第十二星『掴んだ星』

「──トリスタちゃん。みえる? あの星!」


 夢の中で、誰かがトリスタの名前を呼んだ。

 トリスタはおぼろげな意識の中、かろうじて首を縦に振る。


「赤と、青の星! なんだかヘレたちみたい! そうだ、トリスタちゃん!」


 ふと視界が晴れて、赤髪の少女の顔が目の前に映り込む。


「ヘレたち、死んでたましいだけになっちゃっても、星になってずっといっしょにいようね!」


 そうだ、思い出した。

 幼い頃の約束。まだ、叶っていない願い。


「トリスタちゃん? 聞いてる? トリスタちゃん──?」


 トリスタは応えられない。

 親友が──ヘレンが、消えていく。


「……スタ……ん、……リスタ……ん」


「うぅん……」


「起きて、トリスタちゃん」


 薄っすらと目を開けると、青い瞳がトリスタを見つめていた。


「ニータさん……?」


「おはよう、トリスタちゃん。お仕事だよ」


 そうか、そう言えば深夜の予定だった。

 トリスタは重い体を起こして伸びをする。


「ごめんね、こんな遅い時間に。寝れた?」


「はい、まあまあ。ところで、それは?」


 トリスタはニータが背負った長弓を指差す。

 思い返せばニータの家にこんな長弓があったが、彼女がこれを持っているのは初めて見た。


「ああ、コレ? 秘密だよ、ヒ・ミ・ツ。本当に使うまでは、君が知らなくてもいいことだ」


「はあ……」


 ニータがそう言う限りは、これ以上言及することはできない。

 隠し事されていることを不満に思いつつも、トリスタは立ち上がった。

 家を出るため歩きながら会話は続く。


「よし、行こうか。トリスタちゃんは着替える?」


「この街から出るわけではないんですよね?」


「もちろん。……あ、そうだ。着替えるつもりがないのなら、もう渡してもよさそうだね」


 ニータがいつの間にか持っていた外套をトリスタに着せた。

 不思議な外套だ。色は星空のようだし、質感もツルツルしていて薄い。


「これは落下防止用の外套だよ。外さないでね」


「さっきの靴は履かなくて大丈夫なんですか?」


 玄関に先程のブーツはない。ニータが回収したのだろうか。


「うん。あれはもう必要ないよ。今回は、これに乗るからね」


 ニータは同時に、わざとらしく扉を開け放った。

 と思えば、扉の先には見覚えのないものが現れる。

 木でできた──何かだ。


「これは?」


「これは、舟だよ。木舟。もしかして、初めて見た感じ?」


「フネ──って、前に航海の街で見た、あの大きなやつですよね? あれに人が乗って海を渡れるという……。でも、これは全然大きさが違いますよ」


 確かに似たような形状をしているが、前のもの遥かに小さい。

 これに人が乗れば、すぐに沈没してしまいそうだ。


「まあまあ。師匠が知識を与える前はこんなのに乗ってたらしいし、一応浮かぶみたいだよ。ぼくは見たことないし、これはそもそも用途が違ううんだけどね」


「もしかして、これで夜空に行くんですか?」


「そう、ご明察! とはいっても、天球に着くまでは僕が跳んでいくんだけどね」


「なるほど。じゃあ、早速行きましょう。早く乗ってみたいです!」


「おや、珍しく積極的だね。いいよいいよ、行こう! さ、手を掴んでー」


 トリスタは逸る胸を抑えてニータの手を握る。


「そいじゃ、しゅっぱーつ!」



        ★☆★☆★



 星空が、膝を曲げて座るトリスタを囲んでいる。

 聞こえる音は、ニータの櫂を動かす音のみ。

 暗くてキラキラしていて静かな空間が、眠気を誘う。


「トリスタちゃん、眠い? ごめんね、こんな遅い時間に連れ出して。すぐ終わらせるから」


「いえ……。だいじょうぶ、です……」


 頑張って言ってみるものの、その呂律は怪しい。

 頭が揺れるのを抑えられず、トリスタの首ががくりと前に曲がった。


「わわ。気をつけて。落ちたら危ないよ」


「ふぁい……すぅ」


「ふふ。居眠りするトリスタちゃんもかわいいね。だけど、これも仕事だから、ちゃんと見とかないとだめだよ?」


