29話 代官の流儀。

★帝国地図

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 照射モニタに映るサヴォイアの侍医ピルトンの表情は、面白いように目まぐるしく移り変わった。


 サヴォイアとの面談に同席させろと騒ぎ、ウォルフガングの隣席で尊大に胸を反らせていたクラウディオ・アラゴンとて同様である。


「──なかなかに苛烈な沙汰ですな」


 ブロックノイズ混じりのベルニク統帥府声明を見終えたウォルフガングは、面倒事の増える予感に頭を重くしながら呟いた。


 敵対する新生派勢力圏内からブロードキャストされた情報は、復活派勢力圏のEPR通信中継ハブを通過する際、高度暗号化処理を施され一般人は閲覧できなくなる。


 ウォルフガングのような権力者は閲覧可能だが、リアルタイムな復号化処理で映像や音声にノイズが混入するのを避けられない。


 不戦の誓い以降、両勢力はプロパガンダ戦略に心血を注いだが、いつしかメディア自身が自律的に過激化の一途を辿って大衆を扇動し始めたのだ。


 煽られた大衆は為政者が望む以上に積極策を求めるようになり、結果として相手方の情報を遮断するという施策を取らざるを得なくなった。


 超光速通信ネットワークという奇跡に自ら足枷を嵌める羽目となったのは、己の蒔いた毒に苦しめられた状態とも言えるだろう。


「これは──」

「ピルトン殿にも、予想の埒外でしたかな?」


 福音の頸木なる組織を後ろ盾としてサヴォイア政権内を巧みに泳いできたピルトンだったが、今回の声明に対しては内心の動揺を声音から打ち消すには至らなかった。


「い、いえ──ど、どうでしょうか」


 胸元からチーフを取り出し、意思の力に反して額を流れる汗を拭った。


 サヴォイア家の一族郎党を最下層に貶めた上で追い払い、福音の頸木に連なる者達は罪人として裁かれる。

 故アイモーネの企みに加担していない家臣団も無事では済まないだろう。


 名前の上がったピルトンなど、必要な情報を吐き出せば処刑されるのは間違いない。


 現状での唯一の救いはプルガトリウム送りになるのはピュアオビタルのみという点だが、ピルトンの心胆を温めるほどの事実ではなかった。


「この期に及んで何を迷うことがある、ウォルフガング」


 苛々とした口調でクラウディオが口を挟んだ。


 憎きトール・ベルニクの居丈高な声明を聞き、全身が総毛立つほどの怒りが湧き上がっている。


「万艦率いて友人を助けに行く以外の選択肢はなかろう?」


 この言葉に腰を浮かせたのはピルトンである。


「おお、心強くも有難きお言葉でございます! 銀河で最も誇り高きはアラゴン公であると末の末の末代まで──」

「待たれよ。今少し、端的に教えて頂きたい」


 ウォルフガングは静かな声で、淀みなく流れるピルトンの追従を遮った。


「まず、一刻も早く国許へ帰られたいクラウディオ公のお気持ちは分かる」


 彼がサヴォイアを助けよと声高に告げる理由は、トールへの憎悪だけが理由ではない。無論、友人を救う為でもないのは明らかだ。


「先ほどは失念しておりましたが、何やらフィオーレ家に不穏な動きがあるそうですな」


 遥か昔の高祖父が交わした盟約に基づきアラゴン傘下として戦には加わるが、領邦内に独自の経済圏と武力を有するフィオーレ家──。


 武門の名家が備える声望、旧き盟約を違えぬ信義、腹に獅子を飼うという度量、これらを周辺領邦に示す事で、誇り高きアラゴンと称賛される邦柄であり続けてきたのだ。


「教皇聖下の使いが足繁く通い、密議を交わしているとか──」


 蛮族との戦いで聖骸布艦隊の大半を失った教会は、女神の新たな矛としてフィオーレ家に秋波を送っているとの噂がまことしやかに流れていた。


 教皇アレクサンデルとトールの蜜月ぶりは誰の目にも明らかであり、万が一にもフィオーレ家が教会の矛となれば、同家がアラゴンに弓引く存在になるのは想像に難くない。


 そして先般、ロスチスラフの葬儀を終えた教皇が、自ら聖船に乗り込んでフィオーレにおもむくという報せが入ったのである。


 ファーレンで仲間達と謀略談義に興じていたクラウディオは大いに狼狽えた。


 おまけに帰路となるサヴォイアは混乱し、ベルニク艦隊が迫っているのである。


「それもある。それもあるが──ここでサヴォイアを救わねば貴領とて困るだろう?」


 必至のクラウディオは唇の端を舐めた。


