単話:王女様なサキュバスが、隣の席の地味男に返り討ちに会うお話

腹パンでわからせたい顔の人

根暗男が靡かない

 可愛いとは私のための言葉である。


 文武両道、才色兼備。スポーツではその部のエースに肉薄するし、学年テストも上位の成績をキープ。その上、強力な魔法が使えるとなれば、まさに天才美少女と言えるだろう。


 クラスメイトに『可愛い』を語らせれば真っ先に私の名前が出てくることは必至、必然、絶対。その上、現魔王の一人娘となれば、欠点を探す方が難しいというものだ。


「リリ様……」

「はぁ……リリ様、今日も可愛い……」

「天使だ……」

「いや、種族は悪魔とサキュバスのハーフだろ」

「リリ神様万歳!」


 教室でただ席に座っているだけでも、私の賛美が飛び交っている。


「みんな、おはよー♪」


 私は周囲に笑顔を撒き散らしながら、心の中でほくそ笑む。


 ふふふ、ふふふふふッ。

 苦しゅうない。苦しゅうない!


 思わずにやけそうになる頬を、表情筋に力を込めて押さえつける。愛嬌のある、可愛い笑顔を作るのに必死だ。


 注目されることの達成感、可愛いと言われることの優越感……そんな幸せを噛み締める生活は、甘美なものでしかない。


 まさに順風満帆、上り調子の人生。

 でも、そんな私にも、一つだけ欠点が存在する。


 それはすなわち―――『年齢イコール彼氏いない歴』であること。


 いや、いや。


 確かに、私は可愛い。自他ともに認める容姿、可愛いを体現したかのような性格、すらりとした肢体をもってすれば、大抵の男は堕ちるだろう。


 とはいえ、哀しいかな。ここは『魔王学園』なのだ。


 この学園は次期魔王を決めるための選定場であり、多種多様な才能を持つ少年少女が集められている。でも、戦闘力や学問に秀でているだけが魔王に選ばれる条件ではない。


 いわゆる、権威が大切らしい。


 現代の魔王とは絶対的な暴力の持ち主というわけではない。確かに、強者を王としていた時代はあるが、結局は人間の数の暴力によって敗戦した歴史がある。


 それに、今は人間達との融和も進み、技術や文明レベルが各段に上がっている。そのおかげで、冷蔵庫やエアコン、通信機器にパソコンなんてものも普及しているくらいだ。平和も平和で、目立つ暴力など必要とされていない。


 では、権威とは何か。


 それは血筋と家柄だ。


 お金があればいいという話ではなく、そこには品位も求められる。その点、私は魔王の娘というステータスがあるので、有利と思うかもしれないけれど、それは違う。


 そもそも―――魔王は世襲が禁止されているし、婿養子や嫁養子となってもそれは同じことなのだ。


 折角、次期魔王候補となるべくしてこの学園へと入学したのに、私と結婚した瞬間に魔王への道が完全に閉ざされる。


 …………私は地雷女か何かか?


 これが私自身の選択だったのなら、まだ諦めもつくだろう。

 でも違う。

 私が中学校に上がる際、この中高一貫の魔王学園に、魔王お父さん半ば無理やり入学させられたのだ。


 魔王の娘が才女と知れ渡れば、多少なりとも治世がしやすいとか、そんなことを言っていた。


 そんなクソ親父に、この言葉を送ろう。


 ――――――――知るかい、ボケェ!!!!!!


 わや(怠いの意)なんじゃ! 己の力不足をに押し付けんのはやめんかい! 魔王なんて柄じゃないんじゃけぇ、わやなお役目なんぞ、そもそも受けなきゃよかったんじゃ!


