48話 復讐。

「は、入れない」


 治安機構庁舎の地下に、弱々しい声が響く。


 周囲にはモノリス型の機器が墓標の様に立ち並んでいた。

 首船プレゼピオにおける全ての情報が集まるサーバー群である。


 映像、音声、通信は全て傍受されており、個人識別可能な状態で治安機構に吸い上げられていた。

 寝所で囁かれる愛の言葉とて、その真偽を問わなければ治安機構に把握されているのだ。


 ただし、例外はある。


「――ここから先は無理なんだよ」


 巨大なサーバールームの最奥に立ち、怯えた声で告げる男の前には白銀の扉が在った。


「試せ」


 装甲歩兵が冷然と告げると、男は自身の潔白を証明するが如く、壁面に備えられた虹彩こうさい認証に己の瞳を押し当てた。


 何度か同じ所作を繰り返した後に、全てが夢であればと願い後ろを振り返る。


 ――夢、夢、夢ッ!!


 不運な男の願いも虚しく、黒いパワードスーツに身を包む装甲歩兵が居並んでおり、何名かのツヴァイヘンダーには真新しい血糊も残っていた。

 

 第一連隊、第三中隊旗下百名のベルニク兵である。

 

 治安機構庁舎地下の制圧を命ぜられ、目の前に立つ警備責任者一名を残し、他は全て無力化していた。


 警備責任者については、生体反応が必要とされる可能性を考慮し生かしておいたのだが、いずれにしても無駄骨となったらしい。


「い、言っただろう。俺では無理なんだ。だから家に――」


 用済みとなれば解放されると信じ、おもねるような口調で告げた。


 ――俺は民間人だぞ。幾ら何でもそこまで無法な事を……。


 この時、彼に災いしたのは、部隊を率いる中隊長の妹が、船団国による略奪の犠牲者だったという一事いちじに尽きる。


「――祈れ」


 中隊長は、汗と涙、そして鼻水にまみれた男の顔を見詰めて告げる。


 彼は幼い頃に両親を亡くし、兄妹二人で生きていた。


 自身と妹を養うために若くしてベルニク軍へ入り、海賊討伐に励む日々を送っていたのである。


 ――俺より早く結婚するとは想定外だったが……。


 悲報を耳にしたのは、妹が新婚旅行に旅立った日の夜である。


 ――生存、確認されず――。


 藻屑となったか、連れ去られ奴隷に堕とされたかは分からない。

 ただ、彼にとってはいずれも同じ事であった。


 以来三十年近く、この日が来るのを夢見て来たのだ。


 ――俺の妹は妊娠していたのだぞ……。


 美しい金色の髪と、はしばみ色の瞳を思い描き、中隊長はツヴァイヘンダーを男の頭骨に叩き落とした。

 血と脳漿を浴び、連中が床に崩れ落ちるさまを眺めるのは心地が良い。


 だが、彼の渇きは癒えなかった。

 思い出の中だけに在る妹も、決して微笑みはしない。


 ――後、どれだけ殺せば微笑んでくれるのか……。


 そんな彼の想念は、別の部隊を伴い現れた白き悪魔によって遮られる。


 ジャンヌ・バルバストルと、旗下二百名の本隊であった。


「ご苦労」


 そう告げた彼女の装甲に残る数多の血糊は純白を美しく引き立て、悪魔と呼ぶに相応しい装束となっている。


此奴こやつでは開かぬようです」

「そうか」


 床で死に体を晒す男を見下ろし、ジャンヌは短くいらえた。


 白銀の扉の先に在るのが、指導層の動向を補足しているサーバー群である。斬首作戦を効率的に遂行する為には、是が非でも抑えるべき場所であった。


「生体反応の精度が低いと分かったのでな」


 言いながらジャンヌは、副官のクロエ・ラヴィス中尉を手招く。

 彼女は大きな袋を背負わされている。


 頭部装甲で表情は確認できないが、足元が少し震えているのは分かった。


「床に置き並べよ」

「は、はい――」


 怯えるクロエの腰が定まらなかったせいか、床に安置するはずが袋を取り落としてしまい、その中身が音を立てて床に転がり落ちていった。


「ひぃぃぃ」


 とう余りの首が、無造作に床の上で並んだ。


「治安総長と、常任役員だ。役員のうち二名は逃亡中だが――」


 ジャンヌは、白銀の扉を見据えた。


「ラプラスとやらで追えば良かろう」


 ◇


「疎通確認」


 旗艦トールハンマーのブリッジが師団本部となっている。


「は、早いな」


 オペレータの報告を聞き、ケヴィンは思わず声を上げた。


 治安機構庁舎への降下から約二時間で、ジャンヌ率いる第一連隊は庁舎の制圧を終え、尚且つルキウスから伝え聞くところのラプラスを奪取したのである。


 これにより、ラプラスが収集している情報は、その全てが師団本部で把握出来るようになった。

 もはや、誰も隠れ潜む事など出来ないだろう。


 拠点上空には各連隊が既に待機中であり、ラプラスから得た情報に従って、適切な部隊誘導を行うのが師団本部の主たる役回りであった。


「第二連隊、梵我ぼんが党本部へ急ぎ降下せよ。α級以上の存在を確認」

「第二連隊、了」


 斬首対象者のリストは、その優先度に応じて階級を分けている。

 αからθの三段階としており、α級は必殺で当たれとの段取りになっていた。


