第十星『星の温もり』
「トリスタ。どうしたの」
アテラノが心配そうな顔をして歩いてくる。彼女の周りを浮かんでいた星々は散り散りになって消えていった。
「ニータさんが……」
アテラノはトリスタに抱えられたニータの様子を覗き込む。
「ひどい怪我。毒にもやられてる。なんの毒?」
「蛇の……」
「白蛇族?」
トリスタは頷き、ニータの一番ひどい腕の傷口を見る。
傷は水で流しただけだ。清潔な布がなかったから、着けていた装飾具の布を傷口に巻いた。
だが、白い布からは痛々しげに血が滲んでいる。
他にも、傷はたくさんある。確実に、トリスタが見た時よりも増えていた。
その何箇所かは、血ではないものも付着している。
「白蛇族は厄介。麻酔用だけでも何十とある。即効性のはもっとある。毒の種類は私も分からない」
「私にも、即効性ってことしか……」
「うん。でも、どうにかする。あなたは休んでて。遅い時間」
「でも、寝てなんかいられません!」
「──分かった。でも、明日は休む。条件」
「分かりました。まずは家の中に入りましょう」
「うん。入ろう」
アテラノの声と同時に、景色が変わる。
そこはトリスタの寝室だった。そう言えば、ニータの家には寝転がれるところがない。
トリスタは寝台にニータの体を下ろし、アテラノを見た。
「私に何ができることは」
「な──ううん、ある。私が離れてる間、手、握ってて」
「分かりました」
トリスタは寝台に横たわるニータの手を握った。いつもと変わらず、冷たい手だ。血が通っているとはとても思えないほど。
「大丈夫。ニータは死なない。少し、待ってて」
そう言うと、アテラノは少し離れたところに行って誰かと話し始めた。通信を取っているようだ。
「ニータさん。どうか、生きて……。私の前からいなくならないで」
苦しそうに眠るニータに、トリスタは声を震わせて呼びかける。
聞こえていてほしい。届いてほしい。わがままでも、ニータはとやかく言いながらも笑って受け入れてくれる。
「──もう! ラノったら、いつも急なんだから! なによ! 忙しいって言ったじゃない──あれ、リスちゃん?」
「──え?」
背後から、快活な声がした。アテラノの声でも、ラリアンの声でもない。
しかも、最後の呼び名はトリスタのもので、それはこの世で一人しか使わない。
振り向くと、やはりそこにはトリスタの知っている顔があった。
「マオさん!」
「わー! 久しぶり、リスちゃん! 元気してた? あれ、少し暗い顔ね? 泣いてるみたい。どうしたの? 私のリスちゃんを泣かせるなんて、許せないわ!」
「マオ黙って。うるさい」
マオは、四人の魔女のうちの一人だ。
旅好きで、よくトリスタの街にも来ていた。
頭の上で高く結んだ金髪が印象的で、あれ以外の髪型をしているのは一度も見たことがない。
アテラノの苦言にマオは髪の尾を揺らすと、眉をキッと吊り上げた。
「まあ、ラノったらひどいのね! せっかく感動の再会だっていうのに!」
「なら、自分の娘とも再会したら。とても喜べない状況だけど」
「娘って、私に娘は──」
言いかけて、止まった。マオは顔から表情を消すと、トリスタの寄りかかる寝台に近付く。
「この子が、どうして──」
「治して。それがあなたを呼んだ理由」
とても長い時間、沈黙が続いた。
マオは何かに迷っているようだった。
珍しい、とトリスタは思った。彼女はいつも正直で、迷うことなど一度もなかった。
ニータが彼女を迷わせている。一体、彼女たちの間にはどういう関係があるのだろう。
「分かったわ。治しましょう。他に用はないのよね?」
「うん。ない」
「そう、ならいいわ。始めるわよ」
マオはトリスタの横に立つと、ニータの額に触れた。
「毒を血に。全てをあるべき姿に」
それから、トリスタはマオの起こす奇跡に心を奪われた。
★☆★☆★
「ん──。トリスタ、ちゃん」
「──ぁ、ニータさん……! よかった、ほんとに、よかったぁ……」
トリスタは目が覚めたニータに抱きつき、わんわんと喚く。
ニータはそんなトリスタの頭を撫でると、
「トリスタちゃん……。おはよう。……あ、君の寝るところを奪って申し訳ない。すぐ起きるよ」
「いけません! 今はちゃんと休んでって、マオさんが言ってました!」
「マオさんが? そうか、これを治してくれたのはマオさんか。お礼を言わなきゃいけないな……。後で師匠に伝えてもらおう」
「あの、ニータさん」
「何かな?」
ニータはにこりと笑って首を傾げる。
トリスタはその笑顔に後ろめたさを感じながら、震える声で言った。
「ごめんなさい……。私のせいで、ニータさんが……」
「これは、トリスタちゃんのせいじゃない。こうなるかもしれないって分かっててトリスタちゃんを止められなかったのはぼくだ。それに、狙われていたのもぼくだけだったんだし」
「でも──」
