30話 手土産。

★帝国地図

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 サヴォイアに面するポータル前に到達したベルニク艦隊は、多量の自走重力場シールドを展開し強固な防衛陣地を築いて既に五日が過ぎていた。


「何だか、拍子抜けだわ」


 ジャンヌの副官を務めるクロエ・ラヴィス少佐が、フォークに突き刺した鴨肉のソテーを左右に振った。


 第二艦隊旗艦ホワイトローズで開かれた戦隊長会議の後、クロエとアドリアは連れ立って遅目の昼食を取っている。


 トールに最初の勝利をもたらした白い中型艦ホワイトローズは、現在もベルニクを守護する主要な一翼を担っていた。


「敵のポータル前で、わざわざ面直会議とか珍しいし──」


 向正面に座る第五戦隊長アドリア・クインクティ少佐は、クロエの鴨肉を揺らす不躾には咎めるような視線を送るにとどめ、レーズン入りのライ麦パンを白い指先で千切った。


 人為選択により小麦に似た進化を遂げたライ麦は環境適応力が高く、オビタルの主食を賄う穀物としてトスカナ、イーゼンブルク等の地表面で大量生産されている。


「──そもそも閣下にしては意外なのよね」

「何がです?」


 敬語を使い敢えてクロエの戯言ざれごとに質問を重ねたのは、同じ階級とはいえ先任に対する儀礼であると共に適度な距離感を保つ秘訣でもある。


「ほら、いつもの閣下なら、さくっと攻め入りそうなもんじゃない。裏切り者は皆殺しじゃぁ〜って感じで」


 トールとは似ても似つかない口振りだったが、彼女の大意はアドリアにも伝わった。


「閣下は約を決して違えない御方です」


 誰もが不可能事と考えるグノーシス船団国への侵攻すら、アドリアの養父と交わした約に従い敢行したのだ。


「声明によれば、期限は五日です」


 アイモーネの妻ヴィオランテと、侍医ピルトンの引き渡し期限である。


 その間ベルニク艦隊はサヴォイア領邦を侵犯せず、ポータル前に築城した後はひたすら情報収拾に努めていた。


 商船その他民間艦船のポータル通過も黙認している。


「だから、もう五日目になってるじゃない」

「起点を声明発表に置くなら、期限まで残り六時間の猶予が残されています」

「ふううう、やっぱり待つのか。ふわ〜ぁ、早く帰りたいなぁ」


 呑気な事を言いながらクロエは大きく伸びをした。


 トールとジャンヌ、そしてホワイトローズが在る限り、クロエにはベルニクの負け戦など想像も出来ない。


 その他多くの将兵にとっても同様だったが、信仰めいた不敗神話はやがて崩れ去るのだと歴史が証明してもいる──。


「ま、基本的に副官如きが考えても仕方がないんだけど──やっぱり今回は大人しすぎると思うのよね」


 カドガンと相対するポータル前面に、サヴォイア領邦軍の全艦隊が集結しつつあった。


 クルノフ、フォルツ方面に配していた守備艦隊、そして邦都宙域を守る精鋭艦隊までも掻き集めて総勢三万隻に迫る規模となっている。


 数の面だけで推し測るならば、守りきれる余地はあった。


 これに対してトールは何ら手を打っておらず、威力偵察すら試みていないのだ。


「例の藪医者がフォルツを訪れてるのも気になるのよ」


 藪医者か否かはさておき、侍医ピルトンがフォルツを二日前から訪れているとの報は、彼の身柄引き渡しを要求するトール達も知るところとなっていた。


「これでフォルツの艦隊まで助けに来ちゃうと、さすがに──」

「多分、それです。クロエ先輩」


 時間だけはあったので、アドリアもずっと考えてはいたのだ。


 トール・ベルニクは単に約を守るべく、無為に時を過ごしているのかを──。


 先の苛烈な声明に対し諸手を挙げて家臣団が従うはずもなく、トールの狙いがサヴォイアの廃絶にあるのはもはや誰の目にも明らかなのである。


 相手方が体勢を整える前に攻めたほうが得策ではないか──と考えても無理のない状況だろう。