「うぅん……」


 トリスタは目を擦って、なんとか眠らないようにと努力する。

 けれどやはり眠いものは眠いので、何かきっかけがないと目が覚めそうになかった。


「──トリスタちゃん。聞こえる?」


「きこえます……」


「いやいや。ぼくの声じゃなくて」


「なにもきこえませんけど……?」


 不思議なことを言うものだ。

 ここにはトリスタたちしか来れないのだから、それ以外の音がするはずがないのに。


「──見つけた」


 不意にそう口にしたニータ。しかし、薄ら目しか開けられないトリスタはニータの見つけたものを見つけられない。


「なにを……」


「トリスタちゃん。しっかり掴まってて」


「へ──?」


 ニータがいつになく真剣なので、トリスタは戸惑う。

 トリスタが顔を上げてニータを見ると、彼女は立って弓を構えていた。

 弓には、光の矢がつがえられている。

 ニータはきりりとした目をどこか先へ向けると、ひょう、と弓矢を放った。

 次いでニータは弓を煩雑に投げ、舟から出てしまった。


「どこへ──!?」


 流石のトリスタも、よく分からない状況に目が覚めた。

 慌ててニータに追従しようとすると、肩を押さえ込まれてしまった。


「トリスタちゃんはここで待ってて」


「え、でも」


「ごめんだけど、トリスタちゃんの手を握っていられる余裕がないんだ」


 ニータに手を握ってもらわないと、トリスタは空を飛べない。


「……わかりました」


「よし、いい子。じゃあ、ちょっとだけ待っててね」


 ニータはトリスタの頭を撫でると、さらに上の方へ行ってしまった。

 トリスタは黙り込む。たまに受ける子ども扱いが嫌だった。


「弟子は弟子でも子どもじゃないのに……」


 正直、自分がニータに何を求めているのか分からなかった。

 だが、彼女がトリスタに隠し事をしていたり、わざと分からないようにしたりするのが、不満だった。


 普通の師弟関係ではないと思う。少なくとも、羊飼いの間のそれとは違っていた。

 トリスタとニータはもっと距離が近い。

 だけど、一線引いてニータは少し遠くにいる。

 もっと、仲良くなりたい。隠し事されないくらい、信頼されたい。

 例えば、ニータとアテラノのように、お互いがお互いのことをよく知っている、そんな関係になりたかった。


「なれるのかな……」


 ニータへの不満と憧憬との間で揺れていると、トリスタの目にある一つの星が目に止まった。


「赤い……」


 それはとても、明るくて赤かった。

 まるで、親友の赤髪のような赤さで、親友の笑顔のような明るさだ。


 気付けば、トリスタはその星に手を伸ばしていた。

 触れれば、ニータに嫌われてしまうかもしれない。

 そんなことも、すっかり忘れて。


「ヘレン……」


 捕まえた星を、トリスタは胸の上で抱きしめた。

 小さいけど、温かい。触れるほど、それは親友の魂だという思いが強くなっていく。

 次第に、これはいけないことだという意識もなくなっていった。

 この星さえあれば、もうどうなったっていい。


 ──街へ帰ろう。トリスタの目的は達成された。もう、ここにいる意味もない。

 トリスタは我も忘れ、舟から出ることを試みる。

 半身が舟から出た時──、


「トリスタちゃん!」


 慌てたニータの声が聞こえた。

 トリスタは急いで体を戻し、それからポシェットに星をしまう。


「トリスタちゃん大丈夫!?」


「……はい、大丈夫です。眺めてたら夢中になっちゃって……」


「無事で良かった。あと、ごめんだけど少し寄ってもらえるかな? ──乗客が増えちゃって」


「え──?」


 後ろめたくてそれまで目を伏せていたトリスタは、ニータの変化に気が付いていなかった。

 今ようやく顔を上げて、ニータが抱えている人に目が行く。


「レックス、君……?」


 ニータの脇の間には、トリスタがよく知っている少年であり親友の弟の、レックス・ドレイパーが抱えられていた。

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