 ――――などと考えながらも、表情一つ崩さないは流石だと、自分を褒めたい。


 閑話休題。


 結局のところ、兎にも角にも、「年齢イコール彼氏いない歴」などというレッテルを早々に殴り捨てたいというのが一番だ。彼氏彼女、はたまた婚約者のいる生徒が過半数はいると言っていいこの学園で、そんな称号はこの天才美少女にとって汚名でしかない。


 というか、実害だってでている。

 一部の女子に、パートナーが狙われているんじゃないかと警戒されるのだ。陰口だって言われているのを知っている。


 彼氏ができたことがないのは、誰かを狙っているから、とかなんとか。


 そんなことはないと事実を主張したところで、聞く耳を持たないだろう。


 そこで考えた。


 魔王になれないのが問題なら、魔王の座に興味のなさそうで、かつ婚約者も彼女もいないような男の子に、一瞬でも彼氏になってもらえればいい。


 そうすれば、男に興味がないのだと警戒を解いてくれるに違いない。


 相手の男の子に失礼と感じるところはあるけれど、一瞬とはいえ、私のような王女、それも美少女のパートナーになれるのだ。これほど名誉なことはないだろう。


 我ながら、誰も不幸にならない完璧なウィンウィンの作戦である。


 ただ、気をつけたいことが一つある。


 私にかかれば簡単なことだけれど、これなくしては、この作戦は成功しないような、大事なこと。

 私のプライドが許さないのはもちろん、短期交際には必須の条件でもある。


 それは即ち。


 ―――――相手から告白させることである。


 ◆◆◆


 朝。

 魔王学園に入学して二週間が経った今日この頃。僕は隣の席の女の子に睨まれていた。


 いや、睨まれているというのは適切ではないか。僕がそう感じているだけで、その眼差しは円らで可愛らしいものだから。


 魔王様の一人娘、リリィ=サタニーニャ姫。


 ほっそりとした手足に、すらりとした体躯。その腰元でゆらゆらと揺れるサキュバス特有の黒い尻尾と、癖っ毛のある短めのブランドヘアーが相乗効果を発揮して、小悪魔的な雰囲気を醸し出していた。


 対して僕はと言えば、返済不要の奨学金に目がくらんだ一般庶民。それも必死こいて勉強して、補欠で滑り込み合格をもぎ取った凡人である。


 そんな僕と彼女では、まさに雲泥万里。隣り合う月とすっぽん。提灯に釣鐘。石ころと宝石。


 つまるところ、明確な立場の差というものがある。例えるなら蛇に睨まれた蛙のようなもので、条件反射的に僕が委縮してしまっているのだろう。


 まあ―――視られるだけなら無視すればいいだけの話だ。どうということはなかった。

 でも、ここ数日の彼女は、一味違う。


「シン君」

「…………………」

「おーい、シンくーん?」


 そう言いながら身を乗り出してきたサタニーニャ様は、僕の目の前で手をひらひらと揺らし始める。流石にここまでくると『聞こえていなかった』とはいかず、僕は恐る恐る彼女の方へ顔を向けた。


 目元まで伸びた自前の白髪はくはつ。その隙間から見える彼女の笑顔は、酷く眩しい。しかもそれが自分に向けられているとなると、緊張も一入ひとしおだ。


「………ナンデスカ」


 存外に低い声が出た。


 最近の彼女は、何かと僕に話しかけてくる。

 それどころか、心なしか距離感が近い。気づけば彼女の顔が目の前にあることもあるし、さりげなく手を握ってくることさえある。


 僕は知っている。


 これは洗礼だ。


 これで「この子、僕のこと好きなんじゃね?」などと阿呆丸出しの勘違いをしようものなら、明日から夢見野郎とバカにされることは間違いない。クラスメイトは愚か、学園中の笑い者にされることだろう。


 そうはさせるものか。


 僕は知っている。この手の女子には、必ず裏がある。ないわけがない。


 アレは2年前の夏。クラスメイトの女子に、校舎裏に呼び出された。蝉の鳴る中、心臓をバクバクと跳ねさせながら向かう僕。待っていた彼女は、僕を見るや否や、駆け寄ってきて手を握ってくる。「これもうアレじゃん、くるやつじゃん」と身も心も完全にスタンバイを決めていた僕に彼女は告げた。