 敵レギオン艦隊の到来という刻限があり、ベルニク軍が殺戮の宴に興じられるのは、都合二日間が限度となる為である。


「第三連隊、民会院への降下は取りやめ、議員各個追跡に切り替える。中隊編成とし、現地判断で小隊単独行動をも許可する」

「了」


 既に夜が近く、また民会開催時期でもない為、想定された事態だったのである。


 ゆえに、ラプラスを使って各議員の所在地を割り出し、二百名の議員を殺して回る必要があった。


 なお、ルキウス自身はジュリアを箱舟にいざなったつもりであったが、彼女は首船に留まる道を選択している。


「第四、第五、第六、第七、第八連隊は、執政府へ降下始めよ。α級とβ級の草刈り場だ」


 ラプラスを使うまでもなく、熱源探索によって執政府と神殿にこそ、敵ソルジャーの守備が集中しているのは分かっていた。

 よって、五つの連隊で、これらを打ち掃うのである。


「了」


 中隊長の応答が重なる中、照射モニタに映し出されたリストを見据えるケヴィンは顎を撫でた。


 ――ψプサイが居ない……。


 ψプサイとは、臨時執政官ポンテオ・ペルペルナに与えた符牒であるが、彼は既に執政府を出ていたのだ。


ψプサイの動向追跡を始めてくれ」


 ケヴィンの指示に従い、師団本部の追跡班が解析を始めた。


 今次作戦において、あらゆる対象に優先する存在なのである。彼の頸を取らねば、何をもってしても勝ったとは言えないだろう。


「第九、第十連隊――その――閣下――」

「はいッ!」


 第十連隊を率いるのは、トール・ベルニクであった。


 いそいそと前線に出て行く上司を持った部下の気持ちなど、ケヴィン・カウフマンにしか分からないだろう。


「神殿への降下をお願い致します。σシグマの存在が確認されました。さらには、氏族連中も居合わせているようです」


 ポンテオに次ぐ重要なターゲットσシグマが、大神官ピラト・ペルペルナである。


 夜闇の迫る時間であったが、氏族会議が開催されているらしく、氏族の長たちも雁首を並べていた。

 とはいえ、彼らに案などあるはずもなく、互いの不安と焦燥を舐め合っているのだろう。


「多数のソルジャーも確認されていますし、神殿兵も居るそうですが――」

「はいッ!」


 この領主に、ケヴィンは馴れる必要があるのだ。


「ご武運を」


 ◇


 ラプラスの収集する全ての情報は、工兵部隊が設置したインターセプターにより、師団本部へとEPR通信で伝送されていた。


 首船プレゼピオ崩落に至るまでの全記録が、塩基ストレージに保存されている。


 この記録に残された各人の行動記録に基づいて以降を語るが、幾分かの憶測が含まれている点は念頭に置かれたい。


 場所は、神殿入口へと向かう大階段である。


「そこを、どけッ!」


 多数のソルジャーを従え、息せき切って階段を駆け上ってきたポンテオが怒声を上げる。

 遥かな足下には、ルキウスの頸を落とし、彼が大衆の喝采を浴びた広場があった。


 臨時執政官として最後に発した指示は戒厳令であるが、そのせいか広場に人影は見当たらない。


「嫌よ」


 固く閉ざされた神殿の大扉を塞ぐように立つジュリアが告げた。


 彼女とて、子飼いのソルジャーを引き連れている。


「分からんのか?ベルニクが迫ってるんだぞッ!!」


 苛々とした様子で、ポンテオは両手を戦慄わななかせた。


「だから――あなたが執政府から逃げ出したと聞いて、ここへ駆け付けたのよ」


 自室で好きなワインを嗜みつつ、静かな死を迎えるつもりでいたのである。


 もはや、事がここに至り、最も犠牲を少なくする方法は、指導層が大人しく座するほかないと考えていた。


「台座を使って難を逃れるつもりでしょうけれど、その間にも犠牲者が増える」


 ベルニク軍が無暗に民間人を殺して回るとも思えないが、船団国が恨みを買っているとは赤子にも分かる。

 彼女が死に際に楽しもうと考えていたワインとて、元はといえば帝国からの略奪品なのだ。


「大人しく死になさい。ポンテオ」

「馬鹿を言え。私が生き残り、レギオンの艦隊を待てば奴らを追い払えるのだ」


 インティニウムの神殿奥にも、レギオン旗艦同様の台座が在る。


 ――贈歌巫女を伴わねば行けないのだが……。


 贈歌巫女を伴って待針の森へと逃げ、各レギオンが率いる艦隊の救援を待つ――。


「無理よ」


 彼女はルキウスから聞き知っていた。ベルニクには台座を渡れるプロビデンスが在る事を――。

 待針の森へ逃げたところで追い詰められるだろう。


「そうしている間にも――」


 ベルニクの――帝国の復讐は、多くの人々の命を奪っていく。


 彼女はそう話を続けるつもりだったのだ。


 だが――、


「――え――?」


 ジュリアの胸を刺し貫いたのは、ポンテオの刃では無かった。


「グノーシス船団国の為に」


 子飼いであったはずのソルジャーが、反身の刃を背後から突き立てたのである。


「カッシウスの売女ばいだめ」


 こうしてジュリア・カッシウスは、に裏切られて死んだ。

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