「悩みすぎるのがトリスタちゃんのよくないところだよ。ぼくがいいと言ってるんだから、それでいいじゃない」
「────」
「はい、この話終わり! ──トリスタちゃん、師匠がどこにいるか知ってる?」
「──あ、マオさんと一緒にどこかへ行かれました。治療してすぐのことだったんですけど、まだ帰られてません」
「そう。やっぱりいないか。最近忙しいみたいだしね。何か用があってここに来てたとは思うんだけど。まあいいや。トリスタちゃん、何か気になることがあるような顔してるね。何かあった?」
隠していたつもりだったが、見抜かれてしまった。
場違いだとは思いながらも、トリスタはずっと口の中に含んでいた疑問を吐き出す。
「あの、マオさんとはどんな関係なんですか? アテラノさんはニータさんがマオさんの娘だって……」
言ってはいたが、二人はあまりにも似ていない。
同じなのは瞳の色だけだ。
「あー。そうだね。マオさんはぼくの生みの親だよ。マオさんがぼくを作ったんだ。まだ、会ったことも見たこともないんだけど」
「えっ? マオさんと会ったことないんですか? というか、作ったって?」
「うん、会ったことない。避けられてるみたいなんだ。作ったっていうのは、ぼくが生物の魔女である彼女の魔法で直接生まれた存在ということだよ。だから、ぼくは半分人間で、半分人間じゃないんだ」
「なるほどだから……」
ニータの不思議なことのいくつかは、きっと彼女が人間の領域を超えていたから。
そう考えると、色々納得できる。
むしろそう考えないと無理があったから、聞いてもトリスタはあんまり驚かなかった。
「でも、驚いたよ。トリスタちゃんはマオさんと知り合いなんだね?」
「マオさんは旅好きとかなんとかで、よくうちの街に来ていたんです。だから、あんまり魔女だっていう実感も湧かなくて」
「そうなんだ。君が羨ましいよ。マオさんは魔女の中で一番お喋り好きと聞いて、ぼくと気が合うと思っていたんだ。けれど、彼女はぼくを作ったとき以来一度もぼくの前に現れなかった。だから、未だに話をしたこともないんだ」
「マオさんは人情に厚い人です。そんなことをするなんて、信じられません。きっと何か事情があるんでしょう」
「それはぼくも分かっているよ。彼女はきっと──。いや、なんでもない。トリスタちゃん、マオさんは君に何か言っていた?」
「ここにいることに驚かれました。それ以外は特に何も。ニータさんが目覚める前にと帰られてしまいましたから」
「そう。ありがとう。そうだ、今何時?」
トリスタは、空が当てにならないので貰った時計を見る。
「今は昼前です」
「もしかしてトリスタちゃん、寝てない?」
「いえ。そんなことはありませんよ。隣で寝させてもらいましたから」
これは嘘ではない。トリスタはニータの手を握りながら、寝台に寄りかかって寝た。
疲れは取れていないけど。
「じゃあ、トリスタちゃんも寝ないと。でもぼくは起きられないし……。一緒に並んで寝る?」
「手狭では? 私は大丈夫ですよ。シーちゃんも代わりになりますし」
「いやいや。やっぱりここは一緒に寝よう。君が手を握ってくれていたせいで、人の温もりが足りないんだ。君が横で眠ってくれるなら、よく眠れる気がする」
「気がするって──。でも、分かりました。一緒に寝ましょう。あんまり動かないでくださいよ?」
「うん。もちろんだよ。さあ、入って入って」
ニータに呼ばれ、トリスタは彼女と寝台と布団を共有する。
温かい。暖炉がついている室内よりもずっと温かい。逃げている間もずっと寒かったから、余計にそう感じたのかもしれない。
「トリスタちゃん。あったかいね」
にこにこと笑うニータに、トリスタも笑みを返す。
「温かいです」
「そうだ、さっきみたいに手を繋ごうよ。きっともっと温かいよ?」
「はい。でもニータさん……」
ニータの手はとても冷たい。それだとトリスタの手もすぐに冷えてしまって、お互いに温かくなれないかもしれない。
「大丈夫だよ。今のぼくは今までで一番人間に近いはずだから。ほら、温かいでしょ?」
「本当ですね。温かい──」
握ったニータの手はとても温かくて、トリスタは少しほっとした。
右手から伝わる熱で、体の冷えたところが溶けていく。
「──折角だから、寝落ちするまで話をしない? まずは君から。そしてその後にぼくが話そう」
「いいですよ。何を話しますか?」
「そうだね、ここはマオさんの話を聞かせてよ」
「じゃあ、私たちの街に伝わるお話をしますね。──遠い昔、マオさんは、私たちの街に羊に乗って現れたんだそうです──」
その後、話はトリスタの知っているマオの話から、ニータの過去にまで遡った。
トリスタたちは話し疲れ、息をするように眠りに落ちた。
お互いの右手を繋いだまま。
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