 ――――好きです、付き合ってください。

 ――――僕でよければ。


 ここで終われば完全なハッピーエンド。仲良く手を繋いで帰宅、ラブラブカップルの誕生だ。なんておめでたいことだろう、僕の頭。


 思春期男子らしく色々な妄想をしていたところに、ざっざっと足音が聞こえてくる。そちらを見れば、彼女と仲のいい女子が数人、歩いてきていた。


 ――――『ドッキリ大成功』と書かれたプラカードを掲げながら。


 なるほど、面白い冗談だ。彼女たちにとっては一つの青春。イタズラ心を満たす一環だったのだろう。

 田舎の学校だから、生徒数も少ない。根暗とはいえ、数少ないクラスメイトの僕は、中途半端に彼女たちと仲が良かった。多分、ちょっとしたじゃれあいの延長だったのだろう。

 いやあ、本当に面白い冗談だ。


 僕の心が生贄になったことに目を瞑れば、笑える要素しかないな。


「前も言ったけど、敬語はやめて。嫌いなの」


 苦い思い出トラウマに浸っていると、サタニーニャさんが少しだけムッとした表情を浮かべていた。

 そこに先ほどまでの可愛らしい様子は微塵もなく、本当に嫌なのだろうと察することができる。


「……わかったよ」


 王女様にタメ口を聞くのは少しだけ抵抗はあるけれど、本人がいいと言っているのだから、遠慮することはないだろう。相手の嫌がっていることをする趣味もない。


「よろしい」


 サタニーニャ様、もといサタニーニャさんは、「うんうん」と可愛らしく頷いて続ける。


「………実は私、今日、ペンを忘れてきちゃって。よかったら、一本だけ貸してくれない?」


 そう言いながら、サタニーニャさんは前屈みになり、潤んだ瞳を向けてきた。

 彼女の制服のボタンが一つはずされているのがデフォルトだ。そんな格好で前屈みになればどうなるか、想像に難くないだろう。

 ちらりとそちらを見れば、彼女のご尊顔がドアップに映る。その奥には、大きな双丘が――――。


「ん」


 僕は速攻で目を逸らして、筆入れを手に取って立ち上がる。彼女の机の前へと行くと、鉛筆と消しゴムの予備、ついでに鉛筆削りも一緒に『と置いた。


 生憎と、貧乏学生故にシャーペンなどというものは持っていない。僕に頼ったのが運の尽き、使わないなら突き返すだろう。


 僕は無言で自分の席へと帰還。


「…………あ、ありがとう」


 彼女は一瞬だけぽかんとしながらも、一言お礼を述べて、自分の席へと戻っていった。


 ああいうのは勘弁してほしい。いや、本当に。


 彼女に魔王継承権はないとはいえ、魔王の一人娘であることに変わりはない。少しでも変な気を起こせば、魔王様の怒りを買うことになるかもしれない。


 完全な罠。美人局、あるいはハニートラップとも言うべきか。


 全く、都会という場所は恐ろしい――――。


 都会の洗礼に戦々恐々と怯えていると、教室に担任の先生が入ってきた。


「ホームルーム始めるぞー。出席からなー」


 僕は隣からの視線に気づかないふりをしながら、先生からの点呼を待つのだった。


◆◆◆


 なんやあいつ、なんやあいつ、なんやあいつ!!!


 が話しかけてるのに、あんな嫌そうな顔する!? てゆーか貴様は単語しか話せんのか!?


 数日前から積極的に話しかけているけれど、どうにも一線を引かれている。それどころか、嫌われている節すらあるのだ。


 思い切って顔を近づけてみたら、手の平で壁を作られた。

 手を握ってみれば、反対の手で丁寧に引き剥がされた。

 もうこれしかないと、サキュバス自慢の胸をさりげなく強調してやれば、まさかのスルー。


 こうなったら、の魅力をこれでもかと見せつけて。意地でも告白させてやらぁ!!