 となれば、推考を進めると結論は一つのみになる。


「つまるところ──、フォルツの介入を待っているのでは?」


 ◇


「動きませんねぇ──」


 と、ぼやくトールの顔貌を、照射モニタ越しにジャンヌは柔らかな表情で見守っていた。


 幾分か背丈は伸びて顔立ちも細くなっていたが、彼女の愛艦ホワイトローズをロベニカと共に訪れた際に見せた少年の面影は未だ残している。


 余人には想像も出来ぬほどの血を流し、数多の死線を潜り抜けてきたが、我欲と好奇心に滾る少年の魂は揺るがない。


 故に、ジャンヌ・バルバストルも揺るがないのだ。


「アラゴン公だけでなく、ファーレン公までフォルツを訪れたそうです。サヴォイアの蛆が手土産を間違えなければ動かざるを得ませんでしょう」


 未だサヴォイアを侵犯していないベルニク艦隊を恐れ、クラウディオ・アラゴンはフォルツ領邦に逗まっていたのだ。


 無論、慎重な代官ウォルフガングを焚き付ける意図もあったのだろう。


 尚且つ、動かざるフォルツに業を煮やしたファーレン公までも駆けつけており、三者に早く兵を動かすよう迫られている様子が浮かんだ。


「とはいえ、その手土産が気になります」


 帝国三公武官として傍にあるグリンニス・カドガンが思わし気に呟いた。


「目先の実利で考えるなら、サヴォイアがフォルツへ供せる益には限りがあります」


 金、人、物──何れも大領フォルツを動かすには足りない。


「そうなんですよね。だから、ピルトン氏の頑張りと、後はクラウディオ公とかが──」


 アイモーネと裏で手を結んでいたクラウディオやファーレンの好戦派が、復活勢力における政治力学を上手く働かせる事に期待していた。


 つまりは、好戦派の声を糾合した上で、中央政界で狼煙を上げるべきなのだ。


 ウォルフガングに直接圧力を掛けるよりイリアム宮に赴いて、宰相アダム・フォルツや太上帝を動かす方が効果的だろう。


 だが──、


「なぜか、二人ともフォルツで騒いでるんだよなぁ……」


 封建制度における領主のさがなのかもしれないが、自家の威光で物事を動かせると不遜な考え違いを起こしてしまうのだ。


 他領とはいえ、代官如きは意のままに操れると思ったのかもしれない。


「何れにしてもボクが思っていた以上にウォルフガング氏は食えない人物です。いや、アダム・フォルツ公が──なのかも」


 エヴァン・グリフィスの跡を継ぎ、宰相職となった男の冴えない風貌を脳裏に浮かべた。


 ──アダムさんって、原作だとエヴァン公の単なる腰巾着だったんだけど……。

 ──まあ、人って立場と環境で劇的に変わったりするしなぁ。

 ──そういえば彼も──ええと──あれ?


 新生アダム・フォルツの如く劇的に変わった男の名が、ふと記憶の片隅に蘇ったのだが、即座に黒い布で覆い隠されていく感覚にトールは襲われた。


 ──何だ──これ──オカシイ──、


「閣下ッ!」


 緊張感と少なからずの喜色を交えたジャンヌの声が、トールの記憶に纏わる思念を中断させた。


「特務機関デルフォイより打電」


 ベルニクの巨大な情報組織となったデルフォイは、各領邦のポータル管理を担う航宙管理局にも手を伸ばしている。


 とはいえ、トップ自らが青鳩あおばと本拠地であるグリフィスを目指す──などという若気を持ち合わせてもいたのだが──。


「フォルツより、サヴォイアへの侵犯を確認」

「ようやく、待ち人が来ましたね」


 トールが両手を擦り合わせて微笑んだ。


「数は?」

「──数は──」


 暫し確認するかのようにジャンヌが瞳を細め、手元の照射モニタを見詰めた。


「五千」

「え──?」


 余りに少なすぎる、というのがトール達の抱いた素直な感想である。

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