第九星『星跡』

 トリスタは愛羊の背に乗って、どこへともなく走っていた。

 行き先は知らない。北と言われても、方位が分からないから。

 ただ全ては、愛羊の四足に懸かっていた。


 どのくらい進んだのだろうか、少し肌寒くなってきた。

 上着はニータに預けたままだ。

 このままでは、星空の街に辿り着くまでに凍え死んでしまう。


「シーちゃん、ごめんね……!」


 そう言うと、トリスタは愛羊の黄金の毛に腕を埋めた。

 毛刈り用道具があればこんなことをしなくてもいいのだが、あいにく今は持ち合わせていない。

 幸い、腕を突っ込むだけでも十分温かい。


 そうしてしばらく進んでいると、道の先に何者かが現れた。


「──っ、シーちゃん、避けて!」


「──すまねえな、嬢ちゃん」


「きゃっ」


 突然、トリスタの視界がくるくると回転し始めた。

 何者かに持ち上げられたトリスタは、

 トリスタはあまりの恐ろしさに口を開閉して何も言えない。


「おい、嬢ちゃん。お前さん、蛇じゃねえよな?」


 鋭い眼光で睨まれ、震え上がる。

 怖い。殺される──。


「おい、ヘフ! その子、怖がってるぞ! もうちょっと優しくだなあ──!」


「あ? ……あぁ、スマン」


 乱暴に掴まれていた首が解放され、トリスタは地面に膝をつく。


「けほっ、けほっ……」


「──ったく。お嬢さん、大丈夫? 手荒でごめんね」


 赤茶色の髪の、頭に二本ツノが生えた男がトリスタに手を差し伸べる。

 トリスタはその手を取らず自分で立ち上がり、膝を払った。


「すみません、急いでるので──」


「まあ待てまて。気持ちは分かるが、俺らの話も聞いてくれ。もしかしたら力になれるかもしれねえし」


 だが、急がないと蛇に追いつかれてしまうかもしれない。

 それに、この二人の男は鬼だ。もしかしたら殺されてしまうかもしれない。


「お前さん、迷子だろ? しかも、蛇に襲われたよな? 蛇の匂いがする。どこで襲われた?」


「……あ」


「別のやつの匂いもするってことは、そいつはまだそこにいるな? 言ってみろ。助けてやれるかもしれねえ」


 そう聞く栗茶髪の男の顔は険しい。

 言っていることはまともなのだが、顔があまりにも恐ろしいのでトリスタは未だ喋れない。


「ごめんね、悪い奴じゃないんだけど、口が悪くて。よかったら話してくれる?」


「……う。その、私たち、蛇に襲われて。ニータさんが……女の子が、毒を……。場所は南の方で。あ、羊の足跡がついていると思います」


「よし、分かった。ありがとう、お嬢さん。おい、ヘフ。行くぞ」


「いちいち言わんでもわかる。嬢ちゃん、気をつけろよ。もうちょいで白森だ。嬢ちゃんたちがなんでここに来ちまったかは知らねえが……無事に帰れるよう祈ってるぜ」


 そう言って鬼たちはトリスタに危害を与えることなく去っていった。

 彼らの体が血に塗れていた詳細は、結局怖くて聞き出せなかった。



        ★☆★☆★



 それから、何分経っただろうか。トリスタは我も忘れて逃げ続けて、ようやく森林から抜け出すことができた。

 鬼の男の言葉が正しければ、ここは白森の街。星空の街に隣接している街だ。


 この街には森妖精と呼ばれる種族が住んでいる。

 ひどく排他的で好戦的だとも知られる種族だ。

 だから、クラテニオ大森林を抜けても安心はできない。

 それに、道にも気をつけなければ。進む方向を間違えれば、違う街に着いてしまう。


「でも、人には聞けないし……」


 ここに森妖精以外の種族はいない。でも、トリスタは道を誰かに教えてもらいたい。

 そんな悩みに板挟みになって、トリスタは羊毛に顔を埋める。


「ニータさん、大丈夫かなあ……」


 ニータはすごい。だけど、すごいだけじゃだめだ。一人では、大勢には立ち向かえない。

 せめて、あの鬼たちが間に合うといいのだけれど──。


「────っ」


 不意に、背後で何かが落ちる音が聞こえた。木の実ではない。しっかり重いものだ。

 それに、荒い息遣いも聞こえる気がする。

 トリスタは羊毛に顔を埋めたまま、この危機的状況の対応を考え始める。


 もしかしたら森妖精にいるのがバレたのかもしれない。でも、さっきのは人が倒れた音にも聞こえた。

 積もった冷たい雪の上に、誰かが倒れてしまったのだとしたら。

 トリスタが助けないと。人間でも森妖精でも、助けられるのに助けないのは嫌だ。

 まあ、そのせいで自分の首を絞めてしまったのだけど。


 トリスタは心を決めてガバッと顔を上げた。シーちゃんを旋回させ、音のした方向に向かう。

 やはり、誰かが倒れていた。

 トリスタは恐る恐る近付いて、息を呑んだ。


「ニータ、さん……?」


 白い雪の上には、長い銀髪を真っ赤な血に濡らしたニータが仰向けに倒れていた。



        ★☆★☆★



「ニータさん、ニータさん……! 死なないで、ニータさん……!」


 トリスタははらはらと涙を流しながら、腕の中で眠るニータに呼びかける。

 ニータが倒れているのを発見した後、トリスタの判断は早かった。

 ニータの軽い体を抱えて、シーちゃんに乗って星空の街を目指す。

 全てはシーちゃんが正しい道を行けるかに懸かっている。

 トリスタは愛羊の力を信じて、暗い雪の道を進む。


「こんな時、魔女様がいてくれたら……」


 アテラノならきっと、正しい道を教えてくれる。

 ラリアンならきっと、正しい道を造ってくれる。

 トリスタの知っている別の魔女ならきっと、ニータの体を癒やしてくれる。


 だけど今は、トリスタがやらなきゃいけない。

 ニータを一刻も早く助けるには、自分の力を信じないと。


「お願い、がんばって、シーちゃん! 私もがんばるから……!」


 トリスタは親友も、師匠も傷つけてしまった。

 自分の力不足とわがままのせいで。


 トリスタの誰かを助けたいという気持ちも、本当は人のためではない。

 助けられなかったあの過去を、他の誰かを助けることで償おうとしていた。

 そのことによって、自分の心を救おうとしていた。

 家を出て亡き親友の家族を手伝っているのも、同じ理由だ。


 それも全部、分かっていた。だから、今はもう取り繕わない。

 今ニータを救いたいのも、自分が大切な人を失いたくないからだ。

 だから──、


「シーちゃん、私のために走って!」


 そう叫んだ時、シーちゃんが大きな声で鳴いた。

 鳴き声は遠くまで響き、トリスタの心を震わせた。

 目の前がキラキラと光り始める。光は帯になって道の先へ伸びていく。それはまるで、トリスタたちに道を示しているかのようだった。


 何かは分からない。だけど、きっとすごく良いものだ。

 シーちゃんは加速し、帯の上を進んでいく。

 何本もの木を横切って、雪の上に小さな足跡をたくさんつけて、ようやく辿り着いたのは──。


「──トリスタ?」


「アテラノ、さん……」


 満天の星空の下、長い銀髪を伸ばした少女──アテラノが星を纏って佇んでいた。

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