 ―――というわけで、待ち望んだ体育の授業がやってきた。


 シャワールームや室内の温水プールはもちろん、魔法を使うための部屋や、あらゆる球技に対応した『魔法の込められたコート』まで完備している。流石、魔大陸一番の高校なだけあって、清掃は隅々まで行き届いているし、エアコンだって場所に合わせた適温に設定されている。


「今日は親睦を深める意味も兼ねて、ちょっとした球技で遊んでもらおうと思う」


 ガーデン先生が言った。

 彼はトレント族で、全身が木でできている種族である。その頭には髪の代わりに葉っぱが生えており、体は木でできている。


 普通、トレント族は森で暮らしているけれど、たまに街中で見かけることもある。森から出てくるのは相当な物好きか、どこかの組織にスカウトされるほどに優秀かのどちらかだろう。

 この学校の先生をしているということは、多分、後者。


「球技ですか?」


 生徒の一人が訊いた。

 ちなみに、先週は身体測定を行なっていたので、今回が初めての体育の授業である。

 ガーデン先生が答える。


「ああ。といっても、お前ら、色んな種族がいるからな。平等を喫するために、班を分ける。俺が名前と班名を呼んだら、前に出て並んでくれ」


 そう言うと、ガーデン先生は名簿をとりだして名前を呼んでいく。どうやら、主に人型かどうかとか、飛行能力があるかなどで分けていくらしい。

 比較的ヒト型らしい生徒はA班に分けられている。まあ――――そうなることは、


「シン=マルドラン。A班。次は、えー……リリィ=サタニーニャ、A班」


 名前を呼ばれて、私は心の気でほくそ笑んだ。

 ガーデン先生が私の名前を呼ぶ時、どこか歯切れ悪いのは、言わされているのだから無理もないことだろう。


 


 弱みを握ったわけではない。ただ、あまり教室に馴染めていないシン君と友達になりたいと言っただけだ。ほんのちょっと、上目遣いで見つめてお願いしたくらいで、特別なことは何もやっていない。

 ちょろい。


 まあ、体育の内容と班わけをしただけだから、というのもあるだろうけれど。


 私は何食わぬ顔で「はい」とお淑やか(重要)に返事をすると、そのままシン君の後ろに並んだ。


「お? 王女様、俺と一緒の班じゃん」

「マジウケる。せっかくだし、ぼこっちゃおーよ、ダーリンッ」


 シン君の前にいるチャラ子とチャラ男の二人が、私を見てケラケラと笑った。名前は知っているけれど、うん、呼ぶ気にはなれない。


 確か、彼らは魔王おとうさんの政敵の親族だったはずだ。目の敵にされているのは、そのせいだろうか。


 まあ、今は路傍の石なんてどうでもいい。


「よろしくね、シン君」


 私は彼の隣に立ち、ニコリと笑いかける。腰の角度は25度。両手は後ろに回し、前方斜め下からの軽い上目遣い。これでもかと研究に研究を重ねた、渾身の『可愛い30選』の一つである。


 そこに体育着という、普段と違った装い。二の腕や膝裏が晒されている分、制服よりは露出の高い服装だ。脇チラだってあるだろう。男の子にとっては、まさに会心の一撃というわけだ。


 女の子でも、顔を赤らめて、あたふたとし始めることは必至。

 だが。


「よろしく」


 シン君は軽く頭を下げると、もう用はないとばかりに、私から体を背けた。


「…………」


 なんやねん!!!!


