32話 蛮。

「大馬鹿者がッ! 全てが終わったら糞野郎の玉を引っこ抜き、薄汚い尻の穴に突っ込んでくれる!!! な、何、女だと? ──ならば──ええい、糞ッ、糞糞糞糞がああああ」


 旗艦ブリッジで悪態の限りを尽くしているのは、サヴォイア艦隊を率いる総司令官セイント・カンパネラである。


 言葉遣いの悪辣さで名付け親の期待を裏切り続ける男だったが、艦隊運用と面倒見の良さには周囲から定評があった。


「まだ、通信回線は繋がらんのかッ!?」

「EPR通信、閉域FAT通信、全ての中継システムが応答しません。ダイレクト通信もECMによるジャミングで──」


 何度目かとなる副官の報告に、セイントは苛立たし気に自身の拳で掌を打った。


 照射モニタ上で激しく明滅する紅点は、立方陣左翼を守っていた支隊が、ベルニク艦隊右翼方面へ突き進む様を示していた。


「第二戦隊長より打電。旗下支隊の援護に向かう為、追尾の許可を──と」

「ド阿呆! 部下共を巻き添えに突艦する気狂いなど万死に値する。捨て置けい」

「──了」


 オペレータは肩を竦めて頷いた。


 邦都防衛を任ぜられた瞬間から、セイントの腹は定まっている。


 メディアの報ずる全てが事実では無いにせよ、領主とその一派が女帝並びに新生派を裏切り、下らぬ謀略を企んでいたのはおおよその部分で間違いないだろう。


 そうであるならば、サヴォイア家の大逆に、領邦の安全と価値を守るべき軍が殉ずる大義など何も無いのではないか──と。


 何より、サヴォイア領邦軍のみでベルニクの虎を追い払えるはずもなく、打算に長けたウォルフガングが充分な援軍を出すとも思えなかった。


 女帝に弓引いたサヴォイア軍の遺族に対し、遺族年金が支払われる保障もない。


 故に、彼は全艦隊をポータル面に集めて堅牢な陣を敷くのみとして、ベルニクがサヴォイア家を潰すに任せようと決断したのである。


「──しかし、何をトチ狂ったのだ……。糞をひり出す老翁の如く固まっておれば良いものを」


 美辞麗句より罵詈雑言を好むセイント・カンパネラは、部下の無駄死にを避ける段取りのみに腐心していた。


「あの支隊を率いる士官ですが──」


 通信記録を調べていた副官が、セイントの傍に屈み込んで囁いた。


「伯父上に何やら吹き込まれたのかもしれません」

「どういう意味だ?」

「ピルトン殿の姪でして……」

「ん、誰だそれは──いや、そうか──あの藪医者か」


 政権中枢に医療関係者が巣食う状況に、セイントはかねてから不信感を抱いていたが、侍医ピルトンと言えばその筆頭格である。


「ウォルフガングに皺だらけの尻を差し出しに行ったはずだ。もっとも、蹴り上げられた様子だがな」


 フォルツ方面ポータルに、五千隻のフォルツ艦隊が入ったとの報は既に受けている。


 とはいえ、援軍と呼べる規模ではなく一向に動く気配も無い為、彼等に別の目的があるのは明らかだった。


「ええ。ですが、昨夜、くだんの医者から姪に緊急EPR通信が入ったようでして──」


 ◇


「敵、支隊規模の二百隻が接近中。十五分後、射程圏内となります」


 オペレータの報告に、アドリアは黙って頷いた。


「本陣の状況は?」

「通信トラフィック、艦隊機動共に活発化──」


 なお、通信トラフィックが増大した理由の一つには、中継システムをシャットダウンさせた支隊に対し疎通確認用パケットが多量に送出されている事情もあった。


 とはいえ、全てのパケットが高度暗号化されている為、ベルニク艦隊から把握可能なのはトラフィック量のみである。


「連携した動きとは思えませんな」


 アドリア・クィンクティより遥か歳上の男──、副官のアベルが照射モニタ上のサヴォイア本陣を指差しながら言った。


「ええ、そうですね」


 本陣でせわしなく動き続ける多数の紅点は、唐突に支隊が抜けた事で立方陣に穿うがたれた穴を埋めるべく、敵艦隊が必至となっているさまを示している。


「僅か二百隻ばかりの支隊が最も単純な円筒陣で突き進む──これでは、まるで──」


 と、言いかけたところでアベルは額に手を押し当て、外連味けれんみのない笑みを浮かべた。


「おっと、私如きが出過ぎた物言いでした」

「い、いえ、お気になさらず──」


 アベルは揚陸部隊のみでキャリアを重ねてきたが故に、ブリッジクルーへの依願転属は昇進の遅れに直結した。


 士官学校を優秀に卒業し、尚且つトール・ベルニクの食客である──という点を考慮に入れたとしても、隣に立つ男が自分の部下という事実にアドリアは違和感を抱き続けている。


 ──何だって、私の──蛮族の部下になりたかったのかしら?


