が寄与したと理解している。


 そうでなければ、ニューロデバイスに適合できないハンデを背負った者が、栄え有るベルニク領邦軍に属せるだろうか──?


 なればこそ、彼女は証明しなければならない。


「どうしましたか? アデル大尉」

「敵艦隊に動きが」


 副官アデルの指し示す照射モニタ上には、幾つかの紅点が立方陣の前方に突出し始める様子が映し出されていた。


「──心変わり──それとも焦れた一部の造反組か──」


 独り言を呟きつつ、何れであろうとも構わないと考えていた。


「ジャンヌ・バルバストル艦隊司令へ打電」


 彼女は証明しなければならない。


「敵左翼に突出の気配有り。これより第五戦隊は──」


 蛮族を超えた蛮族とうそぶくベルニクで、真の蛮族が誰であるかを証明しなければならない。


「出る杭を打つ」


 カッシウスの血を引く我こそが、蛮の蛮たる勇猛姫であるのだと──。


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★サラの母親と、とある兵士の妹について


[承] 48話 復讐

https://kakuyomu.jp/works/16817330648495045364/episodes/16817330655436929554

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