 ………思わず叫びたくなるが、ま、まだ慌てるような時間じゃない。


 なにせ、ここからは私の時間。いうまでもなく、『球技』も私の計画の一部なのだから。


「班わけは終わったな。それじゃあ、それぞれ班ごとのコートに分かれてくれ」


 そう言うと、ガーデン先生は班名を呼んでコートの各所を指さしていく。当然、私たちはAのコートだ。


 私たちは言われるままにそちらへと向かう。


 コートのちょうど真ん中には、一枚の大きなネットがかかっていた。床にはいくつもの線が引かれ、それは長方形を模っている。

 いわゆるテニスコート。人間のとある国で発祥したスポーツの一つである。

 私はシン君の隣を歩きながら、それとなく可愛い30選ポーズを決め込んだ。


「ねえシン君、私と組んでくれる?」


 先手必勝。

 断りにくい誘い文句も研究済みだ。これで断りでもしようものなら、お前のことが嫌いだというようなもの。


「………(こくり)」


 仏頂面なこくり、いただきました。

 せめて喋れよ。

 まあ、オッケーがもらえたからいいけれど。


「「ストレート勝ちしたらごめんなさいねぇ、王女様ぁ?」」


 チャラ子とチャラ男が、これでもかと煽ってくる。

 ちょっとイラッとしたけれど、こんな態度は嫌でも慣れている。私は「お手やらかにお願いね?」と微笑み返した。


「僕は前? 後ろ?」

「サーバーは私がやるから、シン君は前にいてくれる?」

「わかった」


 ぶっきらぼうに言い放つと、シン君は用意されていたラケットを手に、ハーフコートの前衛へと位置どった。


 作戦は至って単純である。

 スポーティーな女子というのは、男子に一定以上の好感度を与えるものだ。健康的な身体を見せつけ、活発な印象を与えることができる。


 その上、テニスといえば、貴族の間で流行っていたらしく、清潔感のイメージさえもあるスポーツ。


 まさに、私の魅力をアピールするのに、打ってつけというわけだ。


「あ、サーブもらっていいかな?」

「どぉぞぉ? どうせ勝つのは、私たちだけどねぇ?」


 チャラ子達が準備を終えたのを見計らって声をかけると、活きのいい返事が返ってきた。


「いくねー?」


 我ながら、可愛らしい完璧な声。迫力も何もない、ただただピンク色に染まったような甘い響きだ。


 私はサーブの構えをとると、全身から無駄な力を抜く。

 ボールを上げ、膝を曲げ、打撃の瞬間は肘を伸ばす。私の届きうる最高到達点に達したボールを、ラケットの中心で捉え―――。


 ッッッパンッ! ヒュンッ! スパンッッッ!


「「…………え」」


 唖然とするチャラ子達。

 それもそのはずで、ボールはすでに彼女達の後ろでコロコロと転がっている。

 どうやら、目ですら追えていないらしい。


「これで一本、だね?」


 私は、余裕を持ってにこりと笑いかける。


 ちなみに、つい一週間前まで、私はテニスラケットすら握ったことのないド素人だった。いくら完璧美少女とはいえ、やったことのないスポーツで活躍できるなんて甘い話はない。

 

 そんな私が、なぜ反応すらできないようなサーブを打てたのか。


 なに、簡単な話だ。


 


◆◆◆


 死にそう。

 マジ、死にそう。


 悔しいが、私の快進撃は、あと1ポイントで勝てるというところで止まった……というより、1と言うのが正しいか。6:6のタイブレークまで持ち込まれた時点で相当に厳しかったのだが、気合でここまで持ち込んだのである。


 ―――て、てか、やばい、死ぬ、息が……吐きそう……なんか視界もグワングワンするし……おぇえ……。


 原因は分かりきっている。完全な寝不足だ。ポーション(回復薬)で誤魔化していたせいで疲労を忘れていたけれど、ここに来て体に限界が来たらしい。

 一つのことに集中すると、周りが見えなくなる癖はどうにも治らない。


 あ、あかーん……。立っているのもやっとなんじゃけどー……。


 もはや、表情を取り繕うのも辛い。きっと、今の私は美少女の美の字もないほど、ひどい顔をしていることだろう。汗は滝のように流れ、髪がべったりと肌に張り付いているのがわかる。

 こんな姿を見られたら、100年の恋も冷めることは必至。


 せめてもの抵抗とばかりに、私は内股気味の膝に両手を置きながら顔を俯かせる。


「よっしゃ! 俺ら勝てるかもしれないぜ! なんか、王女様バテてるし!」

「雑魚すぎね? 王女様なのにこんなもん? マジウケるっ」


 ぐ、ぐぬぬ……。

 私が疲労で何もいえないのをいいことに、好き勝手いいおってからに……!