 未だ中立の立場を崩さない姉の治めるプロイス経由で逃げ帰るのは、歪んだまま肥大化した彼の自尊心が許さない。


「隣人が友ではなく、無法泊の息がかかった厄介者になるのだぞ」

「確かに喜ばしくはありませんな」


 サヴォイアが女帝の直轄地として公領になるのか、ノルドマンの如くトールに近しい者が治める領地になるのかは分からない。


 何れにしても枕を高くして眠れる状況ではないだろう。


「とはいえ、わざわざ領外へ兵を出すほどの理由ではないでしょう」

「な、何を悠長な事を言っておるのだ。奴らはサヴォイアを喰らえば、勢いそのままフォルツに押し入るかもしれんぞ? 蛮族の地にまで攻め入る無鉄砲なアホだ──うむ、きっと来るに違いない!!」

「されど──」


 相手の興奮を冷ます為にも、ウォルフガングは一拍置いてから話を進めた。


「無法伯が引き連れて来たのは、第二艦隊一万隻に加え、例の先史艦隊が五万隻程度」


 トールは少女艦隊という呼称で通しているが、敵方からは先史艦隊──酒席においてはハーレム艦隊などという不名誉な蔑称で呼ばれていた。


 インフィニティ・モルディブの地下から出現した謎の艦隊について、その真の実力を多くの人々は未だに見誤っている。


 後に嫌と言うほどに思い知る事になるのだが──。


「尚且つ、外征時は常に伴う旗艦トールハンマーは月面基地に在り、敵ながら名将と評すべきケヴィン・カウフマンに至っては片田舎のトスカナで休暇中と聞き及びます」


 いつの間にか世間から名将に祭り上げられているケヴィンは、いかにして事実と乖離した評価を穏便に覆せるのだろうかと日夜思い悩んでいる。


 なお、現在トスカナにてケヴィン一家がバカンス中なのは事実だが、同地の領主がアイモーネに加担した結果、常の如く面倒事に巻き込まれてしまい己の不運を呪っていた。


「つまりは、混乱したサヴォイアを血祭るには充分でありましょうが、とても大領フォルツにまで手を出す陣容ではありますまい」


 ようは、裏切り者の始末など相手方の好きにさせておけ──というのが、ウォルフガングの意見である。


 積極策に出るにしろ、敵勢力の内紛が大きくなってからでも遅くはない。


「そして何より、我等の盟主たる太上帝の宣された不戦の誓いがございましょう」


 と、イドゥン太上帝の名を借りて、権威付けをしてから言葉を結ぶ事も忘れなかった。


「ウォルフガングッ!!!」


 だが、クラウディオは人目も憚らず拳で卓を叩いて叫んだ。怒りと焦燥に駆られた彼は、体裁を取り繕う余地などもはや無かった。


「これは自存自衛の戦であるぞっ! とやかく申さず今すぐ兵を出せっっ!!」


 家柄、官職、爵位──その全てにおいて足元にも及ばない若者の怒声を、苦労人の代官ウォルフガングは眉根一つ動かさず悠然と受け止めた。


 クラウディオの纏う綺羅びやかな鎧の奥に潜むのは、亡き異母兄への劣等感に苛まれる卑小な魂であると喝破していたからだ。


 恐れるに足りぬ若造──否、小僧である。


「兵は出さぬ」


 故に、ウォルフガングは言い切った。


「お、おのれ代官の分際で──」

「ウォルフガング殿! 待たれよ、今暫しのご検討を──」

「くどい。おいそれと兵は出さぬ」


 クラウディオ等好戦派と敵方の裏切り者が仕損じた謀略の尻拭いに、宰相アダム・フォルツより預かった将兵に血を流させるなど許し難い背任行為と考えていた。


 しかも、相手は野に放たれた虎である。


「ゆえに先程から私は申し上げていよう。端的に教えて欲しい──とな」

「な、何をでしょうか?」


 自身の口先三寸で動かせる相手ではないとピルトンは理解したが、死刑宣告されたサヴォイアが生き残るにはフォルツを頼る他になかった。


「貴領を助ける事で、フォルツが得る益を教えて欲しい」


 そう言って三本の指を立てた。


「ひとつ、財貨と資源に乏しい。ふたつ、見るべき人材を知らぬ。みっつ、カドガンの女豹に尻を突かれる領地などいらぬ」


 それでも敢えてメリットを挙げるならば、インフィニティ・モルディブのカジノへ至る便が良くなる事程度だろう。


「他に何があるのだ?」


 この問いに対する応えこそが自身とサヴォイアの命運を決する──と、侍医ピルトンはいよいよ腹を括った。


「益が──益がございますとも──それは──」

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