 頭の片隅で警告混じりの疑問が時折湧くのだが──、


「このまま交戦で宜しいですか?」


 落ち着いた低音な男の声音が心地よく鼓膜を揺らすと、アドリアの雑多な懸念と不安は払拭されてしまうのだった。


「ええ、結構です。狂ったか、破れかぶれかは解りかねますが、我々の陣を突破する事に唯一の活路を見出したのでしょう」


 アドリア率いる戦隊旗下には二千隻の艦艇が有るのだ。


 飛び込んで来る寡兵など包囲殲滅すれば良い。


「第一から第七支隊は散会し敵を包み、第八から第十支隊の斉射ポイントへ敵進路を誘導」


 第五戦隊においては、第八から第十支隊に最も大きな火力を配備している。


「我等、本隊は?」


 数的優位は確保出来ている為、安全な後方にて待機する道もあるが、それはアドリアの由とする策ではなかった。


「戦隊旗を、高輝度、最大面積で押し立て──」


 艦尾に刻印されたフラッグとは別に、光学的に視認可能なホログラムとして空間に照射する事もできる。


「期待進路、正面へ」


 主には演習や観艦式で使用される機能を使って己が餌になる──という意図だろう。


 艦隊旗艦を示すフラッグはΩ下部に逆三角形だが、戦隊長艦はΩ下部に逆三角形が二つ連鎖する意匠となっていた。


「敵、相対距離、二五光秒──」

「第一から第七支隊、三十秒後に敵艦と交差──」

「第八から第十支隊、目標ポイントに到達──」

「本艦、戦隊旗、掲揚ッ!」


 最後の報告だけは、オペレータが背筋を伸ばして告げた。


「先行艦艇より交戦開始の報有り、敵艦応射極めて貧弱の由」


 それは、艦隊制御リソースの全てを、彼等が機動に回している事を意味していた。


 ──どういう事? 完全に逃げ場を失った鼠の動きだわ……。


 副官のアデルが言い掛けた所感の通りなのである。


 とはいえ、単なる鼠であれば尚のこと逃がす訳にはいかなかった。掴み取って臓腑まで食らうのが己の職責だろう。


 だが──、


「第八から第十支隊、斉射用意──」


 と、アドリアが告げた時の事である。


 緊急アラートを鳴動させながら、ブリッジ中央のモニタに中央管区第二艦隊司令ジャンヌ・バルバストル中将が映し出された。


「告げる」


 令嬢の顔貌からは、いかなる感情も読み取れなかった。


「第五戦隊、戦闘を停止せよ、繰り返す、停止せよ」


 少なくとも戦勝を祝う様子ではない。


「サヴォイアが陥ちた」


 ◇


 フォルツ方面ポータルへ向かったトールと少女艦隊が宙域に到達したのは、アドリア率いる第五戦隊が鼠退治を始める少し前の事だった。


「先方から?」

「うむ」


 グリンニスのいらえに、オペレータ役を担う少女Aが重々しく頷いた。


 この十年間で、既に少女シリーズの大多数はオビタル語を習得している。


 故に、少女艦隊並びにそれを操る少女シリーズは、ベルニク領邦軍の重要な戦力となっているが、彼女達の身分は軍属ではあれど未だ装備品の扱いである。


 純然たるバイオハイブリット体という存在は、地表人類、オビタルの何れに属するかを判ぜられず、トール自身も法的整備を慎重に進めようとしていた。


 そこには、タロウと自称する似て非なる生命体への懸念もあったのだろう。


「繰り返すぞ──、"期せずして相対あいたいする立場となった臣民より、敬愛する権元帥閣下への謁見を賜る栄誉を頂きたい。然るに双方艦上故──" 云々」


 少女Aが小さな顔貌を横に傾けた。


「ようは、EPR通信とやらで話したい──との事だ」


 相対距離で六十光秒の地点に在るポータル前面には、五千隻のフォルツ艦隊が砲身をデブリシールドで覆ったまま航行している。


 迫り来る少女艦隊に対して、特段に事を構える気配は見せていない。


「ボクは良いですよ〜」


 敵艦に一人で揚陸するつもりだったのか、あるいは単なる癖なのか──、携行したパワードスーツを装着した後に格納庫から戻って来たトールは気安く応えた。


「では、繋ぐ」


 余韻というものを解さない少女Aがコンソールを手早く操作すると、中央モニタに副官の手鏡で横髪を整えるウォルフガングが映し出される。


「ん──あ、いや、これは失礼をば──」


 取りなすような口調で詫びを告げ、ウォルフガングが正面に向き直った。


「いえいえ、お気遣いなく。ええと、ボクがトール・ベルニクです。貴方はフォルツ領邦で代官を勤めてらっしゃるウォルフガングさんですね」


 この日まで、互いに名は知っているが面識は無かった。


 ──パワードスーツでブリッジに?

 ──や、やはり──、戦場の血煙を愛し、敵の頭骨を踏み砕きながら、赤子から聖職者に至るまで殺戮の限りを尽くす、との風評も当たらずとも遠からずなのだ……。


 さほどの意図があってパワードスーツを装備した訳ではなかったのだが、決して臆病ではないウォルフガングの心胆を勝手に寒からしめていた。


 ──が、今回ばかりは、それが吉と出るやもしれんな。


「左様です。して、此度は不幸な行き違いにより──」


 侍医ピルトンからの連絡と、彼が自領を訪れた経緯をウォルフガングは語った。


「かような次第で、手土産を持参すると申してピルトンが押し掛けて来たのです」

「手土産?」

「これが実に度し難き──いや、それは後に語りましょう。まずは、その──コホン──お許し頂きたい件があるのです」


 ウォルフガングは、少しばかり決まりの悪そうな様子を見せた。


「何でしょう」


 さしものトールにも展開の予測がつかなかった。


「先に宣された司法権剥奪の沙汰が──」


 そう言いながらウォルフガングが手招くと、二人の兵卒が布で覆われた盆を抱え進み出て来た。


 ウォルフガングが軽く頷くと同時、白い布が取り払われる。


 鳩が出て来たら拍手をしよう──と、トールは身構えていたのだが、


「──この男にも適用されるならば幸いです……」


 飾り気の無い盆に載せられていたのは、侍医ピルトンの頭部であった。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る