「サタニーニャさん」


 歯痒い思いをしていると、シン君が私の名前を呼んだ。


「な、なあに?」


 せめてもの乙女の意地で、私は声音を取り繕う。正直、話すのも億劫だけれど、プライドに賭けて濁声なんて聞かせられない。


「あと一回だけ、ラケット振れる?」

「え?」

「少しだけ、時間を稼ぐから」


 シン君はこちらに顔も向けずに、言い放った。頼もしいセリフではあるけれど、シン君も息が絶え絶えだ。こう言っては悪いけれど、多分、普段は運動などしないのだろう。体を動かすことに慣れていないのが、なんとなくわかってしまう。むしろ、よくここまでついてこれたものだ。


「……できるの?」


 私は失礼だと思いながらも、問いかけた。


「頑張る」

「……そっか」


 だいぶ厳しそうだけれど、やる気になっているのだから、私には止める理由も権利もない。


 なにより―――許せない。


 あんな、人を称号でしか見ていないような奴らに負けるなんて、私のプライドが許せないのだ。

 人がどんな思いで王女をしているのか知らないくせに。


 勉強ができる?

 当たり前だ。子供の頃から、毎日毎日、何時間も勉強している。


 運動ができる?

 私の日課は、10キロランニング、腹筋100回、スクワット100回、腕立て伏せ100回だ。


 スポーツが得意?

 今回みたいに、体育に備えて、毎度毎度、猛特訓は欠かしていない。


「よしッ!」


 私は自らを鼓舞するように、声を張り上げる。

 シン君の背中を見ながら―――。


「お願い、シン君」

「了解」


 シン君はこくりと頷く。


「はぁ……」


 私は全身の力を抜いて、体力の回復に専念し始めた。

 サーブ権はあちらにある。状況的にはこちらが不利。体力的にも、ラケットを振れてあと一回が限界だろう。


「おままごとは終わった―――かぁ!?」


 などと言いながらも、チャラ男は容赦なくサーブを放ってきた。


「ぐっ……」


 シン君はコートの後方に陣取って、どうにかボールを拾っていく。返すのがやっとのようで、返球に勢いも何もない。


 強打もされ放題だ。


 ボールを追いかけ回す姿は、さながら猫じゃらしを追いかける猫のようだ。そうしなければ餌がもらえないと調教されているかのような、そんな必死さがある。


 多分、ここだけみたら、ひどく惨めな姿に映ることだろう。


 左に走り、右に走り、前後に走らされて、転びそうになって。

 必死になって、ボールを追いかける―――。


「あ、やばっ」


 チャラ子が焦ったような声を出す。

 来た―――。

 緩く高いボール。軌道的に、私の元へ落ちてくる。まさに絶好球だった。


「サタニーニャさんっ!」


 シンくんが叫ぶ。

 わかってる。

 これを逃すわけにはいかない。ダイレクトで叩き込んでやる。


 何百、何千と繰り返してきたフォームを思い出せ。

 力を抜け。

 膝を曲げ、左手を添えろ。

 肘を伸ばして、ラケットの中心でボールを捕えたら。

 後は、腕を振り抜くだけだ。


「だぁぁぁぁあ!!!」


 パァンッ!

 確かな手応えに、心地よい音が鼓膜を揺らす。


 やった。


 そう確信した私は―――そのまま、意識を手放した。


◆◆◆


 瞼は閉じているはずなのに、視界一杯に緋色が広がっていた。


「ん……」


 だんだんと浮上してくる意識に合わせて、私は軽く喉を鳴らす。


「ここは……」


 白い天井。周りはカーテンに覆われている。隙間から差し込む紅い夕日が、私の顔を照らしていたらしい。

 ぼんやりと靄がかった思考のまま、私はそこ―――ベッドから降りると、徐にカーテンを開けた。


「サタニー……!?」

「………シン君?」


 そこには、シン君がいた。

 彼は長椅子に腰掛け、その手にはスマホが握られている。

 ちょうど、私と目が合った―――いや、シン君の視線は、少し下に向いていた。

 かと思えば、急に顔を赤くして、背中をこちらに向けてきた。


「……ごめん」

「………?」


 何か、謝りだした。

 意味がわからない。


「いや、その、ぼ、僕がやったわけじゃないからな? 僕はただ運んだだけで、後は保健室の先生にお任せしたし……」

「あ―――は?」


 嫌な予感を覚えて、私は視線を下に向けた。

 私の防御力は、布切れ二枚。

 ブラジャーとパンティの二枚だった。


「いやぁぁぁぁぁああぁ!?」


 全力で、カーテン裏へ特急逃避行。そのままベッドへとダイブをかまし、私は布団の蓑虫となった。


「着替え! 先生が持ってきてくれたやつ、ベッドの脇に置いてあるらしいからっ! それ伝えといてって、言われた!」


 シン君からの情報を元に、私は血眼で周囲を見渡す―――確かに、私のシャツと制服セットがベッド脇の小さなテーブルに置いてあった。

 私はそれらを布団の中へと引きづりこみ、人間にあるべき防御力を手に入れていく。


「……もういいよ、こっち向いても」


 身だしなみを整えた私は、カーテンを開く。

 シン君は恐る恐ると言った様子で、振り返ってきた。


「本当にごめん。わざととかじゃなくて……」

「……分かってるから。今のは私が悪いよ。気にしないで」


 そもそも、布団から出た時に気がつくべきだった。普段から薄着で寝ているから、つい家にいる気になって、気が抜けたのかもしれない。

 シン君は「本当にごめんね」と続ける。


「と、ところで、体調は大丈夫?」

「あ、うん。ごめんね。迷惑かけて」

「こちらこそ、色々とごめん」


 相変わらずシン君の表情は薄い。けれど、頭を下げて謝ってくれる姿は、とても誠実に見える。


「わ、私のほうこそ、みっともない姿見せちゃったね」


 恥ずかくて、それでもって気まずくて、私は誤魔化すように笑った。


 改めて思い出しても死にたくなってくる。汗はダラダラ。表情を取り繕うこともできず、乙女にあるまじき叫び声まで出していた気がする。


 作戦失敗、だなぁ。


 この学校で条件に当てはまるのは、シン君くらいしかいなかった。他にも掠っているような男子はいたけれど、生理的に受け付けないような、魔族らしい男の子ばかり。ガツガツしていたりとか、グレているようなタイプ。とても一週間で別れてもらえるとは思えない。


 一部の女子に陰口を言われる日々とは、なかなか、おさらばできそうになかった。


「そんなことはないよ」

「お世辞はいいよ。わかってるから―――」

「お世辞じゃない」


 妙に力の籠った言葉に、私は顔を上げる。

 シン君が、照れくさそうに私の方を見ていた。


「その、うまく言えないんだけど……格好良かった」

「え、と……」


 気まずそうに言うものだから、それが本心なのだとわかってしまって、私は何も言えなくなった。どうしてか、喉がキュッと締まってしまった。

 顔が熱い。


 「可愛い」はよく言われる。

 かっこいい、なんて初めて言われた。

 ましてや、あんな醜態を晒した後になんて―――。


「じゃあ、僕は帰るから」

「あッ……」


 私が固まっていると、止める間もなく、シン君は保健室から足早に出ていってしまった。


 残れた私は、ぽかんと口を開けて立ち尽くす。

 日はもうほとんど落ちていて、保健室の中は薄暗かった。


「何、いなげなこというとるんじゃ……ッ」


 どこからか溢れた言葉が、静かに響いた。



――――――――


勢いで書いたので続きは気が向いたら?

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

単話:王女様なサキュバスが、隣の席の地味男に返り討ちに会うお話 腹パンでわからせたい顔の人 @lenon3

★で称える

この小説が面白かったら★をつけてください。おすすめレビューも書けます。

カクヨムを、もっと楽しもう

この小説のおすすめレビューを見る

この小説のタグ